お客様が来たよ③

 さて、お茶の準備だ。

 俺ひとりでやるつもりが、ミルルはやる気満々である。


「飲み水も少なくなってきたわね」

「こら、ちゃんと柄杓ひしゃくを使え」

 貴重な水を、ベルゼウスが浴びた。


「炭もまきも少ないわね」

「こら、また魔法に頼って」

 ベルゼウスは一瞬で乾かされた。


「お茶の葉は、まだたくさんあるわ」

「ティースプーンは、どこなんだ?」

 ベルゼウスに茶葉が降りかかった。


「いい香り、さすがお祖母様が選んだお茶ね」

「ほら、ちゃんと手で持て」

 ベルゼウスは全身でお茶を堪能した。


 さすがのミルルも、これには気まずそうにシュンとした。ベルゼウスはハンカチを取り出して、お茶をぬぐっている。

「ごめんなさい、ベルゼウスさん……」

「いや、大丈夫だ」

「今すぐお茶をれ直しますわ」

「構わぬ。身体の芯にまで香りが染みた」


 水びたしにされ、火達磨にされ、茶葉まみれにされた挙句、熱いお茶をぶっかけられても、ベルゼウスは一切怒らない。

 これが魔王の余裕なのか、幼いミルルに甘いだけなのか、とにかく俺は再び命拾いしたらしい。


「邪魔をした、これで失礼する」

「もうお帰りなんですか!?」

 ミルルはベルゼウスを追うように席を立ち、俺はそっと胸を撫で下ろした。


「ベルゼウスさん!」

 引き止められて少し振り返ったベルゼウスは、どこか嬉しそうに見えた。やはりミルルには甘いようだ。

「今度いらしたら、お祖母様のお話をたくさん聞かせてくださいね」

 なるほど、それが目当てで墓参りに来いとか、お茶をしないかと言っていたのか。


 ベルゼウスは、小さく頷いた。

 また来るのか、魔王ベルゼウスが……。


 大きく手を振って見送るミルルに、ベルゼウスは恥ずかしそうに小さく手を振り返していた。

「いい方だったわね」

 俺は返事を躊躇したが、ベルゼウスの思わぬ素顔に触れてしまって「そうだな」と返すことしか思いつかなかった。


「あら? これは何かしら?」

「ベルゼウスのハンカチだ、届けてくる」

 玄関を出たところで、井戸端からヒソヒソ話が聞こえてきたので、足を止めて聞き耳を立てた。

 荒野の真ん中だから当然だが、やはりゴブリンとベルゼウスだ。


「ベルゼウス様、どうして『お祖父ちゃんだよ』って言ってあげないんですか! ミルルお嬢様と一緒に暮らしたいんでしょう!?」

 ミルルは、ベルゼウスの孫でもあったのか!

 最強の魔女と魔王の血を引いているなら、制御が効かないほど魔力が強いのも納得が出来る。


 しかし、ベルゼウスとミルルが一緒に暮らしたら、世界に破滅が訪れる。

 ミルルのそばにいる俺が、命と替えてでも阻止しなければならない。

 果たして守りきれるだろうか……流れる冷や汗が、俺を凍りつかせようとした。


「あの人間を幽閉するか、いっそ殺しちまえば、ミルルお嬢様はベルゼウス様を頼るしかなくなりますぜ!? 何を躊躇っているんですか! ベルゼウス様らしくありませんぜ?」

 ゴブリンめ、ザコキャラのくせに余計なことを言ってくれる。怒りと恐怖の両方で、俺は身震いした。


「……ミルルに嫌われたくないのだ」

 またもや命拾いをした、しかも魔王ベルゼウスの一声で、だ。感謝するしかないのだが、やはり妙な気分である。


「まったく……魔王なのにベルゼウス様は押しが弱いんだから。そんなんだから、若い頃にグレタ様を射止められなかったんですよ?」

 ベルゼウスはグレタに片思いをしていたのか! 魔王にも色恋沙汰があることが、何故か不思議に思えてしまう。

 グレタのことに限っては、見ている者が苛立つほど、未だにもじもじとしているのだ。

 子どものような純情さに、俺は笑いをこらえて震えてしまった。


「だいたい、息子さんとグレタ様のお嬢さんとの結婚に反対したのも、グレタ様と再婚出来なくなるのが嫌だったからでしょう? それとも、息子さんへの嫉妬ですかい?」

 魔王でも、そういうことは気にするのか。思いの外、倫理観がしっかりしているではないか。


 いや、黒魔術世界を統率し、無法者や反逆者を罰している魔王だからこそ、好き勝手し放題とはいかないのだろう。

 自ら作った規律を自ら守り、自ら範となる。

 人間社会で悪さを働く王侯よりも、ベルゼウスのほうが遥かに理性的ではないか?

 いかん、黒魔術世界が素晴らしいものに見えてしまった。


 そんなベルゼウスに、ゴブリンは物足りなさを感じているようだ。苦言は留まることを知らないようで、大事な何かを忘れてしまっている。

「ベルゼウス様は黒魔術世界の魔王なんだから、もっと傍若無人に振る舞っていいんです。親同士の結婚だとか、結婚に縛られるとか、変なところばかり真面目なんだから。もっと魔王としての力を……ヒィッ!!」


 ベルゼウスは、ゴブリンの眉間を指差した。

「そうか、私の力が見てみたいか」

「ご冗談をベルゼウス様、おたわむれは困ります、ちょっと口が滑っただけで、いやさすがベルゼウス様は魔王の中の魔王、世界はベルゼウス様の手にアアアアアアアアアア!!」

「冥土の土産に見せてやろう。グレタに会ったら宜しく伝えてくれ」

「ひでぶ」


 指先が眉間に触れると、飛沫しぶきが辺り一面に飛び散った。

 これが魔王の力……。

 俺は戦慄して、震えが止まらなくなった。


「何の音かしら?」

 少しだけ開けた扉から、ミルルが顔を覗かせてキョロキョロしていた。

「何でもない、カラスが鳴いたんじゃないか?」

「アックス、ハンカチをお返し出来たの?」

「ベルゼウスは、もう帰ってしまったようだよ」

「あら、そう。またいらしたときに、お返ししましょう」


 さて、ベルゼウスはどんな顔をして聞いていたのだろうか。


 やっぱり、また来るんだろうなぁ……。

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