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「……あれ以来ね」
「あれ以来、か」
どこか遠い目をして言う来栖の言葉を半ば無意識に繰り返す。
「……って、そんな昔のことじゃなくね? そして好きになる理由も見当たらないし」
そうだ。そもそも回想は来栖が俺を好きになった理由を探るためのものだ。これで好きなった理由が分からないんじゃ、ただ俺の黒歴史を掘り返しただけになる。
「そう、ね。たった二か月だものね。でも、私の経験した中では一番長い二か月だったわ」
「…………」
「――好きな相手に想いを馳せる二か月は、ね」
俺が窺うように来栖を見ると来栖はそう言った。
惚気られてる……っ!
その表情を見るだけでそう確信できた。来栖の表情からそれを確信する日が来ようとは。というか、俺について惚気られてるんだよなあ!
「……いや結局、好きになった理由がいまいち分からないままなんだけど」
「……まあ気づかないわよね」
落胆したのか一瞬で表情が元に戻る来栖。
「……だから、どうやってからかおうか考えてるうちに好きになっちゃったのよ」
「……は?」
「だから! どうやってからかおうかってあなたのことを考える時間が多くなって、気づいたら……好きになってたのよ。しょうがないでしょ、こんなに誰かのことを長く考えたのなんて初めてなんだから」
やけになったように後半を捲し立てた来栖は頬を上気させてそう言い切った。
「お、おう……そうか」
そして再度向けられた真っすぐな好意に若干、気圧されつつも内心で断る算段を付ける。
つまるところ、これと言った理由はないわけだ。
単純に初めて他人について考えた。その相手がたまたま俺だったというだけ。
高校生になる今まで他人について深く想ったことがない、というのは流石、天才と呼ばれる来栖なだけある。そういうこともあるだろう。
だが、それならばその感情は本当に恋だろうか。
初めて抱く他者への感情を、好意と錯覚しただけではかなろうか。そして、好意と錯覚したその感情を俺に抱くことで、俺に恋をしたと勘違いしてるだけではないだろうか。
そしてこれを、来栖は否定することができないはずだ。初めて抱いた感情故に。
そして、そんな不確かな好意を受け取ることはできない。
これで告白を断る筋は通るのだ。
「なあ、それって勘違いじゃないか?」
そうと決まればすぐに実行だ。
「……何を言い出すかと思えば」
頭を抱え、露骨に嘲りを出す来栖。
えっと、こいつ俺のことが好きなんだよな? その好意が根底から揺るがされたんだぞ? いや、理由を聞かなければそういう反応もするか。
「だってそうだろ? 俺のことを考えて抱いた初めての感情が、それが恋だなんてどうして言い切れるんだ? イライラしてんなら恨みかもしれないし。来栖は誰かを恨んだことはあるのか?」
「……はぁ。別に誰かを恨んだっていう記憶はないけど、私の抱いている感情が恨みじゃないことは分かるわ。これは他のどれでもない恋なのよ」
「いや、でも他に恋をしたことがないんだろ? だったら」
「……根拠を示せ、と言っているのかしら? このあなたへの感情が恋であるという」
来栖はどこか焦れったそうにそう言った。
「まあ、そうだよ」
「そう。なら――」
「――っ!」
唇に柔らかいものが当たる感触。
「……これでどうかしら?」
来栖はいたずらっぽく、いやもうそういう次元じゃなく、言うならばそう、妖艶に、と言った塩梅でそう聞いた。
キス、された。
からかいか否か、という二択を取りえない状況下で。
からかい以外で女子からキスをするような理由。
そんなのはおおよそ一つしかない。
用意していた論理が一瞬で弾け飛んだ。
「……あなたが未だに認められないというのなら、それは恋というものが理屈じゃないから、じゃないかしら?」
頭の回線がショートした最中、来栖の声がぼんやりと染み入る。
「あるいは、他に想い人がいるから、とかかしら?」
そんな状況だったからだろうか。
「……そう。いるのね」
俺は多分、そのまま表情に出してしまった。
「……その俺には」
こうなってはやむをえまい。
俺は、約束のことを来栖に話すことにした。来栖だけそんな表情をさせて、自分だけ隠し事があるのはどうにもすっきりしない。なんか汚い気がしたのだ。
「……なに、それ?」
約束のことを聞いた来栖はそんな言葉とともに目を丸くしていた。
そんな程度のことで振られるの? とでも言いたいのだろう。環奈の時も一度、そんな顔をされた。
話している途中、幻滅されるか、とは何度も思った。そしてその度に、向こうが覚えていたら、とか、別にこれで再会できて付き合おうとは思っていない、なんていう風に強調してしまう自分がいた。そうどこか誤魔化して自分をよく見せようとしていた。
そこまで他人に話したのは初めてだった。内心でそう考えていても、口に出すのとはやはり違う。
俺にとっては約束とは言い訳だったのだ。
芽生えかけた疑念は、来栖の表情を前にして確信に変わった。
彼女が出来ないかもしれないことへの言い訳。
約束は実際にあった。
けれども、その相手がいなくなったことにより、小学生から中学生の間に幼いながら、俺は自分がモテないのでは、とコンプレックスを抱いた。
では、そんな時期に告白してくれた環奈相手に約束を振りかざしてしまったのは――。
「最低、だ」
そこに思い至ったとき、俺は果たしでどんな顔をしていただろう。もしかしたら、蒼白になっていたかもしれない。初めて、自分を、佐藤啓という人間を嫌悪した。
「……そうね。最低ね」
来栖の抑揚のない言葉が胸を刺す。
「……そんな誰が納得するか分からない理由で私を振ろうというのに、なおかつ別の誰かのことを考えている」
「……っ」
ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。何も言えなかった。自分に非がありすぎて、謝罪すらできない。
ゆえに生じる沈黙。俺は顔を伏せたまま上げることが出来なくなっていた。ただ来栖の視線は感じる。
幻滅しているのだろうか。こんな俺を見て。
「…………忘れてちょうだい」
「へ?」
「私の告白、無かったことにしてちょうだい」
しばらくして来栖が言った言葉は、それだった。
「……分かった」
当然の判断だと思う。
来栖の好意は冷めたのだ。錯覚だった、ということにしておこう。そのほうが互いに幸せだろう。
「うん。勘違いだったんだ。来栖は俺に対して好き、なんていう感情は抱いていなかった。そうだよな?」
確認するように問いかける。一抹の寂しさがあった。いや寂しさ、なんていう言い方は違うが。その正体は勿体なさだ。美少女に好意を向けられてそれを手放すのを俺は勿体なく思っているのだ。そしてそれは嘆くことはおろか、抱くことすらおこがましい感情に違いない。
「……はい? 何か勘違いをしていないかしら?」
しかし、来栖から帰ってきたのは肯定ではなかった。
「あなたには約束とやらがあるのでしょう? なら、その約束が終わったら。その時にあなたに恋人がいなかったら告白する、というつもりだったのだけれど」
あっけらかんという来栖。
いや。いやいや、それはおかしくないか?
「えっと、最低って言ったよな?」
「言ったわね」
「俺のこと嫌いになったんじゃ?」
「……まあ、多少は」
「じゃあ」
「でもそれと告白するしないは別でしょう?」
「ええ……?」
来栖のロジックがどうにも分からない。むしろ、勘違いしているのは来栖のほうなんじゃないだろうか。
「あのね、世の中の物事には順序があるわ。そして、あなたには幼い時に約束がある。そしてそれが果たされるまでは告白を断るようにしている。だったら、私が告白の返事をもらえるのはその約束の後でしょう?」
「いやけど、あんな約束なんて関係ない、って思わない?」
「……あなたが言い出したことでしょう?」
ジト目で見られる。いつも無表情でジト目みたいなものだが、どこか温かみがあった。あれ、ジト目に温かみを感じるって俺、重症? それはともかく、来栖の言うことはもっともだ。
「まあそうだけど」
「……約束の話は嘘だったのかしら? 確かに話してるシーンカットされてたし。……もしそうなら軽蔑するわね」
「いや嘘じゃないけど。というかシーンカットって何の話!? ……そうじゃなくてさ。なんていうか、時効? じゃないけどさ、そんな昔のことを持ち出してきて、みたいなさ」
自分の中でもうまく言葉になっていないがゆえにどうしても歯切れが悪くなってしまう。自分で自分の首を絞めるようなことをしている自覚はあるが、ここまで来たら隠すことなく全部はっきりさせてしまいたい。
「……あなたがまだ覚えてるじゃない。なら効力はあるんでしょう? あなたの中では」
「まあ……来栖がそれでいいなら、いいけど」
少し言い淀む。
というか、他になんと言えばいいのだろう。来栖が認めるのならこれ以上俺が聞くのは野暮か。
気が付けば、すっかり日も傾いていた。
「……あー、そろそろ帰るかな」
居心地悪くなって、とは違うか。最初から居心地は良くなかった。単に頃合いだと思ったからそんな提案をした。
「……そう」
そしてそれは来栖も同意見なのか、反対することなく立ち上がる。
扉を開け、廊下へ。そして来た時とは逆に階段を降りる。
「…………あー、その、なんだ。悪かったな」
ぽつり、と謝っておく。軽蔑するだの色々言ったことに対しての謝罪だ。
どこかしらで謝らないとは思っていたのだ。タイミングは見事に計り損ねたが。
「……別に気にしてないわ」
果たして俺の意図は伝わったのか、来栖はそう返事をした。
程なく玄関に辿り着く。
「あと、それと、最初の時もごめん」
ついでに、というのもなんだがもう一つ謝っておくべきことがあった。
そう、最初にあんな絡み方をしなければ、来栖とはこんなにこじれなかっただろう。別に、来栖との関係性がリセットされれば、無ければ、なんてことを言うつもりはないが、それは事実だと思う。
「……」
そして何について謝ったのか、それが伝わったのかは分からないが今度は来栖は何も答えなかった。代わりに足を止めた。ここでお別れらしい。
応えてもらえなかったことに一抹の寂しさを覚えつつ、扉に手をかける。まあいい。謝罪なんてものは自己満足じみた側面がある。謝れたことに変わりはないのだ。それを受ける受けないは来栖の自由である。
「――何か勘違いしているようだから言っておくわ」
背中越しに来栖から声を投げかけられる。
「確かに私とあなたの関わりを作ったのはあなたよ。話しかけてきたのはあなた。あとは強いて言うなら、同じ年度に生まれ、そして健やかに育ち、なおかつ同じ学校の同じクラスになったという運命とでもいう言うべき不思議な力、くらいね」
「お、おう……?」
運命。来栖の口から出てきたスケールの大きい、またスピリチュアルなワードに面を食らう。
「……今のは別に私とあなたが運命の、という意味ではないからね。運命とでも言うべきそういう偶然の末に限りなく私とあなたが近くになった、という意味よ!」
そんな俺の微妙な相槌をどう捉えたのか、来栖がよく分からない言い訳をする。
「だから!」
そしてそのあとにそう仕切りなおした。
「確かに始まりはあなたからだったけれど、でも私の恋心の起因はそれだけじゃないの。あなたと接する中で私が生み出したものよ。例えあなたが私と関わったことを後悔しているとしても、『そこ』までは否定させないわ」
「…………っ」
まったく、大した奴だ。なんてちょっと上から目線で評価したのは、軽く泣きそうなくらい感銘を受けたから。
「そか」
俺は短くそう言って戸を閉める。
扉の外では、運転手がスタンバイしていた。
帰りの道中、車内で思う。
来栖美優という少女のことを。
想像を超えてくる凄い奴だった。深くそう感じた。
アプローチの仕方も出し、その他の紛らわしい言動もだし、最後の言葉も。
少なくとも、来栖は俺と関わったことを必ずしも悪いことだとは思っていないらしい。それを知れたことは、正直嬉しい。俺がどこかで負い目に感じていたことが、解決した。長いこと曇っていた空が晴れた気分である。
そしてそれだけでなく、エールまで貰ってしまった。
約束のことを、まさか肯定されるとは。
「……もう少し、向き合ってみないとな」
これからデートする皆神とも、そして環奈とも。
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