番外編4 王様の指輪
昔々あるところに、魔法使いの王様がいました。心優しく、強い王様のことが、みんな大好きでした。
ところが、王様は自分のことが大嫌いでした。お世辞にも美しいとは言えない姿をしていたからです。ロバよりも小さな背丈、ずんぐりとした腹、だんごのような大きな鼻、鳥の巣のようなぐるぐるの茶色い髪……。王様は自分の姿が大嫌いでした。
「私はみにくい」
それが、王様の口癖でした。
やがて王様が大人になると、遠くの領地からお妃様がやってきました。美しい金髪と青い瞳を持つ、それそれは美しい女性でした。
王様はお妃様のことを愛しました。お妃様も王様を愛しました。
ところが、王様はお妃様の愛を信じることができませんでした。
「愛しています、私の王様」
と、お妃様が何度も伝えても……。
「私はみにくい。だから、愛されない」
と、頑なに信じていたのです。
そして、王様は美しいお妃様が他の男を好きになるのではないかと不安で不安で、夜も眠れなくなってしまいました。
そこで、魔法の指輪をこしらえました。
王様以外の何人も、お妃様の唇に触れることを許さない、強力な魔法がかけられた指輪です。
王様は、魔法のことは秘密にしてお妃様に指輪を渡したのでした──。
* * *
「よう」
王立図書館にて読書に励んでいたジリアンに声をかけたのは、王子のアレンだった。周囲の利用者が慌てて礼をとるが、アレンはそれを片手で制した。
「邪魔して悪い。ちょっと、ジリアン嬢に用事があって」
アレンが気障な仕草でジリアンの手をとるので、向かいの席で調べ物をしていた官僚の女性が頬を染めた。
「殿下。ご用件は?」
「来てるって聞いたから。アフタヌーンティーを一緒にどうかと思って」
図書館の司書だろう。どうやら、ジリアンが来たらアレン王子に知らせるようにと密命が下されているらしい。
(職権濫用とは、まさにこのことよね)
「わざわざご自分でいらっしゃらなくても」
「一秒でも長く君と一緒にいたいんだ」
握られたままだった手に、ぎゅっと力が入る。今度は耳元にアレンの唇が寄せられた。
「……いい加減、慣れろよ」
ぶわっと何かが背中を駆け上がってきて、ジリアンの顔が真っ赤になった。それを見て、アレンがまた笑みを深くする。
「い、行きましょう」
「ああ。借りる本は?」
「あ、これと、これを」
「持つよ」
「いえ、私が」
「いいから。行くぞ」
「はい……」
二人は仲睦まじく手を繋いだまま、王立図書館を後にした。周囲は甘い雰囲気にげんなりしつつも、紆余曲折の末に結ばれた恋人たちを見送った。誰もが、二人の幸せを願っている。
(こんなところでイチャつくのは勘弁してくれ……!)
と、心の中で叫びつつも。
さて。そんな二人を窓越しに見守る人影が、二つ。
「あいつ、いつもああなのか?」
「そのようですね。学院でもあの様子だと、チェンバース嬢が笑っていましたわ」
尋ねたのは、この国の王太子であるジェラルド王子。答えたのは、アルバーン公爵家の長女であるイライザ嬢である。
「王族の威厳も何も、あったもんじゃない」
「多くの国民が、それを微笑ましく見守っています。イメージ戦略としては、むしろ良い方向なのでは?」
「まあな」
「……ジェラルド殿下の、
この問いに、ジェラルド王子はニヤリと笑って答えた。
「ご協力に感謝しますよ、イライザ嬢」
「構いませんよ。こちらとしては、どう転んでも悪い話ではありませんでした」
「とはいえ、君を王子にフラれた令嬢にしてしまった」
「相手は『月を動かした英雄』ですよ? むしろ、世間は私に好意的ですわ。英雄の恋路を邪魔せぬように、さっと身を引いたのですから」
「それなら、いいが」
「まあ、この
イライザ嬢はため息を吐いた。ジェラルド王子が、自分の腰に手に回そうと妖しく動いたからだ。その手をピシャリと叩く。
「場所をお考えください」
「誰も来ないよ。君との秘密の逢瀬のために、どれだけの人員を割いてると思ってるんだ?」
二人がいるのは、図書館の2階。人気の少ない書架の、さらに奥にある小さな資料部屋である。廊下にも部屋の出入り口にも、王子直属の護衛騎士が配置されているので、邪魔など入りようがないのは事実だ。
「職権濫用ですわ。アレン王子のことを、とやかく言う権利はありませんよ」
「俺も、あいつのように堂々としたいものだよ」
「……それなら、私の妹にアレン王子を押し付ければよかったのに。そうしなかったのは、あなたでしょう?」
再びため息を吐いたイライザ嬢の頬に、ジェラルド王子の唇が触れた。
「そうだな。二人いる君の妹のいずれかとアレンを結婚させて、アレンにアルバーン公爵家を継がせれば、俺は君と結婚できた」
現在、アルバーン公爵家の嫡子は三人の令嬢のみ。その長子であるイライザ嬢自身が家督を継ぐか、その伴侶となる男性が暫定的な後継者となるのが通例だ。いずれにしても、イライザ嬢が他家へ嫁ぐことはできない。妹が身分の高い人物と結婚して、その男性に家督を譲るとなれば、話は変わる。
「けれど、それでは当家の傍系に付け入る隙を与えることになる。だから、私とアレン王子との結婚を考えた」
イライザ嬢の二人の妹は後妻の子で、その母はアルバーン公爵家の傍系の出身である。その実家筋は公爵家の実権を手にしようと、
「……それがまさか、全てあの二人のためだったとは、誰も思わないでしょうね」
「
肩を
「絶対にそんなことにはならないと、確信していたけどな」
これには、イライザ嬢が苦笑いを浮かべた。
「チグハグな人ね。国のために心を鬼にして自分の恋人と弟を結婚させようとしたかと思えば、それは全部弟の恋路のためだった、だなんて」
「チグハグなものか。私がしていることは、全て国のためだ。そのために、冷徹になろうとしている」
「それは失礼いたしました」
ジェラルド王子が、今度こそイライザ嬢の腰に手を回した。今度は、イライザ嬢も嫌がったりしなかった。そっと身体を傾けて、ジェラルド王子に寄り添う。
「ジリアン・マクリーン嬢は、我が国の未来のために必要不可欠な人だ。だからこそ、王室とは強い絆で結ばれる必要がある」
「そこで仕掛けるのが『恋の障害』というところが、あなたらしいわ。マルコシアス侯爵を招いたのも、あなたの差し金でしょう?」
「ジリアン嬢と同年代で同じ家格の美丈夫がいると、外交官から教えてもらってね。いやあ、あれほど上手くいくとは思わなかったな」
「ほんと、いい性格してるわ」
「想定外の事件もあったが、まあ、概ね上手くいってよかったよ。君の協力のお陰だ。感謝している」
大きな事件が起こったので、それを解決した褒美という形で二人の婚姻を認めることになった。もしあの事件がなければ、他の理由をつけて二人を結婚させる算段だったのだ。いくつかプランを準備していたが、それよりも良い形で二人が結ばれることになったことに、ジェラルド王子は満足している。
(満足はしている、が……)
ジェラルド王子が、イライザ嬢の左手をとった。その薬指を、そっと撫でる。
「俺も、堂々と君に求婚したい」
「殿下。当家の問題が全て片付いたら、というお約束ですわ」
「……そうだったな」
ため息を吐いた王子の胸元に、イライザ嬢が頬を寄せた。
「国のために、ご自分のことは後回しにすると決めたのでしょう? お気張りなさいませ」
「……うん」
「私は、いつまでもお待ちしています」
「いつまでも?」
「ええ。……信じられないなら『王様の指輪』を私に贈っていただいても、よろしくてよ?」
ジェラルド王子は、何も答えずイライザ嬢の頬に手を添えた。どちらからともなく、そっと唇を寄せ合う。
二人の間に、そんな魔法は必要ない。
* * *
「今日は何を読んでたんだ?」
アレンが尋ねると、ジリアンはニヤリと笑った。嫌な予感がして、アレンの肩がギクリと震える。
「『王様の指輪』よ」
それは、古くから伝わる童話だ。王家に伝わる、実話でもある。
「どういう結末だったかしら、と思ってね」
「そうか……」
なんとも微妙な表情を浮かべるアレンに、ジリアンは我慢できずに吹き出した。
「ふふふふ」
「笑うなよ」
「ごめんなさい」
「……やっぱり、他の指輪を贈る」
「いいわよ、これが気に入ってるの」
そう言って、ジリアンは左手の薬指にはめたピンクダイヤモンドの指輪を撫でた。
「でも、俺がジリアンのことを信じてないみたいじゃないか」
「信じてないでしょ?」
「そんなこと……!」
ないと言おうとして、アレンは口を噤んだ。
魔大陸に帰ったテオバルトから、
『ジリアンに指輪を贈りました。おや、あなたは何も聞いていませんか?』
という嫌味たっぷりの手紙を受け取ったのが今朝のこと。
さらに友人のアーロン・タッチェルからは、
『二人の婚約が成立したけど、ジリアン嬢に懸想する男が後を絶たないんだよなぁ。障害がある方が燃えるって男が多いらしい。笑えるよな?』
という笑い話にもならない話を、ついさっき聞かされた。
それで、居ても立っても居られなくなって、自ら図書館に出向いたのだ。
「私は、嬉しかったのよ」
「え?」
「この指輪にかけられてる魔法に気付いた時、私は嬉しかったの。……あなたが、私を独り占めしたいと思ってくれたってことだもの」
ジリアンが頬を染めてこんなことを言うので、アレンも真っ赤になって頷くしかなかった。
* * *
お妃様は指輪にそんな魔法がかけられていることなど知らないまま、王様に愛を伝え続けました。
朝も昼も夜も。何度も、何度も。
王様は、いつの頃からか『私はみにくい』と言わなくなっていました。代わりに、『愛しているよ、私のお妃様』と、口癖のように繰り返すようになりました。
二人の間には5人の王子と4人の王女が生まれ、幸せに暮らしました。
50年後、王様とお妃様は同じ日の同じ時間に、その生涯を穏やかに終えました。
葬儀の最後に、棺に眠るお妃様に王子の一人がキスをしようとして、淡いピンクの光に遮られてしまいました。この時初めて、王様の指輪の魔法がお妃様の唇を守ったのです。
それを知った王子と王女たちは、おかしくて嬉しくて、泣きながら笑いました。そして、笑顔で二人を見送ったのです。
お妃様は指輪に魔法がかけられたことなど生涯知ることはありませんでした。王様もそんな魔法をかけたことなど、すっかり忘れていたのでした──。
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