第40話 以心伝心
こんな時に限って祐之進の妙な直感が当たってしまった。この道を選んだ時は美緒がいるのでは無いかと思ったからで、人斬りを探していたわけじゃ無い。むしろ今は出会いたくなかった。美緒を背負っている今だけは。
美緒が見たのは熊じゃく目の前の人斬りだ。背負った幼い美緒の緊張感が背中越しに祐之進に伝わってくる。
どうしよう、どうしたら良い…!
祐之進はジリと一歩後ずさった。だが視線は男から外せない。祐之進の喉がこくりと鳴った。
「美緒殿、林の中に…」
棒立ちになったまま祐之進がこそりと背中の美緒に囁きかけた時だった。一町(約10m)程先に対峙していた男がのそりとこちらに足先を向けた。始めはゆっくりとそして徐々に足を早め、遂には水飛沫を蹴立てて真っ直ぐに祐之進目掛けて走って来た。
恐ろしい形相だった。以前襲われた時は男の顔をまともに見ることは無かったが今は違う。乱れた髪や血走った赤い目。興奮に膨らんだ鼻と不気味に笑う大きな口が化け物のように迫り来る。祐之進は咄嗟に背中の美緒を林の方へと放り出し、反射的に腰に差した脇差を抜き放っていた。だが祐之進がそれを振るうより先に男の剣が振り下ろされた。
ヒュン!!
耳元で振り下ろされた刀の唸りが空を切り裂く音がした。祐之進がこの音を聞くのは一度目の遭遇からこれで二度目だ。だが、またも幸運が祐之進の味方をしたのである。ぬかるんだ道に足を取られた祐之進がよろめいたのだ。時を置かず二刀目が襲って来たが、今度は奇跡的に祐之進の脇差がそれを止めていた。
まだ元服前の祐之進の刀は脇差で刀身二尺(約60㎝)、それに対して男の刀は二尺半(約75㎝)。力も気迫も何もかもが男は祐之進より優っていた。しかも抜き身で誰かに刀を向けるなど祐之進には初めてだった。それなのに負けずに男に向かって無我夢中で刀を振り回した。
「ははは!
明らかに男は祐之進を揶揄って楽しんでいた。果敢に振り下ろされる祐之進の刀は男に掠りもしない。それどころか小手先で祐之進の刀を軽く右へ左へと
だが祐之進にしてみれば命懸け。必死に立ち向かいはするもののこのままでは斬られるのは目に見えていた。握り込む柄は濡れて滑り、手は小刻みに震えていた。風前の灯火に見えても二人の命がこの細腕にかかっていた。退く事は許されない。
「うをおぉぉぉーーー!!!」
崖っぷちに立たされた祐之進は男に向かって刀を振り上げ力いっぱい踏み込んだ。
キィィン!
金属音を発して祐之進の手からもぎ取られた脇差が宙を舞い、道の真ん中に鋭く突き刺さった。
嗚呼、これまでか…。私の命運は尽きたのか。
止むことを知らぬ矢立ての雨に打たれながら祐之進は心の中で美緒に詫びていた。そして男の刀がこれを最後と振り上げられた時、祐之進の瞼の裏にはアオの笑顔が浮かんでいた。
すまぬ、アオ!
ーーーアオ…!
アオが村へと帰って来たのはどっぷりと日が暮れた頃である。隣村から取り憑かれたそぼ降る雨は、いつの間にか酷い土砂降りになっていた。ボロ笠の滴る雨垂れの隙間から伺い見る村は、こんな天気にしては行き交う人が多くある。隣村の人足達が言うように皆人斬りを探しているのだ。
すれ違う村人の視線を避けるようにボロ笠で顔を隠しながらアオは道を急いだ。五日前、自分が村を出た時にはこんなに殺伐とした雰囲気ではなかった。女子供の姿は一人も見かけず、皆家の扉を固く閉ざして明かり一つも漏れてこない。真っ暗な村には合羽姿の険しい顔の若い衆が今にも雨で消え入りそうな龕灯を手に夜回りに余念がないようだった。アオはその中に祐之進の姿を探しながら家路を急いだ。そんな道々、一人の百姓が雨音に声をかき消されながら声をかぎりに叫んでいた。
「若様!祐之進様!どちらにおいでですか?!美緒!みおー!」
男の様子が気に掛かり、アオは不信がられるのも構わずに男に話しかけてみた。
「祐之進殿に何かあったのか、美緒と言うのは…」
呼び止めた男は相手が鬼だと分かると一瞬たじろいだが、今はそれどころではない。
「若様が、いなくなったおらの娘を探してくれているんだよ、もうだいぶ経つのに戻ってこねえ!裏山は探しに行ったが誰も居ねえし、何処へ行っちまったか分からねえ!お願いだ!娘を探してくれっ!」
アオの濡れた襟首を掴んだ男は中洲の鬼に必死に縋った。
「祐之進は何処に探しに行ったのだ!」
「おらは裏山を見に行ったが、若様は中洲の方に走って行ったんだ。今見に行ったがそこにはいなかった!なあ、お願いだ!娘を娘をどうか、どうかっ!」
こんな時ばかりアオに頼み事とは都合がいいが、この男もアオの方も切羽詰まっていた。アオは返事を返す間も惜しんで男を振り切り中洲の方角へと走り出していた。
無鉄砲な祐之進。正義感が強く世間知らずで向こう水。誰より危なっかしく、誰よりも真っ直ぐな。
大事になってなければ良い!無事でいてくれたらそれで…!
走りながらアオは猛烈な勢いで色々なことを考えていた。きっと祐之進は全く知らない場所ではなく、自分にとって馴染みのある場所に娘を探しに行ったのではないか。そしてそれは一番危険な場所なのではないか。最悪の考えばかりが頭の中を反芻したが、足は浜路が襲われたあの一本道へと走っていた。
それこそが神がかりな直感だったのかもしれない。
二人だけの以心伝心としか言いようもない。その時、アオの頭の中で祐之進が己を呼ぶ声が聞こえた気がした。見えぬ何かに導かれるようにアオは見えぬ祐之進に向かって雨に煙る道を走っていた。
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