君が堕とすは、地獄の楽園

ミドリ

第1話

 もう、一体幾つの命を奪ったのだろうか。


 ギルバートは、かつては白銀に輝いていた愛刀をブン! と音を立てながら振った。だが刀身に付着した脂はギトギトで、落ちない。今日もまた変な物を斬ってしまったな、と大きな溜息をついた。


 研師とぎしに預けるのは腰に刀を帯びていないと不安な為、近頃は自室に戻ってから自己流で研ぐ様になってしまった。研がねば斬れなくなる。斬らねばこの地獄から抜け出すことは叶わない。別の刀か剣を持てばいい、宝物庫に山の様にあるではないか、そう国王からは勧められるが、ギルバートにはこの刀を片時でも手放すことは考えられなかった。否、恐らく手放すことは叶わない。


 自身が身につける騎士のマントで刀身を拭ってから、ようやく鈍いながらも白銀色を取り戻した刀を鞘へと納める。カツカツと人のいない灰色の冷たい城の通路を自室に向かい歩いていると、いつもの様にギルバートに聞き心地のいい少し低めの男の声が話しかけてきた。


『ギル、あれは脂肪ばかりで血が少ないよ。拙いし食べるところはろくにないし、もっと上等なのが欲しいんだけど』

「ヴィンセント、毎晩獲物をほふるだけで大変なんだ。そう選り好みしないでくれ」


 だが、通路にはギルバートの声だけが響く。


『ギル、ヴィンスって呼んでって言ってるだろ』

「はいはい、ヴィンスな」

『ああ、今日も僕はお腹を空かせたまま寝ることになるのかあ』

「あれでまだ足りないのか……」

「脂肪が多すぎるんだよ」


 ギルバートの頭の中に響く声は、非常に残念そうな声でため息混じりに言った。


「……頼むから寝かせてくれよ」

『ははは、努力はする』


 ヴィンセントという謎の男の声の正体は、ギルバートの愛刀に乗り移ってしまった悪魔だ。ギルバートは、小国エアレフの騎士団に所属する若く将来有望な新人だった。いや、傍から見たら今もそうなのだろう。国は大から小まで血気盛んなギラついた国に囲まれ、気弱な若い王はどこかの国と同盟を組む決断力もなく、この国は日々小競り合いで疲弊していっている。その中で、軍の先頭に自ら立ち、敵に果敢に突っ込んでいくギルバートの存在は、軍の士気を高めるのに一役買っていた。


『もうあとちょっとだよ。それで僕は君の刀から出ていけるから』

「……あと何人くらい斬ればいいんだ?」

『うーん? 十人くらいかな?』


 全然あと少しな人数ではない気がしたギルバートは、再び深い溜息をつく。


 この悪魔に取り憑かれ、早半年。始めこそ柄から流れてくる飢餓による焦燥から斬って斬って斬りまくっていたが、最近はヴィンセントの飢餓感もやわらいだのか、食の選り好みをする様になってきていた。


『早くギルに生身の僕の姿を見せてあげたいよ』

「俺は別に見なくていい」

『夢の中では素直なのになあ』


 ヴィンセントが笑うと、ギルバートは黙り込んだ。


 騎士団のギルバートに割り当てられた部屋に、もうすぐ到着する。今日は暗闇に紛れ城に入り込んだどこかの国の刺客を三人ほど斬ったが、今回のはなかなかに強敵だった。その場にたまたまいた、皆からの嫌われ者の腹部が異様に肥えた男爵が人質になっていたので、ついでに斬っておいた。


 理由は、ヴィンセントが血を一滴残らず吸い付くさんと刀身から影を出したことが原因だ。騎士団の英雄が悪魔憑きなどという評判が立てば、この国から追い出されかねない。父の形見であるこの愛刀は手放したくなかったし、かといって毎晩腹減った腹減ったとヴィンセントに夢の中でまで邪魔されるのは堪ったものではない。


 あの男爵が嫌われ者だったから、斬ることに抵抗も覚えなかったので助かった、とギルバートは内心胸を撫で下ろしていた。


『ギル、今夜こそ早く寝てよ。最近ちっとも夢を見てくれないじゃないか。疲れすぎなんだよ』


 ヴィンセントは、心配そうな声に隠しきれない笑いを含みながら、ギルバートに言う。


「……お前がもう手を出さないというなら早く寝てやる」

『だって、ギル可愛いんだもん』


 だって、じゃない。ギルバートは、三度目の溜息をつきながら部屋の鍵を開け、自室に入った。血で汚れた服を脱ぎ、バタンとベッドに倒れ込む。刀は握ったままだ。手放さないでと言うものを無視したところ、部屋中の物をどういう原理かブンブン投げ、片付けが大変なことになったのだ。どれだけ我儘な悪魔なのか。いや、そもそも悪魔とはそういうものなのかもしれなかった。


 ということで、それ以来、寝る時も柄を握り締めている。


『ギル、布団を掛けないと風邪引くよ』

「あ――……はいはい」


 悪魔に身体の心配をされ、ギルバートは四度目の溜息をついた。なんだってこんなことになってしまったのか。溜息はついてもついても後から出てきた。


 そもそもの発端は、曲者がいる、との報告からだった。この国は、小国の癖に諸外国が喉から手が出るほど欲しがる秘宝を持っている。それは現国王の妹君で、聖なる力を持つ『聖女』だ。ヴィンセントの様な悪魔の所業もあり、人の世はいつも争いに満ちている。だが、悪魔の数が増えてくると、均等を取る様に百年に一度程度の割合で出現するのが、悪魔を祓えるという聖女だった。


 だが、この聖女は希少性が高く、一人しか生まれない。その為、各国は自国の平和を保つ為、聖女をこのエアレフから奪わんと日々戦いを繰り返す、という本末転倒な現象が起きているのだ。


 その聖女を亡き者にしようと城に潜り込んできたのが、ヴィンセントだった。なんでも魔王などという悪魔の大将格に命令され、渋々やってきたらしい。そのやる気のなさが思い切り裏目に出てしまい、これまでろくに戦ったこともない、聖女から逃げて裏をほっつき歩いていたギルバートとばったり出会ってしまった、ということだ。


 明らかに怪しい黒いマントを着た男がいては、さすがに無視する訳にもいかない。逃げるヴィンセントを後ろから斬り倒したまではよかったのだが、ヴィンセントはよりによってギルバートが大事にしている愛刀に憑依してしまった。『これ、悪魔の最終奥義なんだよ、あはは』そう言って、ヴィンセントがこの刀から出て行く条件である【一定数の命】を与えることになってしまったという次第だ。


 いくら父の形見だからといって、手放せばよかったのだと思う。だが、ヴィンセントには特技があった。


 聖女が近付いてくると、察して教えてくれるのだ。


 ギルバートは、聖女に慕われて、付きまとわれていた。まあ、女としては綺麗な方なのだろうと思う。だが、考えてもみろ。世界にひとりしかいない聖女の伴侶になったら、きっと一生気が休まらない生活が待っている。しかも、聖女は政治的婚姻をして少しでも自国の安全に貢献してもらわねばならないのに、自国の騎士団員と結ばれるなど、国にとって何の特にもならない。


 ギルバートは出世はしたいが、老後は悠々自適に争いのない地域でのんびりと過ごしたいと考えていた。その為には、聖女とは間違っても間違いがあってはならない。


 聖女とは名ばかりの積極的な王女に辟易していたギルバートにとって、聖女の存在を察知してくれるヴィンセントの存在は有り難かった。


 だが、問題は寝ている時間だった。人間、夢の中ではどうしたって無防備になる。そしてこの悪魔は、人を斬って気が猛っているギルバートを、始めは癒やすという名目で、次第に段々と艶っぽさを増しつつ触れてくる様になったのだ。


 起きている時は冷たくあしらえるのに、夢の中のギルバートは、何故かいつも美しい黒髪に捻じ曲がった二本の角を生やしたヴィンセントの金色の目を見る度に、身を委ねたくなってしまう。


 夢の中のヴィンセントは、いつもギルバートに甘い。可愛い可愛いと、人を斬っては少なからず心におりを蓄積させていっているギルバートの心を癒やした。それが、ただの慰めから段々と深いものになっていったのはいつからのことだっただろうか。夢の中のギルバートは、いつしか見目麗しい男の悪魔に抱かれる様になってしまっていた。


 夢の中のギルバートは、いつもそれを喜んで受け入れている。起きてみれば羞恥と後悔でのたうち回るのだが、ヴィンセントは「実際にしてる訳じゃないしいいじゃない」とあっけらかんとしたものだった。


 立ってでも寝られそうな程に疲れると、夢を見ずに済む。それに気付いてからは、なるべくぎりぎりまで粘ることにした。そうすると、ヴィンセントは優しい声をかけ、ギルバートを何とか早く寝させようとするのだ。ここのところは、暫く夢も見ずに寝られていた。


 だが、今夜はさすがに疲れた。相手が強すぎた。


「……いいか、絶対手を出すなよ」


 うとうとしかける中、ヴィンセントに釘を刺す。ヴィンセントは、くすりと笑った。


『いいよ。ギルが誘ってこなかったらね』

「俺はそんなこと……しない……」


 ギルバートは、眠りへと落ちていく。とん、と夢の世界に降り立つと、青々とした草原の中心にヴィンセントが立ってこちらを微笑みながら見ていた。


 ギルバートは、自分はそんなことする筈がないと思っているのに、笑顔でヴィンセントに駆け寄っていく自分をどこか他人事に感じながら眺めている。両手を開いたヴィンセントの胸に飛び込み、そして先程の現実の自分とは正反対の態度をヴィンセントに見せた。


「ヴィンス、会いたかった――!」

「うん、僕もだよ、ギル」


 ヴィンセントの甘い口づけで、ギルバートの全身が蕩ける。また今日もこの平和な青い空の下、ヴィンセントと愛し合える。これはきっと、ヴィンセントが悪魔だからに違いない。悪魔の誘惑に、自分はただ負けているだけだ。だからいい。夢の中だけなら、これもきっと許される筈だから。



 ヴィンセントの言うあと十人まで、残すところひとりとなった。今日も聖女を攫わんと城に忍び込んだ曲者を数名退治し、現在ギルバートは最後のひとりを前に愛刀を構えているところだった。


『ギル、いい? 僕が出てきても、斬らないでよ』

「馬鹿、分かってるさ。もう一度憑かれたら溜まったもんじゃないからな」

『この共同生活も、これでおしまいかあ。淋しいな。ねえ、ギルは淋しくないの?』

「そんな訳あるか。せいせいする」


 敵は、ギルバートが独り言を喋っているとしか見えないのだろう。気狂いを前にしているのか、と明らかに動揺を隠せずにいた。


「ひ、ひいい!」

『ギル、今だ! いけ!』

「はいはい」


 これで、長かった悪魔との共闘も終わりだ。もう前線から飛び出して斬り込む必要もないし、そうだ、この国にいる以上は聖女に追いかけられる可能性が高い。だったらいっそのこと、国を捨てどこか別の平和な国へ移り住むのもありではないか。そうしたら、こんな人斬りの生活からはおさらば出来る。


 ギルバートは、渾身の一撃を放った。そういえば、愛刀にヴィンセントが宿る様になってから、明らかに斬る力は増えていた。これはきっと、妖刀の力だったのだろう。では尚更、早く前線から退かねば、今度は自分の命が危なそうだ。


 どしゃ、と背中を見せていた敵の男が床に崩れ落ちる。ゆらりと、刀から黒い影が飛び出した。ブワッと男の死体を影が覆ったかと思うと、影はどんどん人の形を形成していく。


 ――夢で散々見た、ヴィンセントの姿がそこにあった。


「ヴィンス……?」


 すらりとした長身、長い黒髪をさらりと揺らしながら、ヴィンセントがゆっくりとこちらを振り返る。金色の瞳は夢の中で見たままで、不覚ながらもギルバートは吸い込まれそうになり、一歩踏み出そうとしてぎりぎり踏みとどまった。違う、これはもう夢じゃない。


「ギル、来ないの?」


 ヴィンセントは、夢の中でいつもする様に、両腕を大きく広げている。


「……もう夢の中じゃないだろ」

「ありゃ、騙されないか」

「ふざけんな、分かったら他の奴らに見つからない内に去れよ」


 ギルバートがくるりと背を向け立ち去ろうとすると、ヴィンセントがおっとりと後ろから追いかけてきた。


「折角半年ぶりに生身の身体に戻ったんだ。これまでの慰労会をしようよ」

「慰労会……?」


 何を言ってるのか。立ち止まり、思い切り眉間に皺を寄せてヴィンセントを振り返ると、ヴィンセントは端正な顔に苦笑を浮かべて言った。


「……お別れ会。ずっと一緒に酒飲んでみたかったんだ」


 そう言われては、これまで半年とはいえ毎日共に過ごした相手だ。ぐ、と詰まったギルバートは、やがて小さく頷いた。


「……分かったよ、お別れ会な」

「へへ、やったね!」


 ヴィンセントは軽やかに駆け足でギルバートに追いつくと、自分よりも背の低いギルバートの顔を覗き込み、ギルバートの腕をそっと掴む。


「やっと触れられた」

「おい」

「魂だけって辛かったんだぞ、少しは労ってくれよ」

「……少しだけだぞ」


 二人は部屋に戻ると、他に腰掛けるところもないのでベッドに胡座をかき向かい合わせに座り、乾杯をした。今日のヴィンセントはいつにも増して饒舌で、それをふんふん、と鼻で相槌を打つだけのギルバートにも、笑顔でこれまでの思い出について語る。


 こんなことがあったな、あんなことがあったなと、愛おしそうに些細なことを話すのを聞いている内に、酒が回ったのだろう。ギルバートは、ついぽろりと零してしまった。


「……まあ、淋しくはなるな」

「……本当?」


 ヴィンセントは、ほんのり赤くなった頬に喜色を浮かべながらギルバートににじり寄る。


「そりゃまあ、半年ずっと一緒にいたしな」

「……夢の中で、もう泣かないかな?」


 ヴィンセントの滑らかな指が、ギルバートの頬に触れた。夢の中で何度も触れられた、まるで濡れている様な肌触りのそれは、少し冷えた部屋の空気の中で、やけに温かく感じる。


「俺は何人も斬ってる立派な騎士様だぞ。馬鹿にするな」

「だって、始めの頃は辛そうだっただろ」

「……もう慣れた」


 毎日毎日ひたすら人を斬る作業は、始めの頃はきつかったのは事実だ。だが、斬れば斬る程夢に出てくる殺された奴らの最期の顔は、ヴィンセントがその優しい笑顔で塗り潰してくれた。


 だからきっと、ヴィンセントがいなくてももう大丈夫だ。


「……僕は嫌だよ」


 ボソリとヴィンセントが呟いた。


「――え?」

 

 この悪魔は、何を言っているのだろうか。ようやく刀から解放されて実体を持てる様になったというのに。聖女のことなどはなからどうでもいいのだから、だったら祓われない様にどこか遠くへと行けばいいのだ。


「ギルのことが心配なんだ」

「……何言ってんだよ」


 空のグラスをベッドの上に転がすと、ヴィンセントは膝で立ち、その腕の中にギルバートを包んだ。ヴィンセントからは、夢の中で嗅いだ香の匂いがして、ギルバートは思わず目を瞑る。


「ギル、俺はギルの傍にこのままずっといたい」


 切なそうな声で言われても、ギルバートにはそれを肯定することは出来なかった。


「馬鹿だな、ここにはすぐ近くに聖女がいるんだぞ。お前なんか、見つかったら即座に祓われちまうぞ。命が惜しけりゃ国へ帰れよ」


 これは夢じゃない。夢じゃないのに、ギルバートはヴィンセントの肩に頬を寄せるのを止めることが出来なかった。


「そんな角生やしてて、一緒にいられるか馬鹿」


 これまでの話から、ヴィンセントは大して力のある悪魔ではないこと位、ギルバートとて理解していた。いいように使われる駒に過ぎないことを。ギルバートの力を増強することは出来たが、ヴィンセントの力はその程度だったのだ。


 ギルバートをぎゅっと抱き締めたまま、ヴィンセントが小声で尋ねる。


「ギル、ギル……最後に君をちゃんと抱きたいんだけど」

「――!」


 ギルバートが焦って顔を上げると、ヴィンセントが即座にギルバートの唇を奪った。駄目だ、夢の中ならともかく、これは現実だ。身体にヴィンセントの熱が刻み込まれてしまったら、もうどうなってしまうか自分でも分からない。だから駄目だ、駄目だと言い聞かせているのに、夢の中と一緒で、ギルバートの身体は言うことを聞いてはくれなかった。


 掴むようにしてヴィンセントの首に腕を回すと、自ら深く口の中に飛び込んでいく。ヴィンセントは、それを幸せそうな笑みを浮かべながら受け入れた。


「ギル、大好きだ、ギル……!」

「ヴィンス……馬鹿だな……」


 夢の中と同じく、ヴィンスはするするとギルバートの服を脱がしていく。ヴィンセントのしっとりとした肌に早く直接肌を重ねたくて、ギルバートは激しい口づけを繰り返しながら、ヴィンセントの服を剥ぎ取っていった。


「はは、僕は馬鹿だよ……人間になんて恋しちゃったんだから」


 互いに生まれたままの姿になると、ヴィンセントは愛おしそうにギルバートをゆっくりと押し倒し、上に身体を重ねる。


「……ヴィンス、俺のことが好きなのか?」


 まさか、本気で言ってるのだろうか。人間をたぶらかす存在の悪魔が、何故。ヴィンセントは、ギルバートの身体に唇を這わせながら肯定する。


「そうだよ、でなきゃ大人しく人間如きに使われるもんか。剣の持ち主のお前を襲って魂まで食ってしまえば、俺は一瞬で元の姿に戻れたんだからな」

「え……そうだったのか?」

「そうだよ」


 ヴィンセントが、ギルバートの首筋に軽く噛み付いた。甘噛みの様なそれは、ギルバートの中にあった最後の壁を取り除く。


「ヴィンス……! 俺も、俺も本当はお前のことが……!」

「へへ……知ってる」


 ヴィンセントは嬉しそうな笑顔を見せると、夢の中でいつもしていた様に、ギルバートを念入りにほぐしていった。


「ヴィンス、ヴィンス……!」


 最初で最後の実体での触れ合いに、ギルバートは歓喜の涙を流す。これで最後だ。だけど、ヴィンスを生かしておくには別れるしかない。二人は一緒には居られないのだから。


「ギル、可愛い」


 ヴィンセントはギルバートが蕩けるのを確認すると、始めはゆっくりやさしく、そして段々と激しくギルバートの中へと侵入していった。互いの汗も唾液も何もかもが溶け合い、二人は貪る様に繰り返し重なり合う。


 もし部屋の外で聞いている者がいたら、きっとその人物は涙を誘われたことだろう。それほどに、二人が愛し合う声は切なく、悲しみに満ちたものだった。


 窓の外が白ばみ始めた頃。疲れ果てまどろんでいたギルバートの瞼に口づけを落としたヴィンセントが、金色の瞳を怪しく輝かせながら、囁いた。


「ギル、いいことを思いついた」

「いいこと……?」


 朝を迎えれば、二人は離れ離れになってしまいきっともう二度と会うことは叶わない。なのに何故、ヴィンセントはこんなにも嬉しそうなのか。


「ギル、僕をもう一度斬るんだ」

「え……ヴィンセント、な、何言ってんだよ」


 何百人と人を斬り、ようやく得た実体だ。それをギルバートがひと晩で斬ってしまえば、元の木阿弥ではないか。


 ――第一、大切なヴィンセントを斬ることなど出来る訳がない。


 だが、そんなギルバートの戸惑いをよそに、ヴィンセントは目を輝かせながら話を続ける。


「僕がいる限り、お前に力を貸せる。お前を死なせはしない。だから、僕を斬って、また夢で逢瀬を繰り返そう」


 ギルバートは、絶句した。すると、それを肯定と取ったのか、ヴィンセントが優しくギルバートの頭を撫でながら更に続ける。


「お前が頑張って人間を斬れば、またひと晩こうやって抱き合える。そしてまたお前が僕を斬れば、僕たちは永遠に一緒に居られる」


 これぞ正に、悪魔の囁きだった。悪魔のヴィンセントと居るには、ヴィンセントを刀に封じねばならない。だけど、また実際に肌を重ねたくて我慢出来なくなる前に、大勢の人を殺さねばならないのだ。二人の逢瀬の為に。


 ――もしかしたら、これが悪魔本来の取り憑き方なのかもしれない。だけど、ヴィンセントがギルバートの心を救ってくれたのは確かだ。


 そして、ギルバートがヴィンセントを縛り付けている限り、ヴィンセントはずっと永遠にギルバートの傍にいる。


 ならば。


「……ああ、ヴィンス、ずっと一緒にいよう……!」

「ギル、嬉しいよ、ギル……!」


 二人は、再び重なり合う。ギルバートは、その手に父の形見の愛刀を持った。次の再会までこの肌の温もりを忘れぬ様に記憶に刻み、そして絶頂を迎えるその瞬間、ギルバートはヴィンセントを再び殺めるのだ。


「ヴィンス、君となら、俺はどんな地獄でも行ける……!」

「僕もだよ、ギル……!」


 快感に我を忘れそうになりながら、ギルバートは思う。ヴィンセントと共に過ごす地獄こそ、誠の楽園だと。


ー完ー

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