おすそ分けをどうぞ②
湖は水で満たされていた。たくさんの魚が泳いでおり、ミルルは夢中になって目で追っている。
「見て、アックス! あんなに大きなお魚がいるわ!」
「本当だ! いつの間にか小川を遡ったんだな」
するとミルルにふとした疑問が湧いたようで、首を傾げて尋ねてきた。
「ねぇ、アックス。湖の底からも小川からも水が注いでいたでしょう? いつか溢れて、水浸しになっちゃうわ」
「そうだなぁ、別に川が出来るか……出来そうな低いところがないな。あとは小川からの水より、湖底からの水のほうが強かっただろう? 小川の水が、逆に流れるようになるかもな」
「凄い凄い! 川の流れが変わることなんてあるのね!?」
ありえないことではないが、こんなに短期間で起ころうというのが、ありえない。凄いのはミルル、お前のほうだぞ……。
ただ、もしそうなったとしたら、小川の水量が増える、ということだ。そのうち川幅が広がって、小川とは言えなくなるだろう。
通りに橋を架けないといけなくなる、それは大工事になりそうだ。
「職人に頼んで、堤になっているところを切ってもらおう。水を欲しがっている方向に川が出来れば、助かる人が増えるぞ」
「水のおすそ分けね! それがいいわ! 早速お願いしに行きましょう!」
ということで、職人たちの元へ向かった。
先日納めた丸太が乾いたらしく、棟上げの真っ最中だ。
「精が出るな! ほら、おすそ分けの小麦粉だ。受け取ってくれ」
「アックスさん、助かるよ」
「建材は足りているか? 地走鳥を貸してくれたら、また切り出してくるぞ」
すると、職人たちは顔を見合わせた。建材を俺から買い取ることが、腑に落ちないのか?
「……何だ? 価格交渉なら応じるぞ?」
「いや、この前は申し訳なかった。あの森には、もう足を踏み入れないよ」
わかってくれて、ひと安心だ。少しでも費用を抑え、なるべく早く作りたいのだろう。
「こっちこそ、すまなかった。建材がもっと必要なんだろう? なるべく頻繁に寄るから、遠慮なく言ってくれ」
木こりのアックス復活だ。たった3年前まで、こんな生活が当たり前だったなんて、今となっては信じられない。
ミルルが裾をチョイチョイと引いてきた。
そうだ、大事なことを頼まなければ。
「湖水が溢れて川を逆流したら、森もうちも困るんだ。岸のどこかを切って、水の逃げ場を作れないか?」
「水がなくて、困っているところに流すのよ」
「なるほど、それはいい提案だ。ただ、その前に水源を見たいんだ」
その水源は、ゴブリンの森にある。しかし職人たちは恐ろしい目に遭ったのに、まったく臆する様子がない。
「なら、俺が見に行くよ」
「いいや、この目で見たい」
「モンスターがウヨウヨいるぞ。俺が案内しようか?」
「いいや、もうじきその必要もなくなる」
俺の案内がいらない……だと?
自分たちだけで、モンスターに太刀打ち出来ると思っているのか?
「それは一体、どういう意味……」
そのとき、遥か遠くに土煙が上がった。それは怒涛のような足音を伴って、次第にこちらへ近づいて来た。
職人たちは期待感に胸を膨らませていたが、俺とミルルは寒々しい不安感を募らせていた。
馬だ、それも数え切れないほどの騎馬隊。あの旗印は……ここから最も近いカタブーラだ。
俺たちの前で立ち止まると、隊長らしき男が
「我はカタブーラ騎兵隊、隊長のサマルコニフである。魔物が蔓延る森があるとの訴えに駆けつけたが、その森とやらはどこだ?」
職人たちは、すかさず隊長に平伏した。救世主でも見たかのような、安堵と懇願の表情を浮かべている。
「早速のおいで、感謝申し上げます。その森は川を辿った先にございます」
森のモンスターを殲滅しようと言うのか!?
こちらが手を出さなければ、何もしないのに!?
「ちょっと待ってくれ! 俺は、あの森のそばに住んでいるが、モンスターから何かをされたことはない。向かいに森があって、そこにはドワーフが暮らしている。そのドワーフたちは、あの森の恵みを得て過ごしているんだ。モンスターがいるからと森を破壊したら、ドワーフから恨みを買うようになってしまう」
俺がした必死の説得は、隊長以下騎馬隊に響いてくれない。依頼した職人たちには、響くはずもない。
それでも、騎馬隊の進行を止めなければならない。争いが争いを産むのが、目に見えている。
「ドワーフが得た恵みとは何だ? 職人から家具の謝礼について聞いている、どうせ酒だろう? そんなもの、我々が用意するさ」
この物言いは、ドワーフの支配を含んでいる。カタブーラは良質な家具を手に入れられる、鉱石を渡せば人間の手には及ばない複雑な加工がなされる。商人にとっては、またとないチャンスだ。
何と浅ましい……。
澄み渡る青空を写していた湖は、みるみる灰色に染まっていった。
例え話なんかじゃない、湖面には雲をのたうつ電弧が映し出された。
何てことだ、まさかこのタイミングで……。
『我が名はベルゼウス』
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