サンパチマイクにしか縋れない

@asunaro-w

第1話

「オレさぁ、就活すんだよね」

「は?」


「済んだ」よね、なのか「するんだ」よねのら抜き言葉なのか、瞬間的に判断できなかった。返す刀で文字を発声した俺の顔が相当間抜けだったのか、目の前の「相方らしきもの」は笑った。嗤ったのだろうか。まぁ、どっちでも良いけど。


「だからぁ、就活するの。就活」

「しゅ、うかつってなに?え?……あぁ、他の事務所のオーディション受けるとかそういう?いいぜ。まだ養成所の本エントリーまで時間あるしさ」

「お前お笑い好きすぎでしょ。他事務所?違ぇって、一般企業だよ。俺はこのギャンブルから降りるよ」


人生全部ベットしてリターンの可能性低すぎるからな。

今まで見たどんな笑顔より清々しい笑顔で俺の相方らしきものは独房くらいコンクリートベタ打ちの壁で囲まれたお笑い学校から去っていった。よってこのお笑い無期懲役養成学校に残されたのは俺だけ。


「お笑い好きすぎだろ」 ?好きで何が悪いんだよ。お笑い好きじゃなきゃこんな場所に来ねえし、クレーマーのコース料理みたいなコンビニ夜勤バイトに精出したりなんかしない。東京の空気は生まれ故郷遠野の空気の何倍とか言うのも面白くねえほど汚くて喘息になった気がするけど構ってられっかよ。寿命と引き換えに面白くなれんなら、人笑かせられんなら寿命くらい持ってけドロボー。嗚呼クソ、お前のツッコミ好きだったよ畜生が。


と、ここまでが傍目どころかどっからどう見ても真っ当な道を歩み始めた相方に捨てられた男「和倉わくら 静玖しずく」こと「俺」の恨み言である。笑いたきゃ笑え。笑われるより笑わせる方が好きだが、その時はそれが嘲りでもなんでもいいから、とにかく「笑い」に飢えていた。


恨み言を言っても、相方が居なくなっても、一年しかモラトリアムのないこの養成所に救済措置とかアフターケアとか、そういうのを期待するのはお門違いで。あれよあれよという間に俺はピン芸人『わくら』として養成所の大ライブと銘打たれた卒業ライブに出ることになってしまった。芸名とも呼べない芸名の由来は、大ライブにピンで出るのをちんたら渋っていた俺を見かねた学校側に


「もうお前これでいけ」


と授業で下げていた名札に、俺がネームペンで「わくら」と殴り書きしていたからというだけ。つまんな。

つまらない芸名で、望まないピン芸で出た大ライブの結果は6位。そこそこ良い成績であると言えば言えるが、注目されるわけでもない、そんな一番面白くない結果。芸名もつまんなきゃ結果もつまんねえのかよとやさぐれた俺の心は更にやさぐれたが、アフターケアのつもりかなんなのか、大ライブを見に来ていた作家数名には


「和倉、ピンでもイケるんじゃないか?」


と肩を叩かれた。戦力外通告じゃないだけマシだし、喜んでおけばいい話なのだが、完全にヘソを曲げていた俺には、「お前にコンビは向いてないよ」と言われている気がして少し落ち込んだ。今考えれば本当に考えすぎである。物事を斜め60°くらいで見ていた。……今のナシ。スベッてる。

中学2年生くらいひねくれてしまった俺が芸人を目指した理由は人に話したくないくらいには面白くない。田舎で放送されていた唯一のお笑い番組が面白かったから、そんだけ。しかし、その番組がレギュラー放送を終了し、四半期に一回のスペシャル番組となった今、動画サイトでかつて俺が目を輝かせて見つめていた芸人たちが「あの番組のあれが気に食わなかった」「なんでネタにテロップつけんの?」とか半笑いで話していてちょっと悲しくなった。ちょっとだ、本当にちょっと。

閑話休題。養成所を6位で卒業した俺は、渋谷センター街の僻地みたいな劇場で、納得いかないピン芸を引っさげてランキングシステムの最下層に組み込まれた。ランキングシステムとは良く言ったもので、下層になればなるほどフリーターと芸人の境目が分からなくなる。トップの芸人たちは渋谷お笑いビル、と勝手に俺が呼んでいる劇場が入ったビルの良さげなところに宣材写真やらアイドルもびっくりなくらい綺麗に撮ってもらった写真を飾って貰えるのだが、最下層になるとライブに出るというのに、劇場の前に出席番号簿のようにコンビ名やら芸名やらがA4の紙に印刷されて終わり。しかも、あまりにも下層の人間が多すぎるので月に3回ライブに出られれば御の字という鬼畜仕様。一度、大雨の日に劇場前に貼られたA4が道に落ちて、しっかり俺の名前だけが滲んでいた時は心が折れるかと思った。折れなかったけど。そんな具合であるから、心が折れてないだけで別にピンとしてのやる気もない俺は、ランキングの最下層を賑やかす土台としてバイト8割、芸人2割くらいで過ごした。これが俺だけなら、危機感も感じるのであろうが、賑やかしの土台なんて皆こんな感じだったので、危機感も感じず、曲げたヘソを直すでもなく、お笑いの神様がいるとしたら信じられないくらいの勢いで泣かれそうな生活を送っていた。


この生活が丁度2年になろうかという時、フリップを忘れたからという理由で劇場に行くと、大ライブで俺にピンで行けると声を掛けてきた作家の1人に捕まった。


「おい、和倉。暇かお前」

「あ~……暇ッス」

「なら丁度ええわ。今から杉並行け」

「え!?なんでまた」

「大学お笑いのMCやれや。今日はちくわばたけに頼むつもりやってんけどテレビ仕事入ってキャンセルや」

「え~……」


大学お笑いのMC。しかも最近大阪から鳴り物入りでやってきた、ふざけたコンビ名のくせに出待ち人気も高いコンビの代打。やる気が出ない。


「ギャラ出るで。お前がいつも出とるライブ5回分や」

「……じゃあ出ますけど……それ、ちくわばたけに換算したらライブ何回分なんすか」

「うーん、0.5回分かな」


盛ってるかもしれないが泣けてきた。聞かなきゃ良かった。


しかし、金のためにも出るしかない。MCのスキルなどないが、台本はあるらしいし。


乗り換え一回挟んで30分。電車代は作家にたかった。たどり着いた杉並の会館には青春ど真ん中みたいな学生が溢れていた。年代的には一緒だし、なんなら年上の奴も居るはずだが、なんかきらきら若く見える。間違っても誤字した箇所を修正テープで直したフリップ抱えてくる場所ではなさそうだった。


(場違い、俺)


スタッフから大体の流れを説明されて、手持ち無沙汰になった時間で喫煙所に籠り、永遠にそんなことを考えていた。目の前にいる銀髪マッシュのバージニア男が一生その場から動かないのも窮屈さを演出していて本当に嫌だったが、ここでまたよれよれのフリップを抱えて喫煙所を出るのも悔しくて、一生どころか二生くらい喫煙所に居た。



「ここにお前らの青春がある!存分に暴れろ!今年もお笑いサークル団体戦、HANABI開幕です!」


何言ってんだ俺?と思いつつ台本通りセリフを読んで場を回していく。時折起こる笑いや、学生たちをイジった時に言われる「そりゃねえっすよ兄さ~ん!」に芸人としての自尊心を満たしてもらいつつ時間は進む。有象無象のインパクト重視、覚えてもらえること二の次みたいなコンビ名を呼んでいって遂にこの日最終組。


「え~最後は……『カツ抜きのカツ丼』!半年前結成、フレッシュですね!ではどうぞ!」


東京お笑いのカリスマコンビたちのパチモンみたいなコンビ名の後からすれば、お吸い物くらいあっさりしたコンビ名。出てきたのは


「えーどうも、『カツ抜きのカツ丼』略して『カツ丼』です」

「ほらぁこうなるからコンビ名別のにしようって言っただろ……どうも、丼物ということだけでも覚えて帰ってください、よろしくお願いしまーす」


銀髪マッシュバージニア男と、全人類の平均顔みたいな奴だった。しかも、銀髪マッシュがツッコミ。


(お前、ツッコミだったのかよ)


舞台袖から先程の苦めな気持ちが蘇りつつ、丼物コンビを見ていた。見てしまった。

約3分のネタ時間、俺は一瞬たりとも銀髪から目が離せなかった。俺が求めていたツッコミがそこにいた。欲しいワードを欲しい時にくれる。ネタの強弱が絶妙。客の笑いの量で言葉のタイミングを変える。サンパチマイクの前から一歩も動かない。俺がやりたい漫才の全てだった。


(畜生、畜生)


隣の奴が、地に足のついた幽霊にしか見えない。輪郭さえもぼやけて、消してしまいたくなる。なんで、俺があのマイクの前にいないんだよ。クソが。



その後の仕事の出来は覚えていない。苦情がないところを見れば多分こなすことはした。しかし、俺の頭の中にはあの銀髪の一挙手一投足しか残っていない。


「……解散しねーかな、アイツ」


帰り道、とんでもない呪詛を吐いて蹴りあげた小石が、電柱にぶつかって跳ね返り、俺の足元に力なく転がり、使い古されたスニーカーの爪先にぶつかった。人を呪わばなんとやら……な気もしたが、どうでも良かった。興奮の手汗でよれたフリップを抱え直すことの方が、焼き切れそうな脳の、最後、何かの糸を繋ぎ止めるには重要だった。

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