6-3

 暫くして麻美が替えの下着とパジャマを持って様子を見に行ったが、特に変わったことは無いらしい。時計を見ると風呂に入ってから二十分が経過していた。宇宙人は風呂好きらしい。

 二人がコーヒーを飲んでいると洗面所のドアが急に開いて、森野が裸で出てきた。

「この下着はどちらが前なのだ?」

 貴志は飲んでいたコーヒーをブッと吹き出した。

「お兄ちゃんは見ないで!」

 麻美はそう叫ぶと森野と一緒に洗面所に入りドアを閉めた。

 五分後、森野はパジャマ姿となって洗面所から出てきた。とりあえずトイレや歯磨きも自力で出来たので貴志はほっとした。

 貴志はキッチンに寝るつもりなので、自分の部屋に来客用の布団を敷いて森野を寝かせた。

 森野は布団がめずらしいのか、掛け布団をめくっては閉じてを繰り返していたが、やがて寝てしまった。枕を頭の下に敷かず、胸に抱いて寝ているのはご愛敬だ。まだ十一時前だが、やはり精神を合体させるとすごく疲れるのかもしれない。


 翌朝、麻美と貴志はいつもより早起きをした。

 貴志が森野を起こしている間に、麻美が手早くトーストとベーコンエッグにインスタントの野菜スープを用意してきれいにテーブルに並べると、森野はそれを非常に美味しいと満足しながら全部平らげた。

 アパートの玄関を出るときに麻美が小声で耳打ちをした。

「ちゃんと面倒を見てあげてね」

 念のため通勤ラッシュを避けて一時間早く出たおかげで、電車の混み具合も気になるほどではない。おかげで研究所には七時半前に着いたのはいいが、事務所には誰も来ていなかった。

 仕事は八時半からだが所長はいつも八時前には来ているのであと三十分。

 休憩室で待機することにして、貴志がお湯を沸かしインスタントコーヒーを入れて森野に渡した。森野はいつも砂糖を入れないので、同じように作って渡したが、宇宙人はコーヒーの苦味がお気に召さないようだ。

 貴志は宇宙人にくれぐれも自分の正体を言わないように念を押した。これ以上話がややこしくなると相談しにくくなる。

 七時五十分になると所長が休憩室に現れた。やはりコーヒーを飲みに来たらしい。

「おや、君たち早いね。今日はどうしたんじゃね」

「実はとっても大事な話がありまして、所長に相談するつもりで早く来ました」

「私に? ひょっとして君達結婚でもするのかね」

 冗談で言ったのは分かっている。

「この宿主とお前はそういう関係なのか?」

 森野の言葉に沼田所長は怪訝な顔をした。

「実はですね……」

「あら、二人とも今日は早いわね、どうしたの」

 そこへ岡田がひょっこり現れた。やはりコーヒーを飲むつもりなのだろう。

 手間が省けたと貴志は二人に昨日の出来事を手短に話して聞かせた。

「そんな冗談でしょ。からかってるの?」

「そんなこと急に信じろと言われてもなぁ……。どうしたもんかのう」

 沼田所長と岡田は廊下に出てヒソヒソと相談し始めた。

 間もなく二人が廊下から戻って来ると、岡田が尋ねた。

「何か納得させるような証拠はあるの」

 困った貴志は森野の顔を見た。

 森野はバッグから例の赤い球をひょいと取り出した。

「あなた、それは大事なサンプルでしょ。勝手に持ち出したらダメよ! 感染症とか、とても危険だわ」

「大丈夫、消毒は済ませてある。そもそも我が星でもアルコールは消毒用として有用である」

「これは興味深い話じゃな」と沼田所長が頷いた。

「あなた方は証拠が欲しいと言った」

 森野は手の平に赤い球を載せ、それを二人の前に差し出した。

「この赤い球を指でそっと触れて欲しい。証明に二、三秒もかからないだろう」

 二人が躊躇していると、「さあ早く」と言って森野が迫る。渋々二人は人差し指で赤い球を少しだけタッチした。

「それではよろしいか。今から証拠を見せる」

 赤い球がぼんやりと二、三回弱く点滅した。

 森野は赤い球を握ってまたバックに戻したが、二人は硬直したまま動かない。

「あの、どうしたんですか」と貴志が声をかけた。

 我に返った二人は、目を丸くしてお互いの顔を見合わせた。

「所長、見ましたか!」

「岡田君、君も見たんじゃね!」

「ええ、見ましたとも。あの景色は確かに地球以外のどこかの惑星。あれがあなたの故郷なのね」

「地球とは比べようもない高度な文明じゃ!」

 森野がうんうんと頷く。

 所長も岡田も急に顔つきが険しくなった。

「これは話を信用しない訳にはいかんようじゃ。んで、人質の森野君を返してもらうにはどうすればいいんじゃ?」


 八時半になって研究班と運搬班の全員が揃うと、沼田所長が一通りの事情説明をして、皆を驚かせた。そして秘密厳守の箝口令も敷かれた。

「岡田さん、対策課の浜口さんにも説明しなくていいんでしょうか」

「浜口さんから自衛隊や特防隊に情報が漏れたら、宇宙人確保が最優先事項になるわ。彼らにしてみれば森野さんの体よりも宇宙人の情報がよっぽど重要よ。あなたも森野さんに何かあったら心配でしょ。沼田所長の言うとおり、絶対秘密よ!」

「その通りです」

 貴志はもう余計なことは言うまいと決めた。

 八時四十五分になると、岡田、南原、島崎、そして貴志と宇宙人に乗っ取られた森野が、今後の方針を決めるため会議室に招集された。

 本来は運搬班の人間がこのような会議に出ることはないのだが、昨日から宇宙人と同伴している関係で貴志も同席となった。

「君の名前は何と呼べば良いんじゃね」

「地球人の発声器官の構造上、私の本当の名前を呼ぶことはできない。昨日から私はこの男に森野と呼ばれているので、そのまま森野で構わない」

「では森野くん、先ほどの君の要求をもう一度みんなに話してもらえんかね」

「私の要求は二つ。一つは仲間との連絡を取ること。二つ目は仲間が来るまで身の安全を保障すること」

「だが、どうやって仲間と連絡をとるんじゃね」

「この人間の記憶によれば我々が運搬してきた宇宙怪獣の残骸がこちらに運び込まれたのは分かっている。そこに案内して欲しい。頭部は残っているか? それがあれば連絡が取れる」

「連絡が取れた後どうなるんだ」と南原が尋ねた。

「もちろん仲間が私を回収しに来るはずだ。後は客人としてもてなしてくれればいい。それでは早速、残骸のところまで案内してもらおうか。頭部はあるか」

 岡田、南原、貴志が森野を冷凍保管庫まで案内し防護服を着せた。彼女は『何故』という顔をしたが、体の保護は大事である。

 四人で保管庫を見て回るとすぐに頭部が見つかった。

 特防隊が胸の辺りを攻撃したため、胴体部分は爆砕したが首から上は残っていた。しかし損傷が激しく角一本は欠けている。

「これでどうするつもりなの」と岡田が尋ねた。

「この角自体が精神波感応増幅器になっている。これで生物兵器の動きを制御できるのだ」

「精神波とは何だ」と南原が尋ねた。

「この人間の記憶ライブラリーでは一部の学者が研究しているようだが、まだ地球上では実用化されていない」

「それってテレパシーのことね」

 岡田が興奮して叫んだ。

 森野が角に触ると角全体が徐々に発光して高周波音が数秒続いた。

「今連絡が取れた。人目を避けて地球時間の今夜二時にここへ迎えに来ると言っている」

 この後客室に案内された森野、いや宇宙人は丁重なもてなしを受けて大変満足そうだった。というのも地球の美味しいものが食べたいとわがままを言い出して、沼田所長の指示で林と貴志が駅前商店街まで行って、和菓子、洋菓子、飲み物、昼飯のサンドイッチなどいろいろ買ってきたからである。

 まあ、沼田所長や岡田も宇宙人のご機嫌を取って故郷の政治や文化、人々の生活を色々聞きたいのである。

 意外にも宇宙人は話し好きだった。べらべらと良くしゃべる。

 話によれば地球に侵攻したのは資源開発のためで、しかも惑星政府の船団ではなく、民間有志連合による武力行使であったようだ。

 銀河連邦協定によって星間戦争は禁止されている。しかし条約地域外では、この太陽系もその条約地域外になるが、民間の有志連合が勝手に低文明の惑星資源開発をするぶんには問題ないらしい。

「そうか、本格的な星間戦争ではないので、あれしか宇宙船がいなかったのか。どうりで少ないと思った」

 南原は合点がいったらしく何回もうなずいた。

 その後も頻繁に休憩を挟みながら雑談話が続いた。

 定時になったが誰も帰ろうとしない。いや、帰れる雰囲気ではなかった。

 晩飯には寿司を取って食べさせたがこれも好評であった。

 宇宙人の話では迎えが近くまで来れば、テレパスで感応できるらしい。円盤が現れたら宇宙人が降りてくるので、森野が赤い球をその宇宙人に渡す。回収を終えた円盤は帰還し、森野はすぐに自我を取り戻して開放されるというシンプルな流れである。

 本当に宇宙人が約束を守るかどうか分からないが、ここは信じるしかないだろう。


 深夜になって調査研究部の全員が時計を気にしていた。時計の針は既に深夜一時四十五分を指している。

 すると森野が急にそわそわし始めた。もうそろそろだという。森野と貴志は急いで防護服に着替えると研究所の中庭に待機した。森野を操る宇宙人から貴志を付き添いにしたいと要望があったからである。

 一時五十三分、円盤が上空に現れた。

 所員は少し離れたところから様子を窺っている。

 四、五十メートル上空で円盤は綺麗に静止していた。大きさはイーグル程度で割と小型だ。そして円盤の下部ハッチが開いて淡く黄色い光線とともに宇宙人が降下してきた。照射光は引力光線と思われる。やはり科学技術は地球よりかなり進んでいる。

 地上に降り立った宇宙人に森野が向かうと、貴志はその後を追った。

 数メートルまで近寄ったとき、宇宙人は左手を挙げて高周波のような音を出した。

 森野は頷いて貴志に振り返ると、

「世話になった。この人間の体は返す。二、三分眠った状態になるが体に害はない。すぐに起きるだろう」

 そう言って森野は宇宙人に歩み寄ると赤い球を手渡した。一瞬赤い球が光って森野は力が抜けた状態で膝からゆっくりと倒れた。

 とその時、宇宙人はいきなり赤い球を握り砕いた。

 貴志は思わず「あっ」と声を上げた。

 円盤から今度はオレンジ色の眩い光が投射され、宇宙人はゆっくりと上空へ登って行くと、倒れた森野の足にも照射光が当たり、森野は足から宙吊りの状態でゆっくりと上昇し始めた。

 貴志は慌てて森野に駆け寄り彼女の腕を掴んだが、貴志も一緒に上空へ引き上げられ、そのまま円盤の下部ハッチから収容されてしまった。そのあと二人を収容した円盤はいずこともなく飛び去って行った。

 様子を見守っていたみんながわらわらと中庭へ飛び出してきた。所長は頭を抱え、膝を地面につけて呟いた。

「わしの判断ミスじゃ。何と言って親御さんにお詫び申し上げて良いやら……」

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