芸術家気取りのクソ野郎

エリー.ファー

芸術家気取りのクソ野郎

 私たちはこの場所で、時間に縛られない文化を作り出そうと考えています。

 難しいと思われるかもしれません。しかし、決して不可能ではありません。願えば叶うのではなく、戦えば叶うことは間違いないのです。

 いずれ、私たちはどこかで息絶えるでしょう。けれど、それでも続けることに意味があります。

 そのうち、形作られた文化が誰かの頭上に現れます。きっと、それは悲劇にも喜劇にもなるでしょう。

 その時。

 誰が文化になるのですか。

 誰が文化と共に歩むのですか。

 誰が文化に近づくのですか。

 あなたなんですよ。

 あなたたちなんですよ。

 私たちなんですよ。

 失ってはいけないのです。

 これが、たとえ遠くに見える景色と同じだったとしても。




 変わりゆく世界の中できっと嘘をつくのが癖になってしまうでしょう。

 それが悲しくて、悲しくて。

 私は自分を見失う快感に取りつかれることでしょう。




 デザインを知っていますか。

 世界を標準的にするかもしれない何かです。もしくは、そこに付随するアートです。

 扉を閉める前に、何を大切にするかを語る必要があります。

 これは、あなたの物語です。

 絶対に考えを曲げてはいけません。

 誇りを持って生きていく。

 これがすべてです。



 自分の生き方に自信を持ってください。

 絶対に見失わないで下さい。

 大切なことは二度も、二回も、二周目も。

 存在しないのです。

 嘘をつきました。

 実践的な行為だけが重要なのです。



 欠損している感情は、私を変えてはくれないでしょう。



 狭めてしまうのは思考です。



 体が空に。

 空が体に。

 何を見ている。

 これは俺の物語ではない。

 お前の物語だ。




 芸術家って、クソ野郎が多すぎると思いませんか。

 人間ができていないというか、全く自分の周りを観察できていないというか。

 これから先の未来に、目を向けられないというか。

 いや。

 目を向けた先が未来になるとも言えるのか。

 分からないことばかりですけれども。

 どうですか。

 好きになってくれますか。

 この奇妙な場所に愛を持ってくれませんか。

 お願いします。

 どうか、お願いします。




 このクソ野郎が、何を言っているんだ。

 どうしたら、こんな問題を放置できる。

 面倒くさいなんてのは理由にならないんだ。

 戦って、ようやく芸術だ。

 ありふれてようやく芸術だ。

 いつかの非常識を、これからの常識に。

 その定義にあてはまる限り、すべてが芸術だ。

 そうだろう。

 違うか。

 あぁ、またか。

 また間違えたのか。

 俺は。

 説得と殺人を間違えてしまう。

 いずれ、大きな問題を起こしてしまうことだろう。

 あぁ、やってしまった。




 この喉仏には真実がある。

 鳴らした言葉から生み出された本物はいつだってリリシズム。

 情緒を失ってあえて名乗る芸術家。

 けれど。

 敵ばかりいることが、悲しみに濡れた本物のリアルな証明。

 壇上に上がるな。

 口から吐き出すな。

 それは唄じゃない。

 戯言だ。



 

 芸術を家の中にしまって芸術家。

 家とはなんだ。

 人間の心のことだ。

 



 クソ野郎と呼ばれても、芸術を失わない。

 たとえ、この身が朽ち果てようとも。

 いつまでも誰かを願い続ける。

 たとえ、好みが朽ち果てようとも。

 いつまでも個性を抱き続ける。

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