ep.38 呼吸するのって、案外難しいのね
手紙として真実を託した乃愛のことを、約束の場所で待つ。
体育倉庫の裏は、日陰だったがフェンス越しに日向があってそこには数匹の猫が集まっていた。
乃愛がここで何をしていたのか、そしてどうしてフェンスに引っかかり抜けなくなっていたのか、今なら用意に想像がつく。
凛とした佇まい、金髪にピアス。
旗から見れば、とても大人びた彼女の、幼い本性。
猫が好きで、誕生日会のサプライズには号泣する少女。
ゲームが下手で負けず嫌いで、誰かと一緒にいることを避けているようで、誰よりも人と一緒にいることが好きなひと。
彼女がいなければ学園祭のあの盛り上がりはなかっただろうと思う。
さやかと沙織。
なつ海と由依。
そして、乃愛と俺。
俺の記憶ではすれ違い巡り合うことがなかった縁を、固く結びつけたのは彼女のおかげだ。
何十回とこの世界をプレイするなかで、俺が見つけたその結合点。
「来てくれたんだな。乃愛」
「あんなことまでされて、逃げ出すわけないじゃない」
あんなことか。源乃愛の誕生日。彼女へのサプライズは俺の考えじゃなくて、さやかの言い出したことだった。
「それは、さや――」
「さやか、でしょ? 君は利口で、素敵だけど。そこまで気が回る人間じゃないもの」
「さすがギフテッド。察しがいい」
都合がいい、の間違えじゃないの? そう言って、指先を口元にあててクスリと笑う。
「私ね。君の手紙を読んだからってだけじゃないのよ」
「ああ」
「さやかも、沙織もね。なつ海ちゃんも由依ちゃんも。もちろん、君のことも。好きだって思ってるの。だから皆で一緒にこの夏を超えて、秋も冬も一緒にいたいって思ってる。……そこに私がいるかはわからないんだけど」
「乃愛も含めて一緒じゃなきゃ俺が困る」
「あら、助けてくれるの?」
「そのために繰り返してきたんだ。いまさら一人欠けてもいいなんて、思えるわけないだろ」
「こういうときは嘘でも、君だけは助けるとか言うものよ。君がそういうこと言えないのもわかってるけど」
「君だけは……」
「言い直さなくていいの!」
自分から言い出したというのに、乃愛のほうが少し慌ててるように見える。
心なしかいつより、乃愛の顔が赤るんで見えた。
垂れ下がる自らの髪をその毛先のクセにあわせるように指先に巻き付ける。
そして、それを解く。
「……とりあえず」
乃愛は一呼吸置いて、目を閉じる。
なにかを覚悟したように乃愛は俺の目を見てはっきりと口にした。
――教えてくれる? 君の知る限りの事象とその関係者。私を含むすべての死のメソッドを。
俺はこれから語ろうと思う。Re;summer、第三のメインヒロイン。源乃愛のシナリオを。
***
「なんで、平然としてられるんだよ! 俺が乃愛を好きになったから。俺がお前に告白なんてしたから……!」
七夕の夜。
乃愛に告白をした俺は、水月から死の書き換えがあったことを告げられた。
そして、その予告通り乃愛の死という未来へリープしてその書き換えの事実を目の当たりにした。
「それは違うよ」
そのことを乃愛に告げたのは、すでに彼女の身体は蝕まれていて、この夏を超えられないだろうという死の告知が成されていた事実を知ったからだった。
「だって、わかっちゃってたんだよ私」
「どういう……」
「あのね。一樹がリープして見た未来の結果は確定されたものじゃない。もし、その結果が確定されたものだとするならば、そこまでの過程も同一線を進むべき。君が私の傍にいてくれる、その事実だけで見ても未来は違うものになるとわかるもの」
「未来が変えられるのなら、それならなんで、お前が死ななきゃなんないんだよ。誰も死なないそんな未来だってあるだろう」
「ん……。そうだったら良かったんだけどね。重要なのは、『結城さやか』の死という結果じゃなくて、『死』そのものの事象なんだと、私は推測したの」
「……」
県立病院の病床の上で、乃愛は浅い呼吸を繰り返していた。
それでも俺にみずからの見識を語る声は、小さくもはっきりとした物言いだった。
「その点で見れば、さやかちゃんが私に差し替えられても、魂の総量に対する死のカウントという意味でそれは
「俺となんか、付き合わなかったら良かったじゃないか」
「それは、ダメ」
「……なんでだよ」
「だって、好きだもの。君のことも、さやかちゃん達のことも」
乃愛はすべて知っていたんだろう。
自分の死期のこと、そしてこの事象に対しての考察も書き換えが生じる未来も、すべて予測し、そして自らの手で検証していったのだ。
それは、恋人である俺のためじゃなく、結城さやかの未来を繋ぐためだった。
そう、きっとたった一人の友達のためだった。
――だから、私がこの事象を引き受けようって決めたの。もとより私は5歳のあのときに死ぬ運命だったと思うんだ。だから君と出会えて、君のために私が役に立てる。このことは、神様がくれた本当の
「呼吸するのって、案外難しいのね。意識しちゃうとね。深く吸うと息が詰まるの、でも浅く吐くとため息のようだもの。ねえ一樹、私は幸せだよ。もしもう一つ神様が叶えてくれるなら、みんなで遊びたいな……」
「みんな……?」
「うん、私と君とさやかちゃんと。あれ、もっと居る気がするんだけどね。――あはは、私あんまり友達いない子だったのね」
その会話のあと、源乃愛は息を引き取ることとなる。
これが、俺の知る限りの源乃愛のエンディングの一端だ。
***
「本人を前にして話すのも、なんだけどな」
乃愛と二人、フェンスに背を持たれかけながら俺は源乃愛のシナリオの話をした。
できるだけ事実のみを伝えるために淡々と話をしたつもりだ。
話の途中、彼女の左手は俺の手を握っていた。その手は確かに震えていた。
「ううん、ありがと。私が君と付き合ってるなんて、変な感じね」
「気にするところ、そこなのかよ」
「ふふ、だって今ここにいる私は、ほら? 生きてるでしょ」
そう言って握っていた俺の手を引いて、乃愛は自らの左胸に押し付ける。
制服の少し硬めの布地の感覚のあと、彼女の膨らみの柔らかさを感じる。
思わず俺は手を引こうとしたが、目と目があったとき、彼女の瞳がそうはさせなかった。
少し速いくらいの彼女の心音が伝わって、どこか安心した俺がいる。
「ああ、生きてるな」
「うん。君が私のことを諦めないでいてくれたから、私はここにいるの。だから、ありがとね」
「んー、なんか話を聞いて当てられちゃったのかもしれないけど……」
――キス、していい?
それは言い訳かもしれないのだけど……。断れないと思った。
断るべきではないとも思った。
そうして、重ねた彼女の唇になぜか懐かしさを感じた。
『繰り返される営みのなかで、避けられない不幸な結末。無意味な繰り返し』
水月はそう言った。
しかし最後の時、乃愛が願ったその祈りは学園祭という形で叶えることができたのではないかと俺は思う。
だから、無意味だとは俺には思えない。
だから強く、彼女の身体を抱きしめた。
乃愛は俺の胸に収まるくらい小さくて、泣き出しそうなくらいの潤んだ瞳がいじらしく感じた。
彼女の頭に手を乗せて、ゆっくりと撫でる。
「……私のほうが、年上なんですけど?」
「また、泣いちゃうと思ったんですよ」
「ほんとに、意地悪ね」
そう言いつつ離れる様子のない乃愛はまるで気まぐれな猫のようで、
彼女らしいなと思うと、少し笑ってしまった。
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