第11話 誕生日
「おめでとう、ジリアン」
「ありがとうございます。お父様」
今日は、ジリアンの19歳の誕生日だ。ソフィー・シェリダン子爵令嬢として貴族派に潜入している最中で多忙のため、大々的なパーティーは開催できなかった。それでも、誕生日当日の父娘二人での晩餐会は例年通りに行われた。
「これは初めてのメニューだな」
「ええ。このソース、とってもコクがあって美味しいですね」
侯爵家の使用人たちは、この日の晩餐が一年で最も重要だと考えている。どんな
シェフはこの日のために新しいメニューを考案し、執事が選びぬいたワインが振る舞われる。庭師はこの日のために育てたバラを切り、メイドたちは食堂を豪華に飾った。
何よりも、主役であるジリアンを完璧に磨き上げた。
侯爵からの贈り物であるドレスの製作は、
宝飾品は、彼女の友人であるアレンから贈られたものだ。それだけが気に入らない侯爵だったが、大切な贈り物を身に着けたいと思う彼女の思いを無下にすることはしない。
「それで? 今年は何をプレゼントすればいいかな?」
これも、毎年のことだ。
ジリアンが侯爵にお願い事をして、それを侯爵が叶える。昨年は、夜が明けるまでポーカーを楽しんだ。
「では……」
ジリアンは侯爵の手を引いて応接室に入った。そこには、一人の青年がいた。
「こちらに立ってください」
ニコニコと笑顔のジリアンに、侯爵が抵抗することはもちろんない。言われた通りの位置に立った。その隣には椅子があって、ジリアンがそこに腰掛ける。
「侯爵様、お嬢様の肩に手を。そうです! 素晴らしい!」
青年が大仰な声を上げる頃には、侯爵は今年のお願い事を理解した。彼の前には真っ白なキャンバスが置かれているから。
「肖像画か」
「はい。最後に二人で描いてもらったのは、もう5年も前でしょう?」
侯爵は肖像画が苦手だ。数時間じっとしているのは性に合わないし、そもそも自分の姿を絵画として残すことに意味があるとは思えない。
「お父様、ほんの少しだけ我慢してください。今日は、すぐに終わりますから」
その時になって、侯爵は青年が手のひら大の四角い木枠を持っていることに気付いた。本来であれば、デッサン用の木炭を握っているはずなのに。
木枠には不思議な色の薄い膜が張られていて、魔法がかけられていると侯爵にはすぐにわかった。
「では、笑ってくださいね。さん、に、いち!」
──ポン。
「終わりです。さあ、こちらへ」
ジリアンは嬉しそうにキャンバスを覗き込んだ。侯爵もそれに続く。
キャンバスには、二人の姿が鮮やかに写し出されていた。
「ほう。これは、どんな魔法なんだ?」
「木枠から覗き見た風景を、そのまま写す魔法です」
胸を張ったジリアンに侯爵が微笑む。いつもは他人のことばかり思って魔法を考案するジリアンだが、自身の誕生日だけは特別だ。彼女は、自分の願いのために魔法を生み出す。侯爵は、それが嬉しいのだ。
「これを見ながら肖像画を描いてもらいます。いい考えでしょう?」
「そうだな。これは楽でいい」
「ね? そうそう。私の腰をほんの少し細く描くのを忘れないでくださいね?」
ジリアンのお願いに、青年が頷いた。
「承知しました。侯爵様の表情はどうなさいますが? 少し固いようですが」
「確かに」
改めてキャンバスを見たジリアンが
「……いいです。このまま描いてください。この方が、お父様らしいです」
「承知いたしました」
こうして、ジリアンは19歳になった。
その夜、ジリアンは眠れずにいた。間もなく0時だ。
(誕生日、終わっちゃう……)
ゴロリと寝返りをうつ。サイドテーブルには、先程まで身に付けていたサファイヤのネックレスが置いてあって、月の光に照らされてキラリと光った。
去年、アレンが贈ってくれた誕生日プレゼントだ。誕生日当日の午後にプレゼントを渡すためだけに訪ねてきてくれた。それが嬉しかったことを、よく覚えている。
(婚約者がいるんだもの。私にプレゼントを贈るわけにいかないわよね)
当たり前のことだ。けれど、それを寂しいと感じてしまうこともまた、当然で。
(プレゼントなんかいらないから)
せめて手紙でもいいから。今日だけは自分のことを、思ってもらいたい。
ジリアンはそう思った。
(ダメよね。……大人になったんだもの、私達)
今までのようには、いられない。
──コツン。
バルコニーで小さな音がした。同時に人の気配がする。
「誰?」
そろりとベッドから起き出してバルコニーを覗き見たが、そこには既に人の気配はなかった。
「アレン……?」
窓を開け、期待を込めて呼んでみても誰も答えてくれない。
(馬鹿みたい)
来てくれるはずなどないのに。
ジリアンは、バルコニーに出て思わずしゃがみこんだ。滲んだ涙がこぼれてしまわないように、ギュッと膝を抱え込む。
その時、気がついた。
小さな宝石箱が、置かれていることに。
精緻な細工が施された、銀製の宝石箱だ。そっとフタを開けると、ビロードの台座の中央に、それがあった。
「指輪?」
綺麗な指輪だった。
ダイヤモンドがリングの全周に途切れることなくはめ込まれている、エタニティリング。月明かりに照らしてみると、全ての石が淡いピンク色に輝いていることがわかった。
「アレン……」
もう一度呼んだが、返事はなかった。
宝石箱の中には『誕生日おめでとう』とだけ書かれた、小さなカード。
見慣れた筆跡に、今度こそ涙がこぼれた。
「アレンの誕生日には、何を贈ろうかしら」
彼の誕生日は、約1ヶ月後だ。ジリアンも、手紙だけを添えてプレゼントを贈ろうと決意した。
そして翌日から、ジリアンはこのリングを肌身離さず身につけるようになった。長めのチェーンに通して首にかけ、隠蔽魔法をかけて胸元に忍ばせる。
ソフィー・シェリダンとジリアン・マクリーンを行ったり来たりする多忙な生活の中でも、胸元にそのリングがあると思えば、不思議と元気が出たのだった。
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