3-4

「やれやれ、これ以上走ったら心臓が止まるところだよ」

 ボスは息を切らしながら呟いた。

(裏口の扉が半開きになっていたのは助かったな。さてここで隠れて少し様子を見るか、どうするか?)

 考えながらボスは周りを見渡した。

 中は全ての窓のブラインドが閉じており、一部の窓のブラインドから夕刻の明かりがわずかに漏れて中を薄暗く照らしている。

(ここにいたらすぐ見つかってしまう。どこかに隠れねば……)


 貴志はドアのノブをそっと開け、こっそりと中の様子を窺った。

 この建物は以前岡田の荷物運びの手伝いで何度か来たことがあった。

 ここは二階建てで元々資料展示室とその資料保管庫であった。今は新館が出来たため、一階部分を改装して研究実験室として、二階はそのまま資料用倉庫として使われている。

 今回の外部展示のため色々倉庫から引っ張り出したようなので、その時ドアの鍵を掛け忘れたのだろう。全く不用心である。

「ここは僕一人で行きます。森野さんは至急みんなに他の出口を見張るよう伝えてください」

 二人が裏口から調べている間に、犯人が表口から逃げたら間抜けもいいところである。

 森野は「応援を呼んでくるわ」と言って駆け出した。

 貴志は中に入って周りを見渡したが薄暗い。電気のスイッチはどこだっけとドアの付近を探してスイッチを入れたが、裏口の直上が明るくなるだけだった。

 メインの照明のスイッチは何処にあったっけ? 入り口が明るくなったおかげで、辺りの様子も大分わかった。

 廊下の隅にはいくつもダンボールが置かれている。この廊下の突き当たりを右に曲がれば実験室に通じる扉があったはずだ。

 貴志は実験室に通じる扉をそっと開けて、ボスがいないか確認した。

 廊下の天井の照明は灯いていて、突き当たりにはまた廊下への扉、その手前中央右には実験室への扉がある。

 貴志は廊下の奥にあるドアのノブを回した。やはり次の区画へ続くドアは開かない。セクションごとに警備保安上の理由で自動ロックされており、次の区画に行くにはカードキーを機械に通す必要がある。

 するとこの実験室が怪しい。

 扉には鍵がかかっておらず、すんなり開いたが真っ暗である。貴志は壁をまさぐって照明のスイッチを入れた。

 部屋を見渡すと机や各種試験装置があり、奥にはさらに鉄扉があるが、誰もいない。鉄扉は保冷倉庫への出入り口である。最近貴志が岡田と来た時は怪獣の組織片を取りに来たのだった。この保冷倉庫はあくまでも仮置き用である。小型怪獣の死骸などは物によってはここに一時保存した後、北海道にある分室の大型保冷倉庫に送ることになっている。

 まさかなぁと思いつつ貴志は倉庫の扉に近づいた。

 倉庫の扉は大きな物を搬入するための大扉と人が出入りするための小扉がある。普段は大扉がロックされているため小扉から出入りするのだ。

 小扉を開けると中は真っ暗でひんやりしており、とりあえず中に入って照明のスイッチを入れた。

 するとそこには鬼の形相で仁王立ちするボスと襟首を掴まれてシュンとなった岡田の姿があった。

「岡田さん、なぜここに!」

「特異生物の体内バクテリアと変成作用というテーマで研究してたのよ。糞塊の保温槽観察は先週は島崎君が当番で今週は私だったわけ!」

「おまえら何言ってんだ?」

 ボスが強く後襟を締め上げると岡田が咳き込んだ。

「分かったから乱暴なことはやめてくれ。結局お前の要求は何なんだ」

「決まってるだろう! 俺はこっから逃げたいんだよ。出口まで案内しろ」

「いや、もうお前がここに入ったということは連絡済みだ。多分警察や警備員が出入口に待機しているはずだぞ」

「なんてこった!」

 憤慨したボスは腹立ち紛れに目の前のワゴンにつまれたあのケバケバしいスーパーボールに似た糞塊を貴志に投げつけた。

 貴志がひょいとよけると、そのまま壁に当たって癇癪玉のようにパンと大きな音を出して破裂した。

「なんだぁこりゃ? 花火の研究でもするのかい」

「やめてちょうだい。貴重なサンプルなのよ」

「やかましぃ、だまれ」

 興奮したボスはさらに数個の糞塊を投げつけると、そのうちの一個が電源盤を直撃した。

 電源盤から炎が上がってカシャンという音とともに扉の自動ロックが掛かった。天井の明かりも消え非常灯の明かりだけが小さく灯っている。

 貴志は扉のノブをガチャガチャ回してみた。

「だめだ開かない。岡田さん閉じ込められました」

 それを聞いたボスは岡田の襟首を放し、自分でノブをガチャガチャ回したが開くはずもない。

「なんてこった。自分で逃げ道を閉めちゃったよ。もう好きにしてくれ」

 ボスは観念したらしく、床にヘナヘナと座り込んだ。

 貴志は机の電話の受話器を取ったが音がしない。

「それはだめよ。だって最初にこの人が電話線を切ったもの。仕方ないわ。みんなが来るのを待ちましょう」

「あー俺も年貢の納め時か」

 何言ってやがると思って声の方を見ると、いつの間にか大きな糞塊の上にあぐらをかいて座わり、煙草をくゆらしていた。

 岡田が叫ぶ。

「それは貴重なサンプルなんだから座らないでちょうだい」

「おいボス。それは怪獣のウンコを乾燥させた物だと知ってんのかよ」

 驚いたボスはその上に煙草を落とすと、パパパンという破裂音がして煙が立ち始めた。

 すると今まで臭いもしなかった硫化水素特有の腐った卵のような匂いが、どんどん強くなってくるではないか。

 岡田が小扉をドンドンと叩いて「誰か来て!」と大声で叫ぶが、外部からの反応は無い。

 暫くすると頭痛や吐き気などの症状が出始めた。ボスは既に床にぶっ倒れている。

 岡田も「貴志君」と叫んだまま床に倒れ込んだ。

 まずい、本当に死ぬぞと思った貴志は残りの気力を振り絞り、

「メル、俺に力を貸せ!」

 と叫んだ。

 体から青白い炎が噴き出して力がみなぎってくると、その力で思いっきりドアノブを回した。

 ノブと扉が変形し、それを足で蹴飛ばすと蝶番が壊れてドアが開いた。

 貴志は岡田とボスを両脇に抱えて扉を脱けたが、吸い込んだガスの影響で足がもつれ、ドアから二、三歩出たところで倒れ込んだ。

 意識が薄れていく中でメルの言葉が聞こえた。

「糞塊が爆発する。あとは私に任せろ」

 無意識に近い状態で二人を抱え直すとまた声が聞こえた。

「これから飛ぶぞ、一週間は覚悟しておけよ」

 二人を抱えて立っている貴志の身体は徐々に緑の光に包まれていく。そして緑の光がだんだん透明色に変わり、マジックショーで人が一瞬で消えるように三人の姿も一瞬で消えた。

 気が付くと貴志、岡田、そしてボスは救急車の担架に乗せられているところだった。

 麻美が泣きそうな顔で何か言ったが、貴志は理解できなかった。そしてまた気を失った。

 次に気が付いた時、貴志は病院のベッドの上だった。麻美はお兄ちゃんと言うとすぐに看護婦を呼びに行った。

 結局病院に担ぎ込まれてから退院するまで六日も掛かってしまったが、メルの言っていた一週間というのは、まあ当たっていた訳だ。

 麻美の話では突然建物内部から爆発音が聞こえ、出入り口で待機していた本物の警備員と南原、森野は直ぐに扉から離れて物陰に身を隠したそうだ。

 何回か続いた爆発音が止んでみんなが顔を出すと、窓ガラスが割れ、建物から煙と炎が上がっており、舗道には貴志と岡田と窃盗団のボスが倒れていた。

 みんなは驚くと同時に、よくまあ無事に逃げてきたもんだと感心したとのこと。

 メルの話では、意識のなくなった貴志に代わってメルが貴志の体を操って、二人を抱えたまま外へテレポートしたということらしい。

 貴志は脱出の場面を人に見られなくて、本当に良かったと胸をなでおろした。宇宙人を体に宿しているなんて事は、他の人には言いたくもない。

 岡田とボスはすぐに意識を取り戻し、念のため検査入院したが一日で退院した。もちろんボスはそのまま警察へ直行である。

 貴志だけ意識が戻るのに二日かかり、謎の筋肉痛と虚脱感を訴えたため、さらに四日入院することになった。

 医者の話ではガスの影響には個人差があるため不思議なことではないと説明されたが、まぁ実際はメルの力のせいなのは言うまでもない。

 病院で意識が戻ると早速職場のみんなが見舞いに来て、特に岡田からは大いに感謝された。

 なにしろ岡田は二回も貴志に命の危機を救われているのだから当然である。

 研究所に出社した日も、事前に連絡しておいたため貴志の机の上には退院祝いのお菓子とメッセージカードが置かれていた。

『助けてくれてありがとう』と書かれたカードを見て、送り主は岡田だとすぐ分かったが、ただ残念なことに、岡田達の研究資料は全部燃えてパーになってしまった。

 爆発音の後、実験室から火の手が上がると、通報を受けた消防車が十台以上集まり、その台数に皆が驚いたらしい。スプリンクラーによる初期消火が功を奏して建物自体の被害は限定的だったがサンプルの消失が痛かった。

 森野も貴志も沼田所長から、これからは犯人を追いかけるような危ない真似はするなときつく叱られた。結局休みと入院は特別休暇と労災で所長が処理してくれたそうである。

 それでも退院したことを喜んでくれたので、まあ良しとしようか。

 それにしても超能力が使えたという事実は貴志にとって、非常に大きな驚きであった。

 これを遅刻しそうな場面とかで使えれば良かったのに……。

 虚脱感と筋肉痛で日常生活に使えないのがすごく残念だ。

 と、本気で悔しがる貴志であった。


                 第三話 完

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