第2章 勤労令嬢と魔法学院
第14話 入学式の朝
「お嬢様! お嬢様!」
オリヴィアの声が聞こえて、ジリアンは薄く目を開いた。
「お時間です!」
のろのろと枕元の時計に目をやると、いつもの起床時刻よりも早いことがわかった。
「まだ早いわよ、オリヴィア。あと10分寝かせて……」
「いけません!」
「でも……」
「どうせ、夜更かしなさったんでしょう」
「だって、
「そんな言い訳は通用しません!」
「お願いよ、あと5分……」
「いけません! 本日は入学式ですよ! お支度には時間がかかります」
「どうして?」
「お嬢様が、誰よりも美しいということを! 世間に知らしめなければ!」
「……はあ」
「さあ、起きてください!」
こうなっては、誰もオリヴィアを止めることはできない。仕方がないので、ジリアンはベッドから起き上がった。上掛けは、すでにオリヴィアの手によって取り払われている。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、オリヴィア」
紅茶の香りに包まれながら、オリヴィアがニコリと微笑んで。ジリアンも笑顔で応える。
こんな風に朝を迎えるようになって、9年という月日が流れていた。
『これから、どのように暮らしたい? 君の望む通りにしよう』
ジリアンは悩んだ。相変わらず仕事はしたい。けれど、『当たり前の子供時代を過ごしてもらいたい』と言ってくれた侯爵の言葉も
そこで、ジリアンが出した結論には侯爵も納得してくれた。
『私は領地のお屋敷で暮らします。できるかわからないけど、子どもみたいに遊んだり勉強したりします。お父様と離れるのは寂しいけど、その方がいいと思う』
それに、離れていても不安になることはない。ジリアンはそれを知っていた。
『たまには帰って来てくださいね』
そう言ったジリアンのために、侯爵は多忙な業務の合間をぬって3ヶ月に1度は領地に戻って来てくれたのだった。
相変わらず仕事をすることには渋い顔をする侯爵だったが、結局はジリアンの好きにさせてくれた。ジリアンも無理に仕事をするのではなく、むしろ使用人たちの仕事の負担を減らすための工夫を考える方に重きを置いた。
これには使用人たちも大喜びだった。
『お嬢様のおかげで、我々の仕事は半分よりもずっと少なくなりました。余裕ができて屋敷の雰囲気は良くなるし、空いた時間でより良いお屋敷にするための努力ができる。いいことづくしです』
と語ったのは執事のトレヴァーだった。
ジリアンは侯爵の願い通りに健やかに成長した。屋敷の使用人たちを家族と呼び、信頼を寄せるようになった。そうして、少しずつ子どもらしさを取り戻していったのだ。
そして、つい2週間前。ジリアンは、再び
王立魔法学院に通うためだ。
「学校に行くだけなのに、ちょっと仰々しいんじゃない?」
タウンハウスの玄関は、屋敷中の使用人が集まったのではないかと思うほど賑やかだった。玄関の外には、新調したばかりの馬車と選りすぐられた2頭の白馬が待っている。
「何をおっしゃいますか。お嬢様の門出でございますよ」
トレヴァーは、ハンカチで目元を
「門出、ね。まあ、そうかしら?」
首を傾げるジリアンに、使用人たちが次々と声をかけてくれた。
「ハンカチはお持ちになりましたか?」
「その制服、よくお似合いです」
「ああ、こんなに立派になられて!」
「あんなに小さかったのに!」
「夕飯は、お嬢様の好物を準備しておきますね」
最後に声をかけてくれたのは、マクリーン侯爵だった。
「私も後で行く」
午後の入学式には侯爵も
「ノアから、決して離れないように」
「離れたくても、離れられないじゃないですか」
ノア・ロイドは、ジリアンの騎士だ。片時もジリアンのそばを離れないので、眠っていないのではないかと心配したこともあった程だ。今も、ジリアンの隣に控えている。高位貴族は護衛騎士を同行させることが許されているので、このまま一緒に学校へ行く。
「それから、男子生徒に話しかけられても無視するように」
「それは、失礼ではありませんか?」
「失礼でも構わない。君はマクリーン侯爵家の後継者だ。失礼だと君を
(それは、その通りだけど)
クリフォード・マクリーン侯爵は言わずと知れた戦争の英雄だ。同時に、新時代を
「そういう問題ではありません」
「ダメだ」
「どうしてですか」
「君が微笑みかけて、男の方が勘違いしたらどうする」
「勘違い?」
これには、首を傾げるジリアンだった。
「いったい、何を勘違いするんですか?」
「……ノア」
「心得ております」
すかさず、ノアが応えた。
「お父様、私にもわかるように説明してください」
「無視ができないなら、目を合わせるな。微笑みかけるな。わかったな」
「……はい」
とりあえず、はいと答えるしかない。侯爵の瞳には、それほどの圧があった。
「……楽しんできなさい」
侯爵は一つ息を吐いてから、ジリアンをじっと見つめた。
ジリアンも、見つめ返す。
久しぶりに侯爵と一緒に過ごせるので、学校になんか行きたくないというのがジリアンの本音だった。
しかし、王立魔法学院への入学は半ば強制でもあり、侯爵家の体面のために必要なことでもあった。
(楽しむ、か)
それは、どだい無理な話のような気もする。しかし、侯爵の気持ちもわかる。
(せっかくなら、楽しまなくちゃね)
ジリアンは17歳。今年社交界にデビューするとはいえ、まだまだ子どもなのだから。
「いってきます」
侯爵と使用人たちに手を振る。自然と笑顔になった。
「いってらっしゃいませ!」
(確かに、門出ね)
これから新しい場所へ行くのだ。学校という、行ったことのない未知の場所へ。もしかしたら、辛いことや苦しいことがあるのかもしれない。それでも、ジリアンの帰りを待っていてくれる家族がいると思えば、どんな辛いことも乗り越えられるだろう。
これは、そのための儀式だ。
(うーん。でも、毎朝はやめてもらうように言わなくちゃ)
この見送りが毎朝の恒例になってしまうことを想像して、ジリアンは心の中で笑ったのだった。
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