第2話 会議は踊る

 マーガイト城の執務室の大机を囲み、国王と国の要職者が集まっていた。国王の他には六人。セルジュ宰相、ドールボク国防大臣、アルカード農林大臣、ゴウラ元帥、イッソーラ教皇、ハルビネス神殿騎士団長がいた。

 クラウネス国王は後退し始めた前髪をガリガリとかきむしりながら、苛立った声で言った。

「あーもうどうすんのよ! あー困った困った! なんでこんな事になっちゃうのもー! せっかく勇者が魔王を倒してくれたのにさ、こんなんじゃ魔王にしてやられたようなもんじゃない!」

 国王の前には数十もの嘆願書が並べられてあった。被害を受けた都市や農耕地の復旧の支援の嘆願がほとんどであった。そしてそれに交じり多かったのが、多数の魔獣の死体の処理に関するものであった。

「何で魔獣死んでるの? 死んでるのはいいけどさ、死体だらけってどういうことよー! 今どのくらいになってんの?!」

 国王の左斜め後ろに立っていた宰相のセルジュが、一歩前に出て答えた。

「はっ。天文部による概略の試算ではございますが、今確認できているものは国土全体で約二百万体です。種類により魔獣の大小はございますが、妥当な数字かと」

「二百万? 二百万?! うちの国民って百万くらいでしょ?! それより多いってこと?」

「はい。そして調査によれば、人里離れた森や山でも同様に魔獣の死体が確認されています。その他にも洞窟や水中、海中の魔獣もいることを勘案すれば。ざっと一千万体でございます」

「いっ、せん、まん!」

 クラウネスは嘆願書の山をひっくり返して叫んだ。そしてしばし固まり、空気が抜けるようにゆっくりとうなだれた。

「何なの、これ? 今まで一度も魔獣の死体なんて問題になったことないじゃん?! 何でこーなってるのよ! えー! だれか説明しろー!」

 クラウネスは机を両手で激しく叩いた。鼻息も荒く列席している大臣たち睨みつけるが、みな視線をそらしていた。

「でー、そん中でも一番の問題があれよ、あれ」

 どっかりと椅子にもたれ込み、クラウネスはため息をついた。

「ゲノザウラーでございましょうか」

「そーそれ。ゲノザウラー。最強の魔獣だっけ? バカでかいやつ」

「体高はおよそ百メートルでございます」

「はっ! 百メートル?! この城くらい大きいんじゃないの? で?! そいつが問題になってるっての! あーもう、むかつくなー! セルジュ! 説明!」

「はっ。かしこまりました」

 セルジュは大机に地図を広げる。それはマーガイト国の地図であり、ある箇所に赤い印がしてあった。

「ここがマーガイト城でございます。そしてここから約六〇〇キロ先に魔王城がございます。そして魔王城より一〇〇キロほど手前、この位置に大魔獣ゲノザウラーの死体がございます。そこはモーリダニ川の河原でもあります」

 セルジュは細い棒で地図を指しながら説明をした。赤い丸の箇所が、ゲノザウラーの死体のある場所だった。

「モーリダニ川はマーガイト国を東西に横断する約五〇〇キロの河川でございますが、ゲノザウラーは河口より上流四五〇キロの地点の河原に倒れております。勇者ソーディアンにより倒されましたが、魔王が死んだ今もその死体はこの場所に残っております」

「どー、分かった? 何が問題なのか?」

 思案するような顔をしても、答えるものはいなかった。言えば何かと責任を押し付けられる。王に振られればその時はしょうがないが、可能な限り関わらないのが得策と大臣たちは思っていた。

 頃合いを見て、セルジュが説明を続けた。

「問題となっているのはゲノザウラーの死体がモーリダニ川の河川内にあるということです。死体は死後一週間が経過し、腐敗が進んでおります。ご存じの通り魔獣の体には毒素がございます。それにゲノザウラーは特別に強力な毒を両手の爪に持っておりますが、このまま死体を放置すれば、腐敗した体液や毒液が川に流れ込みます。流域四百五十キロが汚染され、生活用水、農業用水などに大きな支障をきたします。これが現在起きている、ゲノザウラーの死体による問題でございます」

 説明を終え、セルジュは国王の後ろへと戻った。

 クラウネスは再びため息をつき、言った。

「ねー誰なの? そもそもさ、魔獣の死体を処理するのってさ? 誰の仕事ー?」

 誰も何も言わなかったが、ドールボク国防大臣がもの言いたげに国王の方を見ていた。

「何? 国防大臣の仕事なの?」

「いえ。今回のゲノザウラーの死体についてですが、それは当然国王軍の仕事ではないですかな? 魔獣が出れば戦うのは国王軍。その死体もまた国王軍が処理することが妥当と思われます。そうでしょう、元帥」

 話を振られ、ドールボクの正面に座っていたゴウラ元帥はドールボクを睨んだ。しかしドールボクは涼しい顔でその視線を受け流した。

「そうなの、元帥?」

 ゴウラ元帥はしばし目をつぶり、答えた。

「……これは国防大臣の言葉とも思えませんな。魔獣の相手は、なるほど、われら国王軍の仕事でしょう。しかしそれは戦う必要があるからです。死体となった魔獣など……その辺の家畜と大した違いはありますまい。我ら国王軍が力をふるうまでもありません。それにお忘れですかな? ゲノザウラーの死体が残っているのは河原、河川の中。河川での普請と言えばそれは国防大臣、そちらの管轄でありましょう」

 そう言われドールボク国防大臣はゴウラ元帥を睨んだが、今度はゴウラ元帥がその視線を受け流していた。

「……確かに、河川での普請は我が国防省の仕事です」

 苦々しい顔でそう答え、ドールボクは続けた。

「しかしながら、それは流域の安全、すなわち洪水に対する備えや、農業用水の取水堰の管理などが主な仕事です。ゲノザウラーが堤や橋を壊したのなら、それは直しましょう。我々の仕事です。しかし、魔獣の死体の処理となると意味が異なります。引っかかった流木をどけるのとは意味が違いますからな。魔獣も動物。動物の事に関しては農林大臣、そちらの仕事ではありませんか? 先ほどから我関せずといった様子ですが……どのようにお考えですかな?」

 アルカード農林大臣はドールボク国防大臣の隣で唇をかんだ。国防大臣と元帥だけでやり合っていればいいものを、俺を巻き込むな。そう言いたかったが、王の前でそんなことを言えるわけもない。

 張り付いたような笑みを浮かべ、アルカード農林大臣は答えた。

「魔獣も動物。そのことについては同意いたします。しかしながらその性質は全く別であり、家畜や獣禽と魔獣を一括りに考えるのは、いささか乱暴なお話かと思います。我々は家畜等の生育や疫病の予防のために日々業務を行っておりますが、そこに魔獣は含まれません。魔獣の死体を始末しろと言われても……普段行っていないことですからな。それは出来かねます」

 国王は不機嫌そうに天井の方を見ていた。急に怒り出すことがあるから、アルカードはいったん言葉を切り国王の様子を見た。ひとまずは大丈夫そうだったので、言葉を続けた。

「しかし、どこの省も軍も担当ではないとすると、そうなるとやはり今ゲノザウラーがいる場所の管理者が処理を行うべきでしょう。仮に農林省で行うとなると、河川内への立ち入りには河川管理者である国防大臣の許可が必要となります。それは建前上のことではありますが、しかし国防省でやるのならその書類の作成の必要がない。一つ手間が消えます。我々農林省でやる理由は存在しないかと。もし国防省の仕事でもないのであれば、そうなると即応能力を持った組織、即ち国王軍が事に当たるべきでしょうな。水質汚染による国の危機というのであれば、それは軍を動かす十分な理由となりましょう」

 自分の方に来た球はきっちりと打ち返す。アルカードはその仕事をやり遂げ、一息ついた。まだ決着はつきそうにないが、これでしばらくは時間を稼げそうだった。今度はドールボクとゴウラが頭をひねる番だった。

「セルジュ殿。現地の詳細な物見図はお持ちかな」

 ゴウラ元帥はセルジュに聞いた。

「はい。ございます」

 セルジュは壁際の机から丸めた地図を持ってきて机に広げた。それは鳥観図で、ゲノザウラー周辺の様子が測量され描かれていた。

 モーリダニ川に面して北側にはシャッハ森林が広がっており、ゲノザウラーはその北側の河原で森に向かって倒れていた。

「ふむ。こうして見ると……ゲノザウラーは森の方へ倒れ込んでいる。足は河原だが、しかしこれなら森に倒れているといってもいいのでは? そうなると農林大臣、そちらの仕事になりましょうな。森の管理者は農林大臣だ」

「待ってください! 確かに倒れ込んではいますが……!」

 アルカード農林大臣は物見図のゲノザウラーの部分に指を当てる。

「御覧なさい。割合で言えば、六割は川の中でしょう? まさか二つに割って処分するものでもありますまい。割合の多い河川、国防大臣の担当でしょう?!」

 アルカードの言葉にドールボクも立ち上がり、物見図を指し示して言った。

「農林大臣。あなたはこの問題の本質が見えていないようだ。ゲノザウラーの体の中で最も問題となるのは何か? それはもっとも強力な爪の毒。その毒の袋です。毒袋は腕の付け根にあり、そしてそれは森の方にはみ出している。それを鑑みれば、やはりこのゲノザウラーは森に倒れていると言える。やはり農林省の仕事でしょうな」

「それは詭弁ですぞ! そのような無責任な物言いが通ると思いか!」

 アルカード農林大臣は気色ばんで言った。白い顔が紅潮し、まるで茹でたタコのようになった。

「無責任とおっしゃるが、それはそちらの方でしょう! これは国家の危機! 他人に責任を押し付けるようなものではない! 何故自ら率先して問題を解決するという気概を見せないのか! ゴウラ元帥、あなたもですぞ!」

 ゴウラ元帥は何も答えず腕組みをした。無駄な挑発に乗って感情的になってもぼろが出るだけだ。今の所、河川か森林かという話になっている。その間はあえて口を挟む必要はないだろう。ゴウラ元帥はそう考えた。

「自ら率先というなら国防大臣! そちらがやればいいではないか! そっくりそのまま言葉をお返しする! それにそもそも……」

 アルカード農林大臣はゴウラ元帥に顔を向けた。そして口から唾を飛ばしながら言った。

「そもそもゲノザウラーを魔王領で倒していればこんなことにはならなかった! 国王軍の失態ですぞ! 責任を取って死体くらい始末してはどうなのかね!」

「何だと……?!」

 アルカード農林大臣の言葉に、ゴウラ元帥は切れた。政治的な駆け引きは別にして、今の言葉は到底許容できるものではなかった。

「魔王軍に押され戦線が後退したのは事実。それがなければ確かにゲノザウラーは魔王領内で死に、このような問題も起こりはしなかったでしょう。しかし、あなたは死んでいった四〇八二人の兵士の事をどうお考えなのか! 我々は必死に戦った! 強力な魔王軍から国土と臣民を守るために戦った! 私も前線に出て指揮をした! 現地での戦いがどんなものだったかあなたに分かるのか! 安穏と王都で過ごしていたあなたに何が分かる! 腕の中で死んでいく仲間たちを看取った兵士たちの気持ちが分かるのか! 今の言葉は取り消していただきたい……! 死んでいった兵士への冒涜に他ならない! さもなければ……私があなたに何をするかわかりませんぞ……!」

 それはゴウラ元帥の、心の底からの怒りだった。兵士は国家と臣民に仕える。臣民からの信頼があればこそ、兵士たちも命を懸けて戦う。そこに兵士への敬意がなければ、兵士は命を懸ける意味を失う。自らを顧みない存在のために、いったい誰が命を懸けるというのだ? 四〇八二人が死んだ。家族がいて、恋人や友人がいた。四〇八二の悲しみがあるのだ。それを踏みつけにするようなアルカード農林大臣の言葉は、到底許せるものではなかった。

「……今のはちょっと農林大臣が悪いよ。さすがにね……国王軍はよく止めてくれましたよ。ほんっと、みんな感謝してます。ね、農林大臣。謝んなさいよ」

 クラウネス国王に言われ、そして激したゴウラ元帥の気迫に負け、アルカード農林大臣は頭を下げた。

「申し訳ない。心にも無いことを言ってしまった……どうか許してほしい」

「はい、ね。じゃあそれは謝ったからなしってことで。ね? 元帥もいい?」

「……はい。ご理解いただき感謝します」

 怒りは収まらない様子だったが、元帥は席についた。他の大臣たちも席につく。

「えーと……何だっけ。そうそう。で、ゲノザウラーは誰の管理かってことね? もーここでみんなでしゃべってても終わんないよ! どいつもこいつも責任押し付け合っちゃってさー。良くないよ、そういうのは」

 クラウネス国王は頬杖を突いた。

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