第一部「愛読感謝」! エキストラエピソード

エキストラエピソード 大賢者ゼニスの過去、あるいは未来、あるいは世界の運命。

 中庭で大歓声が巻き起こるのを、「居眠りじいさん」こと大賢者ゼニスは、学園長室で聞いていた。接客テーブルの上では、沼桜茶のカップがふたつ、湯気を立てている。


「ゼニス様、そろそろモーブが旅に出るようですよ。いよいよ『卒業』です」


 ハーフエルフの学園長は、窓から中庭を見下ろしている。


「アイヴァンよ。それほどモーブが気になるのか」


 思わず、ゼニスは笑ってしまった。アイヴァンは先の大戦の英雄。しかも長命なエルフとのハーフで、生きてきた年月が人間の比ではない。楽しいことも苦しいことも、それだけ長く経験してきた偉丈夫だというのに、たったひとりの底辺学園生に注目している。


 これほど奇妙なことがあるだろうか。まあ自分も似たようなものだが……。


「まあ座れ。今日はお主と少し、話がしたい」

「これは……失礼いたしました。大恩人に背を向けるなどと」


 たたずまい美しく腰を下ろすと、学園長がティーポットから茶を継ぎ足す。


「今年は桜の出来がいいようで、お茶もおいしい。左様さように、食堂の皆々も申しております」

「うむ」


 ゼニスはカップを口に運んだ。繊細な香りの茶をゆっくり味わってから、口を開く。


「長い間、お主に世話になってきたが、そろそろ動こうと思う」

「おや、学園からお離れになると……」


 学園長に、じっと見つめられた。


「ゼニス様がお探しの、次世代の英雄が見つかったからですか。モーブという……」

「馬鹿を言うな」


 茶のカップを、テーブルに置いた。


「あいつはドハズレすぎて、わしらの型には嵌まらない。お主も目の前で見たであろう。近衛兵抜擢か宝を授けるという国王異例の申し出を、ひと言の元に断ったのだぞ。王の顔を満座で潰して」

「あれにはさすがの私も、我が目を疑いました。王は憮然ぶぜんとして、黙りこくってしまわれましたよね。いきり立った侍従長にあっさり叩き出されて笑いましたが。……くくっ」


 思い出し笑いをしている。近衛兵に両脇を抱えられ謁見の間から放り出されるモーブの姿を、思い描いたのだろう。


「国王の権威など歯牙しがにかけない、あのような大馬鹿者だぞ。魔王がどうとかなど、あやつには些末さまつな雑事であろう」

「そう言われると、そう思えてきますねえ……」

「ああ。保証する」

「そのようなことを保証されても……ですね」


 今度は学園長が苦笑いした。


「ではどのような理由ですか、ゼニス様。今、学園を後にするわけは」

「モーブがどう動こうが、魔王軍は新たな胎動を始めておる。幽体離脱で敵を探るうちに、いよいよ『そのとき』が近づいたと感じるでのう。魔物がここヘクトールを襲ったあの事件も、その関係であろう」

「そうですか。とうとう……」


 眉を寄せ、溜息をついている。


「ゼニス様と共に戦ったあの大戦以来四十年、平和が続いたというのに……」

「だからわしも、老骨に鞭打ちて、少し魔王軍にちょっかいをかけてみようかと」

「ゼニス様は最前線からはご隠居なされた身。今でも情報収集という重要な役割を担っておられます。今さら危険な渦の真っ只中に飛び込むのは、いかがなものでしょうか」

「なに、モーブの幸せを、陰ながらでも守ってやりたいでのう……」

「ふふっ」

「なにがおかしい」

「私よりもモーブのことを気にされているのは、ゼニス様では」

「これはしたり」


 考えた。たしかにそうかもしれない。だが、それには「もうひとつの理由」がある……。


「ですがゼニス様、モーブは自由な男です。見守るにしても、動向も掴めませんよね」

「ランとマルグレーテには一応、追跡の魔導トリガーを埋め込んでおいた」

「いつの間に……」


 感心している様子だ。


「なに、モーブ組の国王謁見後、尻に撃ち込んだのじゃ」

「尻……ですか」


 笑っている。


「よく殺されませんでしたね」

「叩かれはしたのう。ほっほっ」

「でしょうね」


 呆れたような瞳で、こちらを見た。


「なに、わしもまだ枯れてはおらんし、一石二鳥じゃ。ふたりとも、よい尻であった。……あれはいい子を産むぞ」

「そのお年でお盛んなことですな、ゼニス様。ヒューマンにしておくのは実に惜しい。長命なエルフに生まれていれば、ゼニス様は子だくさんであったでありましょうに。……いや、今でも子だくさんか」


 瞳を緩めて続ける。


「ゼニス様がそこまでモーブを気にしておられるのは、なぜですか。対魔王戦力にならないというのに」

「それはのう……」


 考えた。アイヴァンは、共に世界の秘密を垣間見た仲間。その秘密に関わる話だ。この賢い男になら、「もうひとつの理由」を明らかにしてもいいだろう。


「アイヴァン。モーブはの、アルネ・サクヌッセンムを知っておった」

「サクヌッセンム様のことを……。それは……」


 唸っている。


「それはまた、どうして」

「おそらく卒業試験のダンジョンで、なにかあったのだ。あやつが学園を離れたのは、あのときだけだでのう……」

「そういえばあのダンジョンは、大地下から突然隆起した洞窟でしたよね……」


 茶のカップを持ったまま、学園長はしばらく窓外の雲を眺めていた。春の強い風を受けて、雲は高速に流れてゆく。人生のように。


「……ならたしかに、その可能性はありますな」

「アイヴァンよ。接点がどこであったにせよ、モーブの命の糸があの大賢者に絡んでいくのだとしたら、単にドハズレ卒業生ひとりの運命とは、もはや言い切れん」

「人間もエルフや各種族も、いえ魔族まで含めた世界に、とてつもない影響があるでしょうな……」

「そういうことよ」

「なるほど……」


 ほっと息を吐くと、学園長は長い間、なにかを考えている様子だった。茶が冷えるのもいとわず。


「ところでZクラス担任の後任は、どうお考えですか、ゼニス様」

「養護教諭のリーナでどうじゃ。あいつは人を上下関係では見ん、優れた資質がある。底辺に落ち苦しんでいる学園生の、救いとなることであろう。幽体離脱しておったわしでは、申し訳ないができなんだことじゃ」

「リーナですか……」


 なぜか、学園長は楽しげな瞳となった。


「どうした。なにか問題でも」

「いえ」


 思わず微笑んでしまった――という雰囲気だ。


「彼女からは、相談を受けています。……学園を離れたいと」

「ほう」


 意外だった。リーナはこの学園での生活を楽しんでいる。傍で見ていて、それは明らかだった。それがなぜ……。


「はっきりとは口にしませんが、どうやらモーブの後を追いたいようです」

「なんと……」


 明るく優しいリーナの笑顔を、ゼニスは思い浮かべた。たしかに同じパーティーを組んではいたが、モーブは教え子だ。しかもすでに、ふたりも連れ合いがいる。あの聡明な娘が、それでもモーブを選ぶのか……。


「考えてみれば、リーナはまだたった十八歳。若いおなごが、魂の呼び声に逆らうことなど、できんのう……」

「そもそも教師としてここに招いたとき、異例中の異例、十六歳でしたからね。学園の新入生とほぼ同じで……」

「理屈づけに苦労したのう。……王家はもちろん大歓迎じゃったが」

「その王家ですよ。リーナには王室に対する、例の義理がある。行きたいが学園を離れられない。――そう、悩んでいます」

「うむ。リーナには幸せになってもらいたいものじゃ。なにせ、わしとお前の孫娘も同然だからのう……」

「ええ」


 斜め上を見て、学園長はしばらく黙っていた。視線を戻す。


「あのとき、盟友に誓いましたからね」

今際いまわきわの言葉は重い。あいつはわしらを救って死んだのだし」

「リーナをZの担任にすると、彼女の希望を潰すことになります」

「ふむ……」


 ゼニスは考えた。それなら、リーナにもひと働きしてもらうか。学園のくびきから外してやるためにも……。


「ならこうしよう。わしがリーナに、ひとつ命を与える。その調査ということで、学園を離れさせればよい。それなら王室も納得せざるをえんじゃろうし」

「どのような件で」

「モーブが連れ出した馬がおるじゃろう」

「ええ」

「あのうち一頭が、どうやら『羽持ち』らしい」

「なんとっ!」


 長い半生であらゆることを経験し、めったに驚かない長命なハーフエルフが、目を見開いている。


「モーブがそれとなくわしに聞いてきたでのう。『一般論として、そのような馬がいるか』と。それも卒業試験であやつが馬と洞窟を駆け回った直後じゃ」

「バレバレですねえ……」


 学園長は苦笑いしている。


「さすがドハズレ。頭がいいのか抜けておるのか、さっぱりわからんわい」

「たしかに……」


 学園長は唸った。


「どうして『羽持ち』が生じ、しかも、よりによってここヘクトールに迷い込んできたのか……。裏がありそうですねえ」

「そういうことよ。それを調べてもらおう。……さすがにそこまでは、わしも手が回らないでのう」

「なるほど」

「なに、王家への義理の件は、わしが今度はなたれの国王に念押ししておくわい。いずれにしろ王宮に向かう用向きがある。先日のモーブのやらかしを、とりなさんと」

「大賢者様になにもかも押し付けるようで恐縮です。たしかに、馬の件は重要任務ですね。ですが……」


 学園長は言い淀んだ。


「ですがそれでは、リーナはモーブの動線とは交わらない。彼女の希望がかなわないのでは」

「そこはリーナの宿命次第。ここヘクトールというおりから解き放ち、自由に動き回らせることよ。いずれモーブの運命線とリーナの運命線は、交わる。……わしはそう感じておる」

「大賢者ゼニス様の予言であれば、そうなるでしょう。リーナにとって、ここは文字通り『檻』でしたからね。本人が知らないだけで……。『さながらに、は定め』。……サクヌッセンム様は、はるか未来を見ておられた」


 冷え切った茶を、学園長は口に含んだ。


「……ではZ担任には、私が適任をあてがっておきましょう」

「頼む。……それはそれとして、どうじゃ。教員のリーナまで陥落させるとか、モーブの奴、モテるのう」

「これはこれは……」


 学園長は、片方の眉を上げてみせた。


「それはゼニス様も同じでしたよね」

「わし……は、そんなことはなかろう」

「いえ、覚えておりますよ。ゼニス様に最初に会った日のことを。あれはもう、五十年近くも前です。ゼニス様はまだ十五歳。寄る辺なき孤児で、王都のスラムをさすらっておられた」

「偶然お主のパーティーに拾われて、わしの人生は変わったのだ」

「それこそ運命でありましょう。ギラギラと、痩せこけた頬に輝く瞳を見て、驚愕しました。底辺のスラムに、世界を救うポテンシャルが眠っていたのかと」


 ゼニスは、遠い過去に思いを馳せた。暗黒の時代に。戦乱が世に満ち、民草の暮らしが荒れに荒れていた時代に。焼け出された先で両親が魔物に殺され、食うや食わずで力なく城壁にもたれていた頃に。


「生まれて初めて食わせてもらった食堂の飯の味、今でも覚えておるわ。いつもは残飯だったからのう……」

「私の目に狂いはなかった。それからたった一年で魔道士として、そして統率者としての優れた資質を開花させた。私達手練パーティーのリーダーにまで上り詰めたではありませんか。まだ二十歳前だというのに」

「まあ、ガキの頃は始終、どうやったら人から飯をもらえるかと、日がな一日考えておったからのう。……それが役立っただけだわい」


 実際、今となっては、あの辛い体験も、神が与え給うた試練に思える。あの経験が無ければ、冒険者パーティーに入って早々、魔物に虐殺されていたことだろう。


「破竹の勢いの英雄パーティーのリーダーですからね。おもてになられた。……あちこちに子や孫がおられますよね。人間でないところまで」

「それは……正直わからん」


 長い旅路で、いろいろなことがあった。人を助け、また助けられた。自分も若かった。多くの女との出会いと別れを経験した。お互いに泣きながらの別れも、辛い死別も……。


「モーブと同じではありませんか。孤児であり、若くして異様な力を発揮。そしてモテる……」

「はあ、あんな阿呆と一緒にされてはかなわんな」

「ゼニス様、お年を召されたその姿に、私は今でも、あの頃のお姿を見て取りますよ。精力と知力に溢れ皆を導いた、英雄のお姿を」


 学園長に、まっすぐ見つめられた。この年老いた自分に、まだ英雄の輝きが残っていると言ってくれるのか……。


「なに、今はもうハゲのじじいじゃ。……お主は最初に会ったときと全く変わらんのう……。うらやましい限りじゃ」

「いえ。仲間が次々、病いや戦いで倒れ、年老いて死んでいく。それを見守るばかりの人生というのも、なかなか辛いものですよ。ひとり孤独に取り残されたも同然で。冷たき風の吹き渡る、荒れ果てた野に……。私は人間の血が半分のハーフエルフ。このあたりを悟り切っているエルフとは、感覚が異なりますし」

さながらに、は定め……」

「これは……一本取られましたな」


 楽しそうだ。


「この言葉、努々ゆめゆめ忘るるな――ということじゃな」


 中庭から、一層の歓声が巻き起こった。


「おや、そろそろかな」

「モーブ出立じゃな」


 窓際に並び、中庭を見下ろす。馬車に陣取ったモーブが、見送りの学園生に別れを告げるところだった。


「ほら、こちらを見て手を振っておりますよ。ドハズレのモーブが」

「この先なにが待っておるかも知らず、のんきなもんじゃ」


 モーブとラン、マルグレーテを乗せ、こぼれんばかりに満載の贈り物を積んだ馬車は、ゆるゆると歩み出した。


「……」

「ゼニス様……今、未来を探り見ておられるのか」

「うむ……」

「モーブの未来には、なにが……」

「おそろしく枝分かれしておる。並の人間ではあり得ない話じゃ。しかもそのほとんどに、不吉な影がある」

「なんと……」

「だからこそわしは、『冥王の剣』を授けた。必ず返せと縛りを入れて。厳しい運命に心くじけても、冥府に魅入られないように」

「冥王の剣……ですか」


 片方の眉を、学園長は上げてみせた。


「しかしあの剣には、サクヌッセンム様の願いが……」

「言うな、アイヴァン。モーブが剣を失うようなら、そも大賢者サクヌッセンムの望みなど、叶うはずもなし。世界の形を変えようという話だからな」

「人ひとりの運命にすら逆らえないなら、世界の姿など……ということでしょうか」

「そういうことよ」


 暖かな道を選んだモーブの馬車が動き始めるのを、大賢者ゼニスは見つめた。


「モーブなら必ずやり遂げる。厳しい運命を越えて。孤児という最底辺の身でありながらヘクトールの特待生を勝ち取り、落ちこぼれZクラスの空気を変え、クラスメイトだけでなく全学園生を救った男だ。わしは信じておるわい」

「ええ。私も信じておりますとも」


 三人を乗せた馬車が道の彼方に消えるまで、大賢者ゼニスと英雄アイヴァンは、その姿を見つめ続けた。自分達の過去、あるいは未来を見つめるような表情で。




●次話「第二部予告」および次々話「第二部第一話」、明日公開!


エキストラエピソードとして最後の最後にめいっぱい伏線回収ぶっこんだので、脳が焼き切れましたw セクハラの伏線、コメントで@jun0829さんに見破られたのには感心しましたが。よくわかったなあ……。




●第一部、いかがだったでしょうか。


「モーブの大暴れ面白かった」「モーブとラン、マルグレーテの未来が見たい」「この先も期待できそうだ」――などと感じていただけたら、

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頑張って毎日更新するので、応援よろしくです……。


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