第4話 史上最大の作戦
かくして大怪獣ゲノザウラーの河川外搬出計画が実行に移されることとなった。その総責任者は勇者ソーディアンだった。
しかし参加するのは軍団の兵士が大半であることから、細かな指示は元帥が取り仕切っていた。勇者は人集めの為という考えもあったが、勇者とはいえ王以外に指示されるのは、元帥の誇りが許さなかった。それに、大規模な人員の運用となると、やはり元帥の方が手慣れているので、ソーディアンとしても助かってはいた。
勇者の主な役割は士気高揚、そして人集めだった。魔王を討ち果たしマーガイト王国に平和をもたらした英雄。その姿を見るために作戦に参加する一般人もいるほどだった。ソーディアンは参加者を募るべく、各地の主要都市を過密なスケジュールで行脚していた。
「魔王は消えたが、魔王の残した物がまだ残っている。それは魔獣だ。奴らの死体はマーガイト王国の大地と水を汚す。その中でもゲノザウラーの毒は特別に影響が大きい。魔王の脅威は去ってはいない。モーリダニ川とそれに接する全ての土地、多くの町や農耕地を守るためにもみんなの力が必要なんだ。どうかもう一度力を貸してほしい。私と共に戦ってくれ!」
「こっちだって魔獣の死体の処理で困ってるんだ! こっちの方を先に片付けろ!」
「そーだそーだ!」
「お前が魔王倒したからこうなったんだろ! 責任取って片づけろ!」
返ってくるのは心無い言葉ばかりだった。協力的な街もあるが、普段から魔獣の被害にあっていない都市部では、特に魔獣の処分に困っているようだった。勇者のせいで魔獣が町にやってきた。それは誤解でしかないのだが、それを言っても理解はしてくれないだろう。ソーディアンはただ、ひたすらに協力を呼びかけるだけだった。
「みんなの窮状は分かっている。国王も嘆願書の内容はよく分かっている。街の復興や農地の復旧も優先して解決すべき課題だ。しかし、ゲノザウラーの死体を放っておけば、王国全体の問題につながるんだ。この町だってそうだ。農業用水はモーリダニ川から引いている。それが汚染されればーー」
投石がソーディアンの言葉を遮った。
「ひっこめ馬鹿野郎!」
「帰れ! 全部お前のせいだ!」
堰を切ったように、石が飛んでくるようになった。ソーディアンはそれをよけずに受け続けた。
「何をしているか貴様ら! 逮捕するぞ!」
ソーディアンの脇にいた衛兵たちが投石した者を捕えようと槍を持って群衆の中に突っ込んでいく。蜘蛛の子を散らすように町の人が帰っていく。残る者は誰もいなかった。
「ソーディアン、無事か? なんて奴らだ、魔王を倒した恩を忘れて……!」
アテルはソーディアンの顔を覗き込みながら聞いた。
「いいんだ、アテル。あんな石くらいどうってことはない」
「お前の防御力ならそうだろうが……そういう問題じゃないだろ! いつまでこんなことを続けるんだ? お前はいいように使われているだけだ。そんなことは分かっているだろ?」
「それでも、一人でも多くの人の力が必要だ。いくら俺が強くても、さすがにゲノザウラーを動かすことはできない。それに……時間がないんだ」
「時間? まあ確かに、ゲノザウラーが死んでもう二週間くらいだ。大分腐り始めてるだろうな」
「……ああ、そうだな。デイレンさん、次の街は?」
「次はクラディアです。大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが? ひどい目にあいましたね」
「ああ、大丈夫だ。魔王軍に比べれば、こんなこと何ほどのこともない」
「すいません。あなただって仲間を失ったばかりなのに……」
「いいさ。それはみんな同じだ。俺だけ何もせずにいるわけにはいかない。俺にしかできないことを、やるだけさ」
アテルはそんなソーディアンの寂しそうな横顔を見ていた。ライオネルとアクローディアは魔王城での戦いで死んだ。その骸は崩れた魔王城に飲み込まれ、遺品さえない。そしてこれまでの旅でも何人も仲間を失ってきた。ソーディアンはその全ての死を背負い戦ってきたのだ。勇者は強い。ソーディアンは一度も泣き言を言わなかった。だが硬い鋼は、その硬さゆえにいつか真っ二つに折れてしまう。
何かを急いでいるようなソーディアンの様子に、アテルは不安を感じていた。
だが、私では……。アテルは一歩を踏み出すことができなかった。こんな時にキュスラは何をしているのだろう。魔王との戦いの後、教会に戻ってそれ以降顔を見ていない。葬儀や被害者への支援など教会の一員としてやるべきことは多いのだろうが……こんな時こそ、ソーディアンのそばにいてほしかった。
ソーディアンはお前のことを……想っている。そしてキュスラもまた、ソーディアンのことを想っている。それは愛とは少し違うのかもしれない。だが、二人の間に入り込む余地は無いように、アテルには思えた。強い何かが、二人の間にはあるのだ。
アテルはソーディアンに背を向け、唇をかんだ。ヤージャガ族の
心が苦しい。胸が張り裂けそうなほどに。そばにいたいと思ってしまう自分の心を何度も殺した。使命に、私情は不要なのだ。それでも殺しきれない想いが、アテルを苦しめていた。
二週間かけて、ゲノザウラーに面する森林の開墾が行われ、兵士たちの展開する場所と、ゲノザウラーを解体するための土地が用意された。
同時にゲノザウラーの下の地面を掘って、伐開した丸太をさしこむ作業も行われた。リゴア神殿の工兵は高い技術力を持っており、地下壕を掘る技術を応用してゲノザウラーの下に隙間を作っていった。
作業は順調だった。しかし、二週間かけて作業したことにより、ゲノザウラーの腐敗は進んでいた。まだ体液などは滲出していないが、体の膨張が始まっており、ひどい悪臭が周囲に漂っていた。臭い自体に毒性はなかったが、兵士たちの士気は低下し、体調不良を訴えるものも少なくなかった。
早くゲノザウラーを何とかしないと、状況は悪くなる一方である。作業は夜を徹して行われ、兵士たちに疲労は蓄積していたが、ようやく準備が完了した。
「ふむ。こうやってみると、壮観と言うより、随分窮屈ですな」
ゴウラ元帥は全体を見渡せる物見台から、整列する兵士たちを見ていた。
整列する兵士たちは計八万五千人。兵士が五万人で、三万五千人は一般人の義勇兵である。
伐開する森林の面積を少なくするため、通常の整列よりも兵士の間隔が狭く、腕を横にすると肘と肘がぶつかりそうな程であった。しかしいたずらに伐開面積を広げると作業に要する日数が伸びるため、これが限界だった。
「一人倒れたら将棋倒しになるのでは?」
ゴウラ元帥の隣の、ハルビネス神殿騎士団長が尋ねた。
「横方向の間隔は狭いですが、縦方向はある程度余裕を取っています。ぶつかりあう可能性はありますが、まあ大丈夫でしょう。強化術の施術もそろそろ終わります。予定通り十時から作戦開始です」
兵士たちは一人ずつ列を移動し、左右に並んでいる術師の前に出ていた。用意できた術師は千五百人。当初の予定よりも多く動員できたが、それでも全員に十分な施術をするには足りない。だが不完全でもいいから、とにかく全員に術をかけることになっていた。
十時まであと十五分。兵士達は施術の順番を待ち、悪臭に耐えながらその時間を待っていた。ゲノザウラーは死んだ時の姿勢のまま口を開け、濁った眼で天を仰いでいた。
引き綱でぐるぐる巻きにされたゲノザウラーの尻尾の付け根付近に、ソーディアンはいた。王国兵士と同じ鎧をつけ、強化術を受けているところだった。
施術しているのはキュスラ。魔王との戦いから約半月ぶりの再会だった。
「……これでいいわ。あなたの準備も終わった」
「ああ、ありがとう。これなら……少しはゲノザウラーも動かせそうだ。やっぱり君じゃないと、俺の強化は無理らしい」
「そうね。あなたの体はちょっと特殊だから」
ソーディアンは勇者として高い能力を持っているが、それは生来のものだった。二年前までは普通の若者並みの体力だったが、勇者として目覚めてからは、その身体能力は並みの魔獣を凌駕するものだった。肉体の力そのものが強く、また特殊な魔術的回路が体内にあるため、常人を遥かに凌ぐ力に強化されているのだ。しかしその為に、常人と同じように術の効果を受けることができなかった。ソーディアンの体内の波長に合わせ、術式を制御する必要があるのだ。それができるのは、長い間旅を共にしてきたキュスラだけであった。
「あなたは本気になれば、元から百人力くらいの力を出せる。私の術で更に百倍だから、一万人力ってところかしら」
「魔王でも一撃で倒せそうだな」
「そうね。でも戦闘中にこの精度で魔術をかけるのは無理よ」
「分かってるよ……そろそろ時間だろう。君は離れた方がいい」
「そうね。そう言ってくれるのを待ってた。鼻が……もげちゃいそう」
キュスラは鼻をつまみ、眉間にしわを寄せた。
「俺もだよ。まったく、ひどい置き土産だ」
ソーディアンはゲノザウラーを見上げた。尻尾の付け根、肛門らしき部分が見える。あまり近寄りたくない場所だったが、川側から押すのなら、この場所しかなかった。
ソーディアンとキュスラは顔を見合わせ、互いに苦笑した。そしてキュスラは森の方の指揮所に戻り、ソーディアンは腕を回して準備運動をした。
ソーディアンの役割は、ゲノザウラーを川の方から森の方へと押すことだった。計算では一万人分の力が出るので、兵士たちへの強化術の不足を補える計算だった。丸太のコロも下に敷いたので、動かせるはずだった。
太鼓が鳴り始めた。作戦開始の合図だ。ソーディアンは深呼吸をし、気息を整えた。
居並ぶ兵士たちも一斉に足元の綱をつかみ、引く準備をする。音頭を取る旗手隊が兵列の左右に並び、赤白の旗を太鼓に合わせて旗を上げ下げする。兵列が広く後ろの兵士が遅れてしまうので、音ではなく旗に合わせて力を入れることになっていた。
兵士長のザックが合図用の照明弾を用意し、物見台のゴウラ元帥を見た。ゴウラ元帥は手信号で許可を出す。
「総員、構え!」
ザック兵士長の声で旗手隊が一斉に右手の赤旗を上げ、兵士たちも腰を落とし用意をする。事前に練習をした成果か、兵列全体の動きはほぼそろっていた。後は実際に引けるかどうかだ。
「照明弾撃て!」
ザック兵士長の合図で、照明弾が撃ち上げられた。その様子は後方の兵士にも伝わる。後は太鼓の合図に合わせ、赤旗が白旗に変わると同時に引き始める。以降は旗の合図に合わせて綱を引き続ける手はずだ。
「総員、引け!」
ザック兵士長の合図で白旗が上がる。そして綱が一斉にひかれた。
綱が甲高い悲鳴のような音を上げて軋む。ゲノザウラーの巨体が揺れ、地面が僅かに揺れる。
「ううおぉぉぉー!」
ソーディアンも渾身の力でゲノザウラーを押す。強化術で固めた地面に足がめり込んでいくが、力をさらに強める。
引き始めて三十秒ほどが経った。ゲノザウラーの巨体は揺れるばかりで動かなかったが、ようやく、僅かずつ……僅かずつだったが、巨体が動き始めた。コロが回り始める。
「引けぇー! 王国の存亡がかかっている! 根限り引けぇー!」
ザック兵士長が声を張り上げる。兵士たちは渾身の力で引き続ける。そして一回引くごとに、ゲノザウラーは森の方へと動いていく。
「おお、成功だ! ゲノザウラーが動いている!」
ゴウラ元帥は物見台からゲノザウラーを見ていた。動かすために計画を立て兵士も動員していたが、実際に動き始めるとちょっとした感動があった。人の力も集めれば、あれほどの巨大魔獣すら動かすことができるのだ。それは死体相手のことではあったが、人の力の本質を見たような気がした。協力すれば、どのようなことでも可能になるのだと。
「ですがまだ動き始めたばかり。あと一〇〇メートルは引いていかないと」
ゴウラ元帥の隣でハルビネス神殿騎士長が呟いた。ゲノザウラーが川にはみ出している延長は約六〇メートル。まずその分を引かないと川への影響をなくすことができない。そして更に四〇メートルほど引いて処分用の平場に寝かせる必要がある。そこまで引ききって初めてこの作戦は成功なのだ。
開始三分。ゲノザウラーは五メートルほど動いているようだった。仮にこのペースだと、一時間は引く必要がある。
兵士たちは渾身の力で引き続けている。その体力は一時間は持たないだろう。何回かの休憩を挟み、そして場合によっては日をまたぎ引く必要がありそうだ。しかしその間にもゲノザウラーは腐敗が進むから、一時間でも早く作業を終える必要があった。
ゴウラ元帥は悪臭に耐えかね香水をしみこませたハンカチで鼻を覆った。成功すれば我が軍団の偉業となる。失敗すれば……それは勇者の責任だろう。
どうやって責任を負わせるか。成功を願ってやまないが、同時に保身のために思案を巡らせていた。ゴウラ元帥は、強かな男だった。
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