第8話 不機嫌な辺境伯
数カ月ぶりに対面をする私に対する雰囲気は、記憶のなかのものよりも、より一層拍車をかけて、冷たいものだった。
与えられた屋敷の大広間。
そこの最奥には、左右に十数人は座れるかというほどに横長のテーブルが一つ。
その両端に端を合わせるようにして、それよりも倍の横の長さがあるテーブルが二つ。
コの字の形に並んでいるそれらの、最奥に私。
正面に入口があり、入って右側の最も出入り口に近い場所に、彼は腰かけていた。
なぜ、この領にやってきたんだ、危険人物が。
そうでも言いたそうな顔で、彼はこちらを見下ろし、形ばかりの挨拶をしてみせる。
身分は私の方が遥かに上だという自負はあった。
でも、匿われいる‥‥‥いいえ。
監視を受けているという立場としては、やはり肩身の狭いものがある。
こちらも顔の上に見えない仮面を被り表情を隠して陶器の人形のように冷たい笑みを浮かべることしかできなかった。
「グレイスター辺境伯様。ようこそ、我が館へ。このような素晴らしき物件を与えてくださり、感謝しております。この聖女マルゴット、心から感謝を述べますわ」
「ああ、これはどうも」
この土地はお気に召しましたか、とか。
住み心地はどうですか、とか。
長旅は大変だったでしょう、とか。
せめて、ようこそ我が領地へ、とか。
それくらいの世辞すらも言えないの、このボンクラ領主! と、まったく会話が進まないことに対して私が苛立ち初めていたら、リーレが気を利かせて用意するように言づけておいた品々を盆に載せて持ってきた。
「こちらに到着してからというもの、屋敷の内外から取り寄せたりなどして、家内の者たちがいろいろと整えてくれたのです。辺境伯様、あなたへの贈り物です。しばらく御厄介になりますが」
「そうですか。ほう‥‥‥これはこれは」
偏屈そうなその口元はむっすりとしていて、ありがとうございます。のお礼の一言すらない。
王都なら、聖女から与えられた物ならば、例えそれが路傍の石コロ一つであっても、敬虔な女神教の信徒なら、満円の笑顔と最大級の感謝を全身であらわして、喜ぶものなのに。
渡したそれらをひとおおり、ざっと眺め見て彼が漏らしたのは、嘆きの一言だった。
「聖女様、これらは困りますな。いくつか、この領内では取引を禁止している物品が混じっています」
「……はあ?」
返された言葉のひどさに、一瞬真顔になって呆れてしまう。
密輸品とか、出自の明らかでない違法な物品が混じっているはずがない。
確かにこの辺境伯領にきて、初めて雇い入れた者も多数いる。
分神殿が寄越した女官たちもそうだし、貴族の屋敷に対して奉公人を派遣するというサービスも存在する。
そういった公的な機関から確かな身分の者たちを雇いれているのだ。
万が一にも、違法性があるものが混じっているとすれば、この土地に住んでいる彼らからしても、それが見つかれば自分たちの職がなくなる。
どういった理屈に合わないことを、わざわざしてのけるような人間が、私の周りにいるとは思えなかった。
「騙されたのかそれともすりかえられたのか。まあそれはどうでもいいことです」
「何がどうでもいいのですか! 私の沽券にかかわります!」
「聖女様を信用していないとは一言も、申しておりません。ただ、取引を禁止している物が混じっていると、そうお伝えしただけの話」
「それはそうだけれども。つまりあなたはここの領主として、これらを用意させた代表者として私を捕まえたいと。そういうことですか」
まあ捕まえられるものならやってみるがいい。
濡れ衣かどうかなんてことはどうでもよくて、誰かが仕掛けたにせよ、この土地では私のことを歓迎しないというのなら。
最悪、戦女神の聖女として、土地そのものを平らげるまで。
この辺境伯があの元王太子殿下の擁護派であったり、まだ事情のはっきりとしない新興貴族と王弟殿下の派閥というなら、逆に彼を女神の意志の代行者として裁いたって‥‥‥。
良い訳ではないけれど。
神の代理人が、独断と偏見で神の名を騙り、地上に争いの火種をまくことは、最大の禁忌だ。
もちろん女神様がそんな愚かなことを許すはずもなく、もしやるのだとすれば私個人の最大級の意趣返し、ということになるだろう。
「……男に弄ばれて捨てられた哀れな女にしかなれないじゃない‥‥‥」
一瞬、周りの誰もが信じられなくなる。
そんな言葉を誰に聞かせるとでもなく呻くように漏らすと、どこまで耳敏いのか。
グレイスター辺境伯は、魔族のような紅い瞳をより怪しく光らせて、こちらを一瞥する。
「いい加減にしなさい」
「なに? なんですって?」
答えたその声があまりにも剣呑で、発した自分でもちょっと驚いたほどだ。
それほど、口調が荒く、強くなっていた。
しかし彼はそんなものにまるで臆した様子もなく、もう一度、同じことを口にする。
「いい加減にしなさいと、申し上げた。こんな違法があったとして、あなたを誰が裁く? 俺は、知らなかったのだから、裁けないとしか言いようがない。だいたい、聖女とあろう御方が、たかだか一人の男性に婚約を破棄されたからといって、そこまで落ち込むなんて、情けない」
「あっ! あなたなんかにッ‥‥‥。国のことよりも民のことよりも、旧友と賭け事に興じることを優先するあなたの行動を見て、物を言ったらどうなの?」
「聖女様!」
「伯爵殿!」
と、隣に控えていたリーレに。
あちらは、副官だろう騎士の恰好をした、壮年の男性に。
私達はそれぞれ、小さくたしなめられる。
それぞれの主人よりも互いの従者たちの方が、まるで心が通い合っているように聞こえてしまい、私は面白くなかった。
おまけに辺境伯ときたら、さらに男らしくもなく。
ネチネチと嫌味を言い続けたのだ。
「こちらに来られたのだからお客様ということになる。しかしそのお客様が、俺の領地で俺が定めた法律を守らないというのは、これはおかしな話じゃないか。おまけにそれを破ろうとしているのは、この国でも有数の実力者だときた。人の上に立つ者が、それにふさわしくない行為すること、らしくないと咎めたら。‥‥‥挙句の果てには俺の行動を直すべきだと進言まで頂く始末だ。ばかばかしい」
「馬鹿? ばかと言いましたか。馬鹿と? 何て失礼な! ここにきて以来、不満があったけれど我慢していたら、その礼がこれですか?」
「俺は誰もあなたに我慢をしてくれと願ったことはない。ばかばかしいと言っただけで、馬鹿と揶揄した覚えはない。ちょっとらしくないと言えば、こんなに文句が返ってくるなんてな」
「グレイスター辺境伯様がそう仰るから‥‥‥」
「俺は言っていない。女性が感情に任せて、ときたまに怒りのままに発言し、相手の言葉を捉え間違いすることはよくあることだ。だから、この場は怒らないでおく。そちらの顔も立てて去ることにしよう。重要な報告があったから赴いてみれば、これだ。だから、権力層の女は嫌いなんだ」
ここまで悪しざまに言われたのは生まれて初めてのことだった。
とはいえ、彼の言葉をこちらに都合よく捉えて、怒りにままに叫んだのも理解はしている。
苛立ちというよりは、たぶん。
この与えられた望まない境遇に関する不遇を受け止めてくれそうな相手なら、誰でも良かったのだ。
こちらが思うがままにわがままを言っても、許してくれそうな相手なら……誰でも。
良かったのだ。
「報告書はここに置いておく。読む気があるなら読まれればいい。その気がないなら燃やせばいい。どうせそのうち、女神教の神殿から。あなたのために動いてくれている大神官様が報告を寄越すだろう。国王陛下からも、召還の命令が届くと思うぞ。それに乗るか、断るかはあなたの自由だ」
「えっ……」
それは青天の霹靂というやつだった。
予想だにしていない言葉が、次々と耳の奥に侵入してきて、言葉が理解できない。
感情の波の中に埋もれてしまい、反対側の耳から抜けていくような、そんな感覚を味わった。
「待って! どういうことですか、召還だの、報告だのって。‥‥‥ここには、一週間も遅れてあなたが挨拶にきただけではないの? 土地の習慣に従って」
さっさと立ち上がり扉の向こうに決めようとする彼に、慌てて声をかける。
グレイスター辺境伯はその言葉に、ピタリと足を止める。
これから一つ大きな息を吐き、こちらに向き直ると改めて貴族の男性らしく、国王陛下にするような素晴らしい一礼をしてみせた。
「……聖女様。俺の領地の民も、そして俺も。この地の分神殿も。何もかもあなたのことを歓迎しております。しかし、こんな辺境の地でさえも、王族の威光というものは輝く。歩いて、三か月もかかる距離だというのに、元王太子殿下に恥をかかせたとして、あなたを悪し様に言うやからもたくさんいる。この地であなたのことを、生涯幽閉するように陛下に上告し、その通りになるように動き回る連中もいる」
「それは‥‥‥。そんな話が出ているだろうとは思ってましたが‥‥‥」
「そうだろうな。黙って一週間も俺のことを待っていたのだから。その程度はこちらにも伝わってきたよ。とにかくそんな連中が多くいるのは、王都が大半だ。自分の学校の後輩を、そんな目に遭わせたいとは思わなかった。あいにくと、たかだか一介の辺境伯だが。与えられている地位と権力は、侯爵位にも並ぶものだ。本来なら国を守るために利用するべきなんだが」
そこまで言うと、彼は言葉を切って口を閉じた。
喋り過ぎたと思ったのだろう。
確かに、身分ある男性はそう朗々とものを言わないものだ。
でも、聞こえてきた言葉は、私を心配してくれていたのだということを、ひしひしと伝えてくれた。
自分がさっき、彼に対して吐いた暴言を思い出し、恥ずかしさに赤面する。
「……ありがとうございます。その、辺境伯様‥‥‥」
「もう辺境伯じゃなくなるかもしれん」
「は? だっていま、動いたって、侯爵位にも及ぶとそう言ったではありませんか」
「そんなふうに動かなくてはならなかった。だが、俺の持っている権力は、本当なら敵に立ち向かうときに使うものだ。政治の中枢で生きてきた聖女様なら、分かるだろう?」
諭すように言われ、裏側で何があったのかを、私はだいたい把握した。
彼は、彼の持ちうる人脈と権力を総動員させて、動いてくれたのだ。
少なくても、私がこの地で、幽閉や処刑などに至らないように。
立ち向かう敵を獣人族ではなく、王族とその周りにいる権力層に向けて。
使ってくれたのだろうということが、よく分かった。
「どうすればあなたに報いることができますか」
「報告書も読まないまま、報いると言われてもな」
俺は後のことは知らん。
両手を上げて肩をすくめると、彼はそれだけ言って踵を返した。
「待ってー」
私の呼び止めも、その耳には入らなかったらしい。
後に続く彼の部下たちが、ばつの悪そうな顔をして去っていくのが、気の毒になった。
「……お読みになられますか、報告書」
「ええ」
この状況でどうしていいか分からないのだろう。
リーレの手の中には、彼の部下がうやうやしく渡して去った、あの報告書が握られていた。
彼との最初の歓談はこうして、不合理なままに終わってしまった。
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