お土産ならマグネットにしなさいっていう小話

猫助

お土産ならマグネットにしなさいっていう小話

 例えば、おやつのプリン。3連になっているあの安いプリンの程良い固さとあの甘ったるいカラメルのマリアージュには、大人から子どもまでみんなに愛されていることを実感させられる。

 例えば、お風呂上がりのアイス。夏でも冬でも、湯上がりであつあつの体にキンキンのアイスを注入すると「今日も頑張って生きたなー」という気がする。

 例えば、夕飯後のゼリー。お湯に溶かして冷やすだけで作れるお手軽ゼリーは、満杯のお腹でもちゅるりと入ってなんか得をしたように思える。

 私はいつも実家では、冷蔵庫から出したそれらを冷蔵庫と向き合う形で立って食べていた。スプーンは持って行ったり忘れて取りに行ったりとまちまちだったが、そのまま近くの椅子に座って食べるということは無かった。家族から行儀が悪いと怒られたこともあるが、何年も続けていると不思議と受け入れられ、今では時たま「余所でやるなよ」と注意されるだけとなっている。

 冷蔵庫の何を見ているのかと聞かれると特にこれといって見ているものはなくただボーッとしているので返事に困るが、強いて言うならば貼り付けられているマグネットを見ていた。昔流行ったアニメキャラのマグネットやお茶のオマケで付いていたマグネット、近所の水周り業者のマグネット、友人の家族がやっている整備会社のマグネット、どういう経緯でここにあるのか分からなくなっている不思議なマグネット。冷蔵庫にマグネットを付けるのは良くないらしいが、そんな話は都市伝説だとでも断言するかの如く多種多様のマグネットが貼ってあった(冷蔵庫本体も健勝)。その中で自分が一番気に入っているのは、スイスの山を写した四角形のマグネットだった。これは中学時代に担任の英語の先生がお土産としてくれたもので、もう6年も冷蔵庫でチラシ類を留めているベテランマグネットだ。そしてこのマグネットは、見る度に私に贈り主である先生との少し痛い思い出を蘇らせるのだった。

 昔から私の成績は極端に文系に偏っていた。国語はNo勉でも学年トップクラスなのに、理数は常に下から数えていた方が早いばかりか補習にならなかった方が珍しいという有様で、先生達の間でもちょっとした有名人になっていた。学校のテストの偏差値なので引き合いに出すには弱いが、偏差値はもっと明確にそれを示していて、国語で70台を叩き出したこともあるのに数学はどんなに頑張っても30台を彷徨っていた。そんな私の英語の成績はというと、中の下から下の上。要はパッとしなかった。いっそどちらかに振り切れてくれていたら良かったのだが、それがなんとなく先生の気に触ったらしい。担任の英語の先生とはどことなく壁を感じたまま受験シーズンに突入してしまった。

 「私立<公立」の田舎だったので滑り止めの私立だけ受験し、公立高校に願書を提出してしばらく経った頃。学年共通で担任の先生との進路面談があった。自習となっている教室から漏れる無法地帯騒ぎをBGMに寒い廊下で小さな机を挟んで座り、成績表なんかの確認をした。その終わりがけに先生から言われた言葉を未だに一言一句違わずに覚えているのだ。

 「こんな数学と理科の点数で高校に入った人、見たことない」

 今になって志望校を変える訳にもいかないのに、ただその一言だけを明らかに私に投げてきた。もちろん色々とツッコミ所もあった。「普通願書出す前に言うだろ」とか「今更かよ」とか「は?」とか「で?」とか。結局、学校では良い子を貫いていたので「そうですか」とだけ返して面談は終わった。私の理数が壊滅的なのは周知の事実だったので別にショックでもなく、ただひたすらに「何故今それ言う?」という気持ちだった。もちろんその頃、理数は受験に備えてきちんと勉強していたし、決して苦手に甘んじていた訳ではなかった。奮起を促す目的ならば(子どもの分際で申し訳ないが)下手くそ過ぎだし、嫌味にしてもイマイチ伝わらなかった。結論としては「だからなに?」。これで特に何もなければ変な先生だった、で終わっていただろうが、そうでなくなったのには相応の出来事があった。

 公立高校受験前に私立高校受験生だけが集団で呼び出された。そう、私立の合否判定が出たのだ。名簿番号が遅かった私は呼び出しから大分経って会場である理科準備室へ招かれた。部屋の中で担任の先生が神からのお告げでも伝えるかのようにしていた。背もたれのない椅子を引き真上からドカッと落ちるように座ると、先生は少し眉をひそめてから手元の書類をめくった。

 「○○さん」

 その声のトーンに、すわ落ちたかと身構えた。が、

 「××高校、条件付合格です。」

 それに続いた聞き慣れない言葉と合格の並びに頭が混乱した。そこから回復して真っ先に思ったのは「何かないと合格にならないのか」という焦りだった。

 「予備合格、ということですか?」

 「いや、そうではなくて。」

 どことなくテンションが低い先生は、書類に付いた付箋をチラ見しながら説明してくれた。

 受験した私立高校には「普通科」と難関大学を目指す「進学科」とスポーツにパラメータを振った「スポーツ科」の三つがあって、私は普通科を受験した。その試験結果が大分良かったらしく、もし進学科の内定枠に空きが出て尚且つ私自身も望むのならば進学科への入学を許可する、と通知されたという。つまりは、より上の学びをしませんか?というお誘いだ。後に知ったことだが、その高校を受験した同窓生で条件付合格を得たのは私だけだったという。

 「とりあえず、合格ということで良いですか?」

 「そうなります。」

 どうも先生のテンションが低いのは、私の直前の子が不合格だったからではないらしい。なんでとは言わないが、なんとなく理由は察せられた。事実、私の脳裏には以前先生に言われた言葉がこだましていたし「高校に入れちゃいましたよーあの成績でーしかも進学科ですってー」と嫌味が自動再生されていた。

 一通りの説明を10分近く受け部屋を出たが、先生のテンションはそのままだった。

 その後無事に公立高校に合格し入学、同窓生の進路情報がわちゃわちゃ交錯する時期を過ぎて、あの先生も言葉も特に思い出すことはなくなった。それが変わったのは高校最後の夏休みに自室の大掃除で例のマグネットを発掘し冷蔵庫に貼り付けてから。その頃には既に冷蔵庫の前で食べる癖がついていたので必然的に目に入る機会も思い出すことも増えたのだ。そうして思ったのは、マグネットをお土産にするというのは中々だなということ。食べ物と違い消費期限もなく、普段使いもしないためへたることもなく、簡単にポイッとは捨てられない。あらゆる意味で、思い出を残すのには最適だ。

 そして、かつて高校に入れないと言われた私は大学に合格して家を離れた。帰省の度にいつもの食べ方をして、マグネットで先生を思い出し、飽きることなくそれを繰り返した。マグネット自体は造形も良いし外国のものだというだけでなんか特別感があってお気に入りだが、それに付随する思い出に関してはお気に召さない。青春の1ページとするにはトゲがあるのに忘れられるかと言えば無理。そんなピリ痛な思い出だ。

 つい先日、成人式に併せた同窓会のお知らせが来たが、封筒を開けることすらなく捨ててしまった。深い理由は特にない。ただ、出席するよりはプリンを食べていた方が私にとっては幸せだろうなと思った。だから、当日は少し寝坊してお昼ご飯だかおやつだか分からないプリンをいつも通り冷蔵庫と向き合って食べた。思い返す物事はともかくとして、大人から子どもまでみんなに愛されていることを実感する味がした。

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