1-2
「ものすごい数のハエね。ハエがたかっているくらいなら、毒性も無さそうね」
激臭とまではいかないが自然と涙の出てくる変な臭いである。肉片は一部が溶解して液状化していた。
「興味深いわ! ほんと興味深いわ!」
岡田は言葉をリフレインさせて上機嫌である。
「早く保存容器に採取してちょうだい」
物体の1メートル前からマジックハンドを伸ばして蠅を追い払うと、先端をブスリと肉片に突き刺した。一部が液状化しているせいか意外と柔らかい。そのまま小片をくり抜いて、素早く先端ハンドごと容器に入れた。
そのとき貴志はチクッと何かが刺さり、軽い電気ショックが体を走ったような、そんな気がした。ハッとして手を見ると血も出ていない。傷も見当たらない。
気のせいだったかとぼんやりしていると、岡田から金切り声が飛んできた。
「何をぼーっとしているの。早く警察に連絡して、この付近を立ち入り禁止にしてちょうだい」
おっとまずい、せっかくの上機嫌を悪くしては後々面倒だ。貴志は気を取り直して、また辺りを探索し始めた。
「貴重なサンプルも採れたし最高よ。もっと探しましょう」
そうしてしばらく歩くと、貴志は足がふらついてそのまま膝をつくと、崩れるように倒れ込んだ。そしてそのまま気を失った。
「いや、すまないね。ちょっと君の体に間借りするよ。大丈夫、君には特に害はないから。ちゃんと代価も払おう。ではまた後で……」
目を覚ますと貴志はファルコンの座席で横になっていた。
「よかった。突然倒れてびっくりしたのよ」
と岡田が貴志の顔をのぞき込んだ。
「大丈夫?」
森野が優しい声でコーヒーの入った紙コップを差し出した。
砂糖入りのマイルドな味でほっとする。「我々も同じように臭いを嗅いだが、なんともなかったんだがな……」
と南原が言った。
「すみません」と貴志は頭を下げた。
貴志が倒れた後、すぐ南原達が合流して貴志を背負ってファルコンまで運んでくれたのだ。
貴志は小一時間ほど気絶していたらしい。
身体に外傷もなく心拍も血圧も正常で、まるで気持ちよく寝ているように見えたらしい。
何か小声で寝言まで言っていたようだ。
「体質的にあの臭いが駄目なのかもしれないわね。今日は貴志君が機上待機して代わりに森野さん、一緒に来てちょうだい」
岡田はそう言うと、みんなと一緒にまた現場の調査に向かった。
結局、夕方まで捜索したものの他に何も発見できなかった。
「仕方がないわねぇ。今日は一旦引き上げるわよ」
空は既にきれいな夕焼けに染まり、一日が終わろうとしている。
その日、貴志は疲れて家に帰ると早めに床に就いた。が、妙な夢を見た。
誰かが貴志を呼んでいる。
「おーい、聞こえるかね」
貴志はそっと目を開けるが、まぶたが半分しか開かない。でも姿はおぼろげに分かる。
体は人間のようで肩幅があり、顔には目が複数付いて触覚らしき物もある。昆虫に似てなくもない。
びっくりして起き上がろうとしたが、ダメだ、体が動かない。まるで金縛り状態だ。
「今日から私はここに間借りさせてもらうことにしたよ」
突然金縛りが解けた。
貴志は部屋を見回したが誰もいない。
すると誰かがまた話しかけた。
「私は君の体の中だよ」
エッと驚く貴志がいて、冷静にその場を上から見おろす存在がいる。そんな不思議な感覚だった。
「私はね、この世界とは別の次元から来た幽体生命なのさ」
貴志の頭は混乱した。
(いったい何を言っている……)
「この次元に出ようとした瞬間、出会い頭とでも言うんだろうが、不本位ながらやつに取り込まれてしまったのさ」
別次元の幽体生命? なんだそれ……。頭がくらくらしてさらに混乱する。
「あいつのように知能指数の低い下等生物は本当に苦労するよ。だけどあの高度な生命体があいつを倒してくれたので助かった」
無意識に貴志が尋ねた。
「あいつとはあの怪獣のことかい? 高度な生命体とは巨人のことかい?」
「そうだ。そうでなければ私はずっとあの怪獣に取り込まれたままだったからね。でも突然解放されたはいいが、次の宿主をさがさないといけなかったのさ。そうしないと数時間で私は消滅してしまうからね。それで次の生命体を探していた所に、ちょうど君が通りかかってね、君に移動させてもらったのさ」
(そんなことって……)
脱力感が貴志を襲った。
「正直に言うと私には体がない。いや、あるにはあるんだがこの次元には存在しない。それで宿主とは共生関係になるのさ。ちなみに私らは宿主を殺すようなことはしない。むしろ是非来てくださいと言って無理に取り込むやつもいるくらいだからね。そのうち君は私に感謝することになるだろう」
もう何を言っているのか、完全に貴志の理解を超えていた。パニックに陥り大声で叫びたい気分だ。
「まあ落ち着け。困った時は私を呼ぶといい」
「呼ぶ? どうやって? お前の名はいったい……」
「私はメルザラムシュカナシュタリンファンバルシュタリクサだ」
「えっ、それは君の名前か?」
「人間が私の名前を正確に発音することは不可能だ。なにせ体の構造が違う。強いて言葉にするならばだ、メルザラムシュカナシュタリンファンバルシュタリクサと呼んでくれ。格式のある家系ほど長いのだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんな長い名前、僕には無理だ。メルでいいか」
「我が種族なら子供でも言えるのに……。好きにしたまえ」
貴志がふと目を覚ますとまだ夜中の二時である。夢だったのか……。
すると突然ふすま越しに声がした。
「お兄ちゃん大丈夫?」
妹の麻美が心配して声を掛けたのだ。
「ああ、大丈夫だ。ごめん。ねぼけていたようだ」
「人騒がせね」
そう言って麻美は隣室へと戻った。
それにしても変な夢だったな。そう思った途端、また眠りに落ちた。
朝、目覚ましが鳴る。
布団をかぶったまま手を伸ばして目覚まし時計を探す。
ふと夢で見た言葉を思い出した。
『困った時は私を呼ぶといい』
それを思い出した瞬間、貴志が拳を高く突き上げて宇宙人の名を呼ぶと、緑の炎が体から吹き上がるイメージが頭の中に流れ込んできた。
ハッとして飛び起きた瞬間、先ほどのイメージは頭の中から霧散した。
(おっと、ゆっくりしていては仕事に遅れる)
そう思うと、貴志は朝六時に家を出て研究所に向かった。今日は研究所に七時集合になっているのだ。
荷物や機材を積み込んで現地へ八時半に到着予定、打ち合わせの後、九時から再捜索を開始する予定である。前日に科学技術庁・特殊生物対策課の浜口課長を通して自衛隊へ出動を依頼してあり、人海戦術で怪獣の肉片サンプルを回収するのだ。
イーグルには岡田と班長の植村、そして貴志が乗り込んだ。
このイーグルはファルコンの姉妹機で、サンプル採取用の小型双腕車を搭載し、サンプル保管用の瞬間冷凍庫も装備している。ちなみに双腕車というのは、ミニショベルカーのショベルの代わりに2つのマジックハンドが付いた物である。両腕なら三百キロ近くの物を持ち上げて運搬できる。
飛行艇であるアルバトロスには、南原、島崎研究員と林、森野が乗り込んだ。
この機体には小型ボートと小型潜水艇が搭載されている。小型ボートには島崎と林が、潜水艇には南原が乗り込んで調査する予定になっていて、水上と水中の両方から探索する予定だ。
貴志の操縦するイーグルは予定通り八時半に到着したが、上空から龍ノ森湖を見渡すと湖水の一部が真っ青に染まっていた。
イーグルを昨日と同じ所に駐機させると、岡田は植村班長と一緒に指揮所の部隊責任者へ挨拶に出かけた。
自衛隊は八時から捜索を開始していた。
怪獣に関するサンプルを発見すれば連絡が来て、貴志が双腕車でサンプルを採取しに行く予定である。
少し遅れてアルバトロスが湖水に着水した。そのままボートと潜水艇を発進させ探索を開始する。
結局陸上組の貴志達は双腕車を出動させるまでもなく、最大でもサッカーボール大のサンプルが数カ所から見つかっただけであった。
アルバトロス組からは、午前中は何も発見できなかったと連絡があった。
お昼休みは湖水組が貴志達に合流して、昼食を食べながら午後の作戦を練った。
「陸上のサンプルはひょっとしてもう溶解しちゃったんじゃないですか? 水中のサンプルも溶けたり、魚に食われたりした可能性がありますよ」
林の言葉に南原は「そうかもしれん」と残念そうに答えた。
岡田はと言うと、ムッとして昼食にも手を付けていない。
「岡田さんお昼ですよ。なんか食べましょうよ」
貴志はなだめるように言った。
こういう場合の昼飯などはだいたい携帯食が基本である。調査で行くところは大概過疎地域が多いので、売店が在る方がめずらしい。
ついにしびれを切らした岡田は、自分も探索に行くと言い出した。それは貴志をお供に連れて歩き回るという事でもある。
午後から岡田が貴志を引き連れ、散々歩き回ったが結局サンプルの採取はできなかった。
なにせあの独特な臭いがする現場に行っても何もないのだ。
「臭いはすれど姿はみえず……」と貴志が呟く。
「それ違う。『声はすれども姿は見えぬ 君は深山(みやま)のきりぎりす』が正解。江戸時代の『山家鳥虫歌』という本に載っているそうよ」
「へぇー、そうだったんですか。博識ですね、岡田さん」
貴志が褒めた。
「常識よ」
岡田は一瞬ニコッとしたが、ニコッとしたのはそれきりで後は終始機嫌が悪かった。
何だかんだで捜索は五時に打ち切られた。
湖水組の南原からも、何も採取できなかったと連絡が入った。
特に成果もなく、今日で捜索は打ち切りとなり、付近の道路封鎖も解除された。
岡田は不機嫌そうにイーグルに乗り込み、シートに座るとすぐに眠り始めた。
あれだけ歩いたのだから、そうとう疲れたのだろう。
正直、貴志も眠いがまだ操縦が残っている。
研究所に戻ると、岡田が所長に簡単な報告をした。
所長も「やむを得んか」と言って、後は何も言わなかった。
貴志がやる事を終えて腕時計を見ると、八時を過ぎていた。帰りがけに南原から飲みに誘われたが、疲れているので断った。南原はいつも元気である。
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