花見敏明の事件簿

天洲 町

前編

 午後四時半。実業家である城月剛三の死体は自室の広い和室の北西の角にあった。文机についていたところを背後から心臓の当たりを刺されている。背中には赤黒いあざがあり、傷口からの出血が固まっていた。外は風もなく夏の日が照り付けて蒸し暑く、エアコンの冷気の中にある部屋の涼しく薄暗い陰気な雰囲気を際立たせている。

 他殺とみて間違いない、花見敏明警部補の現場を一見した感想はそれだった。部屋のレイアウトはいたってシンプルなもので、机とエアコンの他にどこかしらの風景が描かれた十号ほどの大きさの絵画がかかっている。それから机の上に読んでいる最中だったと思われる本と湯呑、端に小さな花が飾られていた。机から五メートルほど背後にガラス戸があり、そこから縁側と庭に出られるようになっており、その縁に赤い花の柄が描かれた可愛らしいガラス風鈴がぶら下がっていた。縁側から家に沿うようにコンクリートの通路が玄関まで通っており、ちょっとした外出用になのか靴が一足と草履が一足置かれていた。机の側の壁の天井付近に、換気用と思われる窓があるにはあるが、アルミの面格子が取り付けられていて人が侵入することはできなかったつまり犯人は(秘密の隠し通路なんてものがあるとしたら別だが)このガラス戸から侵入してきたことになる。

 花見が現場に到着した時にはすでに一通りの鑑識作業が済んだ後であり、確認すると見立て通り背後からの包丁による刺殺だと結論付けられていた。そして興味深いことに机の湯呑の中の緑茶から睡眠薬が検出されたという。

「これはもう、決まりですね」

 花見の横から部下の青山刑事がひょっこりと顔を覗かせ言った。

「決まり?何がだ」

「そりゃあ犯人ですよ。睡眠薬で眠らせたところを包丁で刺す。これが手口で、そんなことができるのは妻である文香さんだけでしょう」

 状況から見るとたしかにそう思える。しかし何かが引っ掛かるような気がしていた。

「その文香さんのアリバイは?」

「ありません。居間で昼寝をしていたそうです。目が覚めて夫の様子を見に部屋に行くとこの通りで、すぐに通報したそうです。駆けつけた時点で死後数時間といったところで、犯行時刻は昼寝をしていたという午後一時ごろから四時ごろまでということで、犯行時刻にまるかぶりですね。ほら、明らかでしょう?彼女、嘘をついているんですよ」

 城月家の居間は玄関を上がってすぐの所にあり、現場から客問を挟んでいる。それら三部屋を縁側がつないでいた。自信満々の推理を語る部下に質問を続ける。

「庭に足跡は?」

「ありません」

「被害者の交友関係は?」

「気難しい人物のようで親しい友人はいなかったようです。文香さんの方は時々近所の方と客間でお茶を飲むような交友はあったようですが」

 花見はややうつむいてロ元に人差し指の付け根あたりを押し付ける。考え事をするときの彼の癖だ。腑に落ちない様子の上司に、ダメ押しとばかりに青山が続ける。

「仮に忍び込んだとしてガラス戸を開ければ音で流石に気が付きますよ。それでも何の疑問も持っていないとすれば奥さん以外にはありえないと思います」

「ガラス戸は開いていたのかもしれないぞ」

「いいえ、それもないと思います。エアコンがついて部屋は冷えていましたし、先ほど話しました交友があったという隣の家の奥さんは、風鈴の音が聞こえなかったと話しています」

 それを聞いて花見が眼を鋭くし、青山を見る。

「ふむ、それは本人から聞いたのか?」

 急に険しさを増した上司の顔つきに少々驚きつつ、返事を返す。

「はい、先ほど確認のために話を聞きに行ってきました。時々リーンリーンと澄んだ音が聞こえて来ることがあったが、今日は聞こえなかったと」

 花見の目はさらにするどさを増し、眉間にはしわが寄せられる。対照的に口元はにやりとしていた。

「そういったんだな?間違いないか?」

「ええ、しかし彼女は風鈴の存在は知っていますよ。家に遊びに来た事もあると言っていましたし、奥さんも認めていましたから」

 花見は短くため息をつく。下を向いて頭を揺らすとぼんやりとした表情に変わっていた。当てが外れたんだなと青山は思った。しかしその予想は裏切られることになる。

「まあいい、ついてこい。わかったかもしれん」

「ええっ。何がわかったんですか。どこに行くんですか」

 青山は慌てて手帳をしまう。上司の背中に問いかけると花見はちらりと振り返り

「念のため他の近所の人にも話を聞いていこう。おそらくは誰も風鈴の音を聞いていないはずだ」

 ちんぷんかんぷんな事を聞いたようで頭が散らかったが、とにかく背中を追うことにした。

「風鈴の音ですか?聞いてませんね」

「いやあ、すみません。聞こえてないと思います」

「わかりませんねえ。すみませんお役に立てず」

 例の隣人以外の反応はそんなものだった。そのたびに上司である花見はやはりそうかというように何度も小さくうなずいていた。そしてさして矛盾した発言ではないはずだと青山は考えていた。そして一通り聞いて回った後、青山が先ほど話をきいた隣家の前にやってきたのであった。呼び鈴を鳴らすと住人はすぐに出てきた。年齢は四十ほどで、身長は低め、小太りのいたって普通の人だ。

「あら、さっきの刑事さん。まだなにか?」

 青山が答えようとするのを遮って花見は話し始める。

「すみません。私、彼の上司で花見と申します。先ほどお話しいただいたことの確認に参りました。お手数ですがもう一度聞かせていただけませんか」

 1瞬顔をそらすようにして煩わしさを露わにしたが、女は話し始めた。結果は青山が聞いたのと全く同じ内容だった。

「ふむふむそうですか。ではやはり重要参考人として署まで来ていただけますか」

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