第12話 日常
目が覚めると、僕はベッドの上だった。
「……頭が痛い」
記憶がぼんやりしている。
僕、いつ寝たんだっけ……。
そんな風にぼんやりしていると、ガチャッ、と扉の開く音が聞こえた。
視線をやると、ツユリが頬を紅潮させた、つつましい笑みを浮かべてそこに立っている。
「おはよう、お兄ちゃん……♡」
「おはよう、ツユリ……」
段々僕の頭が覚醒してくる。
ひとまず上体を起こそうとすると、手が何かに突っかかってできなかった。
代わりに響く、ジャラ、と言う金属音。
それは、鎖を想起させる。
「……いいでしょ。お兄ちゃんが逃げられないように、手錠、付けちゃった」
「付けちゃった?」
「付けちゃった♡」
「そっかぁ~♡」
可愛い。
何でも許しちゃう。
「そうだね、昨日、寂しがらせちゃったもんね。僕が悪いし、仕方ないかな」
「……仕方ないの?」
「仕方なくない?」
「し、仕方ない……よね」
ツユリの中でヤンデレと理性が戦ってて面白い。
ツユリは僕のかく乱に少々戸惑いを見せつつも、近づいてきて僕を至近距離から見つめてくる。
「ねぇ、……キスしたい。いい?」
「いいよ」
「やった」
そっと、触れるようなキスをする。一度、二度、三度。
四度目から、舌が入ってきた。
「ん……」
艶めかしい吐息がツユリの口から漏れる。
ツユリとのキスは、まるでミカンみたいに甘酸っぱい。
「……ぷは」
しばらくキスを交わしていて、やっとツユリは満足したようだった。
トロトロにとろけた表情で、僕の頭を抱きしめてくる。
「これで、二人っきり。お兄ちゃんと、二人っきり……」
「うん……」
「私、嬉しい。これで、あの女にお兄ちゃんを、取られずに済む」
「そう? 昨日のユイは突然だったけど、僕はいつだってツユリに無限の愛を注ぐよ」
「あの女の話はしないで」
ぴしゃりと、ツユリは言った。
それから、泣きつくように僕にキスをしてくる。
「私だけ、見て。他の何も見ないで……」
「そうしないと寂しさは癒えない?」
「癒えない……。お兄ちゃんが、どこか、遠くに行っちゃうみたいで、怖い……」
「よしよし……」
僕はそっとツユリの頭を撫でて慰める。
「大丈夫、僕はどこにも行かないよ。最後には絶対にツユリの傍に帰ってくる。だから、安心して」
「うん……。んっ? えっ?」
「あれ、どうかした?」
目をパチパチと開閉させて、ツユリは僕の手を見つめている。
それから、バッ、とベッドの端を見た。
「どうしたの、ツユリ。そこに何かある?」
「え、……え? ど、どういうこと? え……?」
ツユリはベッドの頭の方に何もないことを確認してから、足の方にも何もないことを確認する。
「どうしたんだい? 何か失くした?」
「え、いや、いやいやいや……」
「大丈夫かい? ツユリ」
僕は起き上がって、ツユリの顔を伺う。
ツユリは、ぽかんと呆けて、僕の顔を見た。
「……夢?」
「何が? ああ、僕との生活がってことかな。そうとも、僕との生活は至れり尽くせりで、まるで夢のようだろう」
「いやっ、そ、そういう事じゃなくて……!」
我に返ったツユリは、僕のナルシストジョークも聞こえていないらしく、手をわたわたと振ってこんな事を言い出した。
「だ、だって! わ、私、昨日お兄ちゃんを気絶させて、手錠で拘束して……。え、え!?」
「それはまた物騒な夢を見たね……。それだけ昨日は寂しがらせてしまったってことかな」
僕は言って、ツユリを優しく抱きしめる。
「大丈夫だからね。ツユリが監禁なんてしなくても、僕はちゃんと君の下に帰ってくる」
「いやいやいや! そういう話じゃない! だ、だって現実として監禁したもん!」
監禁したもん、はセリフとして面白すぎないか。
「ど、どういうこと? 意味わかんない。え? だ、だって買ったもん。一万五千円出して頑丈なの速達便で買ったもん!」
そんなに高いの買ったの?
「でも現実として僕自由だし……」
「それがおかしいって話をしてるの! え、何? 何したの?」
「何もしてないよ? 最初から監禁なんてされてないからね」
「いやいやいや! したもん。監禁したもん!」
「じゃあ手錠はどこにあるの?」
「……ない」
「でしょ?」
「え、えぇ……?」
ツユリは困惑しきり、という態度で、百面相になっている。
「ちょ、ちょっと整理させてもらっていい?」
「もちろん」
「昨日私は、速達便で防犯グッズを揃えて、帰ってきたお兄ちゃんを、改造したスタンガンで気絶させた」
「普通に一緒に夜ご飯食べて寝たじゃないか」
「お兄ちゃん、静かに」
「マイシスターの仰せのままに」
「ちゃんとツユリって呼んで」
で、とツユリは続ける。
「お兄ちゃんを、すっごい頑張って二階まで上げて、ベッドに寝かせて」
「背中がちょっと痛いのはそういうことか……」
「そう、それで……。今なんて言った?」
「昨日筋トレした時に背筋傷めたなぁって」
「存在しない記憶の話するのやめて?」
「お次をどうぞ、ツユリ」
「……」
ツユリは僕に疑いの目を向けている。
「それで、頑丈な手錠で、お兄ちゃんの両手両足をベッドの足に繋いで拘束した……」
「なるほど。ツユリの夢の中のぼくは、大変な目に遭っていたみたいだ」
「……夢? 本当に? 夢だったの……?」
「流石にそんな事、夢じゃなかったらおかしいと思うよ」
「……夢、夢……?」
ツユリは納得いかなさそうに、首を傾げている。
「まぁ、ひとまず朝ごはんを食べて登校しようじゃないか。ほら、着替えるから先にリビングに行ってて」
「え、う、うん……」
やんわりとツユリを部屋から追い出した後、僕は「ふぅ」と息を吐いた。
そして、懐から鍵の外れた手錠を取り出す。
「ピッキングを覚えていてよかったよ。ついでに、針金を体に仕込んでいたのもね」
さて、今日も元気に学校に行こう。僕は手錠を厳重に仕舞って、制服に着替え始めた。
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