はなまるの方程式


 暗闇の中を掻き分けて、わずかな光に向かって手を伸ばす。

 息が詰まる猥雑わいざつな閉所から、新鮮な空気を求めて浮上する。


「ぷはっ」


 やっとの思いで頭を出すと、そこには同じ服の若人わこうどがずらり。誰も彼もがある一点を見つめている。各々の個性を押し殺し、ただ一心不乱に与えられた義務をこなすだけ。確固たる目的もなく、ただ闇雲に指示通りの日々を生きているのだ。

 ある視点から見れば、それはとても異様な光景だろう。だがこれは、多くの人にとって当たり前の日常で、オレ自身も経験がある。

 そう、これはただの学校生活だ。

 規定の制服を着て、真面目に授業を聞いて、課される問題を解く毎日。将来の夢や目標が定まらないまま、個々の違いは考慮されずに一定の成果を求められる。達成できなければ落ちこぼれ、落伍者らくごしゃは捨て置かれるだけ。

 改めて考えてみると、学校はまさに社会の縮図だ。弱者に厳しく強者に激甘。その格差が、底辺をい這いするオレみたいなのを生み出すのだ。

 こうして勉学に打ち込む彼らの内、一体何人同類に落ちてしまうのか。若者の行く末に一抹の不安を覚えてしまう。


「……特に心配なのはこの子だけど」


 通学鞄からそっと顔を出し、隣でうとうとする女子生徒を射るように見つめる。

 オレの相棒、魔闘乙女マジバトヒロインのほむら。

 この街、ひいては地球の平和を守る正義の味方。尊敬と憧憬どうけいの眼差しを一身に受ける立場にあるはずなのに、今の彼女は居眠り直前、ヘッドバンギング並みに船をいでいる。

 昨日は妖精が死にかけたり二連続で戦闘をしたりとてんやわんやだったので、睡魔が猛威を振るうのも仕方ない。でもせめて寝るのは休み時間にしよう。好きなだけ爆睡していいから。


「まぁ、原因は別にあるか」


 授業中に眠くなる理由は大きく分けてふたつある。

 ひとつは単純に睡眠不足。遅くまで夜更かしや不安で眠れなかったなど、学生にありがちな失敗だろう。青春が爆発してファイヤーな時期なので、あれやこれや夜中まで持ち越すのは日常茶飯事なのだから。

 そしてもうひとつは、授業についていけないから。教師の言葉が呪文にしか聞こえず、座禅ざぜんよろしく夢の世界にレッツゴーだ。睡眠導入剤いらずである。

 どうやらほむらはあまり頭が良くないらしい。飾らずに、端的に、ストレートに、ありのままを言うと、完全無欠のお馬鹿ばか女郎めろう。ノットジーニアス。凄い、物凄い。


「起きてますか、龍崎さん?」

「……ぐぅ」

「死んでますね」

「い、いいひぇ、い、生きてましゅっ!」

「見ればわかります」


 そこでみんなが大爆笑。

 こ れ は ひ ど い。


 ここは朱向市あかむきしの中心地にある有名進学校、三須角みすかど大学附属三須角高等学校だ。

 大半の生徒がエスカレーター式で進学するらしく、大学の方はとある分野で最高峰とのこと。しかしこの調子では、ほむらが先へ進めるのか微妙なライン。というか、高校に入学できているのが不思議なくらいだ。奇跡かな、裏口かな、詮索しない方がいいのかな。

 それで、オレは絶賛なにをしてるのかというと、ほむら及びその周囲についての調査だ。今後パートナーとしてやっていくのだから、相手のことはよく知っておくべきだろう。それなら本人に質問しろよ、という指摘が飛んで来そうだが、言葉だけではわからないことだって、この世にはたくさんあるのだ。「百聞は一見にしかず」という有り難い言葉だってある。そこ、のぞき趣味とか言わない。

 以上の事情から、ニトクリスミラーからこっそり抜け出して、彼女の授業態度を観察しているのである。


「では龍崎さん。“天網恢恢てんもうかいかいにしてらさず”とはどういう意味ですか?」

剃毛ていもう? やったことないです」

「コンデンサーに電荷を溜めることをなんと言いますか?」

「ミルクに……電気?」

「石を磨いて作った石器の名前は?」

「磨くと言ったら他山の石!」

「三以上の自然数nについて、xのn乗+yのn乗=zのn乗になる自然数の組(x,y,z)は存在しないことを証明しなさい」

「わかりますん!」

「どっちですか」


 担任の女性教師、呼子よぶこ先生の質問に対し、これまた全く駄目駄目な答えのレシーブ連打。案の定クラスみんなの笑いもの。パリへ豆腐を買いに行くほどのとんちんかん。

 本当に酷い。酷過ぎるよ、この子。


 キーンコーンカーンコーン。

 チャイムの音色が授業終了の時を告げた。

 生徒の緊張が一斉に解けて、溜息がどっと吐き出される。特に多くの二酸化炭素を放出し、地球温暖化に貢献したのがほむらだ。勉強嫌いがよくわかる。


「ふへぇ~、やっと休める~……」


 十分程度の休憩を挟んですぐ次が始まるというのに、全身ゆるゆるに弛緩しきっている。パートナーとして今後が不安しかない、と気を揉んでいたら目が合った。


「なによ、エルルー。あたしってば、そんなに馬鹿っぽく見える?」

「うん……――あ、そんなことないエルよ?」

「言い直しても遅いから」


 いけない、心の声が漏れてしまった。

 いくら本人に自覚があるとはいえ、花も恥じらう乙女を馬鹿認定はアウトだ。でも、「っぽく」どころじゃないと思う。


「ねぇ、龍崎さん」

「は、はいっ!?」


 突然声をかけてきたのは呼子先生だ。

 どうせ勉強か成績の件だろう。休み時間もお説教とは大変だな、と他人事でいたら、のっしのっしこちらに歩み寄ってきた。

 オレは鞄の中へ頭から突っ込み、更にその奥、ニトクリスミラーの中に身を隠す。

 生徒が妖精とイチャイチャしている現場なんて見られたら大事不可避だ。魔闘乙女マジバトヒロインかと疑われかねないし、それ以前に妖精の存在そのものが物議を醸すだろう。「疲れているのか」と見なかったことにしてくれるはずもなく、生物研究の一環に捕らわれて動物実験、なんて酷い目に遭うかもしれないのだ。


「ふぅ、危なかった」


 鏡台の中にいれば一安心。四次元的な空間に入れるのは妖精、もしくは魔闘乙女マジバトヒロインのみ。しかも人間サイズでは腕一本が限界だ。そもそもこの鏡台自体、ミニチュアサイズでぱっと見ただの玩具。まさか妖精のすみかとはお釈迦様しゃかさまでも気が付くまい。

 ……ん、玩具?

 そうだ、玩具じゃん。

 もし鏡台が見つかれば、勉学に不必要だと言われて没収される。スマホの持ち込みが当たり前な現代でも、さすがに玩具は取り上げられるだろう。


「な、ななななにか用ですか?」

「いえ、ごめんなさい。妙な気配がしたんだけど、先生の気のせいだったみたい」


 だが最悪の事態には至らず、呼子先生はきびすを返し職員室へ戻っていった。

 間一髪、何事もなく済んだ。

 妙な気配とは、おそらくオレのことだろう。教室の小さな変化ひとつ見逃さない観察眼だ。日頃から生徒を見ている賜物たまものだろうか。教師怖い。

 今回は勘違い扱いで助かったが、これからは彼女の視線にも注意しなければ。学校は壁に耳あり障子に目あり、肝に銘じておかないと。


「もしかして、先生も疲れているのかな。よくバトルに巻き込まれているし」


 ちなみにほむら曰く、呼子先生は生粋のトラブル体質らしい。ドジやポカは日頃から、それプラス大事件――ゾスの眷属が引き起こす騒動にも遭遇してばかりだそうだ。なんか可哀想。ご愁傷様。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る