4-2 マルグレーテの縁談
マルグレーテを励ましながら屋敷に入り、父親と母親が待つ居間に案内された。ヨーゼフさんは厨房へと消えたが、ブローニッドさんは退席しない。午後の茶を出したまま、さりげなく居間の端で立っている。
エリク家の大事だけに、無礼であっても見届けたいのだろう。家族の縁談話というのに、なぜかコルンバはいない。
「お父様」
動揺を隠し、マルグレーテはしっかりと背筋を伸ばした。
「わたくしに縁談があるとか。……本当でしょうか」
「うむ……」
腕を組んだまま、シェイマスさんは頷いた。
「事実だ」
「お断りして下さい」
相手が誰かなど聞きもせず、マルグレーテはひとことの元に切って捨てた。
「わたくしにはまだ早い」
「先様はノイマン家。その長兄だそうだ。エリク家隣接のトードル家が没落したとき領地を買い取った新興貴族。たった十五年で、荒れ果てたトードル家領地を立て直した。見事な手腕だし、いい話だ」
それだけ口にすると、湯気の立つ茶のカップを手に取った。他は誰も、茶など飲みもしない。
「エリク家領地も、立て直してもらえることだろう。……それは民草のためになる」
「エリク家の危機は、今まさに、このモーブとランちゃん、そしてわたくしが対処しているところです」
「それはわかっているし、モーブ殿、ラン殿には感謝のしようもない。……だがいかんせん、収穫を待つので時間がかかる。ノイマン家は、多額の支度金を置いていってくれた。この資金を使えば、食うや食わずの我が民を明日にでも救ってやれるのだ」
苦渋の表情だ。
「なああんた、それってなにか、実の娘を金で売ったってことなんか」
思わず口を衝いた。
「民のためとかなんとか言ってるが、ただ
「モーブ殿……。それであったら、いかほどいいか」
無礼な言様に怒りもせず、父親は俺を見た。
「哀れな間抜けはこの私だけ、ということだからな」
「お父様が決めたのではないのです」
母親が言い添えた。家族の一大事にも背筋をきっと伸ばし座っている姿は、さすがマルグレーテの母親だけある。
「この話は昨日、コルンバが持ち込んだのです」
「お母様。持ち込まれたのが昨日なのに、もう決めたのですか」
テーブルの下で、マルグレーテが俺の手を求めてくる。しっかりと、俺は握り返してやった。
「すでに婚姻の契約書がかわされていたのです。エリク家の魔導家長印が押された、正式なものです」
「はあ? 本人が知らないところで婚姻届とかあるかよ。俺の世界でそんなことしても、役所に受け付けてもらえないぞ」
「モーブ殿の故郷の村ではどうか知らないが、貴族の婚姻は家同士の契約。本人の意向よりも家の都合が優先するのは当然だ。……正式な契約書を交わした以上、取り消しはできない。そうすれば先方が移動裁判所に訴え出て、エリク家は取り潰しになり、領地はノイマン家に吸収されてしまう」
「そんな大事な書類に、なんでハンコなんかついたんですか。マルグレーテちゃんの気持ちも確かめないで」
ランは反対側から、マルグレーテの手を握って励ましている。
「それってひどくないですか」
「家長印を押したのは、私ではない」
シェイマスさんは、きっと口を結んだ。
「コルンバだ。……金庫から勝手に持ち出していた」
「コルンバはどこですか。俺があの馬鹿、殴り殺します」
「契約書を持ち込むと、コルンバはまた姿を消しました。……ノイマン家の馬車に乗って」
なんだよあいつ。すっかりノイマン家に取り込まれてるじゃんか。いつぞや、「この家は俺様が救う。今すぐにでも」とか息巻いてたのは、この話を進めていたからか。
「それなら無効ですよね。家長印を押したのが家長でない以上」
「そうはいかんのだ、モーブ殿。貴殿の献身には感謝しておる。……だがこればかりは、貴族の世界でのしきたりというものが――」
「もう結構です」
マルグレーテは立ち上がった。
「わたくし、気持ちが悪くなってまいりました。部屋に下がります」
立ち上がると、駆けるように部屋から出ていってしまった。
「ラン」
「わかってる」
頷いたランは、部屋を後にした。
当事者たるマルグレーテが消え、静まり返った部屋で、俺は父親母親と対峙した。
「俺、貴族の決まりはよくわかりません。でもこの絵図を描いたの、ノイマン家ですよね」
「……」
父親は黙っていた。母親も。
「だってそうでしょ。悪知恵にしろなんにしろ、コルンバにここまで回る頭があるとは、悪いが正直、思えない」
黙ってはいるが、ふたりとも否定はしない。
「きっとノイマン家に入れ知恵され、金庫を開ける口実をなんとか作り出し、そのときに家長印をくすねたってとこでしょう」
「それは……どうだろうか」
父親は唸った。
「これから姻戚関係となる貴族を悪く言いたくはない」
「あんたら貴族の決まりだのなんだの言うが、娘の気持ちや幸せより、そんなんが大事なのか。どうせ田舎貴族なんだ。がちがちに縛られるのをやめたらどうっすか」
「モーブさん……」
遠慮がちに、母親が口を挟んできた。
「マルグレーテのことを思っての助言、痛み入ります。母親として、モーブさんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。娘の気持ちはわたくしがいちばんわかっているつもりですし……」
「もうよせ、マレード」
父親が遮った。
「モーブ殿。父親の私が、娘の幸せを考えないとお思いか。契約書がない段階であれば、さまざまな対応策があったかもしれない。だが契約書は絶対的な効力を持つ。すでに婚約の段階ではない。書類上はすでに婚姻しているのだ。後は形の上で結婚式を行うだけ。今からそれを壊せば、当家の未来どころか、エリク家領地の民、そしてマルグレーテ本人にも破滅的な悪影響があるとしか言いようがない」
父親が続ける。
「ノイマン家のご長兄なら、身分的にも釣り合っている。人柄もいいと聞いているし、最悪の展開というほどではない」
口をきっと結ぶと、俺をしっかり見つめてきた。
「総合的に見て、このまま縁談を進めるより他はない。政治的に考えるなら、残念だがそうするしかないのだ」
●エリク家を襲った突然の嵐に、モーブは悩む。マルグレーテだけを救って逃げればいいのか、エリク家や領地を救う手段はないのかと。モーブがとある解決策を決断したとき、マルグレーテがモーブの部屋を訪れる。心に強い決意を秘めて……。
次話「エリク家救済の絵図」
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