182. 第一次包囲網

金ヶ崎前哨戦、のはずなんですが何かおかしいです

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 オッス、俺ノブナガ! 地味に渋い36歳でぃっす。

 なーんてね。おサムイわ、普通に。もうやらんとこ。

 冷たい笑みを浮かべているヤンゴトナキ二人から逃げたくても逃げられない。微笑んで、見つめてくるのは三人の嫁だけでいい。悪いことしたなー、という自覚があるだけに余計つらい。

「まさか存在を忘れられているとは思いませんでしたな」

「いや、祭り終わったし」

「大和の蜂蜜はお気に召しませんでしたか」

「大盛況だった」

 特に、織田うちの女たちが。

 右に松永弾正、左に細川様をお迎えしている俺はこれでも織田家現当主。今を時めく織田信長様であるのに、正座で叱られ中である。いやまあ、脱走する直前で見つかったっていうのもあるんだが。

 うーん、行動読まれつつあるなー。

 早くも雪がちらつき始めたから、この白さに紛れて越前までひとっ走りとか思ったのがいけなかった。中山道の整備状態も見ておきたかったし、方向音痴はいずれ克服せねばならない。

 そう、俺は崇高な目的があって旅立とうとしていたのだ!

「信長様」

「……藤孝、微笑みながら睨むなよ。怖いから」

「心外ですねえ。敬愛の念をこめつつ、見つめているだけですよ」

「怨念の間違いだろ」

「長島へ戻られる下間殿から、くれぐれもと言いつけられましてね。偶然なのか故意なのか、側近の方々は皆忙しくしておられますゆえ……こうして私どもが話し相手を務めさせていただこうと」

「その途中で尋常ではない様子の猿殿を見つけ、色々と話を聞かせていただかなければ……蚊帳の外でありましたな」

「だから悪かったって。とっとと畿内へ戻ったとか、勝手に思い込んでいた俺に非がある。緊急招集をかけた本当の理由に気付かない二人じゃないもんな」

 俺がまた戦を仕掛ける気だ、というのは内外に知れ渡っている。

 祭のためだけに家臣たちを全員呼び寄せる大うつけ、とは思ってくれないようだ。三好残党がせっせと広めている悪評も、俺の常識外れな言動を裏打ちする効果しかない。

 喧嘩相手が甲斐武田だと思ってくれているのが、幸いだった。

 同盟破棄の事実は既に広まっている。軍神はこれを大いに歓迎し、北条氏康はかねてより提案されていた家康との同盟に頷き、謀神からは「今後の活躍に期待する」という激励文なんだかよく分からない巻物をもらった。

 元就は隠居してから歴史書製作に余念がないという。

 そこに俺が登場していないことを祈るばかりだ。いや、無理か。尼子衆を拾ってきた辺りから、なーんか視線を感じるんだよなあ。実際、密偵を送り込んでいる可能性は大きい。美濃尾張の二国で大人しくしていれば……うん、やっぱり無理だな。当時は全く交流のなかった越前・朝倉宗滴に目を付けられていた、という新事実も発覚したし。

 存在そのものがチート属性やだ怖い。

「殿、質問してもよろしいですか?」

「どうした、松永弾正」

「いないもの扱いをされたことを不服に思って朝倉と手を組むのは、いささか無理があるように感じます。もう少し説得力のある理由がほしいところですね」

 他人事みたいに言っているが、それは松永裏切りのシナリオだ。

 俺程度が考えた策では、乱世の梟雄としてのプライドが許さないか。いつものように笑っているが、目が全く笑っていない。

「私にはその程度が似合いだと言うのでしたら、そのようにいたしますが」

「いや、本当にすまなかった。反省している。細かい部分まで把握していない方が都合いいからって、きちんと筋を通さなかった俺が悪い」

 この通りだ、と頭を下げる。

 尾張出身はアドリブやアレンジに強いから、うっかりしていた。俺のざっくりとした計画を策としてきちんと整えてくれたり、ふわっとしたイメージを明確な形にしてくれる有難みをしみじみと実感する。俺は側近たちに甘えてたんだな。

 収穫祭ではハメを外して楽しんでいたようだが、ちゃんとした褒美も考えよう。

「ね? こういう方なのですよ」

「……ええ。よく、分かりました」

「何の話だよ、二人とも」

「いえいえ。若狭といえば今年になって義景殿が攻め込み、朝倉領となりましたね」

 そんな話、聞いていない。

 あんぐりと口を開いたままの俺は、なんとなく細川様を見た。にっこりと一点の曇りもない笑顔を返され、冗談でも何でもないと知る。

「かの名品九十九茄子を譲ってから、義景殿は信長様にかなりご執心でして。何とかしてお力になりたいと、若狭国の内紛に介入したのですよ。確か当主であった元明を一乗谷城へ連れ去ったとか」

「当主誘拐しちゃダメだろ」

「若狭国内は今、親織田派と反織田派に分かれております。反勢力に関しましてはご存知の通り、浅井久政の暗躍があると思われます。このように分かれてしまった一因が、六条御所の襲撃にあるということは最早言い訳しようもございません」

「六条の件で藤孝を責めるつもりはない。松永弾正、策はあるか?」

 すると奴は髭を動かし、ニヤリと笑った。

「おそらく義景殿は親織田派を抱き込んで、事実上の支配下に置いたのでしょう。そうでなければ現当主を攫うという荒業を、短期間で成せませぬ。そこで反織田派の狼煙を上げるべく、武田元明を取り戻す名目で若狭国へ侵入しようと思います」

「ほう」

「三好家臣であった頃より、伝手はあちこちにありますゆえ。将軍のご意志により、東西から包囲網を形成するために協力せよと言えば頷くでしょう」

 ここで信長包囲網が出てくるとは思わなかった。

 しかし久政の息がかかっているなら、将軍のご意志とやらは追い風になる。いつだって権力は都合よく扱われるものだ。涙目の義昭が浮かんだものの、これもお市と幼い姪たちのためだと割り切った。

「では、私はそれとなく六角氏にも情報を流しましょう」

「敵を増やすなよ!」

「信長様の手を煩わせた罪は重いのですよ。この際、若狭・越前・近江の三国を全て織田領としてしまうべきです。下間殿から聞きましたが、近いうちに加賀の問題にも介入するおつもりとか。隠居までに十年しかないのなら、のんびりはしていられません」

「……いや、隠居するのは俺」

 家臣がごっそり隠居したら、どうなる!?

 ドキッ☆若者だらけの織田軍団(首ポロリもあるよ!)っていうことになるじゃないか。そんなのはダメだ、ダメすぎる。ぶんぶん首を振る俺を、慈愛に満ちた笑みで見守る二人。

「まさかと思うが、お前もか。松永弾正」

「寄る年波には勝てぬと申します」

「んがー!!」

「最後に派手な戦をやらかすのも一興。その第一幕とさせていただきましょう。せいぜい面白おかしく踊っていただけると良いですなあ」

「ご存知ですか、能登は酒も魚も美味だそうですよ。加賀の件が終わりましたら、ついでに」

「ついでって何だ、ついでって!」

 どうしてこうなる。

 将棋の駒を動かすみたいに、国盗りの話を出してくるようになったのはいつからだ。それだけの軍事力を持ってしまったのは、もういい加減に自覚した。意図せずとも織田家による中央集権政治が始まっている。

 おかげで俺は寝る間も惜しんで働いていた。

 こんなに頑張っても、最後は謀反で死ぬとか割が合わない。隠居してから数年は奇妙丸の補佐をするつもりだ。こんな大変な仕事を、最初から一人でやれなんて言えない。

 何もかも投げ出したい、というのは本音ではあるが。

 これでも「やらかした」責任くらいは感じているのだ。


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 年が明けて永禄13年(1570年)。

 大和国に戻った松永弾正が挙兵した。

 理由は度重なる激務と無理難題、旧主・義継へのぞんざいな扱い、九十九茄子を勝手に朝倉家へ譲渡したことなどを挙げ、もう耐えられません激おこぷんぷん丸ですと丁寧すぎる抗議文をぶつけてきた。

 この一報はたちまち畿内を駆け巡り、松永弾正の弟・宗勝が挙兵。

 既に武田信玄と盟約を結んでいると豪語し、ノブナガ包囲網の形成を各地へ呼びかけたのである。すぐさま毛利・上杉が応じ、続いて阿波国の三好長逸をはじめとする有力武将たちが名乗りを上げた。甲賀の六角承禎、北近江の浅井久政はいわずもがな。

「げきおこ……」

「申し上げます!! 紀伊の畠山高政が挙兵!」

「長島の楠十郎が挙兵! 松永弾正に組すると宣言しましたっ」

「丹後の一色式部大輔殿、織田我らにお味方するとの由!」

「ん? なんか最後のだけ違わねえか」

 首を傾げる俺に、細川様が微笑んだ。

「丹後一色氏は若狭武田氏と因縁がありますからね。義昭様の奉公衆に息子を出しておりますが、それとこれとは違うと言いたいのでしょう」

「爆弾正め、真相をチラつかせて焚きつけたな」

「殿の言葉を借りるなら、叩けば埃が出る輩なのですよ」

「ふん」

「それにしても安芸の謀神はともかく、上杉殿も遊びに乗ってくださるとは思いませんでしたね。おかげで余計な手間をかけずに済みました」

 細川腹黒様が上機嫌で、頬がひくひくする。

 その「手間」の一つに、明智光秀の出陣があることを俺は知っている。信長包囲網は将軍のご意志であることを証明するため、近侍の一人が出向くことになったのだ。明智と松永の旗が並んで揺れているところを想像するだけでゲンナリとする。

 ちなみに名前の挙がった上杉・武田・毛利は動かない。

 正しくは動けない、というべきか。

 冷静になって、よくよく考えてみたら分かる話だ。この「包囲網」はおかしい。真っすぐ若狭国へ向かう松永・内藤軍に、丹後の一色軍、そして明智軍が加わるのだが。

 畿内と毛利領に挟まれた地域が大変なことになっている。

 どっちに味方するかで、揉めに揉めているらしい。

 去年の但馬攻めで知り合ったとかいう播磨の小寺何某から、文句を言われたと秀吉が笑っていた。それってもしかしなくても、官兵衛とかいうキレ者じゃないだろうな。このクソ忙しい時におかしな遊びを思いつくなんて気狂いか何かか、という皮肉が書いてあったらしい。

 遊びじゃないし。

 真面目だし。

 ぶすくれていたら「面白い男だから、そのうち会ってやってくれ」と秀吉に言われてしまった。その面白い男を左遷した噂があるとはいえ、秀吉に両兵衛が揃えば百人力だ。対武田の抑えとして、東美濃で防衛線を築いている半兵衛が元気なうちに会わせてやりたい。

 若くして病死、ということしか知らんからなあ。

 あの飄々とした青年が病に倒れるのは見たくない。かといって戦国のスーパードクター・曲直瀬先生は元就につきっきりだ。に付き合ってくれるくらいには元気だとはいえ、余命が尽きかけている。

 戦でも、病でも、寿命でも、見知った奴が死ぬのは辛い。

 死んだ方がマシだという奴でも、だ。

「少し張り切りすぎじゃないか? 俺は長政が動くまで待つ、と言っていたはずだが……こんなにデカい話になったら浅井家中も大混乱だろ」

「あくまでも現当主は長政殿。騒ぎが大きくなればなるほど、決断に重さが増します。むしろ選びやすくなったと感謝していただきたいくらいですね。彼の意志に従わない者など、今後の織田家には必要ありません。長政殿は最初から、そのつもりだったと思います」

「……戦で家臣を死なせることが、か」

「はい」

 何度も自問した。

 どうして戦わねばならないのか。話し合いで解決できないのか。納得いかないなら、軍勢を率いる前に当人同士で殴り合えばいい。領民だから、臣下だからと自分たちの都合に付き合わせて、命のやり取りをするなんて――。

 秀吉のひょうきん顔を思い出す。

 あんなのでも戦国時代を生きる武将だ。生まれる命を喜び、女を愛し、誰もが嫌がる仕事を真剣に取り組む。農民として生まれ、理不尽な世の中に不条理を感じていたはずだ。小さかった竹坊も今では、甲斐武田や後北条氏と対等に渡り合えるまでに成長した。

 大を生かすために、小を殺す。

 繰り返し覚悟を決めたつもりで、まだまだ足りない。

「甘さを捨てる必要はありませんよ、信長様」

 柔らかな笑みに、俺は目を瞬いた。

「あなたはそのままでいい。その不器用な生き様が、我らに存在価値を与えるのです。ああ、この方は我らが傍にいないとダメだと思わせてくれるのですよ」

「褒められた気がしない」

「褒めておりませんので」

 ふと半兵衛と会った日のことを思い出した。

 妙なタイミングで納得していたが、頭のいい奴らの趣味嗜好は凡人のそれとは大きく異なる。なんだかんだで俺についてきてくれる皆は、こんな俺だからついてきてくれるのか。

「そうか」

 独り言のように呟いて、頷く。

 それは肩の荷がずしり、と重みを増した瞬間でもあった。

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