信長包囲網編(永禄12年~)
170. ひび割れた同盟
秋の気配が深まる頃、俺は岐阜城へ戻ってきていた。
ようやく帰ってこられたという気分だが、問題が山積していて落ち着く暇もない。側近たちは畿内に残り、貞勝は引き続き京屋敷で仕事をしている。巷では京奉行と呼ばれているらしいが、うちの勘定奉行は小一郎に譲られていたようだ。
その勘定方も、ぐっと年齢層が下がった。
何故なら年長者は貞勝の指示で、あちこちへ飛ばされていったからである。普通に代替わりするよりも鬼の所業だと思うのだが、文句言わずに算盤を弾いている若者たちに同情の念がわく。
「遠山の件、……どうしたものかな」
ますます奇妙丸たちを呼び戻せなくなった。
出迎えの兵を出せば、遠山家を下手に刺激しかねない。当主の景任には何度か会って話したが、野心ある男には見えなかった。どちらかといえば、強い方に靡く風見鶏みたいな性格なのだろう。この時代の豪族としては全く珍しくない傾向だ。
そっちよりも俺は、信玄の真意を知りたい。
少なくとも奇妙丸は義父として懐きつつあり、そこそこ平穏な日々を送っているという。オイタを防ぐためか、少なくない行動制限を受けているのは仕方ない。手紙の検閲を恐れてか、子供らしい無邪気な文面に隠れた重要な情報の数々に舌を巻く。
半兵衛仕込みだろうか。半兵衛の仕業だろうな、間違いなく。
「ぽっぺん、ぽこぺん」
何とも間の抜けた音に振り返れば、お冬がビードロを吹いていた。
たまたま堺で見つけたガラス細工だ。ガラスじゃなくて「びいどろ」だと言われ、南蛮人や伴天連と呼ばれている宣教師たちもどうやら英語圏の人じゃないらしいと判明した。ちょっと待て。俺は英語しか分からんのに、それ以外だと話が通じない。
奴隷取引の件だって、南蛮人だけを責められない。
日本人の商人がいて成り立つものだ。それが戦国大名レベルだとするなら、迂闊に手出しできるような問題じゃなくなってくる。あの優しそうなドロステンが悪人だと思いたくない、っていうのもあった。
「ぽっぺん、ぽっこぺん」
「気に入ったのか、お冬?」
「うん」
こっくり頷いて、娘は再びビードロを口に当てた。
白くぼやけた色の地味臭いガラス細工なのに、彼女は飽きもせず毎日遊んでいる。片付ける時には丁寧に拭いて、綿を敷き詰めた木箱へしまうのだそうだ。
割れないように、大事にしてくれるのが普通に嬉しい。
「何が正しいんだろうな」
「父上」
「ああ、いや。何でもない。邪魔して悪かったな、お冬」
「なでなでする?」
一瞬迷って、素直に頭を差し出した。
彼女の手がすぐに来なかったのは、ビードロをどこにしまおうか考えていたからだろう。俺が預かろうと手を出すと、何故か怒った顔をして胸に抱え込む。ダメも嫌もない無言の主張に、俺は混乱した。
え、何? 何が起きているんだ? 反抗期かっ。
「冬の」
「取り上げたりしないから」
「やっ」
その時、ぴしっと小さな音がした。
娘がみるみる顔を青ざめさせていく。
震える手で、おそるおそるといった様子で状態を確かめた。ほんのちょっぴりだが、ビードロにヒビが入っただけでお冬は今にも泣きそうな顔で俺に駆け寄った。鼻に押し付けそうな勢いで、ビードロを差し出す。
「なおしてっ」
「お、おう。これくらいなら、すぐ直る……ぞ」
それはまさに、天啓ともいうべき閃きだ。
なんで今まで気付かなかったのか不思議なくらい、簡単なことだった。変わる変わらない、変える変えないと細々しく悩んでいたから見通していた。ふっきれたはずなのに、どこかで女々しく囚われている己が可笑しくなる。
「お冬!」
「なあに?」
「でかした。さすがは俺の娘だ!!」
まんまるに目を見開くお冬に頬ずりして、ビードロを手に踊りたくなった。
そういえば、西国のどこかで広まった踊りは両手に小道具を持って打ち鳴らす。あれは一体何だったか、小道具さえ作ったら踊りを開発してくれる物好きはいないだろうか。延暦寺のことで寺社領には遠慮していたが、伊勢神宮や熊野大社に参拝しないままというのもよろしくない。仲良くしたいわけじゃないと回りくどく考えているから、行動が遅れるのだ。
久々に思考が軽い。
秋から冬まで城で缶詰になっているか、出陣するかの二択しかなかった。
ビードロを城下の鍛冶屋へ修理に出し、尚清を部屋へ呼ぶ。
「尚清、俺は越前へ行くぞ」
「は?」
「途中で長政を拾って、若狭経由で朝倉義景殿に会ってくる」
「いや、あの、意味が分かりません。理由をお聞かせ願えますでしょうか」
「喧嘩したくないから仲良くしようって言ってくる」
「お止めください」
「……なんでだよ。俺自身が出向いた方が説得力あるだろ」
織田木瓜の効果は絶大だ。
今や織田信長の名は、天下に轟いている。そのくせ噂ばかりが先行して、俺自身ことを知らない奴は多いはずだ。そこへ本人が登場したら、さぞ驚くに違いない。
だが尚清は首を振る。
「危険すぎます。朝倉への使者は、相応しい者を選ぶべきです」
「だから俺が」
「いけません」
「時間がねえんだよ!」
「だからこそです」
尚清も頑固だ。ちっとも譲らない。
俺たちが睨み合っていると、信純がひょっこり顔を見せた。
俺と同時期に戻ってきた彼だが、お艶不足を解消するまで登城しないと言っていたのだ。思ったよりも早いので、お艶に蹴り出されてきたのかもしれない。ふふん、いい気味だ。俺なんか仕事を持ち帰ったから、帰蝶たちに会わせてもらえないんだぞ。
京女と遊んできたとか、でっかい誤解だ!
「ねえ、琵琶湖に正体不明の船団が現れたそうなんだけど……三郎殿、知らない?」
「尼子軍だ」
「…………ああ、本物だったんだ」
「そのうち来るって話しただろ。そういや、勝久と鹿頭はどうした? 岐阜城では全く顔を見ていないんだが、どこぞの訓練に参加しているのか」
「畿内から出ていないよ。確か、丹羽隊か佐々隊のシゴキに遭ってるんじゃなかったかな。そんなことよりも、九鬼水軍からも指示の催促が来ているんだよね」
「そのまま待機」
即答すれば、信純が額に手をやった。
「三好三人衆のことなら、当分上陸できないよ」
「そうなのか?」
「どちらかといえば、四国での動きが気になるかなあ。三郎殿、毛利家と何を話したのさ。伊予へ進軍していた本隊が引っ込んで、長曾我部家が急速に勢力を伸ばしつつあるんだけど」
「何もしてない。出雲国で暴れていた尼子残党をもらう代わりに、毛利家と不可侵条約みたいなものを結んだだけだ。あくまで口約束だから、どこまで効力があるかは知らん」
「そういうのは先に言ってほしかったよ……」
「毛利家と手を結んだのですか!?」
それまで黙っていた尚清が素っ頓狂な声を出す。
ほらね、と得意げにする信純を恨めしく睨んだものの、俺だって立て続けに起きたことが整理しきれていないのだ。岐阜城へ帰ってきたのは、息の詰まる場所にいたくないからだった。
「御方様がいないと、三郎殿って本当に何をしでかすか分からないよねえ」
「吉兵衛は大丈夫だ、問題ない。と言っていたぞ」
「子供の言い訳みたいな発言しないの。公方様に次ぐ権力の持ち主が」
「そんな権力、熨斗つけて返してやるわ! あ、年が明けたら義昭様に意見書出すからな。草案作成は任せた。六角氏式目みたいなのを作ってくれ」
「え!? 聞いてないよっ。絶対却下されるよね!」
「却下されない内容にすれば問題ない。日乗は、又六郎が適任だと言っていた」
「臨時休暇は?」
「お艶とイチャイチャできたんだろ」
「全然足りないっ」
「……お二人とも、喧嘩している場合ですか」
こめかみを揉みながら、尚清が口を挟んでくる。
お互いにヒートアップしすぎたようだ。
信純が居心地悪そうに浮かせた腰を下ろす。側近たちも愛する家族と離れて、畿内へ単身赴任中である。年が明けたら戻すべきか、家族ごと移動してもいいかなと考える。
そうなると、新たに所領を与えるも同然だ。
いや、これまでの働きを考えれば妥当か? 俺名義の褒章は戦の度に出ているが、俺自身が出した褒美は数えるほどしかない。利家は下賜された刀を自慢してきてウザイ、と成政から文句を言われたくらいだ。
「それで日乗とは何者ですか?」
「まさか日乗上人じゃないよね。京でやたら絡まれたって聞いたけど」
「腐ってない坊主は別だ。……ええと、なんか面白いから拾った」
またか、という二人の視線はちょっと受け止めきれない。
俺も去年までは詳しいことも知らなかった、と言ったら余計睨まれそうだ。
「えー。出雲国出身で元尼子家臣、朝日日乗といって――」
そういや、あいつも尼子の者だったんだな。今気づいた。
何年か前に後奈良天皇から上人を名乗ることを許された日蓮宗の僧だ。
貧乏すぎて妻と離縁した後、盗みや殺しなどの罪を犯して世の無常を知り、施しを受けられる仏僧の道を選んだという変わり者だ。毛利家で厄介になっていたのに京へ戻って、畿内の動乱に巻き込まれて三好家臣に捕まった挙句、磔状態のままで民衆に法華経を説いていたという。
「一番最後だけなら、三郎殿が持っている……ろざりお? だっけ。その人に似ているね」
「最後だけならな。とにかく弁舌の達人で、喋らせておくと飽きない」
「まさか、
「喋るのが得意だから、交渉人向きだろ。吉兵衛にくっつけて、朝廷との取引なんかを任せてきた。天皇の知り合いっていうのが本当なら、そこそこ成果を出してくるかもな」
「なるほど」
織田家の御伽衆には信定がいる。
ペンネームは太田牛一というらしい。うん、どこかで覚えのある名前だな! 俺の(恥ずかしい)半生記を書籍化させないため、グリム童話などのおとぎ話を話して聞かせる相手が織田家の御伽衆である。信長全集と名付けられそうになったので、せめてもの抵抗で「織田全集」に変えさせた。
浦島太郎やかぐや姫は知られていたが、人魚姫やシンデレラは珍しがられた。
他には民間で伝わる寝物語などをまとめて、御伽草子に並ぶ人気ぶりだという。その草子を生産するのが御伽衆の仕事だ。ひたすら書く、書く、書く。さすがに申し訳なくなった俺がテーピングを教えたら猛烈に感謝された。
薬草による湿布と合わせれば、効果は格段に上がる。
「活版印刷、やるか」
「それから道路標示だね。また三郎殿が行方不明になると困るし」
「……案内役がいれば迷わない。もともと西へ行きたかったんだ、俺は」
「駄目です。迷わないからいいというものではありません」
「何、どうしたの? 尚清殿にしては珍しい」
「殿がどうしても、越前との同盟を結びたいと仰るので困っております」
たちまち信純が胡乱な目になるので、俺は慌てた。
「ち、違うんだ。聞いてくれ、又六郎。浅井や武田との同盟関係が危ういから、俺なりにどうにかしようと思ってだな」
「うん、三郎殿は動かなくていいかな」
「なんでだよ!?」
「なんでって……甲斐にはもう、竹中殿がいるしねえ。岩村遠山氏のことは考えがあるから大丈夫。そうだなあ、越前へは細川兵部殿に行ってもらえば?」
「嫌がらせか」
「まさか。適材適所だよ」
朝倉家が頑なな態度をとっている理由は分からない。
だが長政の言葉が本当なら、奴の親父が一枚噛んでいるのは間違いないだろう。そこまで放置していた長政を甘いと断ずる権利など、俺にはなかった。もしも俺が長政なら、いつか分かってくれると信じて待っただろうから。
誰でもない長政自身が決断し、選び取るのを待つしかない。
「だが伊勢参りや熊野参拝くらいはいいだろ。あとは、その…………諸々の墓参りとか、熱田神社にも顔出ししときたいし」
「本願寺は?」
「京に戻るのダメ絶対」
「ぷふっ」
「……信純殿」
こうして急遽、神社巡りツアーが組まれた。
日程的に初詣の方がいいんじゃないかと思わなくもなかったが、神社巡りをするだけなら女子供を同行させてもOKという言質を取った。地獄耳の娘・お五徳から抗議の手紙が届いたが、さすがに三河から飛び出してくることもないだろう。お市じゃあるまいし。
**********
御伽衆...またの名を
将軍や大名の近くに侍り、話し相手や書物の講釈を務める役職のこと。豊富な知識と高い話術が必須スキルの文官枠。
その仕事内容は幅広く、多岐にわたる。織田家では速筆スキルも求められた
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