第2話 新たな犠牲
ここはナタリア帝国、世界6大陸のうち一つ。
国でひときわ栄える都にそびえ立つ帝国一のシンボル、ナタリア城。
要塞としての役目を果たす頑丈な砦で守られたその中には、王族が住まう王宮や、政治を執り行う役人達、そして国を護る屈強な騎士団など、国の主要機関が集まっている。
繊細優美な造りの宮殿は、ガーデナーによって管理された幾何学式庭園に囲まれており、城の至るところには王族に継承される鷹の紋章が彫られている。
城の目の前には、馬車が十数台並んでも充分な広さの大通りが広がっている。
城下町へと続くこの道は、白い煉瓦が敷き詰められており見た目も美しい。
大通りを下っていくと、貴族の邸宅エリアが広がる。
縦に区切られた土地に並ぶ、階数のあるタウンハウス。
屋敷はどれも似たような形をしているが、門から庭園までの造りはその家を象徴しているようだ。
邸宅エリアの中心にある噴水広場では、時折貴族のペットであろう毛並みの良い大型犬が、メイドに連れられて優雅に散歩を嗜んでいる。
邸宅エリアを下ると、貴族達の手がける商会が並ぶ。
ここでは薬や紅茶や衣服など、ブランド品のショッピングを楽しめる。
ブランド品とはいえ、最近では広い客層がターゲットとされており、庶民が手を出せる価格帯の物も用意されている。
さらに下ると庶民が経営する商店が軒を連ね、朝早い時間から威勢の良い声が飛び交っている。
焼きたてのパンや季節の菓子、芳醇なブドウ酒に合う加工肉などが売られており、下町でしか味わえない料理を堪能できる。
港では、毎日市場が開かれており露店や屋台が道いっぱいに並んでいる。
その日獲れたばかりの新鮮な魚やもぎたての果実、異国の服やアクセサリーなど多くの商品が販売されており、見ているだけでも楽しくなれる。
また、見慣れない楽器を使って即興の音楽を奏でる一行や旅芸人なども集まって、港はいつもナタリア帝国随一のにぎわいを見せている。
ナタリア帝国の気候は一年を通して暖かく、港の近い王都では、柔らかな潮風が人や建物の間を吹き抜けていく。
そして、王都中に植えられた色とりどりの花や低木が、人々の心を和ませる。
人も多く金も良く回り、彩り豊かな国がここ、ナタリア帝国だ。
王都を出れば、土地を持つ貴族達が管理する領地が広がる。
領地には多くの民が暮らし、農作物や家畜の生産・加工・販売に精を出している。
民が暮らしやすいよう領地を護り管理するのが、貴族の領主としての役目でもある。
また、ナタリア帝国の豊かな自然は国によって保護されており、たとえ貴族の領地であっても国の承諾なしに、木の伐採や水辺の拡大工事など自然を荒らすことはできない。事前に申請が必要なのだ。
ナタリア帝国が異国からも人気のある理由は、こうした“国の徹底した管理”だとも言われている。
***
「今日は一段と人が集中してるわね」
もぎたての果実が数種類、溢れんばかりに入った紙袋を抱えてマイラ・ハリソンがぽそりと呟く。
今日はナタリア祭。一年に数回開催されるこの祭は、王族の生誕を祝うものだ。
本日の主役は10歳になる国王殿下。
今頃城内では、盛大な式典が催されていることだろう。
その間城下では、謎の木の実をぶつけ合う大会や、男たちの力自慢・酒豪自慢、旅芸人による愉快なショーが催され、港を中心により一層の活気を見せている。
そんな港の中心で、この場に似つかわしくないドレスをまとい、サファイアのような青い瞳を細めてじぃっと辺りを見渡す彼女。
マイラ・ハリソンは、5年前に愛する夫を亡くした侯爵未亡人だ。
亡き夫との間に生まれた幼い息子を育てながら、女侯爵としての仕事もこなす。
18歳で侯爵夫人となったマイラはもうすぐ24歳を迎える。
まるで陶器のような肌を持ち、きゅっと引き締まったウエストはいかにも女性的で、丁寧に磨かれた指の先端まで品位を感じられる。
そんな彼女が、酒や果汁や大声飛び交う中を、プラチナブロンドの長い髪をなびかせながら高いヒールで人混みを縫う。
「マイラ、こっちだ」
落ち着いた声で、一人の美男子がマイラ・ハリソンを呼び止める。
健康的な褐色肌に黄金色の瞳を持ち、少し癖のある焦げ茶色のセミロングの髪がよく似合う。すらっと高い身長で引き締まった体格の彼もまた、パンや魚、果実酒などが大量に入った紙袋を抱えていた。
「アーサー、目当ての物はすべて購入できた?」
アーサーと呼ばれた彼は、マイラの問いかけにこくんと頷く。
「そう、ありがとう。予想はしていたけれど、さすがに人が多いわね。今日はこのあとガレリア先生がいらっしゃる予定なの。急ぎましょう」
アーサーは、マイラが持つ荷物をさり気なく手に取りながら、こくんと頷いた。
「家庭教師の先生はもうお帰りになられたかしら? 帰ったらこの果実で、アルジャーノンの大好きな果実水を作ってあげようと思うの。甘いシロップをたくさん入れて。きっと喜ぶわね」
「俺も手伝う」
愛しい我が子の笑顔を浮かべ、優しく微笑むママ、マイラ。
そんなマイラを見つめ、優しく微笑むアーサー。
二人は賑わう港通りを抜け、城へ続く白煉瓦の大通りに出る。
大通りの中央には、等間隔に植えられた街路樹によって日陰が作られており気持ちが良い。
頬を撫でる風は、優しい花の香りを漂わせている。
人の活気、触れる潮風、変化する外の空気を全身で感じる。
出かける際は馬車を使うことも多いのだが、時折こうして散歩をしては、季節による変化を五感で感じた。
今日は港に人が集中しているため、商会エリアはいつもより人が少なめだ。
通りの両側に設置された女神像のオブジェを通り過ぎると、貴族達の邸宅エリアに入る。
普段から静観な邸宅エリアだが、今日に限っては一台の馬車も走っていない。
区分けされた邸宅エリアを、慣れた足取りで進むマイラとアーサー。
エリア南部の両サイドにポプラの樹が並ぶ通りを抜ける。
蔓薔薇のアイアンワークで施されたハリソン家の大門が見えたところで、突然マイラの背後に何者かの気配がした。
「「!?」」
マイラとアーサーが同時に振り返るも時遅く、スキンヘッドの大男が慣れた手つきでマイラの両手首を拘束し、アーサーに対面する形で間合いを取った。
「動くんじゃねぇ! こいつの命が惜しければなぁ!」
男は右手にはナイフを握り、キラリと光る刃先をマイラに向ける。
すると突然、男の背後に黒い靄がかかり始めた。
(この男、様子がおかしい)
男がギョロッと瞳を動かせると、その目はたちまち血に塗れたような赤に染まる。
ギチッ、ビキッ、と骨がきしむ音を鳴らしながら、額からは牛のような角、背中からは蝙蝠のような黒い翼が生えていく。
どう見ても人間ではない。
(人外……、【魔族】の一種かしら)
マイラの耳元で漏れる男の吐息。
とがった牙を舌なめずりする男に一言「下品ね」と呟いたマイラは、はぁ……と溜息をこぼした。
「アーサー、手出しは無用よ」
──次の瞬間。
マイラは、固く拘束された両手首の縄を“腕の力”ではじき飛ばし、その姿をみるみるうちに変化させていく。
全身を硬い金属のような白銀色の鱗で覆い、頭には猛々しい角を二本、背中には太い骨と被膜で構成された翼を生やし、大きな手足の先端には斧のような爪を光らせる。
ところどころ生地が破けたドレスの下では、木のように太くて長い尾を鞭のようにしならせて地面を揺らす。
そこには、先ほどまでの眉目秀麗な貴婦人の姿はなく、凍てつくような重い空気をまとう“竜人”がいた。
顔立ちや身体つきは元の彼女と似ても似つかない風貌だが、そのプラチナブロンドの髪とサファイアのような青い瞳に彼女の面影が残る。
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種族:【
人外トップクラスの強さを誇る希少種
・レア度:
・強さ:★★★★★
・属性:闇
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「んなっ……!? 【悪魔竜】の鱗は普通黒なはず、なぜっ」
男は変態を遂げたマイラの姿にひどく狼狽えている。
そんな男の戸惑いをよそに、マイラは言い放つ。
「愛する息子が帰りを待っているのよ」
その声色には明らかに静かな怒りが込められていた。
そしてそれは一瞬。
──ボキリッ
辺りに鈍い音が響く。
瞬時に男の背後に回り込んだマイラは、目にも止まらぬ早業で男の両肩の関節を外していた。
「っ!!! う、わああああぁぁぁあああ……!!!」
激痛に悶え苦しむ男を横目に、
「そういえば、私が【悪魔竜】だってことは知っていた風な口ぶりね。なら、この白銀の鱗についてもお勉強しておいてほしかったわ」
まるで一仕事終わったかのように両手をはたきながら、マイラは続ける。
「教えてあげましょうか」
サファイアのように輝く瞳が男を捉える。
「それは私が、“始祖の【悪魔竜】より直接血を賜っているからよ!」
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種族:【白銀の
人外トップクラスの強さを誇る希少種、始祖の力を賜り特別なスキルを持つ
・レア度:
・強さ:★★★★★★
・属性:闇・風・雷
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「始、祖……!? ひぃぃっ!」
震え取り乱す男に一歩一歩近づくマイラ。
「ねぇ貴方。悪魔竜のこの“能力”についてはご存じかしら?」
「来るな、来るなぁぁぁぁ!!」
「なによ、矛盾してるわね。襲ってきたのは貴方じゃない」
人外最強の【悪魔竜】が大きく口を開け、その鋭く尖った牙を男の首に突きたてた。
じゅるっと吸血音を響かせ手放すと、男はだらんとその場に倒れこんだ。
男の様子を確認したマイラは変態を解き、破けたドレスの端を拾いながら「…このドレス、気に入っていたのに」と嘆いている。
「大丈夫か?」
アーサーはそう言って、ドレスが破けて悲しそうなマイラに優しく上着をかけた。
「残念だけど、ドレスはまた仕立てるわ」
質問に対する回答が、微妙にズレていることに気づいていない様子のマイラ。
そんなマイラを愛しそうに見つめ、アーサーが再度問いかける。
「怪我はないか?」
「えぇ、心配には及ばないわ。軽いストレッチのようなものよ。ああそうだ、後処理を忘れるところだった。危ない危ない」
マイラは男の方を向き、背筋を伸ばし貴族らしい振る舞いで言い放つ。
「ちょっと、そこの貴方。もう一度人間の姿におなりなさい。そしてそのまま真っすぐ城へ向かい、門番にこう伝えるのよ。『“人外対抗組織・シラヘス”に出頭します』
と。いいわね?」
「……かしこ……まり……ました……」
目を泳がせて虚ろに返事をした【悪魔竜】の男は、マイラの指令どおり人間の姿へと変態し、フラフラとおぼつかない足取りで大通りの方向へと歩いていった。
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【悪魔竜】の能力:
・闇の属性を持つ【悪魔竜】は、吸血することで対象を服従させる能力を持つ。
指令を受けた対象は、何があってもその指令を守ることを優先させる。
指令をこなした後は元の人格に戻るが、主である【悪魔竜】が滅びるまでその主従関係は続く。
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この世界には“人外”と呼称される人ならざる者がいる。
それはいつの頃からか異なる次元から来訪し、今や世界中に多くの種族が存在するという。
一時的な滞在なのか、はたまた永住なのか、その目的を知る人間はいない。
人外は、基本的に人へ干渉することはない。人外の生活において、“人間はいてもいなくても変わらないもの”であり、干渉したとて何もメリットが無いからだ。
多くの人外は、人間のいない山の中、土の中、海の中、空の上など人が足を踏み入れない世界の片隅で、その姿を隠しながら静かに暮らしている。
そのため、この世界のほとんどの人間が、人外を認識していない。
人外の存在は、国の重役と一部の人間にしか知らされていないのである。
しかしここ数年、ナタリア国王都付近で人外が人間に危害を加えるという事件が増加している。
そうして人外と対抗すべく作られたのが、“人外対抗組織・シラヘス”だ。
しかし王都付近で悪さを働く人外は皆、人間に紛れているため区別がつきにくく、捕縛が難航しているという。
人に干渉しないはずの人外が、なぜ人間に危害を与えるのか? その真意はわかっていない。
現在マイラは“政府公認の人外”として、シラヘスと協力関係にあった。
「あぁ、本当に無駄な時間を過ごしてしまったわ。あとは“シラヘス”に任せましょう。さぁアーサー、早く我が家へ帰るわよ!」
アーサーは両手に荷物を抱えたまま、こくんと頷く。
青空の下、まるでいつも通り。
何事もなかったかのように、二人はハリソン家の大門をくぐった。
***
「マイラ様……! またなんという恰好になられて……!」
精巧なステンドグラスを飾ったホールに出迎えたのは、ベテラン執事のレイモンドだ。
今日もポマードで固めた白髪交じりの髪型と、隙の無い礼装がきまっている。
その優しい声色とは裏腹に、きらりと光る眼鏡の奥では目尻が吊り上がっているのがわかる。
「襲われたのは家の前よ。ちょっと目付きの悪い、小蝿に出会ってしまってね。あぁ、心配しなくてもこの服は自分でやったのよ」
マイラはあっけらかんとした態度で【魔族】の巨漢を小蝿に例えた。
「奥様、使用人を同行させないのであれば、せめて出かける際は替えのドレスをご持参ください。そのような恰好で外を出歩かれますと、ハリソン家の名誉に関わります」
ベテラン執事の忠告も、マイラにはあまり意味がないことはわかっている。レイモンドは眼鏡の位置を整えながら、アーサーの方へと向き直る。
「アーサー様。マイラ様に連れ出されるときは、この私にお声をかけていただけると助かります。こちらで必要なものを準備しますので」
こくこくと頷くアーサー。
レイモンドは今は亡きマイラの夫、デイヴィット・ハリソンがまだ幼い頃からこの家に仕える最年長の使用人だ。
5年前、事故で主人を亡くし悲しみに暮れるマイラが、普通の生活を取り戻せるようになったのは、レイモンドの気配りがあったからこそ。
デイヴィットが亡くなった後も「この家に骨を埋める覚悟ですから」と聞かず、変わらぬ仕事ぶりを見せている。
マイラのパートナーであるアーサーをも受け入れ、ハリソン家の一員として接してくれている。
「ママっ、アーサー! おかえりなさいっ」
二人の足元に飛びついてきたのは、5歳になる息子・アルジャーノン。
亡き父譲りの赤茶色の髪に、母譲りの大きな青い瞳が可愛らしい。体つきは華奢で、女の子に間違えられることも少なくない。
「アルッ! あぁ、愛しのアルジャーノン。今日も愛らしいわね。早く会いたかったわ」
そう言ってアルジャーノンを優しく抱きしめるマイラ。
「アルジャーノン様。そろそろ“ママ”ではなく“お母様”とお呼びするんですよ。あと、お身体に障りますのでゆっくり歩きましょうね」
レイモンドの優しい忠告にアルジャーノンは「はぁい」と返事をする。
アルジャーノンは、心臓に難病を抱えていた。
生まれてしばらくは無症状で気づけなかったが、アルジャーノンが3歳になる頃、心不全を起こし生死の境を彷徨ったことがある。
それ以来、先代からの付き合いがある名医・ガレリア医師の診療を定期的に受けていた。
「レイモンド、ガレリア先生がもうすぐ来られる時間よね?」
「はい。先生がお好きな紅茶の準備はできております」
「そう、なら問題ないわ。先生に、さっき港で買ったお菓子をお出ししようと思うの。これも準備しておいてくれる? 私は一旦部屋に戻って着替えてくるわ」
「承知いたしました」
レイモンドはアーサーから荷物を受け取り、素早くメイドに指示を出した。
***
「ちぇろすぅ? 初めて食べたが、美味いのう」
はちみつ漬けのレモンを浮かべたブレンドティーに手を伸ばしながら、棒状の揚げ菓子を頬張る医師・ガレリア。
「先生、“ちぇろす”ではなくて“チュロス”ですわ。ふふっ、先生のお口に合って良かったです。このままでも美味しいのですけれど、揚げたては中がふわっとしていて、また違う味わいなんですよ。今度うちのシェフに作らせますので、ぜひ召し上がってくださいね」
「下町のお菓子は口に合わない」など言う貴族は稀にいるが、貿易の盛んなナタリア国の下町料理は新しい発見も多く、貴族たちにも好まれることが多い。
「そういえばアルジャーノンが言っとったが、お前さん、さっきまた派手にやったんだって?」
ガレリアは美味しそうにチュロスを食べながら、マイラに尋ねる。
「暴漢に遭ったのです。こちらは被害者ですわ」
「それはそれは、気の毒な暴漢じゃったのぅ」
人外最強の【悪魔竜】に立ち向かうとは、なんて身の程を知らぬ輩だとガレリアは憐れんだ。
医師ガレリアもまた、マイラが人外であることを知る一人だ。
診察を終えるとこうしてお茶をしながら、マイラとアーサー、そしてレイモンドの三人に診断結果を伝えている。
「脈拍は安定しているが、心雑音は相変わらずじゃ。引き続き心臓に負担をかけないように過ごすしかないのぅ。ほれ、二週間分の薬。気休めだが、朝・昼・晩と飲ませるようにな」
アルジャーノンの病気を治すには、手術するしか方法は無い。
しかし幼い子供の前例が少なく、成功率も低いという。
マイラはアルジャーノンの手術を躊躇していた。
「お前さんが慎重になるのも無理はない。アルジャーノンが成長してもう少し身体が大きくなれば、リスクも低くなるんだがのぅ。ただ、この病気の重症例には突然死の危険もある。タイミングは悩みどころじゃのぅ」
突然死という言葉に、マイラはぎゅっと胸が締め付けられる。
笑顔で駆け寄ってくる、愛しい息子の姿が浮かぶ。
(もう二度と、愛する人を失いたくない…)
そんなマイラの胸中を察し、アーサーとレイモンドが寄り添った。
マイラが長い睫毛を伏せたその時――
「きゃああああああ!!!」
ガラスの割れる音と同時に、メイドたちの叫び声が館内に響いた。
(上の階……!!)
マイラは勢い良く応接間を飛び出して、赤絨毯の敷かれた階段を飛ぶように駆け上がる。
廊下で腰を抜かしていたメイドが、マイラを視界に入れた途端こう叫んだ。
「お、お、奥様……! 坊ちゃんが……!!!」
大きく開かれたアルジャーノンの部屋の扉から、柔らかな風が舞い込む。
部屋の中は、外から割られた窓ガラスの破片が散乱していた。
そしてベッドで横になっていたであろう部屋の主、アルジャーノンの姿は無かった。
マイラの心臓がドクンと跳ねる。
三階の窓から侵入できる“何者か”によって、愛しい息子が何者かに攫われた。
「アルッ!!!」
マイラは不安、怒り、悲しみで強烈な吐き気を覚えながら悲鳴を上げるように叫ぶ。
「アルッッ!!!」
マイラはその全身を白銀色で覆い、竜人姿に変態する。そして割られた窓から勢い良く飛び出した。
上空からアルジャーノンの姿を探す【白銀の悪魔竜】の元にもう一体、“漆黒の鱗”で全身を覆う【悪魔竜】が合流する。
「アーサー! アル……! アルが……ッ!!!」
鱗は漆黒、髪はこげ茶色をした“竜人姿の彼”が緊迫した面持ちでコクリと頷く。
マイラのパートナーであるアーサーもまた、人から人外へと成り代わった【悪魔竜】であった。
「マイラ、落ち着いて。屋敷の周りを確認したが、痕跡は無かった」
「大通りにもいないようだわ。今日は人がいないから目立ちそうなものだけど、どこかに隠れているか……移動速度が速いのか」
そう言ってサファイアの瞳を港に向ける。
今日はナタリア祭のため、いつもより多くの貿易船が港に停まっている。
その貿易船の最奥で、ひと際大きな客船が停泊していた。
「ねぇアーサー、あの黒い大きな客船……さっきあんなのあったかしら?」
「いや……、俺は見てない」
二人が違和感を覚えたのは、まず船の大きさだった。
貿易船の倍以上ある大きさのその船は、貴族でも容易く用意できる代物ではない。
次に船の側面に大きく描かれた鷹は、ナタリア国の紋章と一致している。
(わざわざ殿下の誕生日に、船で出国?)
「どうも怪しいわね」
誰が、何のために、どうやって用意した船なのか。マイラはどこかきな臭さを感じていた。すると、
「マイラッ! 甲板だッ!」
漆黒の【悪魔竜】が指す船の甲板を、マイラは望遠レンズのような視力を持つ目で注視した。
そこには蝙蝠のような羽を持つ二体の人外と、まるでハンドバッグを持つように抱かれた息子の姿があった。
「アルッ!!!」
ガレリア医師の言葉が脳裏をよぎる。
──「引き続き心臓に負担をかけないように過ごすしかないのぅ」
──「ただ、この病気の重症例には突然死の危険もある」
アルジャーノンは無事なのか。
生死さえわからない状況に、マイラは怒りと不安で気がおかしくなりそうだった。
(アル! 今ママが助けに行くから……! どうか、どうか、無事でいて……!!!)
マイラとアーサーは空中を蹴り上げて、アルジャーノン救出に向かった。
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