第3話 「難しい顔してる。」

 〇里中健太郎


「難しい顔してる。」


「……」


 無人の社食。

 一人で温かいお茶を飲みながら、頭を整理しようとしてる所に…


 眉間に指を押し付けられた。


「…早いですね。」


 その指をやんわりと外しながら笑ってみると。


「里中君こそ。」


 さくらさんは、目の前に何やら包みを置いて。


「朝ご飯食べた?食べてなさそう。甘い物も足りてない顔してる。」


 俺が何も答えてないのに、その包みから重箱を取り出して開いた。


「…これは。」


「あたしの自信作♡」


「いや、えーと…こんなにたくさん誰が?」


「持ってきたら誰かが食べるかなって。」


「まあ、確かに……高原さんは?」


「今日は家でお休み。」


「ああ…それはいい事です。」


「はい、食べて。」


 箸を渡される。


「こっちから、カラフル弁当、ちょっとスイーツ、本気スイーツ。さ、どうぞ。」


「…いただきます。」


 朝からこういうの食えるかな。と思ったが、夕べから何も食ってないし…カラフル弁当と言われた重箱の中から、緑の丸い物を口にした。


 一口サイズのそれは…


「ん?おにぎり…ですか…?」


「うん。」


「…美味しい。」


「でしょでしょ。はい、スープも。」


「あ、すいません…」


 …食欲なんてないと思ってたのに…

 さくらさんの自信作は、驚くほど俺のそれを加速させる気がした。


「…まずいです。」


「えっ!?どれが!?」


「いや、完食してしまいそうで。」


「あっ、なんだ~。そんな嬉しい事言ってくれるなんて、里中君天使っ!!」


 天使。

 ふっ。

 何言ってんだ…この人。


「里中君、嫌いな物ないの?」


 さくらさんも箸を取り出して、自作の弁当をつまみ始める。


「特にはないですね。でも反対に食べなくても平気だったりもします。」


「不健康だ~。」


「こんなに美味しい料理なら、三食ちゃんと食べたいですけどね。」


「だったら里中君も桐生院においでよ。」


「ははっ。」



 夏の陣の前。

 何度か桐生院家で仕事をした。

 休んでる高原さんを一人に出来ない、さくらさんのためでもあったが…

 結果、俺の息抜きにもなってた。

 なぜなら、さくらさんの作ってくれる食事や茶菓子が。

 なぜか、俺に合ってる気がしたからだ。


 煮詰まってる時も、さくらさんの淹れてくれるお茶にリラックス出来たり。

 食ってる時間なんてない。って思ってても、手軽に食える物を手早く作ってくれたり。

 なんて言うか…

 あれだな。

 さくらさんの『痒い所に手が届く』感じが、心地良かったのかもしれないな。



「んっ。この玉子焼き…絶品ですね。」


「おでん出汁入れちゃった♡」


「…絶品です。」


「ふふっ。美味しく食べてくれるなら良かった。」




 …昨日、朝霧さんの家に行って。

 本当は、冬の陣のバンド出演を回避できないか…相談したかった。


 さくらさんに相談しても、この人は高原さんの味方だし。

 神も、アズも…いや、ビートランド全員が、きっと高原さんの意見を尊重する。


 俺だって、本当はそうしたい。

 高原さんの意向は全て通したい。

 だけど…



「うんうん。色々心配だし不安だよねえ。」


「…えっ?」


 何も言ってないのに。

 さくらさんは、納得。みたいな顔で、俺が食べ終えた弁当箱を片付け始めた。



「里中君、ノドはまだ痛むの?」


 ドクン


 つい、目を見開いた。


 なぜ…

 なぜそれを…



「なっちゃんが…気付いてやれなかった。って、悔やんでた。」


「……」


「路線変更は、それで?」


「…俺は…」


 京介と小野寺と。

 ずっとSAYSを続けたかった。


 やっとSAYSとしての方向性が明確になって、売れ始めた途端…

 それまでの無理な発声のせいか、ノドに違和感を覚えるようになった。


 音程も定まらない。

 今まで出てたキーが辛い。



「あ?何だこのセトリ。」


 比較的ハードでも、ノドに負担のかからない選曲をすると。


「これじゃ客が乗らないだろ。」


 小野寺は反対し。


「……」


 京介は、何も言わなかった。


 結局、歌い方を変えた。

 そんな俺に小野寺は苛立ち、京介は何も言わなかった…からこそ、バンドに限界を感じ始めた。


 …いや、誰かのせいとかじゃなくて。

 俺自身が、自分を信じられなくて…限界だった。



「病院には行ったの?」


「…はい。歌ってちゃ治らないと言われて絶望しましたが、SAYSの解散後、少し休んで手術を受けました。」


 簡単なポリープ除去手術。の、はずだった。

 だけど術後、数日声が出なくなった。

 焦った。


 だけどそれは…心因性のもので。

 カウンセリングを勧められたが、俺はそれを断った。

 自分で治してみせる、と退院した。


 何もしない間に、声が出るようになった。

 だけどそれは反対に…音楽に触れる事を不安にした。

 歌おうとしたら、また声が出なくなるのでは…と。



 SAYSの時のような楽曲は、もう歌えないと思った。

 少し無理をするだけで、ノドに現れる違和感。

 朝霧さんに憧れて続けたギターも…SAYSが解散した事で、少し熱が冷めた。


 自分で思ってたより、俺はSAYSが好きだったんだな…と、後で気付いた。

 遅かった。



 もうバンドは組みたくない。

 そう思って、一人で歌ってみることにした。

 だが、路線変更は簡単じゃなかった。


 ストリートで試したりもしたが、俺の歌を聴くために足を止めてくれる人は…少なかった。

 それでも、掴みたかった。

 俺も、まだ歌えるんだっていう自信を。


 …結局、掴めなかったけど。




「京介君がシェリーのバックで叩いてくれたのってさあ。」


 さくらさんが淹れてくれたコーヒーを一口。

 ああ…美味いな。

 なぜかホッとする味だ。


「夏の陣でSAYSが復活しなかったからなんだって。」


「……え?」


「やりたかったみたい。」


「……」


 カップを手にしたまま、少し固まった。




 解散しよう。


 そう言った時…

 小野寺は腹を立てたが、京介は何も言わなかった。


 だから…京介は、どうでもいいんだと思ってた。


 実際、あの後すぐにF'sを組んだし。

 京介にとっては、正解でしかなかったと思った。


 だが…小野寺は…



「…あたし、先に会長室に行ってるね。」


 ふいに、さくらさんが立ち上がった。


「あ、はい…」


「里中君。誰もエスパーじゃないから。思ってる事は口に出さなきゃ伝わらないよ。」


「……」


 さくらさんの言葉がグサグサと突き刺さる。

 確かに俺は…いつも誰にも何も言わない。

 きっとそうだ。なんて…決め付けて…


「京介君も。」


 え。と思ってさくらさんの視線に振り返ると。

 そこに…



 京介が立ってた。





 〇浅香京介


「病院には行ったの?」


「…はい。歌ってちゃ治らないと言われて絶望しましたが、SAYSの解散後、少し休んで手術を受けました。」


 ……


 さくら会長と里中の会話を聞いて…足元が崩れるような感覚に陥った。


 里中…あの時、ノドを痛めてた…?



 俺がドラムを始めたのは、17の誕生日を迎える前の日。

 それまで何とも思ってなかったドラムの音が、妙に耳について離れなかった。

 それからずっと独学。


 その翌年…

 里中が声を掛けて来て…一緒にやるようになった。


 まさか自分が誰かと音楽をやるとは思わなかった。

 コミュニケーションは苦手だ。

 喋るのも面倒だ。

 誰もがエスパーならいいのに。

 今でも、そう思わない事もない。


 だけど里中は喋らなくても嫌な顔をしなかった。

 それが楽だった。


 延々とセッションをして、その内それが曲になって…

 あれ。

 俺達、今…世界に新曲を生み出した?なんて…

 すげー気持ち良くなった。



 その内、里中が高校の同級生だっていう小野寺を連れて来て。

 俺達はSAYSを組んだ。

 バンド名は…何でそうなったのかは知らない。

 里中か小野寺が命名したのだと思う。




「京介君がシェリーのバックで叩いてくれたのってさあ、夏の陣でSAYSが復活しなかったからなんだって。」


 …うわ。

 それ言うか!?


「……え?」


「やりたかったみたい。」


「……」


 …さくら会長は、里中の肩越しに俺を見てる。


『そうだよね?』って言われてる気がして…少しうつむいた。



 …そうだよ。

 やりたかったよ。

 今、F'sで成功してるとは言っても…

 俺は、あのままSAYSを続けたいとも思ってた。


 だけど、里中が解散したいと言った。

 小野寺は腹を立てたが、俺はー…

 俺を誘ってくれた里中が、もう止めたいって言うなら。

 解散は仕方ない事なんだろ。って…思った。



 俺があの時、嫌だって言ってたらー…


 何か変わってたかな。



 …いや、ねーよな。




「…あたし、先に会長室に行ってるね。」


「あ、はい…」


「里中君。誰もエスパーじゃないから。思ってる事は口に出さなきゃ伝わらないよ。」


 はっ。


 さくら会長の言葉に顔を上げる。

 この人、エスパーじゃねーのか!?


「京介君も。」


「……」


 食いしばると同時に、里中が振り返った。


 その時、俺の頭の中に…高原さんの言葉が浮かんだ。



「…京介…」


「……」


 さっきまでさくら会長が座ってた椅子に腰を下ろす。


「…気付かなくて悪い。」


「…え?」


「ノド、痛めてたとか…」


「……そんなの、誰も気付くわけない。俺も言わなかったし。」


「……」


 …もっと一緒にやりたかった。


 もしかしたら、一番言いたいのは…この言葉かもしれない。

 だけど…

 今、俺が言うべき事はそれじゃない。



「…昔の事は…もういいとして…」


「……」


「おまえ、あのバンド組めよ。」


「は…っ?」


 The Darkness…悔しいけど、上手い。

 ま、F'sの足元にも及ばないが、ビートランドの次世代を担うバンドとしては有望株だ。

 …里中とリーダーはジジイだけど。



「おまえ、プレイヤーとして終わんの、もったいねーよ。」


「……」


「打ち上げで聴いた曲…SAYSとは違っても…おまえの曲だなって思った。」


 俺が本音で喋ってんのに。

 里中は眉間にしわを寄せて黙ったまま。



「…もし迷ったら、仲間に頼れ。それでも上手くいかない時は、現状を受け入れるんだ…」


 ボソリとつぶやくと。


「…高原さんの言葉か。」


 里中が小さく笑う。


「おまえは、ずっと誰にも頼らなかった。」


「それはー…京介もだろ。」


「俺は…頼ってたよ。」


「は?」


「いや…甘えてた…だな。里中に任せてれば大丈夫って、俺…おまえの言う事に間違いねーって思ってたから…」


「……」


 里中が目を見開く。

 その顔見てたらー…もしかして、こいつ…

 俺に『解散なんて嫌だ』って言って欲しかったのかな。って思った。



「…現状を受け入れるべき…か?」


 前髪をかきあげながら、里中が言う。


「迷ってるなら乗っかってみろよ。それでダメなら、その時に考えればいい。」


「……」


「…何だよ。」


「京介と、こんなに喋ったの…初めてだな。」


「そっ…そんな事ねーだろ…」


 いや…そうかもだ…

 俺は里中とも小野寺とも、そんなに喋った事がない気がする。


「いーや、初めてだ。何ならおまえ、今もアズとしか喋ってない感じだろ。」


「うっ…」


 そ…それは…否定できねー…

 どうしてだか、アズは…気楽に喋れるんだ。

 まあ、あいつが誰に対しても垣根がないっつーか…スッと入り込んで来るっつーか…


「でも…今更でも、こうして京介と話せて良かった。」


 改めてそう言われると、照れくさくて仕方がない。

 こめかみ辺りがピクピクしてるのを感じながら、さくら会長が俺に置いてくれたであろうお茶を飲んだ。



「…小野寺と、連絡取ったりしてんのか?」


 視線を落としたまま問いかけると。


「いやー…全然。」


 苦笑いの里中。


「京介は?」


「あー…F'sでデビューする時、一応報告しようと思って家に行ったら…引っ越してた。」


「え……」


「…何だよ。」


「いや…」


「言えよ。」


「……」


 まさか俺から『言え』なんて言われるとは思ってなかったのか。

 里中はパチパチと瞬きした後、なぜか少し嬉しそうな顔になった。


 …まあ、俺も驚きだけどな。



「…俺、解散した後…かなり迷走しただろ?」


「あー…ストリート?」


「ああ。あの時、一度だけ…小野寺が来たんだ。」


「……て事は、俺より最新の小野寺に会ってるんだな…」


「最新て(笑)何年前だよ。」


「…そうだけど。」


 それの何が悪いのか。

 里中は少し重い溜息を吐いた。


「…愚痴でも何でも吐き出せよ。」


「…ははっ。京介が饒舌。それだけで一生の運使い果たしてる気分だ。」


「はあ?おまえ、何言ってんだよ。」


「いや、本当に。あの頃、もっと……」


「……」


 もっと、何だよ。


 その続きは予測出来たものの。

 俺は里中が続きを口にするのを待った。


「……小野寺は、俺にガッカリしたんだよ。」


「…何で。」


 もっと。の続きじゃねーのかよ。


 俺が目を細めると、里中はそれを察したのか、苦笑いしながら少しうつむいて。


「…SAYSやめてまでやってたのが、あれだったから。」


 あれ。

 あれ…な。


「…まー…俺も一度観に行ったけど…」


「え?来たのか?」


「…通りすがりに…」


 確かに…ストリートでの里中は冴えなかった。

 でもそれは、SAYSの全盛期の里中を知ってるから仕方ねーんだよな。


 見た目にそぐわない、ハードな声。

 今の神はともかく…TOYSの時の神より、里中の方がハードロック向きだったと思う。


 そう言えば、神…一度朝霧さんと偵察に来やがったよな。

 あれ、絶対里中を意識してたんだぜ。




 結局里中は『あの頃、もっと…』の続きは言わなかった。

 冬の陣に向けてのバンド結成も、『もう少し考える』とだけ。



「……」


 里中がさっきまで座ってた椅子を眺めながら。


 小野寺、今何してんのかな。




 なんて。



 出来もしないお節介を考えてる俺がいた。

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