9. うつけ者、蝮に遭遇する(前)

 集会から戻った俺は自室で、これまでのことを思い返していた。

「なんか色々あったなあ」

 時間が経つのは早い。

 落馬して前世の記憶を思い出したのは8歳くらいで、犬千代たちと会ったのも大体その頃だ。12歳で元服したものの、悪ガキ集団の噂はすっかり領内外に広まっていた。そこで大人たちは俺たちをバラバラにする作戦に出た。舎弟という遊び仲間を取り上げれば、大人しくなるだろうと考えたのだ。

 まあ大人しくしていたのは最初の一年だけだったが。

 勉強に鍛錬に殊勝な態度で取り組み、さすがの大うつけも反省しているのではと周囲がほくそ笑んでいたのも知っている。かなり小馬鹿にした笑みだったけどな! とにかく、そんなわけで一年後には舎弟たちが俺の下へ戻ってきた。

 今思えば、親父殿に上手く使われていた気がする。

 表立って動けないことを俺に処理させて、名声と評判だけをちゃっかりいただく。道具として使われている不快感がなかったのは、なんだかんだで楽しかったからだろう。

 そうそう、舎弟たちと離れていた一年の間に新メンバーができた。

 むっつり久助と泣きむし勝三郎。

 今は元服して滝川一益、池田恒興と名乗っている。舎弟どもの代わりに監視役を言いつけられたらしいが、水飴でころりと落ちた。材料さえ揃えば簡単に作れるんだな、これが。

「若様? そろそろ就寝なさいませんと」

「まだ宵の入りだろ」

「そう言って、先日も明け方近くまで灯りをつけておられたではありませんか。今宵こそはゆっくり寝ていただきます」

「はいはい、後ちょっとだけな」

「若様!」

 この口煩くて神経質そうなやつが乳兄弟の恒興。

 乳兄弟とは同じ釜の飯ならぬ、同じ乳を飲んだ兄弟という意味だ。

 この時代は、実母の代わりに乳母が子供の世話をする。ベビーシッターってやつだな。

 そんでもって、恒興の母――「大御ち様」と呼ばれている――が俺の乳母だった。まあ、乳母の乳首を噛みちぎる赤ん坊の世話なんか、よくもOKしたと思う。命令だから逆らえなかったのかもしれないが、幼い頃の俺って残虐すぎるだろ。子供は無邪気に残酷レベルを軽く超えているぞ。

 乳母は当然ながら、母乳がちゃんと出ることを最低条件とする。

 噛みちぎり癖が治らなかったら、恒興にも新しい乳母がつけられたかもしれない。そう思うと、なんだか複雑な気分になる。いや、本当に覚えていないからな。本当だからな!

 乳母は肝っ玉母ちゃん風で、大抵のことには動じない。

 その子供の恒興はちょっとしたことでピイピイ騒ぐし、舎弟どもは悪影響を与える存在として敵視している。ただの遊び友達だぞ、今は。

「小姑かよ」

「若さまの為に苦言を申し上げているのです」

「はいはい」

 適当に流していると、視界の端に影が降ってきた。

「若、戻った」

「一益」

 リアル忍者キタコレ。

 滝川衆は織田家が抱える忍び集団、という認識でいいらしい。細かいところで微妙に違うというが、忍者の事情はよくわからん。

「思ったより早かったな。それで、どうだった?」

 一益は斥候や偵察が得意で、今回も美濃国を探らせていた。

 蝮の道三こと斎藤利政が尾張・美濃の国境に来ているらしい、という情報を得たからだ。本当だったら会いに行きたい。戦国の大悪党だぞ。どんな顔をしているのか気にならない方がおかしい。コワモテは親父殿で見慣れている。

「蝮は情報通り、草庵にて滞在中」

「お供の数は?」

「二名」

「は、もごご」

 叫びそうになった恒興の口を押えつつ、俺も驚きを隠せない。

「マジか」

「マジ」

 こっくり頷く一益。

 この様子なら本人を直接確認してきたな。

 やれやれ、俺のために危ない橋を渡らないでくれよ。お供が二人以上だったらどうするつもりだったんだ? 忍び一族を雇っているのは織田家だけじゃない。有名な伊賀甲賀に、越後の軒猿衆、相模の風魔一族などなど。諜報や内通、各種工作に長けた集団が各地にいる。

 蝮の道三がなんとなくで国境付近まで来たとは思えない。

 俺と同じ考えだったら嬉しいが、さすがに考えすぎだろうか。和睦の話し合いは既に終わっていて、平手の爺も那古野城に戻ってきている。美濃国内で不穏な噂があるのに、居城を離れている理由は何か。

「動く?」

「ああ、予定通りに行こう」

「私は反対です! ……罠かもしれませぬ」

 また口を塞がれたいのか、恒興。

 じろっと睨んだ途端に自ら口を覆って、くぐもった声で続きを述べている。だが、その可能性は俺もちゃんと考えた。いっぱい考えたが、ファン心理に負けた。だって噂の大悪党に会ってみたいじゃん。本当に悪人面しているのか気になるじゃん。

「罠を張っているっていうことは、何らかの想定をしているってことだろ。俺たちが刺客じゃないって分かれば、殺そうとはしない……はずだ」

 俺がそれっぽい理由をつけて話せば、一益が深く頷く。

「この身に替えても守る」

「あ、止めないんだ」

「一蓮托生」

 再び頷く忍者カズマス。こいつは頼もしいな。

「よし、ついてこい。一益」

「はっ」

「私もお供いたします!」

「叫ぶなって言ってんだよっ」

 阿呆か、抑えても叫んでたら意味がねえだろ。

 とっくに日が暮れてるんだぞ。いい加減寝ろって言ってた奴が、部屋でわあわあ騒いでどうするんだ。見張りの兵が何事かって駆けこんできても、俺は庇わないからな。




 かくして俺たちは美濃との国境付近に潜入していた。

 舎弟どもにはナイショだ。俄然喧しくなるし、悪ガキ集団で周知されているのにコッソリ抜け出すのは不可能に近い。

「頭上」

「んがっ」

「忠告が遅い!」

 恒興、俺の代わりに怒ってくれるのは嬉しいが声デケェよ。

「何奴?!」

「そこにいるのは分かっているっ」

 ほらあ、見つかったー。って俺のせいでもあるか。

 誰何の声が二人分、お供の人数と合致する。

 俺は木の枝をしこたまぶつけてジンジンする額をさすり、両手を上げた。ホールドアップである。武器持ってないよー無抵抗だよー戦う意思もないよーのポーズを、恒興たちも見様見真似でやってくれた。

 おっと前方に、それっぽい建物を発見。

 屋根にめっちゃ苔生しているのが風情あって良い感じだ。壁にも蔦植物がみっしり這って、遠くからは森と同化してしまうような庵がそこにあった。いいなあ、俺も隠居したらああいう家に住みたいぞ。まだ家督すら継いでないが。

 槍を構え、近づいてきたおっさんたちが怪訝な顔をする。

「このような森の中に、子供が三人?」

 おいこら、ガキって言うな。

 前世の年齢を足せば、お前らよりもずっと年上だぞ? やっぱり成政か、利家あたりを連れてくればよかった。あの肉体美なら子供と侮るまい。森の中だからか、どっちの槍も短めだ。脅し目的なら長い方がいいだろうに。

「言え、どこの家の者だ。素直に答えれば、帰る道くらいは教えてやろう」

「ぶ、無礼者!! このお方をどなたと心得るっ」

 あーあ、やっちゃった。恒興やっちゃった。

 三人並んで両手上げてるのに、国民的時代劇の名台詞を聞くとは思わなかった。しかも「このお方」って俺のことだしな。先の副将軍どころか、次の織田家(の分家)当主である。控えおろーって言えるほどの家格はない。

「さても是非聞いてみたいものだのう。そこの若造が、どこのお方であるか」

「と、利政様!?」

 草(だらけの)庵から、のっそりと出てきた坊主頭の男。

 こいつが美濃の蝮、斎藤利政か。

 修羅の国の人――もちろん親父殿のことだ――に似ている。顔じゃなくて、雰囲気がな。眼光鋭く、体格もいい。何も武具をつけていないのに、睨まれただけで肌がちりちり焼かれる。これがプレッシャー、戦国武将の覇気ってやつか。

 選択間違えたら死ぬんじゃねコレ。

 同じことを考えたのだろう。一益が珍しく緊迫した表情でこちらを見た。

「若」

「絶対、動くなよ。蝮一人で、俺たち全員ヤれる」

「ですが」

 空気読まずに口答えをしてしまうのが恒興の常。

 そしてツッコミ属性はないはずなのに、思わず体が動いてしまった悲しい俺。すぱぁんと小気味よい音が弾け、森から鳥たちが一斉に飛び立っていく。

「ほう? 面妖な武器よの」

 利政が顎をしごいた。

 それで覇気がちょっと緩む。ほっ、助かっ……てない。

「武器じゃ、ない。ので、これ……どかしてクダサイ」

 ちょっと涙目で訴えた。

 だって今、三本の刃が俺に向かっている。

 正しく咽喉を狙っているため、うっかり生唾も呑み込めない危険な状況だ。一益は一応間に入ろうとしてくれたのは分かる。だから傷ついたような目で、こちらを見るな。普段は無表情なくせに、こういう時だけ感情豊かとか狡いぞ。

「一益、お前が先だ」

「……はい」

 一益はかなり間を置いて、渋々ながら刀を下げる。

 普通の日本刀よりも短いそれに興味がわいて、後でとっくり聞かせてもらおうと心にメモする。恒興が小刻みに震え始めた頃、ようやっと斎藤側の二人も下がってくれた。

 ああ、これで息ができる。

 安堵と共にハリセンを下ろせば、またお供衆がぴくりと反応していた。一益もだ。抜き身の刀の方がよっぽど怖いだろ。これ以上警戒されても困るし、これは武器じゃないですよーって言い訳しておこう。

「これはツッコミ専用の道具ですよ。厚手の紙を束ねて蛇腹折りにしたものです。使用済みでよければ、お近づきのしるしにお納めください。斎藤どう……山城守殿」

「土産持参とはなかなかどうして、気が利いておるの。尾張のうつけ殿」

 ぎくり。

 ひいいぃ、バレてたー! やっぱりバレてたー!!

 うっかり道三殿って言いそうになったのを我慢できたのにダメだった。内心では祭りの真っ最中だが、表面的には頬がひきつった程度に留めた。前世で鍛えた愛想笑い《ポーカーフェイス》をナメるなよ。このヘラヘラ笑いで、重臣おっさん連中を騙した実績もある。

 いや、一人だけいたな。

 親父殿が用意したお目付け役そのいち、林秀貞だ。

 なんかこう、最初からお前には期待していないっていうのか。ほとほと愛想が尽きたっていう感じで、事あるごとに信行を引き合いに出す嫌な奴だ。

 林のジジイにいわれるまでもなく、俺よりも信行の方が勝っている。

 その信行が妙なコンプレックスを抱いているらしいんだよな。思い当たる節はないし、誰かが余計なことを吹き込んだ可能性もある。調べるのは、次の集会の報告を聞いてからにしよう。呪詛について何か分かっていればいいんだが。

 なんて俺が現実逃避している間に、一益たちが前に出ていた。

 嫡男を守ろうとする気持ちは嬉しいけど、今はダメだ。

「一益、ハウス」

「はう?」

「下がれ、と言っている。俺の臣下を名乗るなら、それくらい知っとけ」

「……御意」

「恒興、お前もだ。冷静さを失ったら負け、というのを肝に銘じろ」

「分かりました」

 一瞬即発の空気に、冷や汗が止まらない。

 俺の素性はバレているし、子供だからと侮られているとは思えない。お供衆が動かないのは主君である利政が堂々としているからだ。これは、力の差というよりも器の違いか。

 実際、利政の方が遥か高みにいる。

 親父殿よりも上かもしれない。さすがは戦国の大悪党。

 本当は腰を抜かして動けなくなるくらい怖いはずなのに、俺は武者震いみたいなものを感じていた。口角が上がっていくのを止められない。すごいぞ、俺。歴史上の大人物とご対面している。親父殿がすごくないと言わないが、美濃のマムシは油売りから戦国大名に出世した下剋上の人だ。

 今の俺じゃあ絶対勝てない。

 でも、負けたくない。すごく、不思議な感覚だ。

 どれくらいの間、無言で見つめ合っていただろうか。ふいに利政が目元を緩ませて、辺りの空気が和らいだ。お供二人も構えを解く。

「くく。これはまた、なんとも……良い目をしておる。尾張の虎が羨ましいわい」

「修羅の国の人ですから」

「わ、若様っ」

 恒興が裾をぐいぐい引っ張る。なんだよ、本当のことじゃねえか。

 小声でやり合っていると、利政が急に笑い出した。なんかツボに入ったらしい。俺に言わせれば、利政も修羅の国出身だと思う。めっちゃ怖いし。

 あれ? その娘と結婚するんだよな。大丈夫か、俺。

「立ち話もなんだ。茶を点てるゆえ、飲んでいくがよい」

「待ってくれ、こいつらも」

「若様、我らは外でお待ちいたしております」

「心配無用」

 そこまで言われたら、俺も頷くしかない。

 斎藤側のお供衆も外で待機するため、利政と二人きりだ。織田家嫡男の三郎信長だと分かっている以上、滅多なことにはならないはず。いつぞやの親父殿みたいに、いきなり硯をブン投げたりしないよな。誰かそうだと言ってくれ!





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この連載では、斎藤利政(道三)の娘は帰蝶。生駒殿は吉乃としています

ノブナガ発明品その1「ハリセン」...厚めの和紙を蛇腹に折るだけ。これで腕力がなくても大丈夫! ツッコミに最適な一品

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