第21話 もどき
1回裏の守備。
先発投手である翼の大切な立ち上がりだ。パワーでゴリ押すタイプの彼女は、とにかくストライクゾーンで攻められるかどうかが勝負どころ。
エースピッチャーとして、ここはチームを勢いに乗せるための投球をして欲しい。
……と、思っていたのだけれども現実はそう上手くはいかない。
「――ボール!フォア!」
心なしか力の入った審判の声がグラウンドに響く。
翼のコントロールは安定せず、先頭打者相手に挨拶代わりのフォアボール。
「ちっ……、マウンドが硬えんだよ」
翼は舌打ちしてボソッと文句を漏らす。
いつも使っているグラウンドのいつもどおりのコンディションに整えたマウンドだ。
硬いはずはない。言い訳すんな。
「やっぱりフォアボール出しちゃったっすねー。いつもの翼ちゃんっす」
「もしかして、翼の立ち上がりってあんな感じなのか?」
「そうっすね。私の知る限りでは、初回三者凡退なんて見たことないっす」
僕は小さくため息をついた。
曲がりなりにも『県内最速』という触れ込みは嘘ではないのはなんとなくわかるが、それにしたってコントロールと初回の立ち上がりが悪いのは厄介だ。
「大丈夫っすよ、いつもの3イニング目くらいになればエンジンがかかってくるっすから。そうなればまともに手を出せる人はまずいないっす」
「3イニング目って……、女子野球的にはほぼ試合の半分じゃないか。そこまでに試合が壊れたらどうしようもないな……」
「そこは雄大くんの腕の見せ所っす。翼ちゃんの立ち上がりをなんとかできたらその辺の高校には絶対に負けないっすから」
確かにあの翼の豪速球を弾き返せる打者はそうそういない。そういう選手は強豪校でしのぎを削っているだろう。
しかし立ち上がりが悪いというのは厄介だ。
プロ野球の一軍でローテーションを担う投手ですら立ち上がりに課題のある選手は沢山いる。こういう投手は立ち上がりの悪さには目をつぶり、本来の投手能力を伸ばすようにトレーニングしていくことが多い。
何故かというと、立ち上がりの悪さの原因はメンタル面、性格面、身体面と多岐にわたるため、どうしても解決するのが難しいのだ。
翼の場合はおそらく性格的なものであろうから、それを治すとなるとかなり骨が折れることだろう。
他人の信念を曲げさせることがこの世で何よりも難しいことなのだ。
これについてはじっくり考える必要がありそうだ。
それよりも試合の現状をなんとかしよう。
「――ボールフォア!」
続く2番打者にもボール先行の投球が続いてフォアボール。
その後の3番打者にはきれいに送りバントを決められてワンナウト2塁3塁のピンチを迎えた。
こんな感じにフォアボールを連発するようでは球数も心配だ。
ただでさえ翼は三振を取るタイプで球数が嵩むので、試合中盤で100球に達してしまうことだって大いにある。
翼ほどの投手の代わりになりうる選手はうちのチームにいない。彼女が無駄に消耗するということは敗北へ直結する。
「……仕方がない。ちょっと荒療治かもしれないがやってみるか」
僕はとある方法を思いついた。その方法を試すため、雅と爽に指示を出す。
2人はそれを聞いて、マジかよと言わんばかりの疑念のこもった表情を見せる。
「……それをやるのは構わないっすけど、そんなことしたら翼ちゃんが余計にカッカしちゃう気がするっす」
「私もそう思う」
「いいからちょっと試してみてくれ。ベンチにお前らがいるから出来ることだ、頼むよ」
なんとか2人を拝み倒して作戦を実行してもらうことに成功した。
雅と爽はグローブを取り出して、グラウンドのファールゾーンにあるブルペンでキャッチボールを始める。
何球か投げたあと、雅が捕手のように座りこんで爽のボールを受ける。その様子は一見するとリリーフ投手が肩を作り始めたかのように見える。
マウンドに立つ翼にももちろんその様子が目に入った。先発投手の彼女からしてみたら、それは監督の僕が自分の次に投げる投手を用意し始めたように見えるだろう。
「あのやろ……、フォアボール2つでもうオレをマウンドから降ろすってのかよっ!」
翼は鋭い目つきでベンチにいる僕をにらみつける。
……ああ、なるほど、にらみつけられて防御力が下がるポケモンたちの気持ちが少しわかった気がする。シンプルに怖い。
「ほら、やっぱり怒っちゃってるじゃないっすか……。これじゃあ余計に荒れ球になっちゃうっすよ」
「そうなったら僕が悪いことにしておけばいい。とにかく2人は『投球練習もどき』をしておいてくれ」
もちろん翼をマウンドから降ろすことも、ましてや爽を登板させることも全く考えてはいない。さっき言ったとおり、2人にやらせているのは『投球練習もどき』だ。
今まで翼にはライバルと言えるような投手がチーム内にいなかったため、こんな風にベンチから交代を示唆される出来事などなかったに違いない。
彼女の性格はまさにエースと言わんばかりのお山の大将っぷりだ。こんな風に煽られたらエースの本能に火がついて好投してくれるかもしれない。
そういういう可能性に賭けて僕はこんな『投球練習もどき』を見せびらかしてみたわけだ。我ながら悪知恵がよく働くなと思う。
「……畜生め、絶対にマウンドは譲らねえからな!」
ワンナウトランナー2塁3塁。ホームスチールを除けば盗塁を仕掛けてくることはまず無い場面。
翼はセットポジションではなくワインドアップモーションで打席に立つ相手の4番打者へ渾身のストレートを放る。
「――ストライク!」
先程よりも球威のある球がストライクゾーンど真ん中にぶち込まれた。
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