放蕩息子と虚言癖の少年

Jack Torrance

引かされたくじ

ブラッキー ソーントンは鉛筆で黒く印が付けられた紙片を片手にし背筋に伝う脂汗を感じていた。


殺気だって取り囲んでいる奴らの己を睨めつける白い目。


ブラッキーの胸中に渦巻く不穏な空気。


この状況に至るまでの経緯を読者が知る為には、このブラッキーの素性を記しておかねばなるまい。


ブラッキーは、コリンと言う実直で昔気質の農夫の親父と情深い母親のサラの一人息子として生まれた。


鳶が烏を産んだとでも形容しようか。


真面目で人からも信頼されていた両親とは大きく掛け離れブラッキーは素行も悪くはみ出し者だった。


ブラッキーが19の時だった。


コリンが農作業を終えて家路に就こうと畦道の轍の外を歩いていた時だった。


二頭立ての馬車が畦道を駆け抜けていた。


畦道の脇の背丈の高い叢から少年が馬車の前に飛び出してきた。


己の身を顧みず少年を助けようとしたコリンは少年を叢へ突き飛ばし自身は馬車に轢かれ一命を落とした。


少年は村の長の孫だった。


村の長は、この自身の命を顧みない行為と孫を救ってくれたという感謝の念で残された家族に金一封を見舞った。


謝礼金は当時の額でそれなりのものだった。


しかし、この長の御礼を勇敢な父親の死など気にも掛けずプラッキーは母に内緒で遊興費に使い込んだ。


サラは、コリンが残してくれた農地を耕し収穫し一家を切り盛りしていたが、その心労が祟って病の床に伏した。


村の長から貰った謝礼金が残っていれば少しは手厚い看病も出来たであろうがブラッキーがほとんど使い果たしていた。


そして、サラは治療の甲斐も虚しくコリンの後を追った。


その闘病中の間はブラッキーはサラの代わりに慣れない農作業に勤しみ幾ばくかは重責を背負ったかも知れないが、それは自身が招いた責務であり傍目にはブラッキーが改心したようには映らなかった。


サラの死後、自分の事を気に掛けてくれる者もいなくなり天涯孤独となったブラッキーは真の意味での放蕩者となった。


ブラッキーは街の悪童どもと連み一端を気取るようになり出した。


村の非合法の安酒場にもブラッキーが顔を出す事はしょっちゅうで村の男衆に与太話の類の戯言を聞かせて虚勢を張っていた。


「いい儲け話があるんだ。俺に投資してくれたら3割の利息を付けて返してやるぜ」


「もし、困った事があったら俺に言ってきな。俺は街のギャングのパーカーさんの知り合いに伝手があるんだ」


「ムーンシャイナー(密造酒)で上等な奴が欲しい奴は俺のとこに言ってきな。コーンウイスキーの美味えのが手に入るぜ」


「俺は野球賭博や競馬で大金が転がり込んできてよ。街の銀行にはよ、おめえさんらが予想もつかねえ額の金が眠ってるんだぜ。俺は世界一とは言わねえがかなりの強運の持ち主なんだぜ」


このような御託を並べていたが大半は法螺で他愛もない与太話だった。


「へえ、そうかい、おめえさん、そりゃすんげえなあ」


村の男衆からは体よくあしらわれ相手にもされていなかった。


ブラッキーは街で粗悪な密造酒をせっせと売って僅かばかりの分け前を貰って日銭を稼ぎギャングの知り合いがいるとはいっても下っ端の下っ端だった。


ブラッキーは一端を気取る為に話を誇張し吹聴していた。


村の男衆もそれを知っていたのでまともにうてあっていなかった。


「困った時にゃ、おめえさんに頼むとするよ」


男衆は嘲りながらそう言って猿をおだてるようにブラッキーを揶揄していた。


ブラッキーが安酒場から去ると「親父もおふくろもあれじゃあの世で泣いちまって浮かばれないな」と哀れんでいた。


ブラッキーは、コリンやサラの人柄のお陰で村で生活出来ていたと言ってもいいだろう。


村の年寄り衆からは良い目で見られていなかった。


村は揉め事一つ無く秩序は保たれていた。


あの事件が起こるまでは…


ここで、読者にはこの事件の引き金となったもう一人の主人公ダニエル ハッチンソンの素性を記しておかねばなるまい。


ダニエルは10歳の少年で学校の成績も超が付くほど優秀だった。


村の大人達からも末は博士か大臣かと言われていた。


正確も温厚で周りの大人達もダニエルの事を可愛がっていた。


そんなダニエルにも人に知られたら不味い欠点があった。


それは、虚言癖であった。


母のマーサが芋をふかしてキッチンのテーブルの上に置いて農作業に出ていた。


ダニエルは、その芋をおやつと思い食べた。


帰って来たマーサはそれを夕食のメニューに加えるつもりだった。


マーサはダニエルを咎めるつもりは毛頭無くダニエルに尋ねた。


「ダニエル、テーブルの芋を食べたのはお前かい?」


「ううん、僕じゃないよ。ケイトが食べていたよ」


4つ下の妹のケイトはマーサに尋ねられる。


「ケイト、テーブルの芋を食べたのはお前かい?」


「あたし、食べてないわ」


「お兄ちゃんはお前が食べたと言っているよ。怒らないから正直にお言い」


ケイトは、こうしていつも無実の罪を着せられていた。


ある日は、父のエリックの大工道具を勝手に使い放置していた。


「ダニエル、俺の大工道具、お前知らないか?」


ダニエルは悪びれもせずにいつものように虚言を吐く。


「父さんがこの前、納屋で使っていたの僕見たよ」


「あれ、そうだったかな。俺も最近物忘れが多くてな」


ある日は、隣家の老人、ボックスじいさんが愛犬を探していた時だった。


「ダニエル、わしんとこのポーを見らんかったか?」


ダニエルは見てもないのに「さっき池のとこで見たよ」と口を開けば出任せを言う。


ダニエルは悪気は無いのだが、つい嘘をついてしまう癖があった。


聞かれた事に自分が嘘でもいいから何かを発する事で自分に注目が集まるとダニエルは勘違いしていたのである。


大人達は利発なダニエルに虚言癖があるとは露ほどにも思わなかった。


今まで吐いてきた虚言は、まだ子供だからといって赦してもらえるようなものであった。


しかし、ダニエルは大きな罪を犯してしまった。


その日は明朝にエリックが街に買い出しに行くのでいつもより多めに金が家に置いてあった。


ダニエルは学校から帰宅しキッチンの棚に置いてあったその金を目にした。


ケイトは近所の子らと外に遊びに行っていた。


ダニエルは、この前にエリックと街に行った時に見たおもちゃがどうしても欲しかった。


ダニエルは出来心でその金をくすねてしまった。


自分の部屋に金があれば自分が疑われるのでダニエルはハッカの飴玉の缶に入れて、いつも散策している森の一番の大木である欅の樹木の根元に穴を掘って埋めた。


欅の樹木には念の為にナイフで印を刻んでおいた。


半年寝かせておもちゃは小遣いを貯めて買ったと言えばいいだろう。


ダニエルは銀行強盗が熱りを冷ます発想を10歳にして実行に移すという狡猾さを発揮して家に帰った。


まだ両親と妹は帰っていなかった。


エリックとマーサが農作業を終えて家に戻り明朝に備えて出掛ける支度を整えていた


その時に金が無いのに気付いた。


エリックは、まさか自分の息子が金を盗ったとは思いもせずにダニエルに尋ねた。


「誰か家を訪ねて来た者はいるか?もしくは、家の周りをうろついていた不審者はいなかったか?」


ダニエルは与太者のブラッキーの存在が頭を擡げ咄嗟に虚言が口を衝いた。


「ブラッキー ソーントンが僕が学校から帰って来た時に家の門の所にいたよ」


エリックは思った。


ソーントンとは酒場で出くわす事もあるが別に親しい間柄でも無い。


奴はどうしようもない人間だ。


何故、俺の家の前に奴はいたんだ?


奴が家の金を盗んだとしても何ら不思議な事ではあるまい。


この時点でエリックの頭の中では、もう既に犯人は断定されていた。


エリックは村の長ハーヴィー ダニエルズの家を訪れた。


時刻は8時を回っていたが家の扉をドンドンと叩いた。


グランド オール オプリをラジオで聞いていたハーヴィーは何事かと玄関に向かった。


「誰だ?」


「俺だ、エリックだ」


ハーヴィーは、その声を聞き玄関のドアを開いた。


「おや、エリックじゃないか。こんな夜にどうしたんだ?」


「ハーヴィー、ちょいと話があって。入ってもいいかい?」


「ああ、いいとも。入ってくれ」


エリックはリヴィングに通された。


「あら、エリックじゃないの。こんばんは。お茶でも淹れるから、ちょっと待っててちょうだいな」


ハーヴィーの妻カイラが茶を淹れてくれてもてなしてくれた。


「ありがとう、カイラ」


申し訳なさそうに丁重に礼を述べるエリック。


ハービーが訪ねた。


「エリック、話ってのは重要な事なのか?」


エリックが憮然とした口調で言った。


「ああ、そうなんだ。今日、家に置いてあった金を盗まれた」


ハーヴィーが驚いたように言った。


「本当か?この村に盗みを働く者なんておるめえと思うがな」


エリッくが哀し気に首を振りながら言った。


「倅がソーントンを家の門の所で見たと言っている。奴ならやるかも知んねえ」


ハーヴィーはブラッキーの素行の悪さも知っていたのでエリックの言い分も理解出来た。


だが、コリンに孫の命を救ってもらったという義理もあったので如何にブラッキーが放蕩者でどうしようもない人間だと解っていても温情を挟んでしまうのであった。


「解った。村の男衆どもと協議してブラッキーの言い分も聞いた上で裁決するしかなかろう」


翌朝、村役場にハーヴィーや村の男衆、そしてダニエルとエリックも集まった。


男衆の中で血気盛んなチャック フロトがダニエルに尋ねる。


「ダニエル、おめえが家に帰って来た時に確かにブラッキーの野郎がいたんだな?」


ダニエルも、ここまで騒ぎが大きくなりもう後には退けない状況になっていた。


「僕、見たよ。ブラッッキー ソーントンが門の所にいたんだよ。3時から3時20分くらいの間だったと思うよ」


ほとんどの男衆がダニエルの嘘を信じ村の治安を乱したと思われるブラッキーに憤りを感じていた。


少数ではあるがブラッキーが門の所で見掛けられたというだけでは証拠にはならんだろうと異議を唱えた。


ハーヴィーが憤る男衆を制止するように言った。


「ブラッキー ソーントンの言い分も聞いてみなくちゃなるまい。エドワード、おめえさん、ちょいとブラッキーを呼びに行ってくれんかのう」


男衆の中で一番若いエドワード グリーンがブラッキーの家に遣いに走った。


村の外れにひっそりと居を構えていたブラッキーの生家は両親の死後は手入れは行き届いておらず傷みも多く庭も荒れ放題だった。


エドワードはブラッキーの家の扉をドンドンと叩いた。


誰も出てくる気配が無い。


エドワードは鍍金の剥がれかかったドアノブを回してみたら扉がすんなりと開いた。


エドワードは中に入って声を張り上げた。


鼻を突く酸っぱい饐えた臭いに吐き気を催してくるエドワード。


「ブラッキー、いるか?いるなら出て来てくれ」


寝室から大きな欠伸をしながらブラッキーが出て来た。


黒のフランネルのシャツにブルージーン。


草臥れたカウボーイブーツを履いていて昨夜は風呂にも入らずにそのまま寝たというような出で立ちだった。


二日酔いでその息は酒臭かった。


ブラッキーがぶっきらぼうに言った。


「何の用だ?こんな朝っぱらから」


「ちょいと村役場まで俺と一緒に来てくんねえか」


ブラッッキーは何の事だか分からずに無愛想にエドワードに問い返した。


「用件は何なんだよ?」


「来たら解るからよ」


ブラッキーは昨晩何処で飲んだか知らないが着の身着のままで訳も解らずエドワードに付いて行った。


エドワードの後に付いて行き村役場に入るとハーヴィーや村の男衆が揃っているのでブラッキーは異様な空気を察した。


ハーヴィーは中立性を保つ為に神妙な面持ちでブラッキーを見ていたが大半の男衆が訝しげな目付きでブラッキーを見やった。


ハーヴィーが口を開いた。


「悪いな、ブラッキー。おめえさんにちょいと尋ねたい事があってな。昨日の3時から3時20分まで何処にいた?」


「昨日の3時から3時20分?それがあんた達に何の関係があるんだ?」


ハーヴィーがブラッキーの機嫌を損なわないように穏やかに尋ねた。


「ちょいと村で問題が起きちまってよ。それでおめえさんにその容疑が掛かっちまってるんでこうやって尋ねてるんだよ」


ブラッキーは何の事だか分からなかったが自身に容疑が掛かっていると聞いて身に覚えが有る事なのか無い事なのか頭の中で整理した。


「ちょいと尋ねるがよ、その容疑ってのは何なんだい?因みに、あんたがさっき言った時刻には俺は家で酒を掻っ食らっていたぜ」


「おいおい、そりゃおかしな話だな。エリックんとこのダニエル坊やがおめえをその時間帯に自分の家の門の所で見たって言ってるんだよ」


男衆の中のハロルド ゴームズが荒々しげにブラッキーに言った。


「はあ?何の話をしてんだ?だから、俺はさっきも言ったように家で飲んでたと言ってるだろうが。そこの小僧が俺を見たなんて抜かしてる事と一体何の関係があるんだよ」


男衆の中のモーテン ハヌエルが感情を爆発させて言い放った。


「しらばっくれるんじゃねえ、ブラッキー。エリックの家の金が盗まれたんだよ。ダニエルが見てもないおめえを見たなんて言う事が普通に考えたらある筈もなかろう。その金を盗んだのがおめえだと言ってるのが分からんのか」


事態を飲み込めたブラッキーがダニエルを鬼の形相で睨めつけた。


ダニエルがブラッキーの鬼畜の形相を見てエリックの足の後ろに隠れた。


ハービーが冷静沈着にブラッキーに尋ねる。


「おめえさんがその時間帯に家にいたのを証明出来る奴はおらんのか?」


ブラッキーが怒気を強めて答える。


「一人で飲んでたんだ。いる筈がねえだろうがよ」


その場がざわつく。


「まあ、皆の衆落ち着け」


ハーヴィーが憤りを隠しきれない男衆どもを宥めて場を制止した。


「今、此処にわしとエリック、そしてブラッキーを除けば18人の男衆がいる。先ずは、挙手でダニエルの言い分が正しいか、それともブラッキーの言い分が正しいか別室で決めてみるとするか。話はそれからじゃ」


ブラッキーとダニエル、エリックがその場に残り皆別室に移った。


ハービーが挙手を採った。


「ダニエルの言い分が正しいと思う者は手を上げてくれ」


15人が手を上げた。


「ブラッキーの言い分が正しいと思う者は手を上げてくれ」


2人が手を上げた。


一人だけ挙手しなかった者がいた。


それは、ハービーの息子でコリンに息子の命を救ってもらったメルヴィン ダニエルズだった。


メルヴィンが言った。


「疑わしきは罰せずとは言うが村にも秩序ってもんがある。俺らは判事でもなければ保安官でもない。誰もこの村では秩序を乱す者もおらんかったし俺らは自警をてめえ達でやってきた。ここはブラッキーにくじを引かせて決めたらいいんじゃねえのかい?神もブラッキーが白なら白紙の紙片を引かせるに違いねえ。ブラッキーが黒なら黒い印が付いた紙片を引かせる筈だ。全ては神のお導きだ。それに俺らは従えばいいんじゃねえのかい」


モーテンが刺々しく言った。


「もし、ブラッキーが黒い印の付いた紙片を引いたならばリンチして村から追放でも構わんのだな」


メルヴィンが目を瞑って鎮痛な面持ちで言った。


「村の秩序を守る為にはそれも致し方ねえだろう」


こうして村の祭りで子供向けのくじ引きに使われる木箱と即席の紙片が用意された。


ハーヴィー達はブラッキー達の待つ部屋に戻りブラッキーに挙手の有無と協議の内容を伝えた。


「ブラッキーよ、15対2でダニエルの言い分が正しいと思っている者が大半を占めておる。一人がおめえさんにくじを引かせて決めるのが良いんじゃないかと言っておる。おめえさんが悪事を働いておらんのならばおめえさんに黒い印が付いたくじは神も引かせんじゃろうという意見じゃ。どうじゃ、それでいいか?」


ブラッキーが怒りを通り越して男衆どもを嘲笑しながら言った。


「よう、何でやってもいねえ俺がおめえさんらの言う通りに黙ってくじを引かなくちゃいけねえんだ」


ハロルドがブラッキーを問い詰めた。


「ブラッキーよ、おめえに疚しい気持ちがあるからくじを引きたくねえんじゃねえのか。もし、やってねえんなら神もハーヴィーが言ったようにおめえにも天は加護を授けてくれるだろうよ」


ブラッキーはこの一言に即発した。


顔はヒヒの尻のように赤らみ身体は怒りで小刻みに震えていた。


「いいじゃねえか。引いてやろうじゃねえか。その箱を持って来やがれ。よく目ん玉ひん剥いて見ていやがれってんだよ」


ブラッキーの前に木箱が置かれた。


迷う事無く右手を木箱に入れて紙片を一枚掴み抜き取った。


紙片は四つ折りになっていた。


「開いて見せてくれんかのう」


ハーヴィーが厳かに言った。


「よく見てろ、てめえら。これが白紙の紙片だったらちゃんと落とし前つけてもらおうじゃねえか」


ブラッキーは威勢よく声を荒げて言い放ち紙片を見た。


その紙片には鉛筆で黒い丸の印が付いていた。


さっきまで威勢よく怒号を放っていたブラッキーが蛇にでも睨まれたかのように固まり沈黙した。


数秒間、脳に酸素と血液が行き渡らないような状態になり放心した。


血流の流れが再開するとブラッキーはあらゆる結論をタイプライターで文字を叩き出すように導き出した。


嵌められた。


何故ならば、ブラッキーが木箱に手を入れた時に紙片はかなりの枚数が入っていたからだ。


ブラッキーは思った。


紙片の全てに黒い印を付けて村では評判の良くない俺を排除しようとしてるんじゃねえのか?


金が盗まれたなんて話もでっち上げなんじゃねえのか?


ブラッキーは紙片の印を皆が見えるように高く翳し高笑いしながら言った。


「あんたら、俺が手を入れた時にはかなりの紙片が箱の中に入ってたぜ。その中から俺が一発でこの印の付いた紙片を引くと思うか?あんたら、この箱の中の紙片に全部印を付けてんだろ。悪いが改めさせてもらうぜ」


そう言って自分が引いた印の付いた紙片をブルージーンのポケットに仕舞い木箱の中に手を入れ一枚一枚と確認していった。


一枚目は白紙。


全ての紙片に印を付けてるんじゃねえのかと暴言を吐いた手前、決まりが悪そうな笑みを浮かべるブラッキー。


二枚目も白紙。


次も。


また、その次も。


おかしい。


夢中で紙片を木箱から抜き取り開いていくブラッキー。


ブラッキーは確認した紙片を床に投げ捨てながら思った。


おかしいな。


半々で印の付いた紙片を入れたのか?


それとも、3分の1?


将又、4分の1?


次も白紙。


その次も白紙。


もう五十枚くらい確認したが全て白紙。


焦るブラッキーの額から汗が滴り黒のフランネルの脇には丸く汗染みが出来ていた。


狂人のように紙片を引いては確認し床に投げ捨てる行為を繰り返すブラッキー。


黙って戯けを見やる男衆。


結局ブラッキーは全ての紙片を確認したが全て白紙の紙片だった。


ハービーがプラッキーに非常な現実を突き付けた。


「この村の人口は108人じゃ。紙片は全部で108枚。その108枚の紙片の中からおめえさんはたった一回のくじ引きで印の付いた紙片を引いた事になる。108分の1の確率でじゃ。108枚の紙片の中からたった一回で引き当てる確率といったら恐らく天文学的確率じゃろう。これが神の御業以外に何と言えるのかのう、ブラッキーよ」


ブラッキーはポケットから印の付いた紙片を取り出してまじまじと凝視した。


男衆どもの白い刺すような視線を全身に浴びながら…


ここで冒頭のシーンになったという訳だ。


読者の諸君には、この後のプラッキーの行く末を余す事無く伝えねばなるまい。


「ハハ、ハハハ、何でやってもねえのにこの確率で印の付いた紙片なんか引いちまうんだよ」


男衆の中のアルバート ホッグスがしたり顔でさも滑稽といった笑みを浮かべて言った。


「ブラッキーよ、おめえ以前に酒場で俺は強運の持ち主なんだぜとかなんとか言ってた事があったな。ありゃ与太話じゃなかったな、フフフフフ」


モーテンが底意地の悪い死刑囚官房担当の刑務官のような表情でブラッキーを罵った。


「もう、これでおめえも終わりだな。おめえが印の付いたくじを引いたらリンチして村から追放って話になってるからよ」


モーテンの話を聞いてブラッキーは両膝から崩れ落ちた。


黒人どもがやられているリンチの恐怖に戦いてブラッキーはすくみ上った。


ハーヴィーが一定の温情を示して男衆を説き伏せた。


「モーテンよ、リンチというのは余りにも惨すぎる仕打ちじゃ。鞭打ち10発と村への出入り禁止というところで手を打ったらどうじゃろうか。皆の衆もそれでどうじゃ」


男衆は口々に言った。


「そうだな。余りにも惨いのは後味が悪いもんな」


「ああ、俺もそれで異論はねえぜ」


ハーヴィーが情状を求める意見に男衆は絆された。


ハーヴィーがエリックに尋ねた。


「エリックよ、おめえさんは被害者だ。それで納得してもらえるかのう」


エリックも非人道的な仕打ちはてめえにいずれは跳ね返って来ると思っていたので快くハーヴィーの申し出を了承した。


「ああ、それでいいぜ」


エリックはブラッキーを見ない様にぼそりと言った。


ブラッキーは両脇を抱えられるように立ち上がらせられ身柄を拘束された。


「一旦、ここでお開きじゃ。夕刻5時半に執行じゃ」


判事が槌を打ったように解散された。


ブラッキーの見張りにエドワードを残し男衆は散り散りとなって仕事に戻った。


夕刻。


してもない罪で鞭打ちにされるブラッキーは黙りこくっていた。


虚ろな視線でエドワードを見て情に訴え掛けた。


「おい、グリーン、俺はほんとにやっていねえんだぜ。どうにかなんねえのか?」


エドワードは若干ブラッキーを気の毒に思って言った。


「くじで決まった事だからな。仕方あるめえ」


ブラッキーは項垂れた。


5時を過ぎると男衆が餌付けされている鳩のようにぞろぞろと村役場に集まって来た。


緊張と恐怖に苛まれ喉がカラカラに乾くブラッキー。


舌で唇を舐めたが唇の乾きすら拭い去れない。


「水を一杯くれ」


ブラッキーがエドワードに懇願した。


エドワードが別室に行き水をコップに入れて戻って来るとブラッキーに手渡した。


目の前に水を差し出されると縛られた両手でコップを受け取り一息でそれを飲み干した。


もう一杯くれと頼み込もうとしたがモーテンの声がそれを邪魔した。


「河原の柳の木の下に行くぞ」


両手のロープはそのままの状態で両足のロープを解かれブラッキーは男衆に囲まれ河川敷に向かった。


震えが止まらないブラッキー。


河川敷に着くなり目隠しをされ柳の木に括り付けられる。


「鞭打ち10発じゃ。それで無罪放免。村への出入り禁止。以上じゃ。解ったか、皆の衆」


ハーヴィーが刑の執行の前に声を張り上げた。


「待って」


少年の声がした。


皆が声が聞こえた方に視線を送った。


その声を発したのはメルヴィンの息子でコリンに命を救ってもらったジョナス ダニエルズだった。


ジョナスがコリンに命を救われた時は9つだった。


あれから3年半の月日が経ちジョナスも13になっていた。


「ダニエル、出ておいで」


ジョナスが河川敷の土手に隠れていたダニエルを呼んだ。


ダニエルが俯き加減で憔悴しきったように現れた。


「ダニエル、本当の事を言うんだよ」


ジョナスがやさしくダニエルに語り掛ける。


ダニエルは大変な嘘をついてしまったと悔悟して解散した後にジョナスに相談に行ったのであった。


そこで、ジョナスはダニエルに正直に話して反省して謝れば赦してもらえるからと諭したのだった。


男衆どもの視線を一斉に浴びながら勇気を振り絞って辿々しく悔悟の旨を述べるダニエル。


「ご、ごめんなさい。じ、実はお金を盗ったのは僕なんです。怖くなって、そ、それで僕、ソーントンさんがいたと言えば自分は疑われないと思って。ソーントンさんがまさかこんな目に遭うなんて思いもしなくって。ごめんなさい。本当にごめんなさい」


ダニエルはしゃくり上げながら言った。


エリックが怒りに震えダニエルの前に身を乗り出した。


一発平手でダニエルを張り倒そうとした時だった。


「おじさん、待って」


ジョナスが割り込みエリックを停めた。


「おじさん、もう絶対に嘘はつかないし悪い事もしないって僕とダニエルは約束したんだ。今回は赦してあげて」


エリックを恐る恐る見ながらダニエルが謝罪した。


「父さん、ごめんなさい。もう絶対にしません。ソーントンさん、ごめんなさい。おじさん達、ごめんなさい」


ダニエルは泣きじゃくりながら心の底からの謝罪を述べた。


エリックがダニエルを抱いて言った。


「馬鹿野郎、もう二度とするんじゃねえぞ」


それは、どんな馬鹿息子でも慈しむ親の情愛だった。


エリックがブラッキーを縛っているロープと目隠しを解いてブラッキーに謝罪した。


「ソーントン、済まねえ。倅の嘘でおめえにとんでもねえ仕打ちをするところだった。何て謝ったらいいのか。済まねえ、本当に済まねえ」


エリックの目に光るものがあった。


それは、不面目な男の涙だった。


エリックのその表情にブラッキーは亡父のコリンを顧みた。


放蕩息子の自分を決して見放さず厳しくも温かい愛情を降り注いでいてくれた父の面影を。


安堵したブラッキーは怒るどころかにこりと笑ってエリックの肩を叩いて言った。


「俺にもあんたの息子のように嘘をつき親を欺き過ごしてきた過去がある。そして、今日みたいに人からも信用されずにこんな目に遭ったのはあんたの息子のせいだけじゃなくて自分自身にも問題があったからだ。俺も今日を境に改心して親父やおふくろが残してくれた農地を耕して真っ当に生きていきたいと思う。今、此処にいるあんたらが許してくれるなら」


ばつが悪そうにしていた男衆どももこのブラッキーの言葉を聞いて表情が緩んだ。


「済まなかった、ブラッキー」


皆が赦しを乞うた。


「いいや、俺の方こそ悪かった」


ブラッキーも過去の自身の振るまいを詫びた。


「皆の衆、今日の事はこれからの教訓にしてわしら自身も改めるところは改める。ブラッキーとダニエルのこれからの精進を見守る事にして解散でいいかのう」


ハービーが場を取り持った。


其の後のブラッキーとダニエル。


ダニエルの虚言癖は、この日を境に出る事は無くなった。


彼は猛烈に勉強して隣接するジョージアの大学に進学し村を出て卒業後に地質学者となった。


一方、ブラッキーはコリンとサラが残してくれた農地を一から始めた。


放ったらかしにしていた荒れ放題の農地をに鋤を入れ一から耕し人が変わったように真面目に働いた。


それは、親父のコリンを彷彿させるように。


そして、村のドリスと言う娘と結婚して三人の子供に恵まれ村の男衆からの人望も厚くなった。


あの108枚の中のたった一枚の印の付いた紙片をブラッキーの両親が放蕩息子を改心させる為に引かせたのかも知れない。


ブラッキーは何時しかそう思うようになっていた。


一日の農作業を終えブラッキーは自分が育てたとうもろこし畑を見渡しながら亡き両親を思う。


親父、おふくろ、俺は元気でやってんぞ。


良いかみさんと三人の子にも恵まれ今は幸せだ。


親父、おふくろ、俺ら家族を見守っていてくれよな。


ブラッキーが亡き両親に話し掛けていたら背後で声がした。


「父ちゃん、母ちゃんが晩飯の支度が出来たから早く帰って来ておくれだってさ」


夕日に照らされたブラッキーの三人の子供達がとうもろこし畑に向かって畦道を駆けて来た。


「解った。お前ら、ちゃんと学校で勉強して来たか」


「父ちゃん、勉強勉強って父ちゃんが子供の時にはちゃんとしてたのかい?」


長男のコリンがブラッキーに尋ねた。


「いや、お前らに威張って言えたほど勉強はしてねえなあ」


ブラッキーが親父に似てきた長男の顔を見ながら笑っていった。


次男のブラッキー.Jrがブラッキーを急かした。


「父ちゃん、早く帰ろうよー。おいら腹減ったよー」


「分かった分かった、そう急かすんじゃねえって」


末っ子のサラがブラッキーに甘える。


「父ちゃん、あたいを肩車してよ」


ブラッキーが「お前は甘えん坊だなあ」とサラを肩車してやり畦道に向かって歩き出した。


爽やかな微風でとうもろこしの稲穂が靡きブラッキーと子供達をなぞっていく。


心地良い疲労感に包まれながらブラッキーと子ども達は団欒とした我が家へ歩を速めた。


幸せに包まれた家族の温もりを噛み締めながら…

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