第12話 お願い


 ソフィーとスチュアートは順調に距離を縮めていた。


『今日は領地に来ています。りんごの花が咲きはじめましたね。その可愛らしさに、あなたのことを思い出しました』

『風に乗って、隣家からピアノの音が聞こえてきます。あなたとワルツを踊ったことを思い出して、切なくなります』

『最近、上の空でいることが増えたと妹に叱られました。そういうときは、いつもあなたを思い浮かべています』


 歯の浮くような言葉がつづられた恋文は毎日届いた。多い日には3度も届くことがあった。


「ずいぶん、まめなのね」


 これには困ったジリアンだった。受け取ってすぐに返事を書かなければ怪しまれるし、時にはディズリー伯爵家のメイドや執事が直接持参することもあったのだ。

 仕方なく、ジリアンはソフィーとして賃貸住宅で過ごす時間を増やすことになった。


「学院はよろしいのですか?」


 ソフィーの世話をしてくれるメイドのケリーに尋ねられて、ジリアンは顔をしかめた。


「全く良くないわ。このままだと留年よ」

「厳しいんですね」

「ええ。追試やレポートで単位を取得できる講義もあるけど、出席日数が足りなくて落第する講義がほとんどよ」

「どうなさるんですか?」

「……思い切って、休学しましょう」


 ジリアンは、体調不良を理由に休学することにした。


(ちょうど、良かったんだわ……)


 休学すれば、アレンにもテオバルトにも会うことはない。ジリアンとアレンの関係を知っていて、れ物を触るようにしていた友人たちに会うこともない。


(時間が必要よ)


 この仕事に没頭ぼっとうしようと、ジリアンは決意していた。ケリーは心配顔だったので、そんな彼女の内心を分かっていたのかもしれない。


 そんなソフィーの元に、今日もスチュアートから手紙が届いた。ディズリー伯爵家の執事が直接持ってきたのだが、いつもと様子が違う。


「お返事をいただいてくるように、と」


 そう言われて、ソフィーは慌てて手紙の封を切った。


『東国から取り寄せた、珍しい早咲きのバラが咲きました。花が散る前に、我が邸宅のバラ園にご招待したく』


 日時の記載がないということは、ソフィーだけを招待するということ。数日中にソフィーが訪問できる日程を確認するために、わざわざ執事を使いに出したのだ。


(動いたわね)


 スチュアートがソフィーとの関係を、また一歩進めようとしている。それは、ハワード・キーツが何かを企んでいることを意味する。


(私がジリアン・マクリーンだとは、気付かれていない)


 ここ数週間の彼の動きから、そう思って間違いないだろう。彼は、都合よく利用できる令嬢を探していたと見て間違いない。田舎から来た世間知らずのソフィー・シェリダンは、まさにうってつけだったはずだ。


「明日の午後は、いかがでしょうか?」

「けっこうでございます」


 執事に尋ねてから、返事をしたためた。



「ようこそ、ソフィー嬢」


 ディズリー伯爵邸を訪ねるのは、これで5度目だ。スチュアートの妹であるフェリシア嬢が主催するお茶会だったり、伯爵夫人が主催する夜会だったり。

 使用人たちともすっかり顔なじみ。ただし、彼らの視線は主人のスチュアートとは違って、少しばかりのとげを含んでいる。

 もちろんソフィーはそれに気付いていて、曖昧あいまいな笑みを浮かべた。


「ごきげんよう。ミスター・ディズリー」

「早速ですが、バラ園に行きましょう。お茶の準備をしてあります」

「ありがとうございます。……今日は、フェリシア嬢はいらっしゃらないんですか?」

「気を利かせて出かけてしまいました。両親も領地に。……今日は、二人きりです」

「まあ」


 照れくさそうに言ったスチュアートに、ソフィーも頬を染めた。


「さあ」


 エスコートされたのは、バラ園の中にあつらえたあずまやガゼボだった。

 その周囲には、珍しい形のバラが咲き誇っている。


「これが?」

「ええ。東国から仕入れたバラです。ムタビリス、といいます」

「お色が……」

「ええ。このバラは、咲いた後で淡いアプリコット色から濃いピンクへ移り変わるのです。ですから、こうして一株の中に色とりどりの花が咲き乱れる。華やかでしょう?」

「ええ、とっても素敵」


 しばらくバラをながめてから、二人であずまやガゼボのベンチに腰掛けた。いつもは向かい合って座るが、スチュアートは思い切って、といった様子でソフィーの隣に腰掛けた。もちろん、ソフィーも嫌な顔はしない。

 使用人たちは、紅茶の準備をしてからどこかへ行ってしまった。二人の話が聞こえない場所で待機しているのだろう。

 こうして二人きりになるのは、初めてのことだ。


「ソフィー嬢。今日は、大事な話があるんです」

「はい」


 スチュアートが、ソフィーの手を握った。


「……私と、結婚していただけませんか?」


(きた)


 ソフィーは嬉しそうに頬を染めた。次いで、悲しそうに眉を下げる。


「できませんわ、ミスター・ディズリー」

「なぜですか!?」

「私では、ディズリー伯爵家には釣り合いません」


 ソフィーの実家であるシェリダン子爵家は、片田舎に小さな領地を持っているだけの貧乏貴族だ。郊外とはいえ、首都ハンプソムにこれだけの広大な土地を所有するような伯爵家の夫人として相応しいとは言い難い。

 使用人たちは、玉の輿こしを狙ってやってきた貧乏貴族の令嬢を警戒していたのだ。

 今日、伯爵と夫人が領地に出かけたのもたまたまではないだろう。二人きりにさせようと気を利かせたわけではなく、ソフィーと会うことを拒否したのだ。


「お父様もお母様も、反対なさっているのでしょう?」


 ソフィーの瞳に涙が滲む。


「それは……!」


 ポタリと涙が落ちて、スチュアートは慌ててハンカチを取り出した。


「ソフィー嬢。私はどんな反対があっても、あなたを妻に迎えたい」

「でも……」

「では、こうしませんか?」


 スチュアートが、ポケットから何かを取り出した。コロンと音を立てて、テーブルに置かれたそれは。


(『黒い魔法石リトゥリートゥス』!?)


「父と母に、あなたが伯爵夫人の役割を果たせると証明するのです」


(落ち着け!)


 焦りを悟られぬよう、ジリアンは心の中で何度も唱えた。


「これは?」

「人の未来を変える、夢の宝石です」

「『魔石炭コール』ですか?」

「いいえ。これは魔大陸で採掘される宝石で、魔法石の一種です」

「では、人の魔力を強化するんですね?」


 ソフィーも貴族の端くれ。『火をおこす程度の魔法は使える』という設定になっているので、これくらいは知っていてもおかしくはない。


「それだけではありません。魔力を持たない人でも、魔法を使えるようになります」


(嘘だ。この石に、そんな力はない)


 既に魔大陸の外交官から情報収集してある。この石は、魔力を持っている者にしか作用しない。


「私達はこれを普及させようとしているのですが、それを邪魔する人たちがいるんです」


 私達、つまり貴族派のことだ。ということは。


「いわゆる、国王派と呼ばれる人たちです。『魔石炭コール』によって得た権益けんえきを守るために、この宝石の活用を邪魔してくるのです」

「それは、いけませんわ」


 ソフィーが同調すると、スチュアートがニコリと笑った。


「ええ。王国の発展のためにも、この宝石を普及させなければなりません。あなたには、そのお手伝いをお願いしたいのです」

「そうすれば、お父様とお母様に認めていただけるでしょうか?」

「もちろんです。誰にでもできる仕事ではありませんから」


 少し考えてから、ソフィーは頷いた。


「私、やりますわ」

「ありがとう。ソフィー」


 そう言って、スチュアートはソフィーを優しく抱きしめた。


(完璧だわ)


 ジリアンは、思わずうなった。

 ここまでの彼の手腕は、見事なものだ。プレイボーイのように甘い言葉で籠絡ろうらくするわけでなく、紳士的な態度でソフィーを口説いて信頼を得た。これで、ソフィー・シェリダンが彼の言うことに疑問を抱くことはなくなる。

 同じように、ソフィーも完璧な立ち位置を手に入れた。彼と結婚したいという一心で彼に尽くす、健気な少女という立場だ。


(この毒牙どくがにかかったのが、私で良かった)


 他の令嬢であれば、不幸な末路を辿ることは目に見えているのだから。



 こうして、ハワード・キーツの悪事に加担することになったソフィーは、最初の仕事を任された。

 『黒い魔法石リトゥリートゥスの鉱山を所有する、テオバルト・マルコシアス侯爵と仲良くなる』という仕事だ。ソフィーはスチュアート以外の男性と親しくなることを嫌がりながらも、この仕事を引き受けた。

 『私達の結婚のためだよ』とスチュアートが甘い声で言ったから。


 そして、ある舞踏会でテオバルトと初めて接触することになった。あらかじめ仕込んでおいた貴族派の紳士が、ソフィーをテオバルトに紹介する。


「私と踊っていただけますか?」


 彼は教本通りにソフィーをダンスに誘う。これも、予定通りだ。


「はい」


 二人で手を取り合って、フロアの中央へ。そして音楽に乗せて踊り始めると、テオバルトの肩が揺れ始めた。


「くくくくっ……!」


 彼の喉からは、我慢できなかった笑い声が漏れてくる。


「どうされましたか?」

「おかしくて」

「おかしい?」


「……こんなところで何をしているんですか? ……


 翡翠の瞳が、ソフィーの瞳を──ジリアンの瞳を覗き込んでいた。

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