第32話

「あ、じゃあ一緒に逃げる?」

「もっとダメでしょ」

彩奈が小さくため息を吐く。

「てか、スグに逃げようとしないでよ。ライオンに追われるしシマウマじゃないんだし」

「え、あれ?言ってませんでしたっけ?わたし、実は人間とシマウマのクォーターでして。実は母方の祖母はアフリカの草原育ちで....」

「つまんない妄想言ってる暇あったら現実見てくれる?」

行原に話しかけるような冷たい口調で彩奈が言う。

しかし、わたしは今の気持ちを伝えずにはいられなかった。

「いやいや、こんな現実見たくないですよ。てか、ちょっと待って下さいよ。バカなんですか?全裸ですよ全裸!おかしくないですか?」

「いや、でもこれって、そーいうことでしょ」

「だとしてもですよ。考えてもやらないですよ、まともな女なら」



「女ならね。でも、アタシ、女だから」



そう話す彩奈は、どこか覚悟が決まったような表情をしていた。

でも、わたしには覚悟なんてものはなかった。

わたしはまくし立てる。

「いや芸人関係ないでしょ。それに、彩奈だって芸人始めて1ヶ月とかでしょ?何でそんな身体張ろうとしてんの?頭おかしいよ」

「おかしいかもね。でも、おかしいことやって笑わせるのが芸人なんじゃない?」

「いや、芸人だったらネタで笑わせるんじゃないの!?こんな身体張って笑わせようなんて、普通の芸人じゃなくない?」

「でも、きっとさ、売れたら身体張るようなことも増えると思うんだよね。アタシはさ、もう逃げたくないんだ。自分が憧れた自分から」

「自分が、憧れた自分?」

「そう。ハルにもあるでしょ?」

彩奈の妖艶な瞳がゼロ距離でわたしを捉える。

何故だろう。何故こうも、みんな本気で生きられるのだろう。

わたしは、ずっと本気じゃなかった。

学校も仕事も友達からも、いつも逃げてきた。その方が楽だったから。本気で生きるなんて辛いだけだから。

それで良いと思っていた。

なのに、私はこの本気の瞳を前にすると、自分のこれまでの価値観が壊されるのだ。

本気で生きずにはいられくなる。

輝く舞台に恋焦がれる自分が、心の底から這い上がってくるのだ。

つぐみそうになる口を、必死にこじ開ける。

わたしは、ぎゅっと拳を握った。



「あるよ、わたしにだって。憧れが」



わたしの言葉に対して、彩奈は驚いたような表情を一瞬したが、すぐに小さな笑顔に変わった。


「いいじゃん」



そう言って、全身赤色と青色のわたし達は交わるのだった。

※ハグしただけです。


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