156. 再上洛へ(3)
二度目の京は、なんだか静かすぎて不気味だった。
そういえば、京がやたら寒いのは盆地だからだって聞いたことがあるな。何が悲しくてこんな時期に上洛なんぞしなければならないのか。え、俺のせい? まさかご当主様が城から逃げ出すとは思わんだろ。
逃亡先が甲賀の里と聞いて、護衛としてついてきている伊賀者が目を輝かせた。
「やりますか?」
「やりません」
伊賀vs甲賀の忍者対決はちょっと見てみたい気もするが。
織田に友好的な者たちに限るとはいえ、情報収集のために相当な人数を借り受けている。そこに武家同士のいざこざをぶち込むのは、さすがにな……。名門六角氏の神輿に魅力を感じる野心家が甲賀衆にいないことを祈るばかりだ。とにかく近江国は長政に任せたので、甲賀のことも何とかしてくれるだろう!
「恒興、嫁さんは大事にしろよ?」
「ご心配には及びません。仮にも殿より祝福をいただいた身で、おかしな噂をお耳に入れたことを深くお詫びいたします」
「……荒尾は可愛い女じゃねえか」
「お気に召したのであれば」
「それ以上言ったら、側近から外す」
黙りこくった乳兄弟を見やり、内心でふかーい溜息を吐く。
思った以上に深刻そうだ。子供の頃から頭が固くて、思い込みが激しく、ちっとやそっとのことで考えを改めない。帰蝶にそれとなく話して、様子を見てみるか。
俺が音頭を取ったことは抜きにしても、家族で幸せになってほしいものだ。
あっちの親馬鹿どものようになれとまでは言わんが。
「うちの松千代の方が可愛い!」
「いや、犬千代のが絶対ぇにかあいい!!」
「はん! 犬の子は犬っころか」
「そっちこそ犬千代に、松ぼっくりって呼ばれても知らねえからな」
「んだとぉ?」
「やんのか、あぁん?」
「止めい!!」
今回は勝家が制裁を下した。
互いに潰れた声を上げて崩れ落ち、従者が引きずっていく。すっかり手慣れたものだ。自分たちのことは自分でやるしかなかった昔に比べると、肩書だけは立派になったと思う。中身が全く変わらないのは喜ぶべきか、嘆くべきか。
「知っているか、恒興? あいつら、二人目か三人目が腹にいるから遠征行きたくないって騒いでたんだぜ」
「主に似ると言いますから」
恒興はにこりともしない。
後日、驚くべきことが発覚した。
恒興は嫁ラブすぎて、嫁の話題を極端に嫌がる。奥様戦隊の会合にも出したがらず、岐阜城下の池田屋敷も彼女のためだけに用意したと専らの噂だ。ついでに二人の男児はすぐ乳母へ預けられ、ろくに会わせてもらえないという徹底ぶりである。一途すぎて、誰にも会わせたくないヤンデレになっていた。
伊予が成長するまで待てなかった
そして最近、秀吉のテンションがおかしい。
「おい、猿。出番がないからって、そう落ち込むなよ」
「べ、別に落ち込んどるわけじゃあ……!」
「子らに嫁をとられて落ち込んでいるのは確かだろう。貴様のような者にまで心配してくださる殿のお気持ちをありがたく思うどころか、見苦しく言い訳をするとは。恥を知れ!」
利家と秀吉のやり取りに、恒興が喚く。
「子供?」
「ち、違うんじゃ! そのう、最近はお鍋の方様についていっては
続きはモゴモゴと口の中で、俺の耳には届かない。
父無し子は戦や病で父を亡くした子のことだ。母がいるので、厳密には
子供がある程度育てば引き取られ、老いた女は放っておかれる。
必ずしもそういう運命をたどるとは限らない。だが今の時代、女の地位はとても低い。女がいなければ子が生まれることもないのに、女を見下す男は身分を問わず珍しくなかった。
「なら、屋敷を増築するか?」
「へえっ?!」
「殿、それではまた猿めを贔屓しすぎと不満が出ますぞ」
結構いい案だと思ったのに、長秀がしかめっ面をする。
「木下屋敷で世話をするから手狭になるんだろ。それなら託児所を作ればいい。若くても年をとっても手に職があれば、何とか生きていけるものだ」
「た、たくじしょ?」
「一時的に子供を預ける場所……まあ、勉強しない織田塾みたいなもんだ。女同士が交代で面倒を見てやるんだよ。それで何とかならないか?」
「それは、そうですね。託児所ですか。岐阜へ伝令を出しておきましょう」
失礼します、と恒興が去っていく。
ぽかんと見送っていた俺たちだが、将軍家の使いがやってきて御所へ向かうことになった。いよいよ、畿内の動乱へ介入することになる。
義昭の視線を感じる。将軍が見つめる先を気にする者も現れ始めた。
やめろ、こっち見んな。
あれか、当たり前みたいに白頭巾・義輝が後ろに控えているからか。見るからに怪しいもんな! 最初の上洛は
「久しいな、尾張守」
「は」
「不本意そうだな。何か気になることがあれば、遠慮なく申せ」
「いいえ、特には。大和国で起きている戦に介入し、松永弾正に手助けをする。その言葉に偽りはございません」
「口では何とでも言えます」
「俺は義昭様と話している。金柑頭、貴様は黙っていろ」
「……っ」
「十兵衛殿、尾張守殿の言う通りですぞ」
「弾正、あなたまでそのようなことを!」
「十兵衛」
どこまでも光秀は忠犬だ。
義昭の言葉にぐっと堪え、そのまま後ろに下がった。俺にも似たような馬鹿どもがいるから、何となく気持ちは分かる。義昭がそこまでの器かどうかは、まだ判別がつかない。
将軍家の血筋というだけで妄信している可能性もあった。
本当にあやういんだよなあ、光秀って奴は。
それはそうと将軍義昭様である。疲れたような溜息を吐きつつ、俺に視線を合わせてくる辺りは切り替えができるようだ。ちょっと焦点がズレて義輝に向かっていても気にしない。
「其方のおかげで、余は無事に御所へ戻ることができた。礼を言う」
「勿体なきお言葉にございます」
「岐阜での日々も、なかなかに悪くなかった。立政寺での生活は、特に」
「住職であった頃を思い出しましたか」
「相変わらずはっきりと言ってくれるな。まあ、その通りだ」
「それでも今の貴方は、征夷大将軍です。どうぞ、ご指示を」
「……よいのか?」
「ご随意に」
「あいわかった」
なんだか一気に老け込んだ顔をしているなあ。溜息も多い。
余裕ある行程を選んだはずだが、疲労が溜まっているのだろうか。俺みたいな奴に気を遣うのが嫌なだけかもしれない。本来ならば、こうして話すこともなかった関係だ。
義昭はしばらくの間を置いてから、こう言った。
「まず一つ目、六角義治の首を討ち取れ」
「お断りします」
「尾張守殿!!」
「よいのだ、十兵衛。……断る理由を聞かせてくれぬか?」
「はい。近江は既に義弟・浅井長政に主権を譲りました。近江国のことは長政にご命令ください。因縁ある者同士、決着をつけさせたく存じます」
「ふむ」
「それは無責任と言うものだ」
「黙れって言ってんだろ、明智十兵衛。ぴーちくぱーちく騒いでんじゃねえよ。てめえ一人で踊ってんのか分からねえのか?! それとも土岐氏の怨念に憑りつかれてんのか!」
「なにをっ」
「十兵衛、そなたは長旅で疲れておるのだ。先に休んでおれ」
「……御意」
義昭に退室を命じられ、光秀はがっくりと項垂れた。
とぼとぼと肩を落として去っていく背に哀愁を感じる。
俺もうっかり口を滑らせた自覚はあるが、あのキャンキャン喚く感じは恒興に似ているから
「近江国のことは分かった。浅井新九郎にはそのように伝えおこう」
「感謝いたします」
「次に畿内のことだが」
「大和国だけですよね?」
「いや、三好の勢力圏は畿内の」
「大和国だけですよね?」
「う……」
困った義昭が、目線で松永弾正に助けを求める。
しかし静かに首を振られ、がっくりと項垂れた。そうかいそうかい、情報通りってことかい。畿内の勢力はみーんな将軍家の敵か。そりゃあ大変だなあ、うんうん(他人事)。
朝廷があり、寺社が集まり、歴代幕府が本拠と定めた地域だ。
ここを統一して支配下に収めたら天下人、という考えが根付いている。どう考えてもおかしいのだが、千年以上も日本の中心地として扱われているせいだ。
『信長様、天下とっちゃおうよ』
最近は半兵衛だけでなく、信盛たちもこんなことを言い出した。
まるで棚の上の牡丹餅を掴むかのような軽さで、俺を唆そうとする。俺の理想を「絵に描いた餅」だと嗤った秀貞の生きていた時代が懐かしい。
安定の老後を得るためには、確かに畿内統一は必要だ。
奇妙丸には美濃一国で収まらない大きなものを託すハメになりそうだが、俺はとっくに腹をくくった。天下統一と畿内統一は同義じゃない。
それにしても細川様はどこいった? 姿が見えんぞ。
「三郎、あまり苛めてやるな」
「虐めてねえよ。手前の覚悟はその程度かってガッカリしただけで」
「よく言う」
「そもそも、ちっちゃい島国のちっちゃい領土をせこせこ奪い合って、お山の大将気取ってた奴らが姻戚同士で殺し合って貴重な文化遺産ぶっ壊したんだろうが。確かに仏像なんざ拝んでも腹の足しにもならねえが、溺れて死ぬ奴らの救いにはなるんだよ」
あ、イイコト思いついた。
今後はキレそうになったら仏像彫ろう。せっかくだから帰蝶似の観音像がいいかもしれない。出来が悪くても大量に掘れば、ご利益がありそうだ。少なくとも気晴らしにはなる。
座禅していると、寝ていると間違えられるからダメだ。
「尾張守殿」
「あん?」
「今日の謁見はこれにて終了、と」
「そうだな」
松永弾正の言葉に頷く。
何故か真っ白に燃え尽きている将軍を一瞥し、俺たちは御所を後にした。
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松永サンは大人なジェントルなので、この程度で怒ったりしない
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