十六 イシュタルとギルガメシュと神殿巫女キルケ

「イシュタルは気に入った男が出来れば我が物にする。とは言え神であるイシュタルが死すべき者である男を相手にする訳にはいかぬ。力の質と桁が余りに違いすぎて、男が壊れてしまうからな」

 確かにいしゅたる自身も、同じ事を私に告げた。


「だからイシュタルの代わりに神殿巫女しんでんみこに相手をさせるのだ。高位の神たるイシュタルを身に宿すに足る器の者しか神殿巫女にはなれぬ。ゆえに彼女たちは勇者英雄の相手が出来るし、イシュタルはそれを以って男達を手に入れる事になる」

 背をのけ反らせてとむが大あくびをしたのがちらりと目に入った。


「中でもキルケは神殿巫女の中でも飛びぬけて強い力を有しておった。当時の名はキルケでは無いが、仮にキルケと呼んでおく」


「勇者英雄の類もイシュタルの力欲しさに神殿巫女と契りを結ぶようになった。その風習が広まりイシュタルの勢力が頂点に達した頃に、キルケはイシュタル神殿に仕える事になったのだ。もっともその頃にはイシュタルの残虐な仕打ちの数々も世に広まりつつあったのだがな」

 そこまで言うと、自称水神はふうっと長い息を吐いた。


「ちょうど間の悪いことに、キルケが神殿に上がった頃に勇者の中の勇者がイシュタルの前に現れたのだ。ウルクの統治者であるギルガメシュと言う若い王だ。イシュタルは大層そやつを気に入って求婚したのだ。それも神殿巫女を介さず直々に」


「しかし死すべき者といしゅたるは、直接まぐわう事は出来ないのでは」

「ギルガメシュは神族の血を引いているからな。一旦はイシュタルの申し出に興味を示したギルガメシュも、イシュタルが寵愛した男どもの末路を聞いてからと言うもの頑なにイシュタルを拒んだ」

 私のもっともな疑問はすぐに氷解した。


「イシュタルは、怒りと屈辱に打ち震えた。そしてイシュタルの父君である天空を司るいと高き神に、神を侮辱するギルガメシュを滅ぼすべしと説いた。だが父君は、イシュタルの方こそ死すべき者たちの守護者にふさわしい態度を取るようにと諭したのだ」

 いしゅたるの呪いは残虐非道なただの悪趣味だと思っていたが、怒りの仮面をかぶった苦しみと悲しみと孤独をきるけえに投影しただけなのかもしれぬ。


「だがイシュタルは理も分別もはなから持たぬ。ついにはイシュタルは父君の所有する天の牡牛をねだって、赤子の如くひたすら泣き出した。その声は海を割り山は火柱を上げ、ついには父君が座す天の玉座を揺るがした」


「イシュタルの機嫌を取るために、父君は仕方なく天の牡牛をイシュタルの望み通りに、ギルガメシュが統べるウルクへ差し向けさせたのだ」

 天空を司るいと高き神なら、神々の権能などすぐにでも奪えるだろうになぜ残虐非道の限りを尽くす娘神を許すのだろうか――。

 私はかすかな疑問を抱いたまま、黙って話を聞いていた。


「天の牡牛はギルガメシュの統べるウルクを破壊する程に恐ろしいものであり、沢山の死すべきものがその命を絶たれた。だが天の牡牛は御使いで、決して殺す事まかりならぬ。それが掟だ」


「実際ギルガメシュは領民を襲う天の牡牛を殺す事をためらっていた。だが、無二の友であるエンキドゥの励ましもあり、ついに二人で協力して天の牡牛を葬りウルクには再び平和が訪れた」

「それで引き下がる存在ではないでしょうね、いしゅたるは」


「左様。ますます怒り狂ったイシュタルは、ウルクの城壁に降り立って聖なる呪いを掛けようとした。だが、討ち取った天の牡牛の腿肉ももにくをエンキドゥに投げつけられウルクの城壁から転げ落ちた。そしてイシュタルはウルクを去った」


 エンキドゥのダメ押しは神相手に随分な仕打ちだが、天の牡牛によって最愛の人や家族を奪われた民から見れば喝采かっさいの嵐であっただろう。

 その歓喜の声を背にして、自身が守護していた土地を離れざるを得なくなったイシュタルの屈辱はたやすく想像できた。




「話はそれでは終わらない。主不在のイシュタル神殿に上がったギルガメシュは、当時一の神殿巫女を務めていたキルケとまぐわったのよ」

「いしゅたる不在の神殿でまぐわったと言うことは、きるけえは神殿巫女の務めとしてではなく、きるけえ自身としてぎるがめしゅと体を重ねた事に」

 私はぎょっとして思わず口をはさんだ。


「ご名答」

「それでいしゅたるはきるけえに呪いを掛けたのですか」

 私が得心したようにうなずくと、直接的な原因はその後にあると自称水神は語った。


「ギルガメシュは元々神族の血を引いていたのだが、天の牡牛を殺した事が引き金になって死すべきものの定めを歩む事となった。ギルガメシュがその長い人生を終えた頃にはイシュタルは既に神殿に戻っており、キルケは一の神殿巫女として神殿に上がった時と変わらぬ姿のまま務めを果たしておった」

 相も変らぬのんびりとした口調で、自称水神は話し続けた。

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