151. 公家サンドは食べられない

山科流三顧の礼

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 雪が降りしきる中を駆け抜けて、なんとか新年に間に合った。

 年が明け、永禄11年(1568年)である。

 誕生日を祝う概念がないために、皆が揃って一つずつ年を重ねていく。もうどこまでが前世の記憶なのか曖昧になってきても、誕生日の祝いだけは忘れたくない。それでも戦場がだんだん遠くなって、戻ってこられないことの方が増えてきた。

 俺は憎む、乱世の理を!!

「いやあ、ははは。美味い、美味いのう。どれもこれも趣向を凝らし、素材の良さを十二分に引き出しておる。うむ、美味い」

「なんで普通に混ざってんだよ、お公家様!?」

「何でも何もあるものか。不義理をしておるのは其方であろう。弾正忠殿や平手中務丞はあれほど礼を尽くしてくれたというのに、その息子ときたら……」

 およよと扇子を震わせるおっさんを、お冬がナデナデしている。

「わざとらしいからヤメロ」

「姫よ、我が娘にならぬか?」

「誰がやるか!!」

「あなた」

 帰蝶がそっと呼びかけて、俺の平常心を取り戻してくれた。

 上座に収まった男は白塗りの顔を赤く染め、黒豆みたいな麿眉を上下に動かしながら宴席を堪能している。岐阜城主である俺が座るべき場所を占拠している人物こそ、朝廷の財務最高責任者である内蔵頭・山科言継やましなときつぐであった。何というか、去年に来た使者殿も山科卿だったらしい。

 しかも吉乃の病を治療したのも山科卿、という驚きの事実が発覚した。

「それは、何と……礼を言えばいいか」

「おやおや、急に大人しゅうなったの。家族をとても大切にしている、というのは本当らしい。まあ、こちらにも非がないとは言えぬな。今まで隠しておったのは、彼女から強く頼まれていたが故だ」

「申し訳ありません。お殿様のご迷惑になりたくなくて」

「わたくしからも謝ります。山科様のことを黙っていて、ごめんなさい」

「吉乃、お濃」

 二人に頭を下げられたら何も言えない。

 山科卿までが盃を置き、微妙な沈黙が辺りを包んだ。8歳になったばかりのお冬は不思議そうに俺たちを見回し、こてんと首を傾げる。お五徳と二人の兄は別の部屋で遊ぶことを選んだが、彼女は山科卿が気に入って広間に残ったのだ。

「父上、どうしたの? 悲しいの?」

「悲しくはないが、ちょっと寂しいかな」

「ん、分かった。お冬がいたげる」

 よいしょと膝に登ってきて、足の間に収まる。

 俺の顔を見上げた彼女は「えへへー」と笑み崩れた。無邪気すぎる笑顔に絆されない奴がいたら見てみたい。思わずぎゅっと抱きしめた。奈江もこれくらい素直ならよかったのに、と思わなくもない。あれはあれで可愛いんだが。

「悪かったわね!」

「何も言ってないぞ」

「何年の付き合いだと思っているのよ。それくらい顔を見れば分かるんだからっ」

「けんか、だめー」

「はっはっは!! まっこと、その通りよ。姫は賢いの。場を見極め、己の立ち位置を正しく理解しておる。よく夫を支え、よく子を生み育てる立派な女に育つであろう。織田家は安泰だの」

 ベタ褒めである。

 お冬も褒められたのが分かるのか、山科卿の方を向いてニコニコしていた。五人の子供たちの中で一番発育が遅いと思っていたのは間違いだったかもしれない。男には男の、女には女の良さがある。ふと見やれば、奈江は目尻に袖を当てていた。

 振り分け髪を崩さないように、お冬の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「当然だ」

 意識して力強く、俺は言った。

「俺と、可愛い嫁たちの子供なんだからな! 家は家族一丸となって支えていくものだ。お公家様に言われるまでもない」

「うむ。なればこそ、北畠に息子を出すべきであろう」

「何?」

「そうさなあ。国人衆の抑えにもう一つ……神戸か、長野か。ちょうど二人いるのだから、二人とも養子に出してしまえ。なに、其方が弟らに尾張の管理を任せるのと同じことよ」

「駄目だ。茶筅と三七には早すぎる!」

「早いから良いのだ。時期を逃せば、状況も変わる。今日会ったばかりの我でも、其方がどれだけ家族を大切に想うているか分かった。織田から預かった息子を大事にせぬわけがない」

「上総介様」

「お殿様」

 吉乃と奈江が不安そうな声を出すのも無理はない。

 俺としては、彼女たちがいる場所で養子縁組の話など出してほしくなかった。だが事後報告か事前告知の違いしかないということは、俺にも分かる。山科卿は織田家の今後を考えて、最善の策を授けてくれたのだ。

 最後まで俺を睨んでいた具教の顔を思い出す。

 今まで伊勢国をまとめてきた男だ。少なくとも話が通じない相手じゃない。一族の者が早々に降ってきたのは自分の命よりも、国の未来を優先したからだ。具教が死ねば、具房が残る。俺たちが攻め込まなくても他国が侵攻してくる可能性だってある。

 織田家に従属した方がいいと判断したから、降伏を選んだ。

 俺だって何も考えていないわけじゃない。伊勢国から見れば、俺たちは侵略軍だ。降伏を選んでも、腹の底は煮えくり返っているかもしれない。

「長野工藤氏は、三十郎に継がせる」

「ほう? そういえば藤定の娘を迎えたのであったな。婿入りという形になるか」

「おそらく、三十郎も最初からそのつもりだったんだろう。大河内城に残って、今は戦後処理をしているはずだ。……養子のことは、向こうからの報告が来てから決める」

「子離れできぬ父、か。苦労していそうだのう」

「慣れましたわ」

「お濃っ」

「まあ、ごめんあそばせ。嘘は苦手ですの」

 クールな微笑みが眩しい。

 これはひょっとして、今まで色々やらかしたことを怒っていらっしゃる? 気が付けば吉乃や奈江はもちろん、お冬までしらーっとした目を向けてくる。というか、お冬はいつの間に父の膝から抜け出したのか。全く気付かなかった、うちの子は忍の素質があるかもしれない。

 あ、奇妙丸の乳母は滝川一族だ。

 長利の師匠も伊賀者だし、なんだかんだで忍術に触れ合う機会はありそうだ。かといって織田家の姫が、くのいちになってしまうのは如何なものか。房中術ダメ絶対。やっぱり無理無理、お冬はおっとり系美少女として成長してほしい。

「父上! お客様を連れてきましたわっ」

「お五徳は猫耳アイドル」

「意味わかんないこと言わないで。お客様なの、お客様っ」

「ほう、客か。新年早々賑やかなことである」

「……内蔵頭殿、貴方がこちらにいらっしゃると聞きましてね。挨拶の一つも致さねば、無礼に当たりましょう」

 細川様キター!

 いや、待て。いやいや、待て。去年から、やけに公家と知り合う機会があるんだが何故だ。俺ってそんなに注目株なわけ? それとも歴史的大いなる力がそうさせるのか?

「たまには違う場所での宴もよいものです」

 もてなせ、と言わんばかりの細川様にため息が出る。

 お五徳が案内役をすることになった経緯も知りたかったが、この面子で出てくる話を聞かせたくない。褒めてもらいたそうな顔に苦笑して、頭を撫でてやるのが精一杯だった。珍しく奈江が察してくれて、やんわりとお五徳を引き離す。

 吉乃がお冬を連れて下がり、帰蝶が代表して公家の二人に挨拶をした。

 いつの間にか夜も更けている。子供たちを寝かせる時間だ。

「お濃、すまん」

「村井殿を呼んでまいります」

「ああ、助かる」

 なんでこんな時に信純いないんだよ。

 あ、そうだ。信包と一緒に伊勢に置いてきた。って、俺のせいか!?

 今思えば、長島のことがまだ片付いていない。おそらく一向宗の影響力が強すぎて、独立区域のようになっているのだろう。長島城には龍興が入ったというが、十郎との関係がまだ分からない。長益は上手くやっていることを祈るしかない。

 山科卿は女衆が去っていくのを残念そうに見やり、手酌で酒を注いだ。

 この中で一番身分が低い俺がやるべきなんだろうが、なんとなく手を出したくない。家臣たちもいない広間はやたらと風通しが良かった。三人で酒を呑むには向かない。

「内蔵頭殿、此度は大変でしたねえ」

「この程度のこと、どうということもない」

 ここ、俺の城! 城主は俺!!

 細川様には酒を注いでやったが、俺の前で俺の知らない話をしないでもらいたいものだ。不満が顔に出ていたらしく、細川様にこれ見よがしの溜息を吐かれた。

「将軍位の推薦の件ですよ」

「はあ」

「阿州公方と義昭殿の双方から使者が来てのう。いやはや、参った参った。さりとて無視するわけにもいかぬ。先に申し出てきた方を優先した。一年も経たずに新たな将軍が立ち、将軍宣下の儀の手伝うことになるとは思わなんだが」

「上総介……いえ、尾張守殿が間に合わなかったのですから致し方ありません。今年こそは、いらっしゃるのでしょうね? 我が君が首を長くしてお待ちですよ」

 完璧すぎる笑顔が怖い。非常に怖い。

 直視できずに顔をそらした。首をひねるだけでギギギ、と軋む音がする。もちろん幻聴だが、足利兄弟がいないことと山科卿がいることが恐ろしい化学反応を起こしていたようだ。

「ちょっと予定が狂ったんですよ。し、仕方ないじゃないだろ、です」

「其方、兵部殿には猫を被るのか? 面妖なことであるな」

「やかましい! 親父殿の知り合いっていうだけで、十分敬意を払っとるわ」

「さてさて、素直ではないのも血筋かの」

「若い者をからかうのは趣味が悪いですよ、内蔵頭殿。せっかく我々が言葉を尽くして理解していただいたのに、横から掻っ攫う真似は止めてくださいね?」

「これは異なことを。恩人を歓待するのは、至極当たり前のことである。のう、信長殿?」

「そ、そうですネ」

「ほう。恩人」

 細川様の視線が「説明しろよオラァ」と訴えておられる。

 帰蝶が貞勝を呼んでくれると言っていたが、今日ばかりは酔いつぶれているんじゃなかろうか。連日の徹夜でも処理能力が落ちない鉄人の弱点はアルコールだ。俺の趣味で薄めない酒が出回るようになってから、酒豪を誇っていた奴らがどんどん脱落していった。

 焼酎だって、一杯目はストレートで楽しむのが礼儀だろ?

 日本酒を薄めるなんて、酒に対する冒涜だ。

 え? あ、説明ですか。ハイ、かくかくしかじかでごにょごにょゴニョリータ。

 俺も知らなかったことだが、山科卿は多方面に特技を持っている超人類だった。地元民にも薬を分け与えちゃう気さくな人間でありながら、雅楽や和歌にもよく通じている。蹴鞠や双六などの遊びも得意で、朝廷や公家に関する膨大な知識を持つ家柄とか何とか。

「上洛するのであれば、相応しい作法と装束を伝授してやろうほどに」

「もっと早く言えよ、そういうことは!」

「田舎者と呼ばれたかの」

「うぐぐ」

 ニヤニヤ笑いが腹立たしい。

 山科卿も大変忙しい人で、最初の上洛を果たしたことも後から聞いたらしい。それで文句を言いに尾張へ来たら俺は不在で、側室の吉乃が病に臥せっていた。お節介焼の性分から見過ごすことはできずに治療して、そのまま京へ帰ってしまった。

 次に所在を確認してから向かえば、花嫁行列と共に出立した直後。

 御料地の件は念押ししたにもかかわらず、ふわっとした返事に腹を立てていたという。それで三度目の正直、何が何でも家族と一緒に正月を迎える主義を信じて岐阜城に訪れた。

「えっと、なんか……ごめん、でした」

「大した恩ですね。しっかり弱みを握ってしまった辺りが抜け目のない」

「其方に言われとうないの。さりとて、同情もしておるぞ。強引に巻き込んだはずが、大事な宣下の儀をすっぽかされるとは思うまいて」

「ええ、本当に」

「だから、本当に悪かったって。お市のこともあって、ちょっと焦ってたんだよ」

 彼らは俺が前世の記憶持ちだということを知らない。

 想像もしていないはずだ。

 よしんば打ち明けたとしても、酔っ払いの戯言として流して終わりだ。それはそれでいいかもしれないが、平手の爺の死に様が心にセーブをかける。もう一人は遠い地にて、自由を満喫していることだろう。ああ、俺も旅に出たい。

 俺が頭を掻いた時、ようやく貞勝がやってきた。

「遅れまして申し訳ございません」

 いつになく淀んだ目に、なんだか嫌な予感がする。

 顔が赤らんでいたら確実なんだが、一応聞いてみよう。

「吉兵衛、素面か?」

「酔ってなどおりましぇん」

「……うん、そうか。水被ってこい」

「失礼いたします」

 真顔で噛むと、全然笑えないものだな。

 入ってきたばかりの男が去っていくのを見送り、俺は空になった徳利を振った。誰ぞに新しいのを持ってこさせるべきか。いや、この場に近寄りたくないから野郎三人で寂しく呑んでいるのだ。肴も尽きたし、酒もない。

 お開きにするには、まだまだ呑み足りない。

 ダメで元々、やけっぱちになって大声を出してみよう。

「誰ぞある!」

「呼ばれて飛び出て」

「帰れ!!」

 漆黒の全身サラシ男は飛んできた徳利を受け取り、恭しく礼をした。

 ほどなくして広間には肴と酒がずらりと並ぶ。意外に使えるサラシ男は伴家の太郎左衛門と名乗った。これからも傍に控え、俺を支えるつもりだという。好きにしろと答えたら、なんだか嬉しそうに笑っていた。





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山科卿の特技が多彩すぎて理解が追いつかない。とりあえず酒好きで、遊ぶことが大好きで、歌も詠めれば楽器も扱えて、漢方薬にめちゃめちゃ詳しくて、朝廷や公家にまつわる様々な知識があるトンデモな人っていうのは理解した。


山科言継...官位は内蔵頭。財政赤字の朝廷を救うために各地を駆けずり回るうちに、多方面へ人脈を広げていった。平手政秀がノブナガに伝えた礼儀作法は、山科卿に教わったものと考えられる。

 楽しいことは基本的に大好き。血筋のせいか、学ぶことも好きで大変な博識。人をからかって遊ぶ趣味はないが、宴席は参加する全てが楽しめるものであれという考えの持ち主


伴太郎...甲賀の忍、ということ以外は不明

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