何が出来るかな①

「お魚、食べたかったわよね。置いてきちゃってゴメンね、クロ」

 黒猫は、わけもわからずニャーと鳴いてミルルの足にすり寄っていた。

 町中から魔女であることを非難され、ミルルの心は深く傷ついている。

 それを食べ物を失った後悔にすり替えて、黒猫を介して話すことで気持ちを保っているのだ。

「置いてきたのは俺だ。クロ、すまないなぁ」


「ねぇ、アックス。お野菜って、どう作るの?」

 牛肉は牛の肉、豚肉は豚の肉など、肉は字面でわかるし、魚は魚の形で売っているから、獲ったものを食べるのだ、ということが理解出来る。

 ところが魔法がなければ生きていけない荒野に生まれたミルルは、収穫する前の野菜を見たことがない。


「種や苗を土で育てて、大きくなったものを収穫するんだ。この辺りの土は痩せているから、野菜は育たないかも知れないな」

「土が痩せているって、どういうこと?」


 グレタに何でも教わったとミルルは言ったが、すべてではないじゃないか。

 畑の実りや森の恵みは任せろと、俺は得意気に教えてやった。

「雨が降ると、土が湿るだろう? そこに苔とかの小さな植物が風に運ばれて生えるんだ」

 ミルルは、ふんふんと頷いている。はじめてグレタに勝った気がして、俺は益々得意になった。


「それが枯れて朽ちると、土に栄養をもたらす。風や鳥が運んだ草木の種が、その栄養を吸う」

「枯れて生えてを繰り返して、土がどんどん豊かになるのね!」

 ミルルがわかると、俺も嬉しい。素直で賢い、いい娘だ。両親もグレタも、教えるのが楽しかったことだろう。


「森は何が採れるの?」

「キノコや木の実だな。豊かな土は、そうやって出来るから時間が掛かる──」

 簡単な話ではない、とさとす俺をさえぎったミルルは

「私、ルビーベリーの実が、だぁーい好き!」

と飛び跳ねて、窓へと駆け寄った。


 嫌な予感に背中を押されて窓を覗くと、外は滝のような豪雨。はじめて会ったときにやっていたから、こんな程度はお手のものだ。

「ミルル! 玄関から水が!!」

 雨は嘘みたいにピタリと止み、雲が払われ太陽が燦々さんさんと照りつけた。

 外に燃えるものは出していなかったか心配していると、地面は刷毛で塗ったように一面緑に覆われた。

 何と美しい大草原──


 ──は、一斉に枯れた。

 雨が降って陽が照って、芽吹いては枯れを繰り返し、館を囲む緑はどんどん大きくなっていき、ミルルが「ふぅっ」と溜め息をつく頃には、館が鬱蒼うっそうとした森にうずもれた。


「アックス! 木の実を取りに行きましょう!!」

「俺は雨漏りを直したいんだが……」

 矢のような雨に幾度となく襲われて、屋根が悲鳴を上げた末、螺旋階段は滝になっていた。


 ミルルに引かれて分け入った森は、夜のように真っ暗だ。木々は悶えるようにうねり、生い茂る草に行く手を阻まれる。

 俺は、ふたつの森を知っている。

 妻と娘との3人で楽しく暮らし、グレタに燃やされたローゼンヌの森。

 ブレイドたちとの旅の中で、蔓延るモンスターを退治した魔物の森。

 この森は、紛れもなく後者だ。もし迷ってしまったら、木こりだった俺でさえも生還出来る自信はない。


「アックス、木って不思議ね。触っていると生き物みたいに温かく感じるわ」

 木肌の凹凸がケラケラと怪しく笑いだした。

「……そうだな、確かに生きているようだ」


「見て、アックス! キノコがいっぱい!」

 走り出した。

「……毒があるかも知れないぞ?」


「見て、アックス! 木の実がたくさんってるわ!」

 髑髏ドクロのような模様がある。

「……これは毒がある。これも、あとそれもだ」


「見て、アックス! お花が咲いているわ!」

 クワッと開いた花弁には、無数の牙が生えていた。

「近寄るな! 食われるぞ!!」


 さすが魔女の森、と言うしかない。


 せっかく森を作ったのに何も収穫出来なかったので、ミルルは不満そうに膨れていた。

「お野菜も麦もなかったわ」

「育てるって言っただろう。野菜や麦は森にあるんじゃなくて、畑で作るんだぞ? 土を柔らかく耕して種や苗を植え、手間暇かけて育てるんだ」

「なぁんだ、それを早く言ってよ」


 窓の外で木々が宙を舞った。

「ミルル! 今度は何をしているんだ!?」

「何って、畑を作るのよ?」

 木立を切り飛ばしているのは、かまいたちだ。目にも留まらぬ真空が飛び回り、草木を跳ねて、八つ裂きにし、粉々になるまで砕いている。

 今、外に出たら骨のひと欠片かけらも残らない。


 森の一角が切り開かれると、露わになった土が至るところで吹き上がっては舞い踊った。

「何をやっているんだ、これは!!」

「耕しているの。これで土は、ふかふかよ」

 確かに開拓地は畑のようになったが、周りの森も吹き上がった土に呑まれて、益々異様な光景を形作っていた。心しか木のうろが、うめいているように見えてしまう。


「あとは種と苗ね。どうすればいいの?」

「家になければ、買ってくるしかないな」

「ええ〜!? 結局、買わないといけないの!?」

 その買い物が問題だ。

 騒ぎになったランドハーバーはもちろん、その近くの町でも魔女が出た、と噂になっているかも知れない。


「キャラバンから買うしかないわね」

「いつ来るのかはわからないし、彼らは長い旅をしているんだ。種や苗を持っているとは限らないぞ」

「お祖母様もお父様も、キャラバンから薬草の種を買っていたわ。きっとお野菜の種もあるわよ」

「しかし、こんな深い森の中では、呼んでも来てくれないだろう」


 ミルルは「それもそうね」と素っ気なく吐き捨てると、おもむろに玄関を開いて両手の平を正面に向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る