あの温もりとあの女性と…
コミコミコ
心の奥底に眠っていた温もり
街は強風に見舞われる寒空の下で、私はコートとニットとマフラーを身に纏い、完全武装した姿で歩いていた。
「寒い……」
私__
夕日が沈む頃、冬の風はより一層冷たくなる。
自宅までまだあと数キロの距離があるので、私は足を早めようとした。
すると、すぐ横にある建物の扉が開き、『カランカラン』という音が鳴る。
開いた扉からは一瞬だけ暖かい空気が流れてきた。
その暖かさにつられ、建物の看板に目を向けると、『caffe string』と書かれていた。
(喫茶店か……)
喫茶店なんて久しく行ってないなぁと思いつつ、店内から聞こえてくる音楽に誘われるように、私は店に入った。
店内に入ると、香ばしい匂いと共にクラシック音楽が流れる。
カウンター席の他にテーブル席がいくつかあり、客の姿は全く見られない。
そんな事よりも、私は店内の暖かさにホッとした。
どうやら暖房が入っているようだ。
少し早いけど夕食代わりに何か頼もうかなと思っていると、カウンターの奥にいた店主らしき女性が話しかけてきた。
「いらっしゃいませ。どうぞお好きな席へ」
彼女は編み上げ靴にピンクのロングスカートとエプロンを着ており、長い金髪を後ろでまとめている。
年齢は20代後半だろうか?とても綺麗な女性だった。
「あ、はい……」
私は軽く会釈して窓際の席に着く。
そしてメニューを手に取り眺めると、そこにはコーヒーの種類が書いてあった。
普段ならよくわからない名前だが、今回は『ホットコーヒー』と書かれているためわかりやすい。
しかし、コーヒーだけで何種類あるんだろう……。
とりあえず一番人気と書かれたブレンドコーヒーを選ぶ事にした。
「すみません」
私が声をかけると、さっきの女性店員さんがやってきた。
「はい!ご注文をどうぞ」
「えっと……ブレンドを一つください」
「かしこまりました」
女性は笑顔を見せながら注文を受けると、再び奥の方へと戻っていった。
改めて店内を見回すと、落ち着いた雰囲気のいい空間だと思った。
クラシックの音楽も耳に馴染みやすいし、何より暖かい。
ついウトウトしてしまいそうだ。………… しばらく待っていると、先程の女性店員さんがカップを持って戻ってきた。
「こちらご注文のお品になります。熱いので気をつけて飲んでくださいね」
「ありがとうございます」
礼を言うと、女性の店員は私の目の前に座った。
「寒かったですよね。外、雪降ってませんでしたか?」
そう言って心配そうな顔を見せる。
確かに今年一番の寒さとか言われてたけど、まぁ大丈夫だろう。
「いえ、それほどでは……」
「そうですか。でも今日は特に冷え込みますから、あまり無理しない方がいいですよ。あ、どうぞ。飲んで下さい」
「はい。いただきます……」
勧めてくれるので、遠慮なく飲むことにした。
口の中に程よい苦味が広がり、思わずホッとする。
「はぁ…えと…なぜ座っているのですか?」
「ふふっ、なんとなくです」
彼女は楽しげに微笑みながら言った。……この人、距離感近いなぁ。
「今日はもうお客さんは来ませんから」
「どうしてですか?」
「実は…もう閉店時間なのです」
「え!?︎あ!すみません!」
私は慌てて立ち上がろうとするが、彼女がそれを止める。
「いいんですよ。それにまだ閉店準備があるわけじゃないですから。ちょっと休憩していただけなんです」
「そ、そうだったんですか……」
私は安心して椅子に座り直す。……という事は、彼女一人で店を回しているのか。大変だなぁ……。
「あなたのお名前は?」
「
「灯鳥ちゃん!可愛い名前ね。私は
「はい。よろしくお願いします」
私は軽く頭を下げる。
「ところで灯鳥ちゃんはうちの店初めてよね?」
「はい。初めてです」
「あら、それは光栄ね。じゃあお詫びも兼ねて一杯目はサービスするわ」
「え?そんなの悪いですよ。お金払います」
「いいの。いつも一人だから寂しいのよ。たまには誰かと話していたいの」
「はぁ、そういうものですか」
「そういうものだと思って頂戴」
「わかりました。ありがとうございます」
私はもう一度軽く会釈をした。
「どういたしまして。見かけたこと無いけど、どの辺りに住んでるの?この街は広いから帰る時、道案内くらいできると思うけど?」
「いえ、結構遠い所から来たので迷うと思います。一応地図を持ってきたのですけど」
私は鞄の中から手書きの地図を取り出した。
それを覗き込むように、編菜さんが顔を近づけてくる。
「んー、ここが街の入口ね」
彼女は地図の一点を指差した。
「ここからだと……確か北に行くと『アミューリア』っていう学園があったはずよ。そこの近くにある森なら、目印になる建物もあるからわかるんじゃないかしら?」
「そういえば、そんな事聞いたような気がします」
「ふふっ、よかったらまた遊びに来てね」
「はい」
「あと、私のことは編菜で構わないから」
「はい、編菜さん」
私が返事をすると同時に、お腹が鳴ってしまった。
「あっ……」
「あら、もうこんな時間なのね。ご飯がまだなら何か食べていく?」
「はい。ぜひ」
「わかった。少し待ってて」
彼女はカウンターの奥へと戻っていった。
しばらくすると、大きな鍋を両手で抱えながら戻ってきた。
「はい、どうぞ」
テーブルの上にコトンと置かれると、美味しそうな匂いが漂ってくる。
蓋を開けると、中にはロールキャベツが入っていた。
「これ、私が作ったの」
「凄い。お店で出せるレベルだと思います」
「ふふっ、褒めても何も出ないわよ。さぁ冷めないうちに召し上がれ」
「はい、いただきます」
フォークを手に取り、一口食べる。……うん!すごくおいしい!!︎
「とてもおいしいです」
私が感想を言うと、編菜さんは嬉しそうに笑った。
「そう言ってくれると嬉しいわ。ありがとう」
「でも、これだけ作れるなんてすごいですよ!」
「料理は好きなの。一人暮らしだしね」
「そうなんですか」
それからしばらく彼女と雑談をしながら食事を楽しんでいると、気づけば外は暗くなっていた。
「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末さまでした。ちょっと待ってね。今デザートとお茶を用意するから」
「あ、すみません。長居してしまいました」
「いいのよ。ゆっくりしていけば」
「いえ、流石にこれ以上は悪いです」
「いいの。いいの。座ってて」
「で、でも……うぅ……では、せめて片付けだけでも手伝わせてください」
「ふふっ、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて手伝ってもらおうかしら」
「はい!任せて下さい!」
私は急いで立ち上がる。
そして食器や調理器具を流し台まで運んだ。
食器を洗っていると、すぐ隣で編菜さんはお茶を用意していた。
ちょうど、肩と腕が当たる距離で作業していて、思わず意識してしまう。
「あの……」
「何?」
「……いえ、なんでもありません」
「?」
私は首を傾げる彼女に苦笑いしながら、黙々と作業をこなした。
「よし!終わりました!」
「お疲れ様。はい、どうぞ」
編菜さんはカップに入った紅茶とショートケーキを差し出してくれた。
「あ、すみません。ありがとうございます」
私は椅子に座って、早速いただくことにした。
「ん〜おいひぃ〜」
「ふふっ、喜んでくれて良かったわ」
編菜さんは安心した表情で私の隣に座った。
「なんだか灯鳥ちゃんが側にいると安心するわ」
「そ、それはどういう意味ですか!?︎」
私は焦りながら聞き返す。
「そのままの意味よ」
「えっと、それは……」
「冗談。そんな困らせちゃダメね。ごめんなさい」
編菜さんはクスッと笑う。
「もぉ。私達、今日初めて会ったばかりですよ?」
「そうだったわね」
「もう……。ところで編菜さんはどうして一人でこの店を?」
「別に深い理由はないわ。ただの暇つぶし。それだけ」
彼女はどこか寂しげな笑顔を浮かべる。
「……」
私はかける言葉を探したが、何も浮かばなく、彼女の顔を見つめた。
「んん?」
編菜さんの綺麗な青い瞳に吸い込まれそうになる。
「いくらでも見つめていいのよ」
「……っ!み、見てません!!」
「ふふっ、可愛い」
「か、からかわないでください!」
「からかってなんかいないわ。本心よ」
彼女は私の耳元で囁いた。
「っ……」
暖まっていた体が更に熱くなる。
私は編菜さんから距離を取ろうとするが、窓際でこれ以上の逃げ場はない。
「うぅ……」
私が顔を赤くしたまま俯いていると、彼女は真剣な眼差しを向けてきた。
「ねぇ、灯鳥ちゃん」
「は、はい?」
「もしよかったら、また遊びに来てくれないかな?その……友達として」
「えっ」
「嫌なら断ってくれて構わないけど……」
「いえ、そんなことないです。私も編菜さんともっと仲良くなりたいと思っていましたから」
「ほ、ほんとう!?︎」
「はい」
「嬉しいわ!」
彼女は立ち上がって、私の両手を握った。
「ちょっ、編菜さん!?︎」
「これからよろしくお願いします」
「は、はい。こちらこそ」
「ふふふ、やったわ」
それから私たちは、しばらくお喋りを楽しんだ後、お店を出た。
「じゃあ、またね」
「はい。ごちそうさまでした」
私は軽く会釈をして、ドアを閉める。
そして帰路についた。
「まさか編菜さんとあんな関係になるなんて……」
想像もしていなかった。
彼女とは今日出会ったばかりで、連絡先すら交換していない。
でも、不思議と彼女とはずっと昔から知り合いのような気がしていた。
それに……
「私と似てるのよね」
性格とかではなく、雰囲気というかなんというか……。
うまく説明できないけれど、彼女が私と似ていると感じていた。
「まぁ、考えていても仕方ないか」
きっと彼女も同じことを思っているかもしれない。
「明日もまた行こう」
私は胸を躍らせながら、自宅に向かって歩き出した。
***
それから私は毎日、
あえて閉店前に店に入ると、編菜さんはいつも笑顔で歓迎してくれた。
そして、ある日の休日。
私はいつも通り、編菜さんのお店でお茶を楽しんでいると、隣に座る彼女は唐突に口を開いた。
「ねえ、
「何ですか?」
「あなたって彼氏はいないのかしら?」
「ぶふぅー!!︎」
私は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
「あ、あの!いきなり何を……」
「あ、ごめんなさい。変なこと聞いちゃったかしら」
「いえ、別にそういうわけでは……」
「気を悪くしたら謝るわ。でも、ちょっとだけ興味があったの」
「は、はあ」
「それでどうなのかな?」
「……いませんよ」
私が答えると、編菜さんは少しだけ距離を詰め寄った気がした。
「あら、そうなの。意外だわ」
「どういう意味でしょうか」
「だって灯鳥ちゃん可愛いじゃない」
「えぇ!?︎」
突然の言葉に驚いてしまう。
「そ、そんなことありません!普通です!」
「ううん、そんなことはないわ。私から見て灯鳥ちゃんはとても魅力的よ」
「っ……」
私は恥ずかしくて、俯いたまま黙り込むしかなかった。
「ふふふ、やっぱり可愛い」
編菜さんは私の頭を撫でてくる。
彼女の手は優しくて暖かかった。
(なんだか落ち着く)
不思議な感覚に戸惑いつつも、心地良さを感じていた。
「ちなみにお付き合いとかはしたことあるのかしら?」
「ないですよ。告白された事もないですね」
編菜さんはまた少しだけ距離を詰めてきた。
もう肩が当たる距離まで来ていて、自然と彼女を意識してしまう。
「編菜さん…近いです」
私が言うと、編菜さんはクスッと笑った。
「ふふっ、そうかもね」
彼女はそのまま話を続ける。
「あら。雨が降ってきたわね」
言われて窓の外を見ると、確かにポツリポツリと小粒の雫が落ちている。
「本当ですね」
外はすっかり暗くなっていて、街灯の明かりだけが頼りだった。
「傘持ってきていないんですけど……」
私はため息をつく。
「ねえ。もう少し温まっていかないかしら?」
「いいんですか?」
「もちろんよ。ちょっと待ってね。今、暖かいものを持ってくるわ」
「ありがとうございます」
彼女は席を立って奥の部屋に向かった。
私は彼女の距離感に解放されて、大きく深呼吸をする。
「ふうぅ……」
まだドキドキしている。
こんな気持ちになったのは初めてかもしれない。
「私……どうしちゃったんだろ」
女同士ではあるが、こんな時どうしたらいいのかわからない。
「お待たせしました」
彼女は両手にカップを持って戻ってきた。
「はい、これ」
「あっ、ホットミルク」
「嫌いじゃなかったかしら」
「好きですけど、どうしてこれを?」
「実は私が子供の頃から好きな飲み物なの」
「へえー、そうなんですね」
「だから好きになってくれる人がいると嬉しいなって」
「編菜さん……」
その言葉を聞いて、私は嬉しかった。
それと同時に彼女に親近感を覚えた。
「いただきます」
私はホットミルクを一口飲む。
「美味しい……」
ほんのり甘くて優しい味だ。
「よかった。よいしょっと」
編菜さんは膝掛けを私にかけてくれた。
「寒いでしょう?遠慮しないで使ってね」
「はい。ありがとうございます」
私は膝掛けの中に冷えた手を入れた。
すると、彼女は私の横に座った。
そして、私の膝掛けに手を入れて、手を繋いできた。
「えっ!?︎編菜さん!?︎」
「ダメ……かな?」
「いえ、別に構いませんけど……ちょっと恥ずかしいです」
手の繋ぎ方も知らない私の手を彼女は優しく握ってくれる。
「ねえ、灯鳥ちゃん」
「何ですか?」
「もう少しだけ体…寄せていいかしら?」
「……」
私は無言のまま、小さくうなずく。
彼女はゆっくりと体を近づけてきて、私は思わず目を瞑ってしまった。
編菜さんの柔らかくて暖かい体を感じ、絡んでいる腕には彼女の胸が当たり、私はさらに緊張してしまった。
「私ね。体温には自信あるのよ」
そう言うと、彼女は私の膝掛けの半分を自分の膝に掛けた。
「手…入れてみて」
言われるままに、編菜さんの膝掛けに手を入れると思わず太腿を触ってしまった。
「んっ……ちょっとくすぐったいわ」
「ご、ごめんなさい!」
慌てて引っ込めると、彼女はクスクスと笑った。
「大丈夫よ。気にしてないわ」
「そ、そうですか」
「それにしても不思議よね」
「何がですか?」
「こうしてるとなんだか懐かしい感じがするの」
「昔、誰かと一緒にいたような気がします」
「あら、奇遇ね。私も同じこと思ってたわ」
「本当にそうなんですかね?」
「どうかしらね。でも、もしそうだとしたらとても素敵なことだわ」
「素敵?」
「だって、その時の記憶がないということは、その人と過ごした時間は大切な思い出だということよ」
「確かにそうですね」
「ふふっ、きっと灯鳥ちゃんにもそんな人がいつか現れるはずよ」
「編菜さんみたいな人でしょうか?」
私が冗談を言うと、彼女は首を傾げた。
「ううん、違うわ。もっと可愛くて、甘えん坊で、寂しがり屋で、頑張り屋の女の子よ」
「それって誰のことですか?」
私が聞くと、彼女は微笑みながら答えてくれた。
「それはね……あなた自身よ」
(私……?)
「さあ、そろそろ帰りましょうか」
気がつくと雨は小降りになっていた。
「そうですね」
私たちは店を出て、傘を開いた。
「家まで送るわ。傘は一本しかないから我慢してね」
「はい、ありがとうございます」
私たちは肩を寄せ合い、一つの傘に入った。
私はふと思った。
こんな時間がずっと続けばいいのに、と。
編菜さんは私の考えを読んだかのように軽く微笑む。
「ねえ、灯鳥ちゃん」
「はい?」
「私ね。ずっと前からあなたの事を知っている気がするの」
「私もです」
「やっぱり。私たち、似た者同士なのかもしれないわね」
「そうかもしれませんね」
雨の音に紛れて、彼女の鼓動を感じる。
私と同じぐらいドキドキしている。
私もドキドキしている事を彼女に伝えたい。
私は勇気を振り絞って声をかけた。
「あの……編菜さん」
「何かしら?」
「……好きですよ」
すると、彼女は驚いた顔をした。
「え?今、なんて言ったの?」
「す、好きです!編菜さんの事が!」
編菜さんは頬を真っ赤に染めて目をそらした。
「えっと……その……」
「な、なんというか……編菜さんが可愛いとか、一緒にいて楽しいとか、そういう意味で好きっていうか……」
私は必死になって言葉を紡いだ。
「だから、これからよろしくお願いします」
私は頭を下げた。
「……灯鳥ちゃん」
「はい?」
顔を上げると、編菜さんは涙を流していた。
「ありがとう……」
彼女は私を抱き締めた。
「嬉しいわ……。こんな私を好きだと言ってくれてありがとう」
「編菜さんは素敵な人です。だから、私なんかじゃ釣り合わないかもですけど、これから仲良くしてくれると嬉しいです」
「ええ、こちらこそよろしくね。灯鳥ちゃん」
彼女は涙で濡れた頬で笑顔を浮かべる。
その瞬間、私は思った。
この人は私の運命の相手だ。
絶対に離さない。
「ねえ、灯鳥ちゃん」
「何ですか?」
「今日はなんだか…その…うちに泊まっていかない?」
「え?」
「灯鳥ちゃんと離れたくないなって思って。ダメ……かな?」
「いえ、大丈夫ですけど……」
私は編菜さんの気持ちが手に取る様にわかった。
(もしかしたら、ずっと我慢してたのかも…)
私は彼女の手を握る。
「行きましょう」
「うん」
私は彼女の手を引いて、喫茶店に戻った。
喫茶店の中の階段を上がると、編菜さんの部屋に繋がっていた。
「ここよ」
「お邪魔します」
中に入ると、綺麗に整頓された部屋があった。
「どうぞ座って」
私は部屋の中央にあるコタツの中に足を入れた。
「今電源入れるわ」
彼女がスイッチを入れると、暖炉のように温かい熱が足を温めた。
「すごい!魔法みたい!」
「ふふっ、大袈裟よ」
「でも、どうやってやるんですか?」
「それは企業秘密ね」
「そうなんですか?」
「そうよ。それより、夜ご飯は何が食べたい?」
「何でも大丈夫です」
「なら、久しぶりにオムライスでも作ろうかしら?」
「本当ですか!?」
「任せて。腕によりをかけて作るから」
「楽しみにしてます」
「ふふっ、期待していてね」
彼女は台所に立つとエプロンを着て、冷蔵庫の中を確認した。
「材料はあるわね。後はケチャップと卵があれば完璧よ」
「私、手伝いましょうか?」
「ううん、いいわ。その代わり、私が料理している間、話し相手になってくれないかしら?」「もちろんですよ」
私が答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「ふふっ、ありがとね」
彼女は手を洗い、調理を始めた。
トントン、と包丁で野菜を切る音が聞こえる。
「私ね。なんで喫茶店をやってるかわからないの」
「どうしてですか?」
「実はね。昔から不思議に思うことが多くて」
「例えばどんなことですか?」
「そうねぇ。カップに紅茶を注いでいると、まるで誰かに呼ばれているような感覚になることがあって」
「呼ばれた?誰が呼んでいるんですか?」
「それが思い出せないのよね。ただ、胸の奥から懐かしい感じがして……」
「それって……どういう意味でしょうか?」
「さあ、私にもさっぱりなの」
「………?」
私は編菜さんの言っていることがよくわからなかった。
「それでね。大人になって喫茶店を始める時、最初に考えたのは、『ここに来れば、何かわかるかもしれない』ってことだったの」
「なるほど。そういう事だったんですね」
私は納得した。
きっと、彼女は自分の過去を知りたかったんだと思う。
(だから、喫茶店を始めようと思ったのかな?)
私はそう思った。
しばらくすると、美味しそうな匂いが漂ってきた。
「できたわ。お皿を用意してくれる?」
「はい!」
私は食器棚から白いプレートを取り出した。
私たちはテーブルを挟んで向かい合って座り、編菜さん特製のオムライスを食べ始めた。
「おいしい!」
「ありがとう。作った甲斐があるわ。はい、これも食べてみて」
「ありがとうございます」
私はスプーンに乗った一口サイズの玉子焼きを口に運んだ。
噛む度にジュワッと広がる甘み。
(なにこれ!すごく美味しい!)
私は驚いて彼女に目を向けた。
彼女は微笑んで私を見つめていた。
「気に入ってくれたみたいね」
「はい!こんなの初めてです!」
「よかった。たくさんあるから、いっぱい食べてね」
「はい!」
それから私達は食事を続けた。
そして、食べ終わる頃には外は更に暗くなっていた。
編菜さんが後片付けをしている間に私はシャワーを浴びた。
身体を洗っている最中、私は不思議な気分になった。
(あれ?何だろう……この気持ち……)
初めての体験だったが、私はその意味を理解した。
(そっか……これが……好きな人と一緒にいる幸せっていうものなのかな……)
今までの人生で一度も経験したことが無い感情。
私はその感情に身を委ねることにした。
(編菜さんの事が……好き……)
私は湯船に浸かりながら、彼女の事を想った。
「編菜さん……」
私は浴室を出ると、脱衣所でバスタオルを手に取った。
その時、私は鏡に映る自分を見た。
少し伸びた黒髪に華奢な体つき。
顔立ちも悪くない。
私は自分に言い聞かせた。
『これは運命だ』と。
私は運命の相手に出会えたのだ。
彼女と結ばれ、幸せな人生を送ることができる。
私は確信していた。
私は自分の服に着替えると、階段を上がって彼女の部屋に向かった。
部屋のドアを開けると、編菜さんがベッドに座っていた。
「編菜さん」
私が声をかけると、彼女はこちらを振り向いた。
「あら、もう上がったのね」
「はい」
「じゃあ、次は私の番ね」
「あの!少しだけ…えっと…」
言葉が出てこない私を見て、彼女は悪戯な笑みをこぼした。
「ふふっ、ちょっと離れただけで寂しくなっちゃったのかしら?」
「……はい」
私は素直に答えた。
「仕方のない子ね。こっちに来て」
彼女が手招きする。
私は吸い込まれるように彼女に近づくと、そのまま抱きしめられた。
「可愛いわね」
耳元で囁かれる甘い響き。
私は目を閉じて、その温もりを感じていた。
「私も我慢してたから、ずっとこうしたかったのよ」
彼女は私を強く抱き寄せた。
密着することで感じるお互いの体温。
心臓の音さえも聞こえてきそうだ。
「編菜さん……」
私は愛しさを込めて名前を呼んだ。
「ねぇ、一つお願いがあるんだけどいいかしら?」
目を開けると、ふとベッドの上に置いてあるものが気になった。
それは黄色い星型のクッションだった。
「可愛いクッションですね」
そう言うと、編菜さんはピクッと肩を震わせた。
「ねえ…灯鳥ちゃん。一つお願いが有るんだけどいいかしら?」
「なんですか?」
私が聞き返すと、恥ずかしそうに私の肩に顔を埋めた。
「えっとね…私…寝る時、足に何か挟まないと寝れなくて……」
「ああ、それであのクッションをいつも挟んで…ん?お願いとは?」
「今夜は……一緒に……添い寝して欲しいなぁって」
私は一瞬、固まってしまった。
「え?」
「嫌なら別に良いわ」
(ど、どうしよう!?︎)
突然の申し出に戸惑う私。
しかし、迷うことなど無かった。
「もちろんです!」
私は満面の笑顔を浮かべた。
「そう、ありがとう。嬉しいわ」
彼女は微笑むと、ベッドの中に入った。
「さあ、いらっしゃい」
「お…お邪魔します」
私は緊張しながら彼女の隣に横になる。
(近い!近すぎる!!︎)
彼女の息遣いが聞こえる距離まで近づく私たち。
そして、編菜さんから私を抱き寄せる。
「足…挟んでいい?」
「は、はひ」
私は慌てて足を伸ばした。
すると、すぐに彼女の太腿の感触を感じた。
「もう少し上かな?」
「っ…」
私はぎこちなく言われた通りに動いた。
「はぁ…落ち着く…」
彼女は満足そうな表情を浮かべている。
私は深呼吸をして心を落ち着かせた。
(今、私は人生で最大の幸福を感じてる)
私は心の中で呟いた。
抱きしめられて体全体で彼女を感じている筈なのに、挟まれた片足に意識が全集中してしまう。
編菜さんの太腿はキュッと力が入ったり、フニャリと緩んだりと不思議な動きをしていた。
私はその感覚に慣れようと努力したが、逆にその刺激が私の理性を奪っていくようだった。
(ダメ……考えちゃ……)
私は頭を振って雑念を振り払う。
そんな私の様子を見て、彼女はクスッと笑った。
「灯鳥ちゃん。ヤラシイ事考えてるでしょ」
「か、からかわないで下さい!」
「ふふっ、ごめんなさい。でも、本当に可愛いわ。こんな子が彼女になってくれるなんて夢みたい……」
編菜さんは愛おしそうに私を見つめる。
「私も……編菜さんみたいな人が彼女になれて、幸せです」
「本当?」
「はい。編菜さんの事を考えると、胸の奥がポカポカしてくるんです」
「そっか……」
彼女は静かに目を閉じた。
「私もよ……」
私は彼女の頬に手を添えた。
足を伝って彼女の緊張が伝わってくる。
「好きです……」
「うん……」
私たちはそっと唇を重ねた。
「灯鳥ちゃん……今日はこのままギュッとして寝たいな」
「はい」
それからのことはあまり覚えていない。
気がつけば、私はベッドの上で編菜さんと一緒に眠っていた。
カーテンの隙間からは朝日が差し込み、時計の針は午前9時を指している。
「はわ…はわわ…」
私は妙な感覚を感じてその場から動けなかった。
「足があ……」
編菜さんが挟んでいる片足はしびれすぎて感覚が無くなっていた。
私は昨晩のことを思い出して、顔から火が出る思いになった。
「はわわわわわ……」
私はしばらく悶絶していた。
「うん…おはよう。どうしたの?」
彼女が目を覚ましたようだ。
「いえ、なんでもありません」
「そう?なんだか様子が変よ」
編菜さんの足にキュッと力が入る。
「んあっ」
私は思わず声が出てしまった。
「へぇ〜朝っぱらから何してたのかしら?」
彼女は悪戯っぽい笑顔でこちらを見る。
「あの……その……これは……その……違うんです!あの……その……」
私はパニックになっていた。
「ふふっ、大丈夫。怒らないから、正直に言ってみて」
(なんだか物凄い誤解をされてる気が…)
「えっと……足が痺れて……」
「え?」
編菜さんはキョトンとした。
「足?ああ……そういうことね」
彼女は納得すると、再び足を動かし始めた。
「ちょ……やめ……あぅ……」
「可愛い」
「ひゃう……んんっ」
「ここかしらぁ」
キュゥ。
「はうううう!」
***
こうして、私たちは運命の人と結ばれた。
「いらっしゃいませ!ふふっ」
編菜さんはいつまでも変わらず笑顔で私を出迎えた。「こんにちは」
私は少し照れながら挨拶をする。
「あら、今日はずいぶん可愛らしい格好をしているわね」
彼女は私の服装を見て言った。
今日の私はいつもとは違う。
スカートにブラウス、それにカーディガンという普段なら絶対にしないコーデだ。
「はい。たまには良いかなと思いまして」
私は編菜さんの前でクルリと回った。
「どうですか?」
「ええ、とても似合ってるわ。まるで女子高生に戻ったみたい」
「もう!」
編菜さんはクスクスと笑う。
「冗談よ。でも、本当に可愛い。それじゃあ、行きましょうか」
私たちは仲良く並んで歩き始めた。
どこまでも、いつまでも続く道を……。
忘れることのない、ただ一つの温もりを感じて…。
あの温もりとあの女性と… コミコミコ @sig3-halci
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます