放課後ポニーテール


 空のだいだいに紺色が混じり、昼夜の境目が次第に西へと傾いていく。

 時刻は午後五時を回った。もう下校の時間だ。

 学業と部活に精を出していた生徒達が黒い塊になって、昇降口からどっと溢れ出す。「今日も疲れた」とか「宿題がだるい」とか。愚痴ぐちが言えるだけまともだ。社会人になったら口に出す余裕もなくなるぞ、と微笑ましく思う。

 そんな生徒達の間をそろりそろり、合間を縫ってこそどろのように潜り抜けていく者がひとり。お察しの通り、ほむらだ。

 家庭科部の活動が終わってからずっとこの調子だ。二度もオレの存在が露見しかけたせいで神経過敏になっている。怪しい動きが逆に周囲の視線を集めそうなビビリよう。細胞単位で嘘が苦手らしい。難儀である。

 見つかるリスクを冒すならニトクリスミラーを持ち歩かなければいいのに、と助言したくなるが、ゾスの眷属とのバトルは突然だ。前触れなく、こちらの事情などお構いなしにやってくる。また目の届かない場所に放置するのも、中にいるオレごと奪われる危険性をはらんでいる。そのため片時も手放せないのだ。こればかりはどうしようもない。


「はぁーっ……。ここなら一安心だね」

「本当エルか」

「周りにうちの学校の子いないみたいだし、うん。出てきていいよ」

「いまいち信用できないエル」

「いくらお馬鹿でも失敗ばっかじゃないもん。たまにはうまくいくんだから」

「たまにじゃ困るんですがエル」


 ほむらには悪いが、しつこいくらいに何度も念を押させてもらう。オレも神経過敏になっているかもしれない。ストレス過多ではげそうだ。


「本当に出て問題なしエル?」

「だからオッケーだってば」

「フリじゃないエルよね?」

「そろそろ熱湯風呂に叩き落としていいかな?」

「ごめんなさい、出ますエル」


 さすがにこれ以上疑うと温厚なほむらでも沸点突破しそうだ。オレはしゅんとしおれながら顔を出す。

 周囲を見渡すと、学校から少し離れた場所に位置する、コンビニエンスストアの駐車場らしい。


「……ここって」


 見覚えがある景色、というか、オレが以前勤めていた店舗だ。嫌な思い出の方が多い魔のエリア。あまり長居はしたくない負の聖地。


「あ、なにか思い出しそう?」

「べ、別にエル」

「なぁんだ、残念」


 記憶喪失の設定だが中身は一般男性なので、エルル時代の記憶は永遠によみがえらない。本当のエルルの魂は、オレと入れ替わりで爆発四散したのだから。

 それが現実であり甘んずるほかないとはいえ、彼女の期待に応えられないのは辛いところだ。


「昨日戦う前ここに寄ったんだけどなぁ」

「この店をよく利用していたエル?」

「まぁね。あたしの家から一番近いし」

「そうなんだ……エル」


 だとすると、以前にも彼女と会っていたかもしれないのか。馬車馬の如く働かされていた、暗黒時代のどこかで。

 いつだろうか、と記憶の地層を掘り起こそうとした時、誰かの泣き声が鼓膜を震わせた。

 またもやピンチかと反射的に隠れてしまうも、どうも様子が違うらしい。


「うえーん、どうしようー」

「僕達じゃ無理だよ」

「もう諦めようよ」


 顔を半分だけ出して声のする方を確認すると、三人の子供が側溝そっこうの近くでざわついていた。泣いている女児がひとり、側溝の蓋を開けようと格闘する男児がふたり。背丈から推察するに小学三年生、大きくても五年生くらいだろう。


「あぁ、なるほど」

 

 その状況だけでなにがあったか大体わかった。

 女児が誤って大事な物を落としてしまい、それが運悪くドブにドブンとジャストミート。友達の男児ふたりが拾おうとするも、子供の腕力では蓋を持ち上げられずギブアップ、といったところか。

 オレにも似た経験があったな、と幼少期の事件を思い返す。

 なけなしのお小遣いで買った、当時大人気だったヒーロー玩具。いつも肌身離さず持っていたそれを、どこかでポロッと落としてしまった。気付いたのは施設に帰宅したすぐ後。翌日以降、死ぬ気でくまなく探したのだが、結局見つかることはなく。

 あの悲劇は半年くらい引きずった覚えがある。今となっては良い……否、やっぱり良くない思い出だ。記憶から抹消したい。早く風化してくれ。

 とにかく、大抵の子供がやらかすだろう、ありきたりな紛失イベントだ。悲しい経験を通して人は大人になっていくのだが、さすがに目の前でドブ落ちは諦めきれないか。すぐそこにあるのに、いくら手を伸ばしても届かない。力が及ばぬ無力感は子供心に堪えるだろう。


「よーし、お姉さんに任せてよっ!」


 そこでほむらが救いの手を差し伸べる。腕まくりして白い肌を外気に晒すと、躊躇なく側溝の蓋に手をかけて、「ふんぬ」と気合いで持ち上げようとする。しかしいくら魔闘乙女マジバトヒロインとはいえ、変身前は普通の女子高校生。しかもお馬鹿で体力も平均並み。蓋は簡単に外れない。


「ぐぬぬぅ……っ!」


 それでもほむらは諦めず、コンクリート製の蓋を懸命に外そうとする。何度も力を入れ直し、歯を食いしばり、目を血走らせて。冬場なのに汗もたらりとしたたり落ちていく。

 何故そんなに頑張れるのだろうか。

 子供達とは知り合いでもなんでもない、初めて会った相手だ。そで振り合うも多生の縁とでも言うのか。普通の人なら見て見ぬフリか、諦めるよう諭すか、その辺が関の山だろう。

 でも、彼女は見返りを求めず、全力で子供達の力になろうとする。

 ああ、そうか。

 子供達には笑顔でいてほしい、仲良く楽しく過ごしてほしい。

 たったそれだけの思い。

 その無償の優しさこそ、魔闘乙女マジバトヒロインとして戦える理由なのだろう。


「あと、ちょっと……っ!」


 ゴリゴリ、ゴッ、ゴッ――バゴンッ!

 重苦しい音が解き放たれて、遂に側溝の蓋が外れた。土の臭いがぷんと鼻を突く。ほむらは想像以上の重量を受けてよろけてしまうが、最後の力を振り絞って踏みとどまった。四、五十キログラムはあるだろう蓋をよく抱えていられるな、と素直に感心してしまう。マンホールと同等だぞ、それ。


「あった!」


 歓声を上げて女児が拾い上げたのはひとつのキーホルダー。デフォルメされた少女のキャラクターがぶら下がった品だ。そのデザインは以前活躍した魔闘乙女マジバトヒロイン、先代をモチーフにした物だろう。女児にとって憧れの存在だからこそ、落としてしまって大泣きしていたのだ。


「お姉さんのおかげだよ、ありがとう!」

「すげー力持ちでびっくりだよ!」

魔闘乙女マジバトヒロインみたいだったね!」

「いや~、それほどでも……えへえへでゅへへへへへへ」


 だから、笑い方が気持ち悪い。

 せっかく格好良いシーンなのに、最後の最後で締まらないな。

 でも、子供に感謝されて悪い気はしないだろう。もしオレが同じ立場なら似たような、もしくはそれ以上のニヤニヤ顔になっていたかもしれない。

 家庭的で子供に優しい、無償の愛を振りまく魔闘乙女マジバトヒロイン

 どこまでも理想的なだ。

 って、いけない、いけない。

 やっぱり、ほむらのことが好きになってしまいそうだ。


 ――ズドンッ!


 突如、大地が激しく揺れた。

 巻き起こる粉塵ふんじん、続けて拡がる人々の悲鳴。日常が非日常に塗り替えられる瞬間。子供達との微笑ましい時間は、一撃で消え失せてしまった。

 ゾスの眷属がまた現れたのだ。


「みんな、すぐに逃げてっ!」


 弛緩していたほむらの顔が瞬時に真剣色に染まる。

 意識が魔闘乙女マジバトヒロインに切り替わり、子供達を戦場とは反対方向へ誘導する。

 そして自身は騒動の渦中へと飛び込んでいくのだった。

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