第6話 何もさせてくれない大人たち


「お手紙ですね、お嬢様」


 ロイド氏が指差す方を見ると、開かれた窓から何かが飛び込んでくるのが見えた。

 真っ白な封筒に、赤い封蝋ふうろうが押された手紙。三日にあげず届くので、すっかり見慣れてしまったそれ。

 ジリアンが手のひらを差し出すと、封筒はふわりとそこへ着地した。

 手紙を目的の人に向けて魔法だ。


「旦那様からですか?」

「はい」


 封筒の表にはジリアンの名前、裏にはマクリーン侯爵の名前。流麗りゅうれいな文字でつづられたそれは、侯爵の直筆だとロイド氏に教えてもらった。

 代筆ではなく、侯爵が自らが書いた手紙ということだ。


『養子縁組の手続きが終わった。魔法使用者登記レジストレーションも済んだので、魔法を使っても構わない。健康を大事に』


 短い手紙だ。

 おまけのように付け足される最後の一言が、ジリアンには不思議だった。


(まるで私のことを心配しているみたい。そんなはず、ないのにね)


「お返事を書きましょうか」


 ロイド氏に促されて、書斎に向かう。ジリアンのために用意された書斎には、彼女の背丈にピッタリの椅子と机が準備されている。

 オリヴィアが上質な便箋を用意してくれたので、さっそく返事を書き始めた。


『お手紙ありがとうございます。手続きありがとうございました。私は、お屋敷のみなさまのおかげで元気です』


 そこまで書いて、ジリアンは頭を抱えてしまった。


「どうされましたか?」

「……これ以上、書くことがありません」


 用件だけでは、あまりにも短い。失礼にあたるだろう。かといって、何を書けばよいのか分からないのだ。をしていないジリアンには、報告することも相談すべきこともないのだから。


「なんでもいいんですよ?」

「なんでも?」

「ええ。読まれた本の内容とか、お散歩で見た花が美しかったこととか」

「どうでもいいことばっかり書いたら、わずらわしくありませんか?」

「そんなことはありませんよ」

「はい……」


 結局、ジリアンは用件のみを綴った手紙に『お身体を大事になさってください』とだけ付け足して封筒に入れた。その様子を見ていたオリヴィアも、何か言いたげではあったが結局何も言わなかった。

 青いシーリングワックスを垂らし、印璽シーリングスタンプで刻印する。印璽シーリングスタンプは、何代か前の侯爵夫人のものを使わせてもらっている。侯爵のそれとよく似たデザインだ。恐れ多いと断ったが、差出人を証明するために必要だと言われてしまっては仕方がない。


「では、お送りしますね」


 ロイド氏が窓を開け放つ。


「クリフォード・マクリーン侯爵閣下へ」


 その言葉に応えるように、手紙がふわりと浮いて窓の外へ飛んでいった。

 このまま首都ハンプソムのタウンハウスまで、空を飛んでいくらしい。


「……それは、私でもできますか?」

「手紙を送る魔法ですか?」

「はい」

「必要ありませんよ?」

「え?」

「私がいたしますから、お嬢様の手を煩わせるまでもありません」


 にこりと笑ったロイド氏に、ジリアンは曖昧に笑うことしかできなかった。

 周囲の大人たちは、いつもなのだ。





 ──ジリアンが侯爵の屋敷で暮らすようになって、すでに1ヶ月が経とうとしている。


 はじめの数日は眠って食べてを繰り返すだけだった。それほど、ジリアンは疲れていたのだ。医師の診断では栄養も足りていなかったらしく、とにかく滋養じようのつくものをたくさん食べさせてもらった。おかげで細くて骨張っていた腕が、わずかに丸みを持ち始めている。


 数日前からは、午前には家庭教師がつくようになった。貴族としての教養を身につけるように、と。

 午後には特にすることがなくなってしまうので、オリヴィアやロイド氏が尋ねてくれる。


「何か、やりたいことはございますか?」


 と。

 けれど、ジリアンには『やりたいこと』が分からなかった。仕事以外のことに時間を使ったことがないから。


「……ありません」


 毎回そう答えるジリアンを誰も叱ったりはしなかったが、ほんの少し悲しそうな顔をさせるのが辛かった。

 『やりたいこと』が分からないジリアンのために、周囲の大人たちはいろいろなものを準備してくれた。外へピクニックに連れて行ってくれたこともあるし、街へ買い物に出たこともある。


 どれも楽しい。

 けれど、ジリアンは不安を消すことができなかった。


(私は何の役にも立っていない。このままじゃ、追い出される!)


 ジリアンは、なんとかして仕事をさせてもらおうと必死になった。


「働かせてください」

「その必要はございませんよ」


 大人たちは、ジリアンの懇願こんがんを笑顔でかわすだけ。ジリアンにはのだ。

 水汲みも、湯沸かしも、薪割りも、掃除も、ジリアンが魔法を使えばあっという間に済ませることができるのに。



「魔法は、貴族の特権です」


 ある日、ロイド氏が教えてくれた。


「貴族は魔法を武力として行使し、領民や国民を守るのです。人の手でできることに、魔法を使ったりはしません」


 ジリアンには納得できなかった。

 けれど、そういうものだと言われてしまえば、それ以上反論することはできなかった。





「今日は、図書室で本を読みましょう」


 手紙の返事を書いてしまえば、今日もすることがない。そんなジリアンが案内されたのは、無数の本棚で埋め尽くされた部屋だった。


「これが、図書室ですか?」

「男爵様のお屋敷には、ありませんでしたか?」

「はい。こんなにたくさんの本を見たのは、初めてです」

「それはそうでしょう! ここは、国内でも一二を争う蔵書量ですぞ!」


 驚くジリアンに声をかけてくれたのは、白髪の男性だった。老人と呼んでも差し支えないだろう。


「この図書室の司書を務めております」

「よろしくお願いします」


 差し出された手を握り返すと、白髪の老人はにこりと笑った。


「さて。本日はどのような本をご所望ですか?」

「……」


 問われても返事ができないジリアンに、老人も怒ったりはしなかった。


「……では、こちらはどうですか?」


 老人は本棚から取り出した一冊の本を、書見台に広げてくれた。促されてパラパラとめくると、挿絵が入った子供向けの物語だとわかった。




「『クェンティンの冒険』……?」

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