おりがみは、たべものじゃないの。

山岡流手

おりがみは、たべものじゃないの。

 騒がしい一日は、決まって父のアラームから始まる。

 年々遅くなっていく目覚ましに、いち早く反応するのは決まっていつも恭一だった。そして、賑やかな朝が始まりを告げていく。


 まずは恭一が眠い目を擦り、父に乗り掛かる。父はまだ起きず、何とか彼を退かしながらも再び浅い眠りに就くのが二人の恒例のやり取りだ。

 続くスヌーズが響く頃になると、ようやく真冬の出番がやってくる。


「きょういち!」


 目覚めた真冬が飛び起きて、それに倣うように恭一も飛び起きる。そして、共に玩具部屋へと駆けていくのが普段の日常である。

 また、昨年産まれた弟、弦治郎がいずれはその後に続くのだろうが、それはまだ少し先になりそうだ。彼もそろそろ十ヶ月を過ぎ、ヤンチャな一面を覗かせては姉や兄に負けずと悪戯を繰り返すようにはなっている。


 そんな真冬が違和感を覚えたのは、丁度彼女が玩具部屋に到着したタイミングだった。


 ──あ……きょういちはきょうはびょういんにおとまりだった。


 普段であれば騒がしい後ろに、彼女はそれを思い出す。当然ながら、弦治郎は付いてこない。


 真冬は昨年幼稚園に入園した。恭一はまだもう一年家で過ごし、それから入園になる。弦治郎は当然まだ小さい。よって、彼女はこの家では小さなリーダーなのである。

 貴重な隊員の欠席は彼女にとってやんごとなき事態だった。


「真冬、焼おにぎり食べる?」

「たべる!」


 昨年から始まった恭一の入院もこれで四回ほどになる。その都度、沢山のお菓子や玩具を買ってもらっている彼が羨ましかったりもしたのだが、姉なのでぐっと堪えた。しかし、最近はそれもなくなった。

 むしろ、どちらかといえば家を空けねばならぬ彼のほうが大変だなと真冬は思っている。親もそうだ、不安でそわそわとするようなことも少なくなった。実際、命に関わるような病でもない。


 それでも、二泊三日が皆にとって長いことに変わりはないのであるが。


「牛乳は?」

「のむ!」

「恭一は?」

「……いないよう」


 父も誤って、いないはずの恭一に訊ねている。真冬はつい可笑しくて笑ってしまった。


 そんなやり取りをしている間に、弦治郎も起きてくる。彼も今はミルク卒業を目指して頑張っている最中だ。最近では離乳食を食べさせてもらったり、また、それを手掴みで口に運んだりをするようになった。

 まだ周囲へと壮大に撒き散らしながらではあるが、何とか一人で食べられるようになりつつあるようで微笑ましい。


「おりがみー、とってくださーい」


 早々に食事を終えた真冬は本日の遊びを決定する。折紙が目についたのだ。

 恭一がいればバタバタと賑やかな食卓となるのだが、その彼がいないとなると静かなものである。そして、あっという間に終わってしまうのだということを痛感してしまう。

 少し物足りない気がするのは、真冬も父も同じなのかもしれない。


「そうちをつくるの」

「はいはい、これだけあればいける?」

 

 しっかりしている彼女ではあるが、管理はまだ苦手だった。そう、あればあるだけ使ってしまうため、まだ折紙遊びは親の手が必要なのだ。

 尤も、恭一がいれば取り合いになってしまうために余計にそうなるという理由もある。


「ピンクちょうだい」

「まだ、あればいいけどなあ」


 クレヨンと同じで、お気に入りの色は消費が激しい。特に理由がなくとも使ってしまうのだろう。また、姉の真似をよくする恭一の好きな色は、当然のように姉と同じくピンク色だった。

 余談ではあるが、彼は“もも”という言葉をいち早く覚えている。


「それじゃあ、行ってきまーす」

「おべんとうわすれてるよー!」


 折紙を受け取った真冬は、今度はセロハンテープと糊、そして自分のハサミを引き出しから取り出し準備をする。そして、急いで机の上に目を移した。きっと、“アレ”がまだ置かれているはずなのだ。

 それを掴むと、そそくさと玄関へと向かう父を追い掛ける。そう、彼女は残されたアレ、つまり、お弁当箱を届けに走る係なのだ。


 実のところ、忘れているわけではないのであるが、こうやって届けられるのが父、そして、真冬、この二人の間の秘密のルーティーンとなっている。


「いってらっしゃーい!」

「行ってきまーす」

「行ってらっしゃい」


 いつしか母も隣に来たようで、父は二人に見送られながら手を振ると、慌ただしく扉を開け出掛けていった。今日もお仕事へ行くのである。


 こうしてまた、彼女の長い一日が始まりを告げたのだった。


 ◇


 真冬は工作が好きだ。恭一もその真似をよくしている。

 一度彼女が絵を描こうなら、必ず彼も隣で色鉛筆を握っており、彼女がハサミを手にすると、決まって彼も手にしていた。


 以前、真冬がこれらの道具が欲しいのだとねだった際には恭一も同じようにねだっており、必死になってお店の中で駄々をこねていたのを真冬はよく覚えている。諦めるよう諭されても、決してそれを離さず握り締め頑張っていた。

 結局、買って貰った戦利品ではあるが、その使い方、特にハサミの方は非常に危なっかしい。


 ──ねえねー!

 ──きょーういち! あぶない! だめー!


 まだ幼稚園へ行っていない彼の中では、決まって真冬は一番なのである。彼女がすることは、何でも彼もしたがった。

 親の言うことには反発しても、姉の言うことは絶対なのである。


 そんな真冬が折紙を切り貼りしていると、普段と違う助手が現れた。弦治郎が這ってきたのだ。


「ゲンゲン! だめ!」


 まだ言葉も上手く理解できない弦治郎であるが、真冬と恭一のすることに興味はあるようで、いつも近くで参加しようと奮闘している。

 恭一はその様子を見ては時折ちょとした意地悪をしては母に怒られていた。ちなみにそういう時は、大抵弦治郎が彼の物を触った時だ。


「ゲンゲン!」


 真冬の声に驚いた弦治郎が動きを止める。

 というのも、今も机に掴まり立ちをしながらも、彼はぎこちない動きの片手で彼女が切った折紙の切れ端を口に入れようとしていたのだった。


「おりがみは、たべものじゃないの」


 既に口に入れられた断片を慌てて引っ張り出しながら、真冬は弦治郎に教えてあげた。

 恭一もそうだったように、彼も何でも味見をする。そのことを真冬は知っている。


「たべものじゃーないのよ」


 代わりに音の鳴るライオンを握らせてあげると、彼は嬉しそうに二、三度それを振り回し喜んだ。

 その様子に満足すると、真冬は再びハサミを握り直す。弦治郎はしばらくその玩具で遊ぶようだった。


 ──ちょうだーい。

 ──きょういちー! だめー!

 

 普段は直ぐ取り合いになるセロハンテープも、今日はゆっくりと使えそうだ。

 普段は恭一が触ると、テープは床や机やと至るところに乱雑に貼り付けられ、あっという間に使いきってしまう。


 だめー! と何度叫んでも恭一はなかなか聞く耳を持たない。そして、真冬が怒られるのだ。

 どうしてこんなにいっぱいこんなところに貼ったのか、と。


 切り分けたパーツを合わせながら、真冬は頷く。今回は上手に出来そうだ。


 やがて完成した“そうち”を机に置くと、真冬は恭一が帰って来たら見せてあげようと小さく笑う。直ぐに壊してしまうだろうけど、また作ればいいのだから。


「あ、そうだ」


 最後に一枚だけ残っていた折紙を見て閃いた。


「たからのちずでもかいちゃおう」


 裏の白地に色鉛筆を走らせる。恭一はわかるだろうか。


 ──この部屋がここで、あそこがこれで……。


 あっという間に埋め尽くされた地図を見て彼女は頷いた。最後に“はこ”を描いておこう。

 中身はもちろん──この“そうち”だ。


 ◇


「わかった」


 誰かと話をしているような父の声で、真冬は目を覚ました。どうやら電話をかけていたようだ。

 父は頻りに時間の確認をし、受話器越しに何度か頷いている。


「でかけるの?」

「恭一を迎えに行くよ。真冬も来る?」


 やがて電話を終えた父に訊ねると、どうやら恭一を迎えに行くようだ。真冬は大きく頷いた。


 ──きょういちがかえってくる!


「いく!」

「じゃあ、早く着替えてきて。急ぐよ」


 電話を切った父は慌てながら焼おにぎりを二つ電子レンジに放り込み、自身は作ったばかりであろう卵かけご飯を一息に掻き込んでいる。


「きょういちおわったって?」

「そう。もう直ぐ終わるって」


 着替えを終えた真冬が熱々の焼おにぎりを受け取りながら訊ねると、父もまた熱々のお味噌汁を啜りながら頷いた。


 二人は食べ終わると、直ぐに車に乗り込んだ。母と弦治郎は留守番である。


「では、これから病院へと向かいます」

「はーい!」


 車が走り出すと、真冬はカーナビのモニターに映し出される映像を眺めていた。そこには車や電車など、恭一の好きそうな玩具が沢山流れている。

 確か、いくつかは既に家にあるものだ。

 

 やがて、その映像が中盤に差し掛かろうかというときにその病院が見えてきた。ここに恭一と婆さんが待っているのである。


 車が停まるのを見計らい、真冬は窓から外を眺めた。それから程なくして大声が発せられる。


「きょういちー! ばあさーん!」


 真冬の目からは、こちらに向かって小走りをしている祖母と恭一の姿が映っていた。また、彼も姉に気付いたようで、こちらを見て確かに笑っている。


「おかえりー!」


 その後、扉が開くよりも早く、車内に大きな声が響き渡った。


 ──お昼は皆でカレーかな。


 そんな父の声で、次第に彼女の頭にはカレーの良い香りが広がっていく。寄り道して買って帰るのだろう。

 カレーは恭一の好物なのだ。まだ小さい時からドロドロになりながらも嬉しそうに食べているのは、真冬もよく覚えている。


 そんな恭一も、今では上手にスプーンを握るようになった。もう、真冬が教えなくても大丈夫だろう。


「きょういち! しずかにして!」


 俄に騒がしくなった車内に真冬の声が広がった。

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おりがみは、たべものじゃないの。 山岡流手 @colte

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