145. 父と子の生存戦略

 全身黒タイツの不審者が、迷子を掴まえてきた。

「ただいま戻りました」

「いや早すぎんだろ。昨日の今日だぞ」

「侵入者を掴まえるのも仕事のうちですので」

「はぁーなぁーせぇー!!」

 小脇に抱えた子供が元気に暴れているのに、奴はビクともしない。

 軟体動物かと思うくらいに体を捩じりまくり、殴ったり蹴ったり噛んだりしているのに、される側は顔色一つ変えない直立不動。もしかして痛覚がないんだろうか。

 目が合うと、にこりと笑う。

 意識が逸れたと思ったのか、子供がいよいよ激しく暴れる。

 はあ、仕方ない。

「…………奇妙丸」

 あれだけ動きまくっていたのに、ピシッと固まる子供。

 そうかあ、ウチの子だったかあ。認めたくなかったが、やっぱりそうなのかあ。沢彦といい、奇妙丸といい、ほいほい国を越えないでほしい。ビックリするから。

「どうやって小谷城に潜り込んだ」

「……おばうえの、長持に、隠れてました」

「中の荷物は?」

「…………」

「もともと空の! 長持だったから!!」

「目録と合わなかったら、担当者の首が飛ぶ。分かっててやったのか」

 ひゅっと咽喉が鳴る。

 青ざめて大人しくなったので、もう暴れないと判断したのだろう。それこそ荷物同然に降ろされたが、そこは地面だ。奇妙丸は膝をつき、着物が土にまみれる。

 忍がご丁寧にも一礼して姿を消したが、我が子は茫然自失としたままだ。

「そんな、つもりは」

「強引に言うことを聞かせるのは暴君のやることだ」

「ちが、ちゃんとお願いしたっ」

「織田家嫡男の言葉を無視できる奴はそうそういない」

「だって……!」

 俺の側近は違うと言いたいのだろう。

 だが長秀たちには、俺が「手加減無用」と言い含めている。女衆は帰蝶の統括だが、何でもかんでも甘やかすことはしない。それでも素直で可愛らしく人懐っこい子供に厳しくできる大人は多くない。

 俺の子供時代に比べれば、待遇は天地の差だ。

 少なくとも奇妙丸を排除しようとする意志は表に出てこない。一時期に比べれば、命の危険に晒されることも格段に減った。その分だけ許可できる領域が増え、行動範囲が広がったのだと思われる。

「奇妙丸」

「…………」

「俺が『奇妙丸を甘やかすな』と皆に命じても、お前は織田家嫡男だ。その身分だけはどうしようもない。地位が下にある者は、地位が上にある者に逆らえない。お前は知らないが、尾張国の外では口答えしただけで殺される。運が良くて鞭打ち。酷い時には一族郎党晒し首だ」

「うそだっ」

「嘘じゃない」

「だって、そんなの、ひどいです!」

 反論しつつも、頭が冷えてきたのだろう。

 奇妙丸の口調が賢そうな言葉遣いに戻りつつあった。俺を睨みつけながらも、どうやって許しを得るかを考えている。こっそりと花嫁行列に潜り込んで数日、俺のところに報告が来なかったのは黙っていた奴がいるからだが。

 話の流れで、関わった者全員が連帯責任を負うと気付いたらしい。

「ごめんなさい!」

 地面の上で座り直し、勢いよく頭を下げる。

「皆は、ぼくのめ……いれいに、従っただけです。彼らを罪に問うのは、やめてください。黙ってついてきたのは、謝ります」

「謝るだけか?」

「なんでもします!」

「元服もしていない子供に何ができる?」

「ぼくはもう十三ですっ。元服していないのは父上がっ」

「俺が?」

「ち、ちうえが……ゆるして、くれな、いから」

 語尾が揺れて、ふえっと涙声になる。

 潤んだ両目から、大粒の涙が今にもこぼれそうになっていた。俺が本気で怒るところなど見せたことがなかったから、恐怖を感じているのかもしれない。これが親父殿なら、既に硯か鉄拳が飛んでいる。舅殿なら茶碗かな。

「……っく」

「ほう」

「ぼくは、なきませんっ」

 俺が思わず声をもらせば、奇妙丸は気丈にも睨んできた。

 色々と決壊寸前な顔で、よく言うものだと感心する。心のどこかで俺が許してくれると思っていた甘えが消え、不服から来る怒りで耐えているようだ。

 俺が胡坐を掻いて頬杖をつき、庭に座る息子を見下ろした。

「奇妙丸、答えよ。何ができる」

「何でもです!」

 うーん、そうきたかー。

 思わず空を仰いだ。

 ぽっかり浮いた半月が、まるで俺たちを笑っているかのようだ。即答する元気の良さは評価してやりたいが、交渉としては残念過ぎる。かくいう俺も、胸を張れる交渉してきた経験もないのだが。

「まだ早いと思っていたが、いい機会かもしれないな」

「父上?」

「我が秘密を聞いた者は一人残らず消えている。それでも聞く覚悟はあるか?」

 正確にはたった一人だが、嘘は言っていない。

 俺の前世を知る者は平手の爺と、前世の知り合いだけ。今の時代に一人もいないことは真実だ。奇妙丸に話すことで、二人だけの秘密になる。

「……母上にも?」

「いずれ話すつもりではあるが」

「聞きます! 母上が死んだら、父上が泣くから」

「お、おう」

 否定できない。できないが、大きな声で言わないでほしい。

 帰蝶がいなくなったら生きていく意味がない。大事に守りたい家族は他にもいるが、彼らは俺がいなくても生きていける。生きていたという史実がある。帰蝶だけは、違う。帰蝶はいつの間にか、歴史から消えているのだ。

 歴史に詳しくない俺でも知っている。

 彼女が嫁いだ後、数年で消息が曖昧になるのだ。本能寺で共に果てたとか、信長に斬り殺された説もある。孫の面倒を見ていたという説もあるようだが、帰蝶は斎藤道三の娘だ。そして織田信長の正室である。この時代は女性の立場が極端に弱いとはいえ、あまりに情報がなさ過ぎる。俺が知らないだけかもしれないが、謎に包まれた云々は聞いたことがある。

 それだけじゃなく、俺自身が帰蝶を失いたくないと思っている。

 帰蝶のおかげで何度も救われた。彼女は、俺の菩薩様なのだ。

「……そうだな。俺と、お前ならお濃を守れる」

「はい!!」

 力強く頷く息子。

 そういえば、俺が前世の記憶を蘇らせたのは十の頃だった。

 よりによって落馬して尻を強打したという恥ずかしすぎる経緯だが、脳に衝撃を与えると記憶がどうのこうのなるという話は聞いたことがある。頭を直接打って、何もかも消し飛ばすよりマシだったかもしれない。

 奇妙丸は今年で十三。

 そうだ、俺もその頃からノブナガとして生きようと思ったんだ。


********************


 長い話になった。

 前の人生と、今の人生。そして、これから起きること。

 夜も更けて、子供の奇妙丸には起きているのもつらいはずだ。それなのに大きな目をキラキラさせながら、俺の話を聞いている。楽しい話なんてほとんどなかったのに、一言も聞き逃すまいという気迫で集中していた。

「もう眠いだろう。続きは明日にするか」

「いいえ、全然眠くないです。もっとお話してください、父上」

 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今はもう記憶が曖昧になっていることも多い。

 それでも日常生活に関することや、前世の俺が特に興味をもったことは覚えている。尾張国で普及し、国庫を豊かにした「発明品(笑)」も記憶に因るものだ。俺が考えたわけじゃなく、名も知らぬ天才の発想を真似しただけにすぎない。それに実用化させたのは俺の側近であり、尾張国の人々だ。

 不遇な子供時代を過ごしたと思っていたが、案外恵まれていたのかもしれない。

「ぼくも、おじいさまたちにお会いしたかったです」

「そうだな……」

 親父殿は『器用の仁』とも呼ばれた。

 高い教養と交渉力を持ち、大金を惜しみなく使った。俺が上洛した時に歓待を受けたのは、織田家が朝廷に多額の献金をしていたからだ。貴族と言えば裕福な暮らしをしているイメージがあるのに、御所が相当ボロだったらしい。雨漏りはさすがに言いすぎだと思うが。

 家臣にもよく慕われた。

 今思えば、不器用な人だったんだろう。器用の仁のくせに。

 舅殿も『美濃の蝮』と呼ばれた悪人扱いだが、やはり家臣に慕われていた。野心だけで美濃国を奪い取ったんじゃない。義龍や龍興がきちんと統治していれば、美濃国が荒廃することもなかっただろう。

 家族思いの人だった。死なせたくはなかった。

「俺がもっと、ちゃんとできていれば……そう思うことは、多い」

 分かっている。誰も彼もを救うことはできない。

 だが信行が今も生きているように、俺の行動次第で死なずに済んだ者もいるのではないかと思わずにはいられない。もっと織田信長について詳しければ、もっと歴史について深く学んでいれば、前世の記憶で役立てるものを多く引き出せていれば――。

「歴史は、変えられるかもしれない。だが、変えるのは……こわい」

「どうして歴史を変えたらダメなんですか? 死んでほしくない人が死なないようにするのは、そんなにおかしなことなんですか」

「歴史の強制力というものがある。歴史とは大河、大きな川の流れのようなものだ。小さな変化は起こせても、大きな流れは変えられない」

「でも、ちょっとずつ流れを変えていけば!」

「そうしたら、お濃と会えないだろうがっ」

「ち、父上?」

 歴史を変えることは何度も考えた。

 織田家がでかくなりすぎて裏切りや謀反が起きるなら、田舎の片隅でひっそりと過ごしてみるのはどうか。手が届く範囲の平穏なら、俺でも守れるかもしれない。

 あるいは秀吉や家康を使い、織田家が天下統一する。

 日本の東西をまとめるには多くの将が必要だが、有名どころなら俺でも知っている。そいつらを上手く巻き込めたら、平和な時代は早く訪れるかもしれない。

 でも、そんなことをしたら歴史が大きく変わってしまう。

 歴史が変わっても、前の俺が生きていた時代になるとは限らない。俺がどう生きて、どう死んだのかは覚えていない。それでも、あの時代に生きていた記憶を持った俺が帰蝶と会ったのだ。政略結婚だったが、二度の人生で初めての恋をした。

 帰蝶がいてくれるから、今も頑張れる。

 美濃国は帰蝶の生まれ故郷だから、豊かにしようと頭をひねっている。ぶっちゃけ、他の国は尾張・美濃ほどに心血を注ぐ気になれない。他国は他国の将がなんとかしろと思う。そこまで面倒をみきれるか。二国だけで忙殺されているっていうのに。

 なりゆきで嫁が増え、子供も増えた。

 前の人生ではありえなかった家族に囲まれた時間を過ごしている。いや、家族と一緒に過ごしたいのに周りがうるさすぎてノンビリできない!

「というわけで、帰蝶と会えるルートを確保しつつ、天下を獲らせる。平和な世をつくることは爺に誓ったからな。これは譲れない」

「誰にやらせるのですか」

「秀吉だ」

「猿が、父上を裏切るのですか!?」

「いや、裏切るのは金柑頭だ。俺のイジメに耐えかねて、本能寺に少数で滞在しているところを襲撃する。そこで俺とお前は死ぬ」

「し……にたくないです!」

「俺も死にたくない」

「その金柑頭を斬りましょう。やられる前にやります」

 え、こわ。子供らしからぬ殺気を放っているぞコイツ。ナニコレこわい。

 金柑頭が光秀だと言った途端に、美濃国へ戻って殺りに行きそうだ。それはまずい。歴史が変わってしまう。きちんと言い聞かせなければ。

「まあ待て、落ち着け奇妙丸。光秀の三日天下で秀吉の株が急上昇して、天下人への道をひた走ることになるんだ」

「光秀というのですね、覚えました」

「だから待てって! 殺されるフリをして表舞台から退場する」

「父上がいなくて天下を獲れるとは思いません」

「秀吉はデキる男だぞ。あいつ以外に環境奉行が務まると思うか?」

「う」

 環境奉行は今やなくてはならない部署だが、内容が内容だけに超絶不人気である。

 かなりの高給取りで、織田家中の地位も高い。それでも名前を聞いただけで鼻をつまむのは奇妙丸だけじゃない。秀吉ならびに木下一族の機嫌を損ねると悪臭に悩まされると専らの噂で、妬みや僻みもほとんどないらしい。

 他に激務ブラックで知られているのは勘定方と土木関連か。

 勘定方は特に春秋がキツイ。俺も当然のように数に入れられているので、遠くない未来に奇妙丸も引きずり込まれるだろう。あれはゾンビの巣窟だ。

「父上。三河は、織田の同盟国ですよね。家康も父上を裏切るのですか?」

「秀吉が天下人になった後、色々あってな。着々と力を蓄えていった家康が、天下分け目の合戦に勝ち抜くことで幕府をひらく」

「ああ、室町幕府がなくなるんですね。足利は織田の傘下に入るのでしょうか」

「入らないから! 覚慶様が最後の将軍になるんだよ。まだ将軍位を賜っておられないが、細川様が朝廷と話して必要な準備を進めているはずだ」

「父上の嫌いな坊主が将軍になるのですか。それは、困りますね」

「困らないから! とにかく、俺は楽隠居したい。雨墨みたいに死んだことにすれば、どこで何をしてようと自由だ。本能寺の変までの道のりはよく覚えていないから、歴史通りってわけにはいかない。だが、俺が49才の時だというのはハッキリしている」

「その時まで光秀を生かしておくのですね。分かりました」

「奇妙丸? ちゃんと理解したか?」

「大丈夫です」

 あかん、目が据わっている。

 俺に怒られて涙目になっていた可愛い息子はどこへ行っちゃったんだろう。

 奇妙丸は修羅の国と蝮の血を引く者だ。信長と比べられて「大したことない」イメージがついていたが、もともとのスペックはすこぶる高いのだ。俺と一緒に殺されなかったら、本当に天下獲っていたかもしれない。

 いや、天下獲らないぞ。現代までの道は変えない。絶対だ。





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