第四節 辺境都市の英雄

第16話 懇願と対価


 今日も魔物を殲滅してスッキリした気持ちで街に戻ってくると、いつもと流れている空気が違うことに気づいた。

 人通りが少なく、どことなくピリピリした緊張感が漂っている気がする。戦いが起こっている雰囲気と言えばいいのだろうか。警備隊も真剣な表情で走り回っている。


「ボスぅ? どうしたのかしらぁ?」

「何かあったのでしょうか?」

「さあな」


 エリザとリリスも鋭敏に感じ取ったようだ。不思議そうに見つめてくるが、魔王たるオレも何でも知っているわけではない。知らないものは知らないのだ。

 一体何が起きている? 情報が足りぬな。


「あっ。見てぇ! 煙よ!」

「何本か見えますね。火事でしょうか?」

「ふむ。爆発音も聞こえるな」

「あらぁ、本当ねぇ! 一か所じゃなさそう」

「地面も微かに震えている気がします」


 ふむ。少し町全体の気配を探ってみるか。

 集中すると、遠くで魔法が発動する、世界改変時に発生する独特な気配と衝撃を感じ取った。それも一回ではなく複数回。場所もエリザの言う通り一か所ではない。いくつもの場所で争いが起こっている様子。


「裏組織同士の抗争でも起きているのかもしれんな。まあ、オレたちには関係ない。さっさと帰ってシルキーの飯でも堪能しよう。ついでに情報も得られるだろう」


 小料理屋『家妖精の鐘』はマフィア【邪妖精の眷属スプリガン・ファミリア】が贔屓する店だ。毎日誰かしら構成員がやって来る。彼らは余所者のオレよりも遥かに町の情報に精通しているはずだ。

 シルキーやブラウニーも何か知っているかもしれない。

 そう思って半ば居候している店に戻って来たのだが、小料理屋の周囲は厳戒警備が敷かれていた。

邪妖精の眷属スプリガン・ファミリア】の厳つい男たちが見回り、出入り口の前にもボディーガードのように立ち塞がっている。

 近づくオレたちを一瞬警戒したようだったが、すぐに気づいて頭を下げてくる。


「旦那! あねさん方! おかえりなさいやせ!」

「うむ。ご苦労」


 律儀な出迎えに少し気分を良くしながら店内に入ると、



「――ブラウちゃんっ!?」



 涙声に似た悲鳴が耳をつんざいた。声の主はガタッと勢いよく椅子から立ち上がった巨乳未亡人のシルキーである。

 彼女から普段のおっとりとした柔らかな笑顔が消え、顔色を青白くし、初めて出会った時のように激しく憔悴していた。

 帰って来たのがオレたちだと気づくと明らかに落胆し、すぐに引き攣った営業スマイルを浮かべて見せる。


「あぁ……おかえりなさいませ。お、お水を、用意しますね……」


 だが、彼女は全く落ち着きがない。震える手からガラスのコップが滑り落ち、澄んだ音を響かせて粉々に砕け散った。


「ご、ごめんなさい! す、すぐに掃除を――」

「シルキー。何があった?」

「っ!?」


 顔に張り付いた人工的な笑顔にヒビが入る。顔を逸らそうとする彼女を無理やり振り向かせ、壊れそうな灰色の瞳を至近距離から覗き込む。


「あぁ……な、なんでもありま……」

「無理やり笑顔を浮かべようとするな。見ていて痛々しい」

「…………」

「ブラウに何があった? 話せ」


 ブラウの名前が出た途端、スッとシルキーの美貌から感情が抜け落ちる。次に浮かんだのは強い焦燥。そして絶望。透明な涙が堰を切ってボロボロと溢れ出してきた。

 彼女は力なく床に座り込み、とめどなく涙を流しながら小さく呟く。


「ブラウちゃんが……私の可愛いブラウニーちゃんが……攫われました」

「ほう?」


 護衛であろう店内にいた【邪妖精の眷属スプリガン・ファミリア】の構成員に視線を向けると、シルキーの言葉を肯定して首を縦に振った。


「【東の果実フォビドゥン・フルーツ】と【豊穣の南風ノトス・アウステル】の奴らです。俺たちに対する人質としてお嬢を誘拐したようで」

「今、兄貴たちがお嬢を救出するために東と南の奴らを潰してるっす」

「なるほど。町の騒ぎはそれが原因か」


 抗争という推測は正しかったらしい。しかし、その原因がブラウの誘拐か。

 前回の誘拐からそれほど時間が経っていないのにまた誘拐されるとは、彼女は巻き込まれ体質というやつなのだろうか?

 まあ、それはどうでもいい。問題はブラウの誘拐だ。

 オレはどうするか。いや、魔王ならばどう行動する?


「ブラウニーちゃんが……私の娘が目の前で! なんであの時私はブラウちゃんの隣にいなかったの!? どうして! どうしてなのっ!?」


 娘を守れなかった母親の悲痛な叫びが店内にこだまする。

邪妖精の眷属スプリガン・ファミリア】の構成員たちは、そろって悔しそうに顔を伏せた。


「過去のことを嘆いても仕方なかろう。ブラウの救出はピーターに任せて、おぬしは料理でも作っておればいいではないか。オレはおにぎりが食べたいぞ」

「なっ!?」

「ほう? ブラウのことを助けてくれないのかと言いたげな瞳だな。怒りが燃える良い瞳だ。だがな、オレの身内ならともかく、顔見知りなだけの小娘を無償で助けろと?」


 娘を助けようともしない薄情なオレに怒りを抱いた母親に、理不尽で強烈な威圧を叩きつける。そして、怯んだシルキーへ魔王としての存在感や覇気といったオーラを醸し出して圧倒。空間を震わせるほど膨大な魔力が小さな小料理屋の店内に充満する。


「ふんっ! 無償の善意での人助けなど勇者にでも任せておけ。オレは勇者ではなく魔王だぞ? なぜそんなことをせねばならんのだ?」

「で、ですが、一度ブラウちゃんを助けてくださったのでは……?」

「あれは単なる気まぐれだ。それ以外の何物でもない。ブラウを助けた恩は、ブラウ本人とおぬしのもてなしで相殺されている。ブラウを助けてほしくば、この魔王たるオレを説得して動かしてみせよ!」


 オレの圧倒的な魔力と迫力にゴクリと息をのんで言葉を失うシルキー。

 いいなぁ! オレは今、絶賛魔王をしている!

 この理不尽で傲慢で独善的で唯我独尊で悪辣たるさまは、オレの理想とする魔王そのものだ! しかし、決して話が通じないわけではないところがポイントである。

 王に嘆願するのならば、それ相応の対価が必要なのは道理であろう?

 シチュエーションも完璧。まあ、場所が小料理屋というのがいささか気になるが、急なことであったし妥協するとしよう。

 さて、シルキーはどういう行動をとる? さぁ、オレを楽しませろ!

 挑発的な眼差しで見下ろしていると、彼女はゆっくりと床に膝と手をつき、深々と頭を下げて土下座した。


「……お願いします。娘を助けてください。娘から聞きました。ルシファさんたちは物凄くお強い方々だと。だからお願いします。今は一人でも多くのお力が欲しいんです」


 しかし、オレは傲岸な口調で彼女の懇願をバッサリと切り捨てる。


「ふんっ。土下座だけでは足りんな。そもそもおぬしの土下座に価値は無い。無償の奉仕などまっぴらごめんだ。オレをその気にさせるには、それ相応の対価が必要だぞ」

「対価、ですか……?」

「ああ」


 顔を上げた彼女の顎に手を添え、クイッと持ち上げる。娘のために恥すら捨てる、なりふり構わない凛とした強さと覚悟を滲ませる母親の美しい表情と見つめ合い、オレは魔王らしく悪辣に囁く。


「おぬしは娘のためにオレに何を差し出す?」


 パチパチと灰色の瞳を何度か瞬かせて一瞬だけ思案し、すぐに決然とした眼差しで見つめ返したかと思うと、彼女は簡潔に言葉を紡いだ。



「――何なりと」



「くっ……くくく! あーっはっはっは!」


 愉快だ! あぁ……素晴らしい! 笑いが止まらない!

『何なりと』だと? いい。実にいい! 何を言うかと期待していれば、予想をはるかに超えてきた。これ以上ないほど魔王への返答に相応しい言葉ではないか!


「何なりと、か。本当に良いのか? オレに全てを捧げることになっても?」

「覚悟の上です。娘を助けてくださるのならば私はなんだってします。なんだってできます!」


 覚悟の決まったいい目だ。普段のおっとりした姿からは想像できないほど、やる気と覚悟と決意を宿した殺伐とした空気を纏っている。今の彼女ならば神すら殴り飛ばすだろう。母は強しとは正しいな。

 シルキーは魔王たるオレに全てを差し出す覚悟を見せた。彼女は本気だ。ならばオレは王としてその覚悟に報いて嘆願を聞き届けようではないか。

 それに【東の果実フォビドゥン・フルーツ】と【豊穣の南風ノトス・アウステル】を壊滅させれば、魔王たるオレの強さと恐ろしさが辺境都市ジュラス中に広まることだろう。

 名を轟かせるのに絶好の機会である!


「おぬしの覚悟は受け取った。いいだろう。オレがブラウを助けてやろう」

「本当ですかっ!?」

「ああ。本当だとも。だが、わかっているな? ブラウを無事に救出したあかつきには……」

「……はい。私の全てをルシファさんに捧げます」



「――いや、別に全ては要らんぞ」



「へ?」


 神妙に頷いたシルキーが、ポカーンと拍子抜けした間抜け顔で固まった。

 何を驚いている? 今まで『何でもする』と言い出したシルキーの覚悟の確認をしただけで、オレは一度たりともシルキーの全てが欲しいとは言っていないが?


「オレはおぬしの料理の腕が欲しい。シルキーよ。今後はオレのために飯を作れ」

「ふぇっ!?」

「オレはおぬしの料理が気に入った。初めて食べたその一口でオレの胃袋は掴まれた……。朝昼晩と三食シルキーの飯を食べたいのだ! 魔王たるオレの食事はおぬしに任せる。だから心を込めてオレのために料理を作れ」

「え? あの……私なんかでいいのでしょうか? エリザベートさんやリリスエルさんは……?」


 何やら顔を真っ赤にして狼狽えるシルキーが灰色の瞳を泳がせながら、オレの背後に付き従っていたエリザとリリスに視線を向ける。


「ボスの決定は絶対よ」

「私たちもシルキーさんの料理が楽しみですから」

「えっと、お二人が良いならば……」


 ギュッと目を瞑った彼女はあたふたと慌てて頭を下げた。


「ふ、不束者ですが……よろしくお願いします!」


 ふむ? 何やら言葉や態度がおかしい気もするが、まあいいだろう。

 くっくっく! これでブラウニーを無事に救出できれば、魔王の料理番という食を支える重要な配下が手に入る。

 この際だから救出したブラウニーもスカウトするか? 本人が言っていた通り、彼女は部屋の掃除やベッドメイキングなど、オレが感心するくらい毎日完璧な仕事ぶりを見せるのだ。魔王の侍女に欲しいくらいの逸材である。

 親子ともどもオレの配下になれば頻繁に顔も合わせることができるし安心だろう。

 これは本気を出す必要があるかもしれぬ。


「ではシルキーよ。おぬしはおにぎりでも作って待っておれ。きっと帰って来た時はブラウも腹を空かせているだろう。ピーターたちへの労いも必要だろう?」

「……本当に娘を助けてくれますよね?」

「もちろんだとも。誰に物を言っている? オレは魔王ルシファだぞ!」


 覇気を纏って傲慢なほど自信満々に断言する。

 オレが助けると決めたら必ず助けるのだ。オレの言葉をなおも疑うのは不遜かつ無礼であるぞ!

 運命? そんなもの知るか! 定められた道などオレには通用しない。魔王オレ魔王オレの道を行く。

 オレの言葉にホッと息を吐くシルキー。その表情からは不安や焦りが消え、オレがブラウを助けることを漠然と確信した安堵のようなものが浮かんでいるのがわかった。灰色の瞳が潤み、頬がほんのりと朱に染まっている。

 帰って来てから初めてシルキーが微笑む。


「娘をお願いします。美味しいおにぎりを作って待っていますから」

「では早く助けなければな。おにぎりは出来立てアツアツが一番だろう?」

「あら。冷えても美味しいですよ。でも、やはり出来立てが一番です」


 早く帰ってきてくださいね、と暗に言われ、『行ってらっしゃいませ』と晴れやかで優しい笑顔で頭を下げられて送り出される。

 オレは魔王としての覇気をまき散らしながら店の外へと向かい、


「エリザベート」

「はぁい!」

「リリスエル」

「はい!」


 魔王の行軍に付き従う美しくも忠実な配下に一つ命令を下す。


「――ブラウを助け出すぞ!」

「「イエス、ボス!」」

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