九 きるけえ、島を出る?

「船を造る事が出来るのだから、あなたもここから出てみてはいかがです」

 夕食時に、私は何の気なくきるけえに声を掛けた。

「そんな事を考えた事もありませんでした。お客人用の船は作りかけてはあるのですが」

 きるけえは食事の手を止め、目を丸くしたかと思うとがっくりとうなだれた。


「船が入用になる前にお客人は獣となり果てた」

「ええ。試作は繰り返しているようですが、肝心の『人』がいないのです」

「男達の為でなく、あなた自身のために船を仕立てるつもりは無いのですか。あなたは人の姿なのですから、人里にも紛れられましょう」

「わたくしは呪われた身ですから、人里に行けば皆様に迷惑を掛けてしまいます」

 きるけえの目に深いかげりが生じた。


「一人が怖ければ私と一緒に」

「わたくしは忌み嫌われておりますでしょう。それに一人でこの島に暮らす以外の過ごし方を知らぬのです」


「呪いに操られるまま、この島に来た男を欲するだけの生で良いのですか」

「殿方を欲しても欲しても、わたくしの渇きは絶えることがないのです」

 音もせず私のひざ元にその身を寄せたきるけえは、たおやかな手つきで私の腕にそのほっそりとした手を置いた。


「そうして私も獣になさるおつもりですか」

 私はまっすぐきるけえの黒真珠の瞳を見据えて聞いた。

 すすり泣きを始めたきるけえのそばに、黄金色の毛並みの犬がそっと寄り添った。




「この子は大きくて少し垂れた目をした、愛らしく利発な青年でした。彼の姿を一目見るなり、なんと美しく愛らしい青年だろうと心が高ぶったのです」

 自らの手で永遠に失わせてしまったかつての青年の姿を思い起こしているきるけえは、まるで満天の星を飽きず眺める少女のようだ。


「わたくしは家の者に命じて彼を館の湯屋に運ばせました。彼のふっくらとした形の良い唇に気付け用の軟膏を塗りこめて」

 きるけえは思わせぶりに私の目を見つめた。

 だが私はいしゅたるの呪い通り、きるけえに心を動かす事はない。


「そして眠ったままの彼を一糸まとわぬ姿にして、わたくしの熱を移しました。すべてが終わった時、彼は美しく愛らしい青年の姿のまま眠りこんでいました」

 そう語るきるけえの唇は、蜜をたたえたようだった。





「殿方を獣に変える条件は、わたくし自身にも分からないのです。本当にひどい呪いだこと」

「愛しい相手を獣にしてしまうとは、お辛い事でしょう」

「ええ、本当に。故郷の島にいた頃は人間に戻す術もあったのですが、ここにはそれに必要な薬草が生えぬのです」

 こらえきれず涙をこぼしたきるけえに、黄金色の毛並みの犬がその身を寄せた。


「ところであなたの故郷はどちらなのですか」

「ここよりはるか西の小島です。空は澄んだ青色で、海は空を映しだしたような紺碧こんぺきでした」

 私ははるか西にあると言うきるけえの故郷を想像した。


「巨岩が海岸線にせり出して、その下に獣になった殿方を人間に戻す草が生えていたのです」

「気温や雨の降り方などは、この島と故郷の島とでは違いがありますか」

「気温は大して変わりませんが雨はこちらの方が多いでしょう。それに、秋ごろの強い雨風は私の故郷にはないものでした」

 きるけえは遠い故郷を思うように、その黒真珠の瞳を虚空こくうに向けた。


「その薬草はどのような花が咲くのですか。私は色々な土地を回って来ましたから見かけたかもしれません」

 きるけえはポンと柔らかな手を叩いて、猫の耳としっぽを持つ女中を呼んだ。

 女中は無表情で紙と筆を机の上に置くと、そそくさと部屋を出て行った。


「女性たちも、貴方が偶然獣にしてしまったのですか」

「いえ、あれらはわたくしの意思で人型にしたのです」

 それだけ言うと、きるけえは星形の花弁を持つ植物の絵の完成に取り掛かった。


「ならば男を人間に戻せそうなものではないですか」

 私は描きあがった星形の花弁を持つ植物の絵をしげしげと見つつ、当然の疑問を口にした。


「それがどうにも上手くいかないのです」

 きるけえは憂い顔もあらわに私を見た。


「島の動物を人型にするには何を使うのですか」

「白蛇の抜け殻を巻き付けた木の枝にアオキノコの戻し汁、それから低湿地に咲く黄色の花を咲かせる水草です」


「ちなみにそれらを男たちに使ったらどうなりましたか」

「一部の方の体のみは元に戻せたのですが」

「それでも体全体が慣れぬ獣のままよりは余程良いでしょう」

 再びきるけえが押し黙ったので、私は彼女が描いた星形の花弁を持つ草をじっくりと目に焼き付けた。




「この花に似た花ならうとんちゅ港で五月頃に見ましたよ」

「私が探している草は九月の満月前の三日間のみ咲くのです。その間に花がついた状態で刈って、満月から次の新月まで月明かりにさらしながら干すことで効力が出ます」

 一瞬顔を上げて目を輝かせたきるけえであったが、すぐに暗い表情になってしまった。



「あなたの作る薬で、一般の人間にも売れそうなものはありませんか。例えば、腹下しや熱冷ましにたん切りなど。この島で獣たちに薬の調合や薬草の栽培方法を教えて、島の薬草の種も採取して外界げかいで売れば暮らしを立てられるかもしれません」


 私は織物商人だから薬にはとんとうとい。

 だが薬に明るい人間なら、きるけえの調合する薬の効能を調べて販売してくれるかもしれないと思った。



「暮らしを立てるとは、何ですか」

 きるけえの反応は私が想像するいずれとも違った。

 私は結論を急ぎすぎていたようだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る