第28話 不死鳥
「俺が案内してやれるのは、ここまでだ」
そう言って、リューリクが名残惜しそうにジリアンの手を離した。
二人の前には、分厚い石の扉がそびえ立っている。
「この向こうは『火の領域』だ。俺は行けない」
地下水路を通って、二人はひたすら西へ西へと進んだ。時に歩き、時に小舟を使い、2日という時間をかけて、ようやくここにたどり着いた。
不思議な文様が刻まれた扉の隙間からは、熱風が漏れ出ている。この扉の向こうは『
「うん。送ってくれてありがとう」
「お前の仲間もじきに到着する。すべてが終わったら、また街まで送る」
『
「じゃあ、行ってくるね」
「気をつけて」
「うん」
ジリアンが頷くと、リューリクが後ろに下がった。扉を開けばこちら側にも熱風が送られてくる。彼の身体はそれには耐えられないのだ。
もちろん、人族であるジリアンも同様だが、彼女には魔法がある。
右手を水路に向け、目を閉じて集中した。
──ズズズズズ。
右手から吸い上げた水に魔力をこめる。ジリアンの強力な魔力で存在を捻じ曲げられた水は、彼女の左手に次々と凝縮されていく。数分後、出来上がったのは小さな玉だ。莫大な量の水を凝縮したその玉を使って、水魔法を維持するのだ。
ジリアンはリューリクに手を振ってから、石の扉に手をかけた。
──ジュワッ!
掌にまとわせた水魔法の膜が一気に蒸発する。
「思っていたより、キツイわね」
それでも、行かねばならない。
ジリアンはさらに魔力を込めて、水の膜の強度を上げた。
──ギギギギギギ。
扉が開くと、吹きすさぶ熱風が彼女に襲いかかった。ジリアンはそれを物ともせずに前に進む。そして、扉を再び固く閉ざした。
「すごい。どんな魔法なのかしら」
これほどの熱を防ぐ魔法の扉。神話の時代に築かれたというその扉が、間もなく限界を迎えようとしている。だから、『
ジリアンは先へ進んだ。目的地までは一本道だ。
数時間、熱風の中をひたすら進んだ。
そしてたどり着いたのは、『
真っ赤に燃えるマグマがグツグツと沸き立っている。さらにその中心に、
「あれが、『
美しい鳥だ。
黄金色の羽毛が燃えている。その輪郭はゆらゆらと曖昧で、まるで神そのものだ。その真っ赤な瞳だけが、はっきりとジリアンを睨みつけている。
──何奴だ。
声もまた不思議な響きだった。ジリアンの耳に直接語りかけているらしい。
「ルズベリー王国からまいりました、ジリアン・マクリーンと申します」
ジリアンの返事に、『
──去れ。
ブワリとマグマが燃え上がり、ジリアンに襲いかかった。だが、そんなことに怯むジリアンではない。水の盾で、あっさりと相殺してみせた。
──人族の魔法……。何をしに、ここへ来た。
『
「あなたを、助けに来たのです」
『
数年前、寿命を迎えようとしていた『
ところが、それができなかった。
寿命を迎えた身体では空を飛ぶことも叶わず、彼は怒り狂った。そして彼の怒りに呼応したマグマが燃え盛った。それこそが、砂漠の異常気象の原因だったのだ。
『
『
そして、やって来たのだ。──ジリアンが。
(なぜ、ヴィネの眼を持つ者でなければならないのか分からなかったけれど……)
ジリアンは燃え盛るマグマを見た。
そこには、彼女のよく知っている気配がうごめいている。
(あれは、『欲望』だわ……!)
数ヶ月前、ジリアンとアレンの手で新たに築いた円環へと解放したはずの『欲望』。それが、このマグマの中で渦巻いているのだ。
(死んだ魂の『欲望』を受け止めて蓋をする場所は、『死者の国』だけではなかったんだわ)
この場所に封じられた『欲望』が、神聖な『
(……この規模なら、私一人でもやれそうね)
数ヶ月前、『死者の国』を解放するためには全てが必要だった。『死者の国』を破壊する『ソロモンの鍵』、正当な行使者であることを示す『ソロモンの指輪』、『欲望』を全て吸い出すエルフの魔法陣、新たな円環を築くための精霊の許し、そして全ての『魔力』を高次の存在に昇華させるヴィネの『
それら全てをもって、成し遂げた。
だが、今回はあのときほど難しい仕事ではない。エルフの魔法陣の術式は、ジリアンの才能をもってすれば再現できる。『欲望』を吸い出した後は、彼女の『
「もう少しだけ、ご辛抱下さい」
ジリアンは火口に向かって両手を捧げた。
その様子をみた『
魔力を練り上げる。ここに眠る『欲望』を救う。ただそれだけを願うのだ。
マグマが燃え上がった。赤く、高く。そして、そこから黒いモヤが溢れ出す。
ジリアンの眼が、それを
全てが終わるのに、それほど時間はかからなかった。
溢れ出した黒いモヤは天高く舞い上がり、そして天空に溶けていった。
──ヴィネの末裔か。
「はい」
──礼を言う。
「お役に立てて光栄です」
──……そこで見届けよ。
今度こそ、『
その神々しい姿を、ジリアンは瞬きもせずにみつめていた。
ややあって、灰の中から新たな雛が産声を上げる。
その瞬間、ジリアンの瞳から涙があふれた。ポロポロと止めどなく溢れる涙は、その命の燃焼の神々しさに感動したからではない。
思い出したのだ。
全てを燃やし尽くして消えていった、大切な人──ノア・ロイドを。
(ああ、そうか)
確かに彼は何も残さずに消えた。
だが、彼の命は、生は、思いは、灰となっても続くのだ。
(ちゃんと残っている)
ジリアンの胸の中に。
彼の笑顔も優しさも強さも。灰となっても消えはしない。
「……さようなら」
小さくつぶやいたジリアンに応えるように巻き上がった風が、彼女の頬を撫でた。
ようやく、ジリアンは大切な人を見送ることができた。やはり、涙は止まらなかった。
──泣くな。
「はい、でも、止まらなくて……」
──まったく、ヒトというのは面倒な生き物だ。
「面倒、ですか?」
──感情などというものに振り回されて、疲れるだろうに。
「ははは。そうかもしれません」
ジリアンが泣き笑いを浮かべると、『
──貴様が泣くからだ。
「え?」
意味が分からずキョトンと眼を見開くジリアンに、『
──涙の理由は、我が取り除いてやる。
「どういうことですか?」
──鈍いな、貴様。
「……すみません」
思わず謝ったジリアンに、『
──一緒にいてやると言っているのだ。
「え、それって……」
──契約だ。
『
それを見たテオバルトは声を立てて笑い、つられるようにカシロもブレンダも笑った。アレンだけは『また余計なもんが……』とは苦笑いを浮かべたのだった。
その様子を『
そして砂漠は、元の姿を取り戻した──。
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