第11話 始まりの場所で
日が暮れようとしていた。
ソーディアンはマーガイト城と王都を見渡せる丘の上にいた。普段通る人はなく、魔獣がいるから猟師もこの辺までは来ない。二年ほど前……まだソーディアンが勇者の力に目覚める前に、冒険の途中で見つけた場所だった。
ソーディアンは暮れなずむ景色を見ていた。その体には勇者の武具が身につけられていた。魔王との戦いの後に遺跡に返してきたのだが、勇者が天に上るためにはこの力が必要だった。武具たちもまだ眠ってはいない。最後の役目を理解し、ソーディアンともに夕日を浴びていた。
これが、最後に見る景色だ。大好きなこの国を、美しいこの世界を、この目に焼き付けておきたかった。たとえ全てが消えるとしても、せめて、この想いだけでも持っていきたかった。
「やっぱりここにいたのね……」
背後からの声に、ソーディアンは少しためらい、そして振り向いた。そこにはキュスラがいた。その目は夕日を映し、赤く燃えているかのようだった。
「ここは思い出の場所だからね。最後に……見ておきたかったんだ」
「そうね……覚えている? あなたはここで、ここから見えるこの国の人たちを、みんなを笑顔にしてやるんだって言ってた」
「ああ……覚えてるよ」
「シャキアは変な願いって笑ってたね」
「ああ。それにハイネルは、俺の名前がついた村を作るんだって言ってたな。懐かしいよ、あの頃が……」
シャキアとハイネルは二年ほど前、初めてソーディアンがパーティを組んだ時の仲間たちだった。キュスラも仲間で、四人で旅をしていたのだ。
シャキアもハイネルも死んだ。旅の途中で戦いに敗れ、二人とも死んでしまった。いい奴らだった。彼らの最後の言葉は今も覚えている。ソーディアンはその言葉を胸に、仲間の死を背負って戦っていたのだ。
それからも仲間は増え、そして何人もが死んだ。そのたびに己の無力を憎み、二度とこんなことは起こさせないと誓った。それでも仲間は死に、ソーディアンはその度に強くなっていった。それでも悲しみは消えない。どれほどの力も、消えゆく命を救うことはできなかった。
勇者の武具をもう一度集めるために国中を飛び回ることになった。その途中で今までに立ち寄った町や通り過ぎた道を目にした。
国中に思い出があった。どの場所にも思い出があった。その思い出には悲しいことも多かったが、それでも大切な思い出だった。仲間と過ごし、旅をし、その死を看取り、ソーディアンは旅をしてきた。人生そのものの記憶だった。
ここが終着点だった。最初に志を立てた場所で、ソーディアンは死にたいと考えていた。
「本当に行ってしまうの……?」
意味のない問いを、キュスラはソーディアンにした。
ソーディアンは答えず、ただ微笑んだけだった。
「みんなと旅をして、つらいこともあったけれど……俺は幸せだった。今でもそうだ。俺はこの世界を守ることができる……俺が愛したこの国を、この世界を守ることができる。それは俺にしかできないことなんだ……」
「だから、あなたがやるのね?」
「ああ。もう……行くよ」
ソーディアンは一歩下がり、空を見上げた。
その時が近づこうとしている。キュスラは言葉を失った。伝えたい言葉があるのに、それを言葉にすることができなかった。言いたいことが多すぎて、何も言えなくなった。
「俺は家族がいなかった。でもみんなと出会って、家族みたいに思えた。本当に楽しかった。俺は……幸せだよ。もっと生きたかった。みんなとこの国で……そして、君や、アテルと……」
ソーディアンは目をつぶった。そしてその肉体と武具から白い光が放たれ始めた。ソーディアンの体が小さな光の粒になり、天に上っていく。
その光はそこかしこで起こっていた。森の中、山の中腹、村や町の近くでも。魔獣の死体もまた、光となっているようだった。
「さようなら、キュスラーー」
ソーディアンの声はかすれたように消えていった。ソーディアンの輪郭が滲み、光になっていく。
「あなたを愛している! ソーディアン、私はあなたを愛している……!」
キュスラは消え行く光に向かって叫んだ。やっと絞り出した言葉だった。
ソーディアンは光の中で何かを答えたように見えた。しかし何も聞こえず、光は消えていく。最後に見えたのは笑顔だったのだろうか。全ては掻き消え、ソーディアンは消えた。その命を悲しみの器として、一切の業とともに天に上ったのだ。
天に上る光はしばらくして消えた。そして、何もなかったように元の空になり、夕日が少しずつ暗くなっていった。
キュスラは立ち尽くしたまま涙を流していた。行ってしまった。ソーディアンが、愛する人が……行ってしまった。もっと早くに伝えればよかった。それでも……最後に彼に言葉は届いただろうか? 確かめる術は無かった。
「行って……しまった……」
キュスラの後方からアテルが近づいてきた。少し離れた森の中にいたのだ。ヤーガジュ族の
「ごめんなさい、アテル。あなただって、ソーディアンに言いたいことがあったんでしょ……?」
「いいんだ……私はっ、うっ……
アテルは空を仰ぎ、子供のように大声をあげて泣き始めた。キュスラはアテルに駆け寄り、その肩を抱きしめて、そして自分も泣いた。
かくして勇者は命と引き換えに魔王を打ち倒し、この世界に平和をもたらした。彼女たちの悲しみに救いがあるとしたら、それは、いつか彼女たちの悲しみも、勇者と共に天に上るということだ。時間も空間もない世界で、いつか彼らは再会を果たすのかもしれない。
それは人間には分からない事だった。だから彼女らはただ、泣いた。愛する男のために、そして、その男が守ったこの世界を想い、泣き続けた。
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