第7話 攫われた少女
「あらあら。お醤油が切れちゃった」
料理をしていた天然でマイペースな母が、突然、おっとり微笑んでそんなことを言う。目元は困っているが、声音はのほほんとして全然困っていなさそうで、どう判断したらいいのか、19年一緒にいる実の娘でさえもわからない。
察するのが難しいのならば問いかけてみればいい、と娘は幼いころに学んでいた。
「お醤油がなくなっても料理作れるの? 仕込み、終わってないんでしょ?」
「う~ん……作れないわねぇ」
「ダメじゃん! ウチ、小料理屋だよ! 醤油は命だよっ!?」
「どうしましょう。このままじゃお料理が作れないわぁ」
今日のメニューは変更かしら、とお玉を持ったまま悩む母に、娘は提案する。
「私、ひとっ走りして買ってくる!」
「でも、一人でお買い物できる? お母さん、ブラウちゃんが心配……」
「私のこといくつだと思ってるの! 19歳! 大丈夫だって!」
「……じゃあ、お願いしようかしら。気を付けていくのよ、ブラウちゃん。知らない人について行ったらメッです!」
「わかってるよ、ママ。じゃあ、行ってきまーす!」
「行ってらっしゃい」
ポニーテールにした栗色の髪をたなびかせて、エプロンを付けたまま彼女、ブラウニー・ベルは駆け出した。
走り慣れた道。変わらぬ町並み。生まれ育ったこの町は、いわば彼女の
いつも贔屓にしているお店は走れば10分もかからない。
「――あぁー、そこの元気なお嬢ちゃん。ちょっと道を尋ねたいんだが」
「はいはい。どこに行きたいんですか?」
途中、キョロキョロを辺りを見渡していた男二人が走っていた彼女を呼び止めた。表情は優しげで、怪しい感じはしない。見るからに土地勘がなさそうで、迷子のようだ。
「ここに行きたいんだが……」
男の一人が地図を見せてきたその瞬間――
「きゃっ!?」
地図の内側に隠してあったハンカチでブラウニーの顔が覆われる。
「んん゛ぅっ!? んんぅ~!?」
息苦しさと恐怖で暴れるものの、成人男性二人の力に非力な少女が敵うわけがない。ハンカチに染み込んだ甘い香りに脳が痺れ、体から力が抜けて意識が遠のく。
睡眠薬、という単語が思い浮かんだ時には、もう既に指さえも動かせなくなっていた。
(だれか……たすけて…………ママ……)
少女の願いは誰にも届くことなく、意識が途絶えた。
――そして、硬いベッドの上で彼女は目覚める。
「うみゅ……」
「目が覚めたか?」
「あと5分、ピタおじさん…………って、誰の声っ!?」
知り合いのおじさんの声ではなく、もっと低くて渋い男の声だと気づいてブラウニーは跳ね起きた。
警戒しながら周囲を見渡すと、ベッドサイドに黒髪の男が座っていることに気づく。
年齢は40代ほど。身長は180センチ、もしくは190センチを超えているかもしれない。威圧感のある巨躯は、鋼の筋肉で覆われているようだ。彫りの深い顔立ちは冷酷さに満ちて、眼光の鋭い黄金の瞳に根源的な恐怖を覚える。身に纏う尊大な覇気は、ただの一般人には思えない。
見るからに悪者という男に言葉を失っていると、男はフッと皮肉めいた笑みを漏らした。
「それだけ元気ならば大丈夫だな。打撲はあるが、酷い怪我はしていない。凌辱もされていないようだ」
「あ、ハイ…………って、私、男の人に攫われて」
誘拐直前の記憶が蘇り、ガタガタと体が震え始める。年若い少女にとって、あの恐怖と絶望はトラウマとなってもおかしくない。
しかし、目の前の男が放った言葉によって、恐怖はどこかへ飛んで行ってしまう。
「その男たちならば捕らえて地下牢に放り込んでいるが、見に行くか?」
「……はい? 捕らえた?」
「ああ。奴らは人攫いをしていた盗賊の残党だ。有益な情報を持っていそうなので生かして捕らえてある」
「……盗賊? あなたも盗賊の一味なのですか?」
初対面で失礼だが、盗賊と言われても納得できる容姿をしている。なので少女の警戒心が一気に跳ね上がる。
「違うぞ」
「嘘です!」
男の返答を即座に切り捨てるブラウニー。
「どうせ私を油断させようとしているんでしょ!? 油断したところを襲い掛かって、絶望に歪む私の泣き顔に恍惚とした快感を覚えるドSな変態なんでしょ! 私はあなたにあんなところやこんなところを触られ、弄られ、舐めまわされてはしゃぶりつかれ、揉みしだかれるの! 嫌がりつつも百戦錬磨の
「……なかなか過激なものを嗜んでいるようだな、娘よ。まあ、他人の趣味嗜好には口出ししないが」
「ハッ!? 何故私は乙女の秘密を!? も、もしやこれが誘導尋問っ!?」
「いや、違うが? ただの自爆だ」
はぁ、と男は呆れたため息をつく。どことなく頭を抱えているようにも見える。しかし、すぐに気を取り直すと、横柄に胸を張った。
「オレが盗賊如きと間違われるのは心外だな。オレは魔王! 魔王ルシファだ! いずれ世界に恐怖の代名詞として名を轟かせる男である!」
「……へ?」
自信満々で堂々と言い切った男の言葉を咀嚼すること数秒。彼女は長年実家の小料理屋で鍛えられてきた酔っ払いの戯言へのスルースキルを発揮して魔王云々という発言を聞き流し、最も重要な部分、男が自己紹介をしたという事実のみを理解する。
「あ、私はブラウニーと言います。ブラウニー・ベルです」
「うむ。実に良い名だ。よろしく頼む…………って、違う! いや違わなくもないが……」
口上をスルーされて不機嫌そうにムッとするルシファの顔が面白く、ブラウニーはつい笑い声が漏れてしまう。さらにムスッとするルシファ。
ここまでくると、ブラウニーにはルシファが盗賊だとは思えなかった。ちょっと顔が怖くて言っていることはアレだけど、悪い人ではないと思う。
「ルシファおじさんって顔は怖いけど優しい人なんですね。顔は怖いけど」
「お、おじさんっ!? オレのことをおじさんだと! 魔王であるオレを……なんたる不敬!」
「あっ、気にするところはそっちなんだ。顔じゃなくて。……あのぉ、おじ様と呼びましょうか?」
「……うむ。おじさんよりはおじ様のほうがいい。おぬしは酷い目に遭って目覚めたばかりなのだ。多少の無礼には目を瞑ろう」
「えっと、ありがとうございます? 私のことはブラウと呼んでくれていいので」
「よかろう、ブラウ」
傲岸と頷くルシファの性格がだんだんわかってきて、やはり悪い人ではなさそうと思い始めたその時、彼の美しい黒髪から『醤油』という存在を思い出す。
「あぁっ!? 私、ママにお使いを頼まれていたんだった! 今すぐ買って帰らないと!」
「待て待て、ブラウよ。外を見てみろ。もう夜だ。しかもここはおぬしが住んでいた町ではない」
「え、嘘っ!?」
窓に飛びつくと、広がっていたのは人工の明かりが一つも存在しない深い闇だった。街明かりさえ見えない。人どころか生物の気配も皆無。
どうやら何時間も眠っていたらしい。
恐怖と心細さで泣きそうになりながら、ブラウニーは振り向く。
「ここ、どこですかぁ……?」
「知らぬ!」
「えぇっ!?」
「おそらく廃鉱山ではないかと思うのだが、詳しいことは知らん。つい数日前に、この建物をアジトにしていた盗賊団を壊滅させて、ようやく落ち着いたところなのだ。オレはどの方角に町があるかもわからぬ」
「廃鉱山……確か、ジュラスから1時間くらいの場所に昔閉鎖された鉱山があったはず」
「ジュラスとは町の名前か?」
「はい。インヴィディア公爵領辺境都市ジュラス。私が生まれ育った町です」
ここが廃鉱山ならば、ブラウニーには町の方角がなんとなくわかる。1時間くらいならば夜の森を通っても帰りつけるのではないか……?
そんな甘い考えを見透かしたかのように、ルシファが有無を言わせぬ口調で告げる。
「ブラウ。今夜は泊まっていけ。早く帰りたい気持ちはわかるが、夜の森を甘く見るな。腹を空かせた魔物もウヨウヨいるぞ」
「うぅ……お世話になりますぅ……」
「うむ。では、お主の世話は他の二人に任せる」
「他の二人……?」
「エリザ、リリス。入ってこい」
「「イエス、ボス!」」
部屋のドアが開き、息を呑むような美女が二人、中に入って来た。実際、息を呑むどころか呼吸が止まった。同性であるブラウニーすら見惚れるほどの絶世の美女たち。あまりに美しすぎて嫉妬すらわかない。
気の強そうな紅髪の美女と大人しそうな薄桃髪の美女が、ルシファという男の隣に侍る。その姿は、恋人のようにも、愛人のようにも、忠実な配下のようにも見える。
ブラウニーの恋バナに飢えた乙女心、もとい野次馬根性がビンビンと反応する。興味と妄想が尽きない。
「オレの配下のエリザベートとリリスエルだ。女同士のほうが安心するだろう。エリザ、リリス。彼女はブラウニーだ。オレの客として丁重にもてなせ」
「「イエス、ボス!」」
「あの、よろしくお願いします……」
ルシファは二人の美女に後を任せると、『風呂に入るかぁ』などとおっさん臭い独り言を漏らしながら部屋を出ていった。
美しすぎるが故に壮絶な威圧感を感じるエリザベートとリリスエル。無言で立っているだけなのに、本能が彼女たちに屈して跪きたい衝動に駆られる。呪いにも似た強力な
ブラウニーは気後れしつつも、好奇心に抗えずに恐る恐る問いかけてみる。
「お二人はルシファおじ様とどのようなご関係で?」
「ワタシたちとボスぅ?」
「そんなの決まっています。ボスは――」
「ワタシたちの全てよっ!」
「私たちの全てですっ!」
「お、おぉう……予想以上に重い発言がきたぁー。え、目が
恋慕すら浮かぶ一点の曇りもない心酔した瞳の輝きにブラウニーはドン引き。そして、彼女たちを平然と受け入れているルシファの懐の大きさにも驚愕だ。
「ねぇリリス。客人ってどうやってもてなせばいいのかしら?」
「……わかりません。しかし、ボスのご命令ですし」
「そうなのよねぇ」
「こうなったら本人に聞いてみるのが一番では?」
「それもそうね。ブラウニーと言ったかしら? ワタシたちは何をすればいいの?」
「えぇ……私に聞かれても」
ブラウニー自身、誰かにもてなされたことは無いのだ。店で客をもてなすのは毎日だが、今回のような状況とは全く違う。
「あ、お泊り会みたいな気楽な感じで全然かまわないんですけど」
「「お泊り会?」」
「……ダメだこりゃ。じゃあ、ひとまずこの家の案内をしてもらいたいです。お手洗いの場所とかを把握しておきたいなぁって」
「……そうね。お手洗いの場所は大切ね」
「キッチンやお風呂も案内しましょう」
すると、エリザベートとリリスエルは何故かお互いに見つめ合うと、何やら頷き合って無言で意思疎通をする。
「ねぇ、ブラウニー。お風呂、入りたくない?」
「お湯に浸かるととても気持ちいいんですよ。スッキリさっぱりします」
「石鹸もあって、汚れが落ちるわよ」
「お肌も髪も綺麗になります。おや、ブラウニーさんは少し土で汚れていませんか? 汗もかいたようですし」
「あらあらぁ。それはいけないわねぇ! お風呂、入りましょ!」
「ええ、ぜひ入りましょう!」
有無を言わせる声音で畳みかけられ、気づけば両サイドから腕をがっちり掴まれて連行されるブラウニー。
「えっ、えぇっ!? ど、どういうことぉー!?」
突然の展開にようやく思考が追い付いたときには、もう既に浴室の前の脱衣所まで連れ去られていた。
ほらほら服を脱いで、と言われるままに彼女は服を脱ぎ始める。
お風呂。石鹸。それらは一般庶民のブラウニーには縁遠いものである。普段は濡らしたタオルで体を拭くか、盛大に水浴びをするくらいである。温かいお湯を贅沢に使って身を沈めるなんてお金持ちがすることだ。正直、憧れていたものではある。
ブラウニーも一人の女性だ。体臭や汚れというのはとても気になる。強引に連れてこられたものの、お風呂で身を綺麗にするのは願ったり叶ったりだ。
それに、お風呂に入れば彼女たちのように綺麗になれるかもしれない――そういう期待や羨望も込めて服を脱ぐ美女たちに視線を向けたその瞬間、
「ぐはぁっ!?」
ブラウニーは途端に膝から崩れ落ちた。
「あらぁ?」
「どうしました?」
「ボンッて……ボンッでキュッでボンッ……メロンがボロロンッ……」
絶望するブラウニーにエリザベートとリリスエルの声は届かない。
なんという体だ。女神も嫉妬しそうな美貌と、服の上からでもわかるスタイルの良さはわかっていたが、いざ裸体を拝むと想像をはるかに超えてきた。同じ女性として嫉妬を通り越して絶望だ。異次元すぎる彼女たちと比較するのもおこがましい。
「アハハ……アハハハハ……」
完全なる美。視覚の暴力。美の化身たる彼女たちに無駄なものは一切存在しない。
女の
「この世界は理不尽だぁ……その体でヒューマンなんですかぁ……!?」
「いいえ、ワタシは
「私は
「四大美形種族じゃないですかぁー! その美しさも納得ですぅー!」
四大美形種族。それはこの世界で最も美しいと言われる四種族のことである。
吸血鬼族、淫魔族、エルフ族、そして、伝説とすら言われるほど希少な
美の頂点に位置する彼女たちに、単なる町娘のブラウニーが太刀打ちできるはずもなかったのだ。四大美形種族ならば、負けてもいっその事清々しい。でも、やはり猛烈に羨ましい。
「あどで、おっぱい触っでも゛いいでずがぁー!?」
「い、いいけど……」
「血の涙を流されるのはちょっと怖いです」
今度はエリザベートとリリスエルがドン引きする番だった。
脱衣所でそんな一幕がありつつ、服を脱いだ女性たちは、温泉の匂いが立ち込める露天風呂へと踏み込む。
「うわぁー! こんなにお湯がいっぱい!? すごぉ……」
驚きで目を丸くするブラウニー。お湯をこんなにも贅沢に使用しているなんてビックリだ。ちょっとした泉のように湧く水は、全てお湯なのだ。その証拠に、水面から湯気が立ちのぼっている。
初めてのお風呂の驚きは、すぐに別のもので塗り替えられた。
湯気の中から現れる巨躯。鍛え抜かれた鋼の肉体を惜しげもなく晒したルシファの登場である。
「ん? おぬしたち、ここで何をしている?」
「あっ、ボスぅー! 偶然ね!」
「ブラウニーさんが身を清めたいということで、お風呂をご一緒することになったのです」
「ふむ。そうか」
いつの間にか自分のせいになっている――と、ブラウニーは気づくことはなかった。
全ては、立ち去り際に『風呂に入るかぁ』というルシファの呟きを目ざとく聞いたエリザベートとリリスエルが、一緒にお風呂に入りたい、と望んで実行した結果である。狙い通り、風呂にルシファがいた。
しかし、ブラウニーはそんなことを気にする余裕がないほど、翠の瞳は一点を凝視し続けている。それは、ルシファの裸、それも股間部分だ。
「ド、ドラゴン!?」
初めて生で見る異性の体。想像以上のモノにブラウニーは戦慄し、絶句する。あまりの衝撃に、自分が彼の前で何一つ隠すことなく裸体を晒していることさえ忘れていた。
「ブラウよ」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
「オレの自慢の温泉だ。ゆっくり堪能するがいい」
「ひゃいっ!?」
「では、ブラウニーさん。まずは体を洗いましょうか」
「ひゃいっ!?」
「ボスぅ、すぐに行くから待っててねぇ!」
呆然とするブラウニーの体を洗い始めるエリザベートとリリスエル。
その後、我に返った彼女はルシファに裸を見られたことに赤面したり、裸でイチャイチャと抱き合う三人の痴態に鼻息荒くしたり、彼の肉体をボーッと見惚れては鼻血を堪えたり、目まぐるしく表情を変えたブラウニーは、ものの見事にのぼせてしまうのだった。
ブラウニーの受難はまだまだ終わらない。
風呂を終え、夕食も終え、そして夜も更けてきたので寝ることになったのだが、何故か、寝室がルシファたちと同じなのである。
明らかに恋人っぽい彼ら三人と同室……地獄だろうか? 独り身には拷問に等しい。
「ベッドはそれを使ってくれ。エリザとリリスに用意したのだが、全く使わないのだ」
「ヘ、ヘェー。ソウナンデスカー」
(ベッドを使わないなら、どこで寝ているんですかねー? 一緒? 一緒のベッドで寝ているということだよね!?)
彼女の推測を裏付けるように、ネグリジェを着たエリザベートとリリスエルはルシファのベッドに座って彼にしな垂れかかっている。
ブラウニーは泣きたい気持ちになる。というか、もうシクシク泣いている。
「別々の部屋で寝るという選択肢は……?」
「それでもいいが、ここは元盗賊団のアジトだということを忘れるな。何があってもオレたちは責任取らんぞ」
「……この部屋で寝ます」
誰もいないし新しく改築されているようだから忘れていたが、この建物は数日前まで盗賊たちが占拠していたという。ブラウニーを誘拐した盗賊たちは地下牢に入れられているらしいし、いつ外から仲間が帰ってきてもおかしくない。
危険と気まずさを天秤にかけ、後者を選択する。やはり気まずくても安心は大事だ。
ルシファが襲ってくることも無いだろう。彼女よりもはるかに美人な女性が二人もいるのだ。一般庶民の慎ましやかなブラウニーなんか目に入らない。
「しかし、ブラウの料理は大変美味であった。その腕なら料理人としてやっていけるだろう」
「あはは。ありがとうございます。一応、小料理屋の娘ですからね。本当は掃除や洗濯のほうが得意なんですけど、料理もそれなりにできます。助けていただいたし、一晩泊めていただくので、これくらいのことはしないと母に叱られます」
「うむ。一宿一飯の恩義だな。殊勝な心掛けだ」
真っ直ぐな言葉で褒められて妙に照れくさい。ルシファがお世辞でもなく本心から述べているからかもしれない。
もう見慣れてきた悪人顔を、ニヒルにフッと緩める。
「今日はいろいろあって疲れただろう。安心して休むがいい」
「……はい。そうします。今日は本当にありがとうございました。その、おやすみなさい」
彼らに背を向けて硬いベッドに横になる。清潔なシーツを被るが、一向に睡魔が襲ってくる気配はなかった。
目がビンビンに冴えて眠れない。睡眠薬で眠らされていたせいもあるが、大きな原因はすぐ隣で眠るルシファたちである。
特に年頃の少女にはお風呂の情事が刺激的過ぎた。男性の裸も、ハーレムを目の当たりにしたのも初めて。彼女の脳裏に刻み込まれて今も鮮明に思い出すことができる。思い出しただけで顔も体も熱い。
それに、いつ隣でハッスルし始めるのか気が気でないのだ。少しの物音にも聞き耳を立ててしまう。ブラウニーの心臓はうるさいくらいドッキドキだ。
それから数時間、日付が変わって夜更けも過ぎて『何も起きなかったか』と思い始めた頃、事態は急に動き出す。ふと隣で誰かが起き上がる音が聞こえてきたのだ。
「ボスぅ……そろそろいいかしらぁ?」
「もう我慢ができません……!」
(き、きたぁああああああっ!?)
心の中で歓喜の雄叫びを放ち、ブラウニーは人生で最も意識を集中する。これから隣で始まる男女の睦事をバレないよう覗き見するのだ!
「仕方がない。大声は出すなよ」
「「いえす、ぼす……」」
「ほら。少しだけだぞ」
「「んっ!」」
囁き声の後に衣擦れの音や身動きする音が聞こえたかと思うと、静寂に満ちた部屋にチュパチュパと卑猥な水音が異様に大きく響き渡る。
(こ、これって……これってぇっ!? キスなの? キスなのぉぉおおおおっ!? そ、それとも別のことっ!? ドラゴンがアレしてピーなのっ!?)
ゴクリ、と生唾を飲む。真っ赤な顔で聞き耳を立てる少女は、意を決して寝返りを打った。寝たフリは完璧なはず。情事は続いているのでバレた様子はない。
ホッと安堵するのもつかの間、ブラウニーはゆっくりと薄目を開ける。そして、月が浮かぶ窓ガラスを背景に、エリザベートとリリスエルが恍惚とした表情で、ブラウニーに背を向けたルシファの首筋に喰らいついている姿を目撃する。
(こ、これって
もはや寝たフリすらやめて、出歯亀少女は目をこれでもかと見開いて彼らの情事をガン見する。フーフーと鼻息荒い。翠の瞳が瞬きもせず血走っている。
「「…………」」
(あ、マズい。バレた……)
ルシファの肩越しに、闇夜の中で爛々と輝く紫紺の瞳と灼眼がブラウニーを捉えた。あまりの迫力に身を縮めるが、しかし彼女たちは何も言わず、むしろ優越感や挑発的な視線すら向けて、見せつけるように彼の首筋にねっとりと舌を這わせる。
(あっ、これはもう……)
「無理……ぶふぉっ!?」
あまりに妖艶でエロティックな光景にブラウニーの処理容量を超えた。盛大に鼻血を噴き出すと、天に召されそうなほど幸せそうな表情で、妄想が具現化する夢の世界に旅立った。
「あらぁ……勢いよく血を噴いたわねぇ」
「気絶したかのように眠っています。ボス、彼女になにかしましたか?」
「まあな。睡眠ガスを嗅がせた。まさか同時に鼻血を噴き出すとは思っていなかったが」
エリザベートとリリスエルだけでなく、ブラウニーが起きていたことにバッチリ気づいていたルシファ。恍惚と眠る彼女の顔に手を置くと、錬金術を発動させる。人体錬成を応用して鼻血を癒したのだ。
彼は立ち上がって暗闇の中で大きく伸びをする。
「これでブラウは何があっても起きんだろう。エリザ、リリス、感じているか?」
「もちろん。チリチリした視線を感じるわぁ」
「殺気が隠せていません。丸わかりです」
「ふむ。今まで死の危険に陥っていたからか、殺気などに敏感なようだな。わかっているのならば話が早い。どうやら公爵家の討伐部隊とやらが来るらしい」
どこかウキウキとした表情でエリザベートとリリスエルが妖艶に、かつ獰猛に笑う。
「どうするのぉ、ボスぅ? 殺っちゃう?」
「ボスは私たちの全て。どんなご命令にも従います」
ルシファは悩む。公爵家の強さも人数も何一つわからないのだ。公爵とはすなわち最上位の大貴族。下手したら戦力は一国の軍隊に相当するだろう。油断していい相手ではない。
「まずは対話を試みよう。敵対する理由は無いしな。だが、もし問答無用で襲ってきたのならば――」
彼は魔王らしく圧倒的は覇気をまき散らしながら尊大に笑う。
「――彼らには魔王に逆らうのがどれほど愚かなことなのか、身をもって体験してもらおうではないか! よいな、エリザ! リリス!」
「「イエス、ボス!」」
――全てはボスのお心のままに!
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