第75話 日向対拓海エキシビジョン

「僕も日向ひなたをぶん殴りたいので」

 そう言うと、師範の康太さんが苦笑した、


「いや、ムリだろ」

 やっぱムリか?


「なんで殴りたいんだ?」

「ムカつくからですよ」

「おいおい」


 ムカつくよね。

 康太さんが日向を殴ったのはまあいい。お互い同意の、フェアな戦いだった。

 その後、康太さんが日向の頭を撫でたのもまあいい。親戚の叔父さんが、子供の頭を撫でたようなものだろ。


 頭を撫でられた日向が、嬉しそうに笑ったように見えた。

 なんだよそれ。昨日、俺に笑わせてほしい、って言わなかったか?

 俺じゃなくてもいいのかよ。


 マジでむかつく。


「人を殴りたいやつは、本当は殴られたいと思ってる」

「は?」彼は何言ってるかわからない、という顔をする。

 そしてしばらくしてから、「俺は殴られたくないぞ?」と言った。


 それでも俺を教えてくれる事になった。

「日向が嬉しそうだったのは、殴られたからじゃないぞ?」彼は俺が何を思っているか、正しく理解していた。

 でもそれは、彼が大人だからだ。


 日向は子供で、自分が何をしたいのかもわかってない。俺もな。


 半日ではいろんな技を習得できない。一つだけ教えてもらう。


 右手右足を前に構えて、右足で突っ込んで、右手でパンチ。狙うのは、体の正面。それだけ。

正中せいちゅうは意外と避けにくい。カウンターも合わせにくい」そう説明された。

 体を左右に分ける境界が正中。ガードやカウンターを出す両手両足から、一番遠い場所との事。

 そうか?


 教えてもらうからには、彼の言葉を信じて、反復練習をする。


「打つ前に手を引くな」

 殴る前って、振りかぶりたくなるよね。

「足を出す前に、重心動かすな」

 えっと、どうやって歩くの?

「殴る場所を見るな」

 もう、意味がわからない。

「一歩で間合いに入れ」



 二人だけで練習していると、日向がやって来た。

「拓海もやるのですか?」

 お前を殴る練習な。

「私も教えたいです」

 お前を殴る技を?

「俺が教えている」康太さんが言った。

「むー」日向は口答えしなかった。

「じゃあ、一緒に教えて」なんか甘えた言い方をする。

「みんな日向と会うの久しぶりなんだから、みんなのところにいなよ」

 そう俺が言うと、しぶしぶ戻っていった。


 教えてもらいながら、日向の話をする。


 康太さんがこの格闘技のグループを興すと、康太さんの最新技術を求めて他のグループから人が移ってきた。いわば彼らは康太さんに賛同した同士で、弟子ではない。

 格闘技を習うのが初めて、という子供が康太さんの弟子になる。

 康太さんが初めて教えた弟子が日向だった。その後、速人や速人と一緒にいた小学生の女の子。そしてそれより小さな子供達。と増えていったらしい。

 初めての弟子である日向は、彼にとって思い入れが強くあるようだった。


 ちなみに、弟子は家族なので、一番弟子や開門弟子とか言われる日向が、一番上の姉になる。

 女の子が、日向姉さんとか速人兄さんと呼んでいるのは、そういう事らしい。日向より上の人たちは弟子ではないので、兄さん姉さんとは呼ばない。


「これで日向を殴れますか?」

「ムリだな。フェイントぐらい入れないと」

「どうやって?」

「釣り技を先に出すとか、目標と違う場所をわざと見るとか」

「それで行けますか?」

「単発では日向はかからないだろうな」


 だめじゃん。


「後は声で一瞬思考を止めるか」

 昨日、速人とやったとき、日向が叫んだやり方か。


「それでいきます」


 昨日の俺の言葉を捏造し、プロポーズされたと言い張る日向の妄想を、ガツンとぶっ壊してやる。



 昼前、康太さんはみんなを集めた。

「日向、拓海が手合わせしたいそうだ」

「?」日向はキョトンとする。


「お前とやりたいんだと」


 みんながざわつく。俺が戦えるとは思えないよね。


「拓海を殴れないよ?」

「お前とやりたくて練習したんだ。付き合ってやれ」

 日向はしぶしぶ俺の前に出る。


「顔面、金的なし。怪我させるな」彼は彼女に言う、彼女は困惑顔。

「拓海は何でもありな」技は一個しか教えてもらってないけどな。

「一発でも当てれば拓海の勝ちだ」


 俺は右手と右足を前に、右手を拳にして構える。殴ったときに、拳を痛めない握りかたも教えてもらってある。


 彼女は、両手を下げたまま突っ立っている。

 これも『自然体』と呼ばれる構えみたいなものらしい。


 ギャラリーが静かになる。


「日向」俺は構えたまま声をかける。

「?」

「日向は昨日、僕の言葉をプロポーズだと思ったみたいだけど、あれはプロポーズじゃない」

「?」彼女が不安そうに動揺するのがわかる。


「だからちゃんと言う」


「日向、愛してる。結婚しよう」


 彼女の目が見開く。顔を赤らめ、嬉しそうに両手で口元を押さえる。


「嬉しいです、拓海。私もあい…、ふぎゅ!」


 俺は一気に距離を詰めて、彼女の顔面を、彼女の口の前で開いた手ごと殴りつけた。


 あ、入った。


 殴られた彼女が驚いて俺を見ている。殴られたダメージは全く無さそう。


 沈黙の後、ギャラリーが沸き上がる。


「スゲー、日向に当てやがった!」

「やるじゃねーか、色男!」

「男の勝ちだ!」

「日向が負けた?!」

 みんな大興奮だ。


「こんなのあり?! ヒドくない?! こんな勝ち方でいいの?!」

 速人、うるさい。



 目の前の日向が俺を見つめている。

 そして、遮られた言葉を言い直す。


「嬉しいです、拓海。私も愛してます。結婚しましょう」


「おめでとー、日向!」

「日向、よかったな!」

「日向姉さんおめでとー!」

 ギャラリーが祝福の言葉を彼女にかける。


「日向姉さん、こんなんでいいの?!」

 速人、うるさい。空気読めよ。


 俺は彼女に笑いかける。


 彼女もはっきりと俺に微笑み返した。幸せそうに。はっきりとした笑顔を。


 笑う日向は天使だった。

 やっと笑ったか。大分時間かかったね。


 お帰り。



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