第15話:月の鏡-松田好華-vol.3
図書館から借りた山華高等学校史。なんとなくというか案の定というか、収穫らしきものは無かった。でもちょっと驚いたのは、結構歴史ある学校だったという事。
明治29年に熊本尋常中学校済々黌分校として設立。その後鹿本中学校(旧制だから今とは少し違う)。戦後昭和23年に県立鹿本高等学校と改称とある。でも昭和43年に閉校。
ちょっと平行した感じで明治45年に鹿本郡外17ヶ町村学校組合立山鹿実科高等女学校が設立。その後何度か改称するもいずれも女学校、その後昭和23年に山鹿高等学校と改称するも昭和43年に閉校とある。
この二つの学校の昭和43年の閉校とは同時に熊本県立山華高等学校の開校を意味している。
何故「山華」なのか? その理由はどこにも記述されていない。
ページをめくるも当時の日本と世界情勢とか、山鹿地区の町村の統廃合とか過去の行事のモノクロ写真の数々。郷土史家なら興味津々になりそうな記事。私は本を閉じた。
時刻は18時半過ぎ、部屋から出たついでに階下の台所で夕飯の支度をしている母の背中に向かって、聞いてみる。なんと聞いて良いか考えてもないままで。
「あの、圭って最近どやんか、聞いとる?」(最近調子どうか、聞いてる?)
「え?」と母は振り向きもせず。私の声もしどろもどろだったせいもあるだろう。
「佐々木さんち、圭のこと」
手を止めて私の方に振り向く母に、私は圭の実家のある方を指さして「圭のこと」。
「部活頑張っとるごたるよ」(頑張ってるみたいよ)
え?部活ってなんだったっけ?戸惑う表情を見透かした母がすかさずのたまう。
「ケンカでもしたと?」その口元は明らかに私をからかっている。止まってた母の手は再び夕飯の支度に動き出した。
「いや・・・」部屋へ戻る前に冷蔵庫の中をのぞく、何の気なしに。目の前にあった竹輪を一本つまみ食い。
ネット検索しても「山華」について記事はでてこない。私はベッドに身体を放り出す。今日は疲れたホントに。
圭の家はここから大体歩いて三分程度の所にある。コンビニも半径1km圏内に1店舗あるかないかのほぼ田園地帯で瓦屋根の日本家屋が大半、いかにも日本の田舎という風景にあって、鉄筋コンクリートの白い壁の二階建てが圭の実家だ。確か小学3年生の夏頃に元々空き地だったそこに建築工事が始まり、秋に圭の一家が引っ越してやってきた。ご両親と圭と妹のミレイちゃんの4人家族。圭とミレイちゃんは秋から私と同じ小学校に通う事になった。圭、私は同級で三年、ミレイちゃんは一年生。
小学校へは毎朝同じ地区の児童数名でグループを作って、その中の年長さんがリーダーとなって登校するので勿論私と圭そしてミレイちゃん、他2名が六年生のミクニお姉さんの引率で楽しく(?)登校してた。
その頃の圭は大人しく、ちょっとぽっちゃり体系だったせいもあって私は”太”の字をつけて「圭太」とからかっていたけど、圭は只ニヤニヤしてるだけだった。いつのころだったろう、たぶん小6、中学に入ってから徐々にだったと思う、圭に「圭太」は似合わなくなってきていた。それでもよく「圭太」と私は呼んでいた。
ミレイちゃんはツインテールの髪がよく似合っていていつも、その二つを揺らして駆けてる印象があったけど中学に入ってからポニーテールにイメチェンしてた。そして軟式テニス部に入ってていつも日焼けしてた。結構なおしゃべりで圭から「朝からうるさいラジオみたい」という愚痴を聞いて吹き出したことがある。
圭の葬儀の時、ご両親の傍でただじっとうつむいているだけのミレイちゃんに、私は何も言葉をかける事が出来ずにいた。どうしたらいいんだろう、わからなかった。その日から少しだけ疎遠になってしまった。
でも今は違う。圭は生きている。私の記憶には彼の葬儀から約2年以上の空白があって、いや違う。彼に関する記憶は止まったままなんだ。
でもこの世界ではずっと一緒だったらしい。お昼に私のお弁当箱に手を伸ばしてきた圭、それを見ていた友達の表情、ずっと一緒だったみたい。同じ高校を受験して同じ中学を卒業して、拍子抜けするくらいにありきたりの日常をご近所の同級生として生きている・・・。
うれしくって泣いた。
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