ep.54 ストーリーテラーの領域 2/2
「……もうすでに、沙織は消えてるの。もし乃愛が言うように現象が一つだとすれば――事象の書き換えが起きる前なら、まだ間に合うかもしれないから」
さやかは手首に巻いていた髪ゴムを取り出して、
その桜色の長髪を結ぶ。
そして、スケッチブックとペンを机の上に広げた。
「乃愛は、
「そうですね……告白イベントがあって、最初のデートでヒロインが消えて終わるゲームはない、と思います」
「うん、それだけわかれば十分。ねえ一樹、沙織が消える前の会話を正確に教えてくれる?」
「ああ、わかった」
俺の記憶にある限りの沙織との会話をさやかに伝える。
さやかは、そのスクリプトを、白紙のページに記載していく。
1巡目、真田なつ海の『消失』を結城さやかが肩代わりしたこと。
その結果、『消失』し、そしてそれは事故死という結果に切り替わっていたこと。
乃愛の言葉がなければ、俺たちはここまで冷静に情報を共有できなかったかもしれない。
それは、死の記憶だったり、これから起こりうる悲劇だったり。
俺たちが誰かのためを思い、その結果として誰かを傷つけてきたシナリオなのだから。
感情的な思考を排除して、話し合う。
そうすることで、空白のページはすぐに埋まり、そして次のページもまたすぐに埋まっていった。
「……主観的な事象が、客観的な事実に変わるときに、それが非科学的な現象を現実的な結果に切り替わる。乃愛の言ったことと、1巡目の状況は整合性がとれてるね」
「なつ海ちゃん。これまでのシナリオのまとめてた紙あったわよね」
「あ、さや姉。これ、前に兄さんから聞いたものをわたしなりに整理したもの」
「ありがとね」
「ううん、わたしこそ……ありがと」
なつ海が少し冗談っぽく、1巡目の分も含めて。と呟く。
「私はお姉ちゃんですからね。なつ海ちゃんのことを助けるのは当然だもん。今回は沙織に先を越されちゃったけどね」
「絶対に沙織さんのこと助けましょうね」
「もちろんよ。ほら、一樹も手伝って」
「お、おう」
***
「多分、ううん間違えなくこのディスクが鍵なのは、わかってるんだけど……あーもう。私が乃愛くらい頭が良ければよかったんだけど!」
沙織より受け取った、なつ海から借りたというゲームのディスク。
タイトルも全て消えてしまったただのブランクディスクを、さやかは手に持って眺める。
表面、裏面。
そして真ん中のディスク穴に目を通す。
「これ穴越しに見たら答えが見える。なんていうマジックはないのよね……んー、なつ海ちゃんが見えるだけね。やっほー」
「あはは、やっほー。まー、それはそうですよねー。んー、水月のシナリオは……正直意味不明だけど手がかりもないかな。兄さん、北城渚のシナリオはどうだった?」
「いや、何も手がかりなしだ」
「由依はどう?」
「由依の見てる神前つむぎのところも特に……」
「……まあ、追加ヒロインのルートだしね」
「なつ海ちゃん、やっぱり……ちょっとバカにしてるよね」
「あ、いやそんなことないんだけど……、んー日向由依のルートもいたって普通ね」
「普通……いや、べつにいいんですけどね。――あ」
「由依ちゃんどうしたの?」
「あの、あの……全然見当違いのことかもしれないんですけど。一樹さんって、ゲームとしてプレイしていた外の世界からみていたんですよね。それがどうやってここに戻ったんですか? これに関してはリープじゃないですよね」
「由依ちゃんその発想ナイス! ねえ一樹そのあたり詳しく聞かせてくれる?」
「……それは発作が起きて、俺は死ぬのかと思ったら。ここにいたんだ」
「それだけ?」
「本来コンシューマーゲーム機に入れて起動するはずのディスクを、古いパソコンに入れて再生したんだ。多分それがトリガーだった」
「待って、それって。似たようなこと沙織が言ってたよね」
――PCじゃないと動かないみたいで。いつか返そうって思ってたんだ。
確かに沙織はそう言っていた。
だから、これをなつ海に返してほしいと。
「ああ、同じようなこと言っていた。だから、これはさやかの言うように伏線で、トリガーになるのか」
乃愛はたしかにこのように見解を述べていた。
・未来から過去に行くことはできない
・ABCの順番をACBに変えるのがリープ現象なのね。
でも、こうも言ってくれたんだ。
――私の考えなんて君の存在一つで簡単に塗り変わっちゃうものなんだもの
起動させるための古いノートパソコンなら、実は手元に会った。
それは乃愛との学園祭のために、アプリをつくろうとした際に偶然部屋の中でみつけたものだった。
だから、これは源乃愛がいなければ、気づかなかったものだろう。
「でも、兄さん。もし3年前に兄さんは行けたとして……戻れるの? ううん、発作って言ってたけど。兄さんがもしこれで死んだらわたし……」
なつ海が心配そうに俺のことを見つめる。
そんな妹の頭に、俺はぽんと手を置いた。あの未来の彼女とは違い、まだ綺麗な彼女の髪は滑らかで、繊細な質感をしていた。
守りたいんだよ。お前のこと。
そして、沙織のこと。
「なあ、俺はバッドエンドのような未来を見てきた。そのときにお前に言われたんだ。もう一度。兄さんに賭けてみたいって」
「これがゲームだとして、主人公にどういう選択をさせるか。ただその1点の判断で、なつ海ならどうする?」
「わたしがこのゲームのコントローラーを持っているなら……ここで諦めてバッドエンドには進まない。絶対に……Trueエンドのために過去に飛ぶトリガーを引く」
「だろ?」
「あー、もう。やっぱりそういうのずるい。乃愛も兄さんも……沙織さんも。ずるいよ、もう……。必ず帰ってきてよね」
服の袖で目を擦りながら、なつ海はそう口にした。
「俺の帰る場所は、なつ海がいるこの家だよ」
「うん……うんッ」
***
「さて、これでやることは決まったよね」
さやかは椅子から立ち上がり鞄を持つ。
凛とした面持ちの彼女は、俺の知る、ただの可愛いだけのメインヒロインとは違って見えた。
「じゃあ一樹、ちょっとやることがあるから。私はそろそろ行くね」
「さやかさん! あの、よろしくおねがいします」
その姿で察した由依が、さやかの手をとる。
「ん。沙織のことは皆よろしくね」
リビングから出ていくさやか。
さやかはきっと乃愛のところに行くのだ
「どうしたの一樹。見送りなんていいのに」
玄関先で、さやかと向かいあう。
俺は沙織を選んだけれど、きっとさやかのことを特別に思っていた。だからこそ、こんな形でルート攻略の配役として利用したことを本当は後悔していた。
「なんて顔してんのよ。主人公がそれじゃ、なつ海ちゃんも心配するわよ」
「さやか……俺」
「言わなくていいの。――背、伸びたよね」
リサマのさやかルートの中で、聞いたことのあるセリフだった。
幼馴染ヒロインらしい一言に確か主人公はふざけてこう返すんだ。
だからこそスクリプト通りにセリフを言った。
「そっちは胸だけ成長したよな」
「ああ、もう。バカズキやっぱり、さいてー! もう、行くね。死なないでよね」
鞄で胸元を隠しながらそう返す。
いつも通りの反応に少しだけ心が安らぐ。
「そっちも消えるなよ。じゃあ乃愛のこと任せた」
――私のストーリーだったらね、誰も死なせないから。だから遠慮せず、わたしの親友を……沙織を救ってきて。
さやかは振り向かずに、そう言葉を残した。
革靴の踵が玄関先の石畳を打つ音がして、そして扉が静かに閉まった。
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