大団円よりいくらかはマシ
人類が超自然的な力に目覚めてから、しばらく。
たとえば火を自由自在に操るとか、腕一本で何トンもの重量を持ち上げられるとか、物体を凍結させるとか、そういった能力をすべての人類が手にしていた。生まれてすぐに能力を開花させる人もいれば、才能が発現するまで長くかかる人もいるが、十八歳の成人を迎えるまでには全人類の能力が目覚めて各国の政府のデータベースに登録される。
能力によって将来を強制されることは無いが、優位や得手不得手は存在する。どこでも水を出せる能力を持つ人が消防隊に歓迎されるのは当然のことだ。一方で、能力を職業に活用する義務も無い。ほとんどの人は、開花以前からそうだったように、超自然的な才能を必要としない仕事に就いている。
だが、有事の際、たとえば大規模な災害が発生したときには、政府のデータベースがすぐさま適した能力を持つ人間を選出して被災地の支援に派遣する。能力は平和的な目的のみに対して使用されるものであり、武力として使用することは固く禁止されている。これは国際条約によって定められている重要事項で、幼稚園児でも知っていることだ。
そうでなければ、世界が成り立たない。
うららかな春の陽射しに瞼が重い。進路希望を書く手も鈍く、俺はペンを机に置いて窓の外を眺めた。校庭で二年生が体育の授業をしている。雲はゆっくりと流れて、準備体操の声が響く。
「ツグ、どうするか決めた?」
前の席の和田が振り返って俺に尋ねた。
「進学するつもりではいる」
「ツグの能力なら就職も出来るだろ。あ、何か勉強したいことでもあるのか」
「いや、別にそういうわけじゃない」
俺はまた窓の外に目をやった。準備体操を終えて、まずは校庭を一周している。ふざけながら走る生徒が小柄な生徒にぶつかった。俺は指をスッと動かした。転びそうになった生徒は、ふわりと着地した。何が起こったのかと生徒たちが辺りを見渡す頃には、俺は和田に視線を戻していた。和田は呆れたような顔をしていた。
「ほら、そういうところ。せっかく世のため人のために役立つ能力を持っているのにさ、使わないのは人類にとっての損失だぜ」
「重たいものは動かせないんだ、大袈裟だな。それに人類を救う前に、もう少し自分の世界を広げておきたいと思う」
「あー、確かに」
和田は指先で器用にペンを回した。
「そう言う和田は?」
「オレも進学。水の色を変えられるくらいじゃ、いまどき手品師にもなれないだろ。あとオレは普通に経済を勉強してみたい」
「へぇ、経済」
「能力で物理は変わっても、経済は変わらないだろ。そこが面白いと思うわけよ。ツグにも分かるだろ?」
「えー、その面白さには共感しかねる」
俺が笑って首を傾げると、和田は拗ねた様子で口を尖らせた。だが、すぐにまたいつもの和田の、愛嬌のある顔になる。
「ま、ツグにも見付かると良いな、能力とは関係なしで、やりたいこと」
「俺に見付けられるかなぁ」
「見付けられるだろ、いつになるかは分からないけどな。そういうふうに出来ているだろ、人生」
「悠長に生きるには不確か過ぎやしないか」
「でも生き急いで何になる。せっかく、オレたちもうすぐ十八になるっていうのに」
そう言った和田の視線は、がらんとした教室に向けられた。空席ばかりの教室に、去年は十三人いた生徒は今ではたったの九人になって、とうとう両手で数えられるようになった。
この街は、研究施設や支援体制が整って能力活用の道筋を見付けやすい都会でも、豊かな自然の中で能力をのびのびと育てられる田舎でもない、ありふれた中途半端な地方都市だ。こういった土地はどこも同じように過疎化が進んでいる。開花した能力に適した土地があれば、誰もがそこへと移り住む。強い能力が開花すれば制御訓練施設のある街へ、水を必要とする能力ならば海辺の街へ。俺の家族も、俺ひとりをこの街に残して寒冷地へと引っ越した。こうして街の景色と一緒で地味な能力を持つ者だけが留まっている。たいした利用価値も無い、ありきたりな能力と言えば聞こえは悪いが、特別な刺激も無い代わりに特別な困難も訪れない。
当たり前のことながら、すべての能力が社会にとって有用なわけではない。人類が平等なのは、誰もが必ず能力を持つということだけであって、個々の持つ能力の性能には大きな差がある。ライター代わり程度の火を出す能力と、好きな場所へ瞬時に移動する能力は釣り合わない。性能差は、すなわち絶対的な脅威だ。何よりも重宝されるのは、攻撃に適した能力ではなく、防衛に秀でた能力であり、さらに言えば、あらゆる脅威をあらかじめ無効化することの可能な能力だ。
開花した能力を制御できるようになるまでに、多くの若者が命を落とす。小学三年生の冬、寒さを和らげようとした女の子は自分の炎で焼け死んだ。中学一年生の夏、自分の身体を液状に出来るという先輩は海に泳ぎに出たきり二度と人間の形には戻れなかった。開花した能力が劣っていると悩んだ末に自殺した子もいると聞いたし、なかなか開花しないことを焦るあまりに死を選ぶ子もいるらしい。
悲しい話が多いけれど、嬉しい話も時々あって、たとえば肉体を鋼のように硬化させる能力を持つ牧島さんは、政府の次世代育成計画に選抜されて、専門機関で高度なトレーニングを積むために転校していった。校庭の隅の花壇は足立先生の植物の成長を早める能力でいつも豊かに花が咲き乱れている。
家族と離れて暮らすことに不満は無い。俺はもう十八歳で、それに、この街が好きだ。年々寂しくなる土地だが、心穏やかに過ごせる場所だ。
「政治か法律を学ぼうかな」
「お、ツグのやりたいことが見付かったか?」
「人助けをして生きていきたいとは思っている。俺の能力は狭い範囲にしか影響しないから、この能力では助けられない範囲を支えるようなことがしたい」
「なるほど、確かに政治家になるのは良いアイディアだと思うぜ。行政とか、法律とか、そういう側面の人助けって能力じゃ出来ないもんだよ。そう言われてみればツグにはピッタリかも」
和田はそう言って俺の肩をパンパンと叩いた。調子の良い奴だが、悪い奴じゃない。それくらい知っている。このぼんやりとした学校生活をにぎやかにしてくれるのは和田くらいだ。だが、俺は和田に嘘をついている。和田だけじゃない。
俺は、この世界のすべてに嘘をついている。
俺が中学二年生のとき、中学校に透視の能力を持つという研究員がやって来た。中学生はまだ能力が開花しきっていないとか、そもそもまだ少しも開花していない程度がほとんどだ。だから中学生から高校生の間に眠る能力を見極めてもらうのはよくある話だ。研究員は三か月ほど中学校に滞在して、毎日コツコツとすべての生徒を順番に透視していった。
季節が夏から秋に移る頃、俺の順番も来た。能力の話は多感な中学生にとっては繊細なことだから、空き教室に研究員と俺のふたりだけ。研究員は背の高い三十代くらいの女性だった。
「ツグミチ君ね、よろしく」
「……お願いします」
緊張していた俺は小さな声で挨拶をした。
「今まで自分の能力を感じたことはある?」
「まだ、一度も……」
「うんうん、開花は人それぞれだけど、十八歳までには目覚めるから焦らなくて大丈夫よ。それじゃ、さっそく見ていきましょうか」
研究員は俺の目を真っ直ぐに見た。そしてすぐに険しい顔つきになった。しばらく黙っていた。俺は、悪い能力なのだと思った。他人を不幸にする能力、たとえば、触れただけで壊してしまうような力。開花する能力は何だって構わないと思っていたけれど、誰かを傷付ける力は嫌だと、そのときになってようやくそう思った。黙ったままだった研究員が俺を見た。ゆっくりと口を開いた。
「ツグミチ君の能力は、改変の力よ」
乾いた声だった。俺は意味が理解出来ずに、首を傾げた。
「あなた、とんでもない能力を宿しているのね」
研究員の顔は真っ青だった。それでこれはやはり悪いことなのだと分かったが、だからといって俺の能力がどういうものなのか分かるわけではなかった。俺は恐る恐る尋ねた。
「俺の能力は何なんですか」
「……現実を上書きする。有り得ない未来を導く。過去から繋がる糸を断ち切る」
「えっと……?」
「ここに、リンゴは無いでしょう?」
何の脈絡も無くそう言われて、俺は曖昧に頷いた。
「けれど、あなたがそれを望めば、ここにリンゴは存在するのよ」
そう言うと研究員は大きな溜息をついてから、じっと見透かすように俺を見た。
「あなたの能力は、あなたが現実を否定したときに効果を発揮するのね。あなたが否定する限り、何でも出来る。摂理なんて無意味、常識なんてただのゴミ。たとえ世界がそれを奇跡と呼んだところで、あなたの力はすべてを無に帰する歪曲よ」
あはは、と研究員は力無く笑った。俺はそれが不気味に感じた。
「ツグミチ君、嘘をつきなさい。あなたの能力は特殊すぎる。どうしたっていつかはその能力が開花してしまう、開花は止められない」
研究員は俺の目をじっと見詰めて言い聞かせるような強い口調で言った。
「手を触れずに物体を動かせる能力にしましょう、けれども、重すぎるものは駄目よ。絶対に目立ってはいけない。誰も本当のあなたを見付けられないように、能力を偽りなさい。それが、世界の平和のためになる」
戸惑いを隠しきれないまま、俺は頷いた。とんでもないことになったと思ったものの、実感は無かった。だが、俺の理解を待ってはくれない。納得しなくたって、受け入れられなくたって、やがて必ず目覚める俺の能力が世界を危険にさらすというのであれば俺は、とにかく嘘を貫き通さなければならなかった。
それからは何の自覚も無いままに偽った自分の能力を操る想像をして過ごした。指先をスッと動かせば、物を動かせることにしよう。重さは、車を少し浮かせるくらいで精一杯にしておこう。自分の能力の設定を考えた。
高校一年生になる春に、ボールペンが浮いた。能力が開花した。
俺は試しに、何も無い場所に向かってリンゴを望んでみた。スッと指を動かすと、そこにリンゴが出現した。俺の想像通りの赤いリンゴだった。青リンゴを思い浮かべると、青リンゴが出てきた。どこから来たのか分からないが、とにかくそこにリンゴが存在した。別に指を動かさなくたって能力は使えたが、いつのまにか癖になっていた。そのほうが能力を使っていると見て分かりやすい。
こうして俺は、現実を書き換える能力をまるで、指一本で少し重たいものまで動かせる能力に偽った。俺はしっかりと設定を考えていたから、誰も真実には気が付かなかったし、どこからか真相が明らかになってしまうということもなかった。あの研究員は俺の能力を改竄して報告することに成功したようだ。
嘘をつきながら生きるのは、確かに心苦しかったが、それでも自分が人類の脅威になるくらいなら、嘘をつく苦しさを受け取っておきたいと思った。偽りの平穏でも、それなりに楽しくやってきた。俺の高校生活ももうあと一年だった。
「じゃあまた明日な、ツグ」
放課後、和田はサッカー部へと向かう。ほかの同級生たちも思い思いの時間を過ごす。帰宅部の俺は、いつも通りそのまま家に帰る。高校を出て、住宅街を抜けて、駅に続く商店街を歩く。いつもと何も変わらない。これが俺の日常だ。
「紹廸」
名前を呼ばれて俺は振り返った。知らない声だったが、紹廸というのは紛れもなく俺の名前だ。今まで同じ名前の人と出会ったことはない。何より、俺はその呼びかけに応えなければならないように感じた。紹廸、と俺の名前を呼んだのは、若い男だった。俺よりは年上の二十代だろうか。紺色のスーツ姿で、眼鏡をかけていた。
「……誰?」
「僕のことはサクラと呼んで。君の能力について少し話が出来るかな」
サクラと名乗った男は、そう言って微笑んだ。顔は笑っているが、瞳は笑っていなかった。
ついにこの日がやって来たと思った。俺の嘘が崩れる日だ。少なくとも今日までは平穏が続いていた。嘘が見破られたのだとしたら、それはあの研究員のせいではなくて、俺自身の責任だ。どこかにあった小さな綻びを俺が見落としていただけだ。
俺は横目で商店街を見た。一軒の喫茶店があった。初対面の男を自宅に招くよりは安全だと思った。
「その店で構わないよ」
サクラはそう言った。喫茶店は落ち着いた雰囲気だった。サクラが御馳走してくれると言うので、俺はクリームソーダを頼んだ。サクラはオリジナルブレンドのコーヒーを注文した。経費で落ちるからとサクラは言った。注文した飲み物がそろってから、サクラは話を始めた。
「能力を偽っているのは、誰かの入れ知恵?」
サクラからの最初の質問がそれだった。季節の挨拶とか、自己紹介とか、そういうのはまったく抜きで、サクラはさっさと核心部分に迫ろうとしているようだった。
「入れ知恵じゃなくて提言って言えよ」
「ああ、言葉の選び方は大事だね。どうして能力を偽るように言われたの? おかげで君を探し出すのに時間がかかった」
俺はアイスクリームをスプーンですくって口に運んだ。
「質問はひとつずつだ。次は俺が尋ねる番だ」
「それもそうか。紹廸は僕に何が聞きたいの」
「俺を捕まえにきたのか?」
「自分が悪いことをしていると思っている言い方だよね、それ。僕は別に君をどうこうしようというつもりはないよ。僕はただ君を見守りたいだけだから」
あはは、とサクラは軽く笑ってあしらった。
「次は僕の番だね。いつまで能力を偽り続けるつもりでいるの」
「ずっと」
アイスクリームが緑色の中に白く溶けていく。
「この先、ずっと。そのほうが安全だ。能力を使って誰かを傷付けることもないし、実験台になることもないし、監視されることもない。有用な能力だと判断されたら研究施設に連れられていくと聞く。俺は、そういう人生は嫌だ」
「その認識、間違ってはいないね。確かに政府は能力データベースから有用、つまり脅威となる能力を探して管理下に置く。紹廸の本来の能力が明るみに出たら、放っておくなんてことは有り得ない」
「お前は俺を見守りたいと言ったが、それと、政府の監視とは何が違うと言うんだ?」
「僕は君の能力の行使に干渉しないと誓うよ。能力を使うのも、偽るのも、紹廸の好きにすれば良い。君の能力に自分の想いを託したりはしない。僕の役目はただ、君が自分の望むように生きられるようにするだけだ」
「具体的には?」
「僕の番だよ、紹廸。質問はひとつずつ、そう定めたのは君だ」
サクラは口の端で笑った。
「僕の観測が正しければ、確かに君はしばらくの間、君の能力を偽ることに成功する。けれども、思いがけない形で君の嘘は崩壊する。十年後、この星に巨大な隕石が落ちてくる。それを回避する手立てを持つのは、この世界にたったひとり、君だけだ」
サクラの瞳は強い炎を宿すように見えた。その鋭い眼差しが俺を射抜く。
「その時、君はどうする?」
俺はサクラの視線から逃れるように手元を見た。溢れ出たクリームソーダがテーブルにこぼれていた。
「世界を救うか、世界と共に滅びるか。俺に選ぶ権利があるのなら、俺に選ぶ資格があるのなら、俺は」
窓の外は春の夕暮れだった。中学生たちが帰っていく。俺もあのくらいの頃に自分の能力を知った。そしてそれを一生隠すと決めた。
「俺は世界を救う。それで、たとえ俺の能力が世界にバレてしまっても、でも、世界が滅んだら意味が無いだろ?」
「意味は無いね。でも、君が救った世界は、君のことを救ってはくれないよ。それでも良いの?」
「その選択が良いかどうかなんて、分からないだろ。俺が本当に世界を救える証拠なんて無いんだ。未来のことなんて分からな……いや、お前には未来が」
そのとき俺はサクラの能力が未来予知なのだと思い当たった。予知した未来をさかのぼって、俺を探しに来たのだ。
「君の想像しているものとは違うかもしれないけれど、ある程度の未来は知っていると言えるね」
「俺が救った世界は俺を救わないって、どういう意味だ」
「簡単なことだよ。世界中の誰もが出来ないことを君だけが成し遂げられる。君は救世主だけれど、危機を乗り切ったらそんなもの、ただの脅威に過ぎない。君の能力はあまりにも理不尽だからね。過去、現在、未来。そのすべてを上書きするなんて能力が存在されると都合が悪いんだよ。世界中があらゆる手段を講じて君の身柄を確保しようとする。君の能力を求める争いが生まれるんだ」
「だけど、いや、だけど、もし俺の能力が現実を書き換えられるのならば、俺の能力を認知させないことだって可能なはずだ」
「やってみる?」
無駄だと思うけどね、とサクラは背もたれに身体を預けてから言葉をたたみかけた。
「それが出来るなら、君は、とっくの昔にやっているはずだ。何より、君自身の能力を上書きすれば良いだけ。けれど、君にはそれが出来ないだろう? すべての能力と同じで、君のその能力だって万能ではない。君自身の能力を書き換えることが出来ない」
サクラの指摘は正しい。俺は自分の能力を偽ることは出来ても、能力を変えることは出来なかった。俺は返す言葉が見付からずに黙った。この沈黙が肯定だった。
「ああ、ごめんね。高校生相手に意地悪をした」
少しも悪びれる様子などなくサクラは笑った。俺は沈みかけたサクランボをストローで沈めた。
「サクラ」
俺はクリームソーダから目を上げてサクラを見た。サクラと目が合った。
「お前、本当は何のために来たんだ。俺の望むように生きられるようにすることがお前の役目だと言ったが、その必要は無いだろう。俺は改変出来るんだから。お前、本当は別の目的があるんじゃないのか」
俺の声は、サクラにはどのように聞こえていただろうか。サクラは疲れたように笑った。
「確かめてごらんよ。その能力で僕を自白させることも出来るでしょう? 僕を問い質してごらんよ」
「……いや、良い」
サクラの挑発を俺は流した。挑発に乗る必要が無かったからだ。俺は質問を変えた。
「これが何回目だ?」
俺の質問に、サクラは明らかに動揺した。今度は俺が言葉をたたみかける番だった。
「ああ、数百回は試行しているのか。それで毎回俺は飽きもせずに世界を救う選択をするんだな。お前、本当はその選択を止めさせたいのか、それとも何か別の道を探しているのか。繰り返すのはお前の能力じゃないんだな、未来予知でも無い。なるほど、能力に頼らずここまで辿り着いたのか」
サクラは両手で顔を覆った。深い息を吐く。
「……僕の記憶を読まないでくれるかな」
「読まれると思っていなかったのか」
「今まで一度もこんなことは無かったからね。何の対策もしていないよ。でも、根源までは辿り着けないみたいだね」
「根源?」
「僕たちの長い終末の始まり。これでもまだ届かないんだね。ああ、そのほうが良いよ」
含みのある言葉をサクラは言ったが、俺にはその言葉の真意が分からなかった。
「それで、紹廸。僕の手の内は分かったでしょう、君はどうするの」
「これを飲んでから考える」
俺はクリームソーダを飲んだ。シュワシュワとした炭酸は溶けたアイスによってまろやかになっていた。底に沈めたサクランボを取り出して食べる。サクラは諦めたような、あるいはつまらないような顔をして俺を見ていた。俺はサクラの思考を読まなかった。
約束通り、サクラが代金を支払ってくれた。俺たちは外に出た。春の風はまだ肌寒かった。
「これからのこと、決まった?」
進路をどうするのか尋ねるような口調でサクラは俺に聞いた。
「ああ、決めた」
俺は頷いた。
「今度は俺が世界を滅ぼしてみようと思う」
え、とサクラは驚きの声を漏らしたが、俺の指はスッと動いた後だった。
どうやら俺とサクラの付き合いは、俺が知っているよりもずっと長いらしい。その長い、長い付き合いの中でも、これほど驚いたサクラの顔を見るのは初めてのことだっただろう。珍しいものを見たと思った。この瞼の裏に焼き付けておこう。
「え、待って、紹廸」
「これが一番良いと思う。だって、そうだろう? いつも与えられた終末を迎えるだけならば、いっそ、こっちから終末を送り込んでみるのも手段のひとつだろ」
「嘘でしょ、こんな……こんな終わり方もあるの……」
サクラは愕然としていた。
「なぁ、サクラ。これで根源に少しでも近付けそうか? それなら世界を滅ぼす意味も、あるんだけどなぁ」
俺は笑っていた。自分でも無意識だったが、喫茶店の窓ガラスに映る自分の姿を見て、ああ笑っているのだと分かった。俺は楽しそうだった。
「世界を滅ぼしたところで、そんなこと君は憶えていないし、運命だって君を追いかけ続けるんだから」
「でも、運命と一緒にサクラだって俺を追いかけてくるんだろう? この世界の終末だって何百回と繰り返したんだから次も、正しく間違いなく、俺を見付けるんだろう」
「僕が欲しかったのは、君の救った世界が君を救う、大団円なんだけど」
「それなら心配は要らないだろう。だってこの終末は大丈夫だ」
俺は上を見た。予定よりも十年早く、この星に隕石が降り注ごうとしていた。俺のせいで、この世界は終わる。
「大団円より、いくらかはマシだ。そうだろう?」
俺の問いにサクラは困った顔をして、それが本当に困った様子だったから、俺は申し訳ない気持ちと共に、心の底から愉快だった。
「それじゃあ、サクラ。また次の終末で会おう」
星が降る、それを止められる者は、もういない。
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